第十一章 罪を以って裁きを制す
中也は緊急の連絡を聞き急いで会議室に向かった。部下から渡された書類を読む。その場にいた紅葉も険しい表情で中也が読むそれを見据えた。
「糞ったれ!!2日だと!?」
首領が敵からの攻撃を受けて倒れた。ある犯罪者の持つウイルス型の異能がその命を削る。そして、そのタイムリミットは48時間。全くの猶予はない中、それを止める為にはもう一人の宿無しである探偵社の社長を殺すしかない。
「探偵社とマフィアを潰し合わせる奸計か」
「…姐さん」
「探偵社と
「黒幕はブッ潰します!それでも2日じゃ時間が足りねぇ」
書類を握りしめて中也は歯を食いしばる。そんな中也を見据えて紅葉は黙考する。だが、中也の云う通り首領を救うにはそれしか方法も時間もない。
「まるで謀ったかのようなタイミングじゃのう。ルナが動けぬ今を狙ってくるとは」
紅葉のその言葉に中也はハッとする。そうだ、もしかしたら黒幕は最初から……。
だから、茨の怪物を使ってルナを––––––––––。
『探偵社の社長を殺せばいいのね』
突然聞こえたその声に中也は振り返る。紅葉も目を見開いて部屋に入ったきた人物を見据えた。
「––––––ルナ」
中也はガタンっと椅子から立ち上がる。治療室で眠っている筈のルナが今、そこにいる。いつもの黒い外套を着て、無表情にそこに立っていた。
「お前、目を覚ましたのか。躰は…、平気なのかよ」
『建物を包囲する部隊の編成と配置は中也が部下に指示して、私は別の場所から潜入して探偵社社長を暗殺する』
此方に視線を向けず淡々とそう云ったルナに中也は眉を寄せる。歩き出した背中を呼び止めて、その腕を掴んだ。
「潜入って…、手前その怪我で闘る心算か?今にも倒れそうじゃねぇか。まだ怪我が完治してねぇんだろ。無理すんじゃねぇよ。手前は此処で待ってろ」
『首領の命を脅かすものを排除する。それが私の仕事だよ』
「だからってなァ!!」
どこまでも冷静なルナに中也は声を荒げた。怪我も完治していない。そんな今のルナを闘いに出す事など出来なかったからだ。しかし、ルナがゆっくりと振り返る。そのオッドアイの瞳を見て中也は言葉を呑み込んだ。
「(…おい、何て目ぇしてやがる)」
どこまでも暗いオッドアイの瞳。
暗黒の闇に染めたかのように冷たく暗い瞳。
まるでそれは、昔のルナのような。
『中也、マフィアなら私より首領の命を優先して』
突きつけられたその言葉に中也は歯を食いしばった。云いたい事が沢山あった。だが、それを全て喉の奥に追いやって、ただ一言呟く。
「……嗚呼、判ってる」
マフィアなら、首領の命を優先する事は当然だ。どんなに愛しい者よりも、優先しなくてはならない。それが、闇に生きる者達の定め。
中也は掴んでいたルナの腕をゆっくりと離す。
ここからでも判るルナの血の匂い。立っているだけでも悲鳴を上げる体で、ルナは闘う気でいるのだ。
本当は闘って欲しくない。安全な場所で早く怪我を治して、元気な姿でまた笑って欲しい。ただ、それだけなのに。それを云う事さえ許されないもどかしさに中也は拳を握り締めた。
『…ごめんね、中也』
ぽつりと呟いたその言葉を残して、ルナは部屋を出て行く。後を追いかける事も止める事も出来ないまま小さな背中を中也は見送る。
そんな二人を紅葉は一歩下がった場所に立って、悲しげに見据えていた。
ルナが目覚めた事に安堵や喜ぶ時間さえ与えてくれない。それがどれだけ中也を苦しめているのか。握られた拳がそれを物語っていた。
***
命を守り、救う為に建てられた病院。
だが、それはこれから戦場の場と化す。
「悪ぃな、探偵社。今日は私怨は抜きだ。社長の首を出せ。そうすりゃ、皆死なずに済む」
建物がその殺気に震え上がる。窓ガラスが、壁が、悲鳴をあげるようにひび割れていく。
マフィアの構成員が正門も裏口も固めて探偵社の社長がいる病院の建物を包囲していた。探偵社に逃げ場はない。
ザ、ザザ…と耳につけている通信機が音を立てた。そこから聞こえてくる部下の声に中也は耳を澄ませる。
〈「探偵社社長の病室前に、護衛の異能者を確認。金髪の子供です」〉
「…あの時の小僧か」
以前探偵社のアジトに乗り込んだ時に戦った少年を思い出す。怪力の異能力者だ。それも中也の蹴りを受けられる程の防御力。探偵社はいきなり鬼札を切ったらしい。時間稼ぎもあるだろう。しかし、再び通信機から部下の声が聞こえた。少し焦ったその声が報告する。
〈「子供だけではありません!探偵社のほぼ全主力が病室を防衛しています!」〉
「何!?いきなり総力戦だと!?」
マフィアと真向勝負で闘る心算なのか。探偵社はたかが数人。だが、各々が厄介な異能力を持っている為、此方もそれ相応の武力で対抗しなくてならない。
「こっちも主力で対抗する!包囲役の芥川と黒蜥蜴達をこっちに寄越せ!」
殺伐とした空気で探偵社と向かい合う。何方もトップの命がかかっている。引く事などしない。たとえどれだけの犠牲が出ようとも。
「順番に戦るか?それとも、全員一度に戦るか?俺はどっちでもいいぜ」
「どっちもしない」
一人の青年がそう答えた。探偵社の社員が残像を残して消えて行く。その場に残ったのはオレンジ髪の一人の青年だけ。
「幻像の異能力者か」
オレンジ髪の青年、谷崎は額に汗を垂らしながら口を開いた。今この瞬間、殺されるかもしれないが、自分の役目を果たす為に。
「賢治君が壁を抜いて社長を運び出した。社長も社員もとっくに病院を脱出してる」
「包囲を欺いて社員を逃す為、命を捨てて囮となったか」
「命は捨ててない」
芥川のその言葉に谷崎はゆっくりと両手を上げた。中也は舌打ちを溢して通信機に指で触れる。
「おい、ルナ。何処にいる?探偵社が社長を連れ出して包囲を抜けた。奇襲は失敗だ」
〈『問題ない。もう追いつく』〉
機械の雑音と共に聞こえてきた声。轟々となり響く風の音を聞きながら中也は「は?」と眉を上げた。
「追いつくって手前!今追ってんのか!?」
〈『イヴの足でね。もう追いついたから切るね』〉
「まっ、。……ったく、無茶しやがって」
ノイズが鳴る通信を切って中也は振り返る。部下が此方の指示を待っていた。
「そいつを拘束しろ。全員この場で待機だ。ルナからの連絡を待つ」
ルナは一人で探偵社と闘りあう心算なのか。万全な状態なら可能だろう。だが、今のルナは…。
拳を握りしめて、窓の外を見通す中也を谷崎は拘束されながら見遣る。数刻前、仲間である鏡花が云っていた名前。矢張り嫌な予感と云うものは当たるものだ。如何か切り抜けてくれ、と谷崎は仲間達の無事を祈った。