第十章 夢魘に熟れし果実を喰らう
車に揺られる事、数時間。
窓枠に肘を乗せて外を眺めていれば段々と見慣れた街並みに変わっていく。出張任務を終えた俺は部下の車で拠点に戻っていた。任務遂行予定は2日間くらいだったが、たった一日で終えることが出来た。帰ったら直ぐに首領へ報告をしなければと頭の中で予定を立てている時、よくルナがシュークリームを買う店が目に入った。
「悪りィ、停めてくれ」
そう云や、土産を買ってくる約束をルナとしてたんだったな。現地で買えば良かったのだが、結局はシュークリームを食べまくる彼奴の事だから文句は云わねぇだろ。
「おや?まあまあ!ルナちゃんの彼氏さんじゃないのぉ〜」
店の中に入ってすぐ店頭に立っていた婆さんと目が合う。俺の顔を見た途端にそう云い出した婆さんとは何度か顔を合わせているが、その度に同じ事を云われる気がするな。
「シュークリームあるだけ詰めてくれ。カードで頼む」
「あいよ。ルナちゃんの為に買いに来たのかい?ほんと優しい彼氏さんだねぇ」
マフィアに優しいはねぇだろ。まあ、この婆さんは知る由もねぇか。話が長くなりそうな婆さんから箱詰めされたシュークリームを受け取り、早々に礼を云って店を後にした。
首領にはもう直ぐ戻ると連絡を入れといたから、エントランスでルナが首を長くして待っているかもしれない。2日も逢えてねぇとやっぱ恋しくなる。女々しい自分に呆れながらも車を降りて入り口を潜った。
「……いねぇ」
てっきりジェット機並みの勢いで飛びついて来ると思ったのだが、エントランスは静まり返り騒がしい彼奴の声はしない。取り敢えず、首領へ報告しに行くかと俺は最上階を目指した。
首領の執務室に辿り着き叩音をすれば直ぐに返事が返ってくる。どこか首領の声音が重い気がしたのは気のせいか。
「首領、只今戻りました」
「嗚呼、お疲れ様。待っていたよ」
手を組んで此方を見据える首領の瞳は氷のように冷たかった。直様何かあったのだと悟る。無意識にルナの部屋の扉に視線をやった。
「単刀直入に云おう」
首領のその言葉に冷や汗が垂れたのが判った。厭な予感が、胸騒ぎがする。
「ルナちゃんの行方が判らなくなった」
厭な予感と云うものは当たるもので、首領の口から告げられたそれは頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。ルナが行方不明?まさか彼奴に限ってそんな事。無意識に握り締めた拳が震える。
「ルナちゃんとの連絡が途絶えたのは昨日の夕刻だ。それから一切音沙汰がない。捜索部隊を派遣しようにもルナちゃんが消息を絶つ事態が起きているからね。それに首領専属護衛の不在を外部に漏らす訳にもいかない」
「俺が、ルナを見つけ出します」
冷静を装った声は思いの外低かった。首領の云う通り、あのルナでさえ行方不明になる事態が起こっている。下手に部下を使っても行方不明者の数を増やすだけ。それ程強力な異能力者が関わっているのか。
動けるのは五大幹部……、
『うん、判った。待ってるね』
最後に見たルナの笑顔が脳裏を過ぎった。
––––––––––––否、俺しかいねぇだろ。
「中也君、これを」
首領が俺に差し出した物は黒い機械。それを受け取れば赤い点滅を繰り返す一点が表示されていた。
「ルナちゃんの携帯に埋め込んである発信器だ。昨日から動きがないからルナちゃんはその場にいないかもしれない。だが、手掛かりはあるだろう。頼めるね?必ずルナちゃんを連れ戻してきてくれ給え」
首領の真剣な声。それに応えるように探知機を握り締めたまま「承知しました」と頭を下げ、速足に首領の執務室を後にした。
最後に会話したルナの姿が何度も何度も脳裏に浮かぶ。
–––––––––––無事でいろよ、ルナ。
***
ぴとっ…、ぴとっ……。
赤い雫が一つ一つと零れ落ちる。
木の根のような太さを持つ茨が蠢いた。
赤い血が滴る鋭利な刺を持つ茨。
幾多もの太い茨が重なって出来た木のような塊の中心。
そこにルナはいた。
腕や脚、躰の至る所に茨の蔓が絡み付き、赤黒く染まった腹部からは血が流れ出ている。それでもルナは目を閉じて、
静かに、まるで眠り姫のように。
ルナの血が滴り落ちる。
茨の蔓がより一層ルナに強く絡み付く。
まるで植物が実を結び、喜んでいるかのように。
「やっとだ」
その異様な光景を前にして、一人の男が静かな声で呟いた。
「これでやっと、俺は