13番
最初に気がついたのは、土の匂いだった。
体を起こすと、見たことのない場所にいた。白い天井じゃない。頭上に広がっているのは、深い緑色の木々だった。木の隙間から差し込む光が、霧のような白さを帯びていた。どこかで水の音がする。遠くで、何かがかすかに光っている気がした。
——白い部屋じゃない。
いつものパターンと違う。エマは立ち上がりながら、周囲を見回した。森だった。道らしいものはあるけど、どこに続いているのかわからない。左に行っても右に行っても、木々が続いているだけだ。
少し離れたところに、人影があった。
よかった、と思った瞬間、その人影もこちらに気づいて顔を上げた。
エマは固まった。
(……あれ、わたし?)
自分の顔が、そこにあった。自分の髪、自分の目、自分の背丈。でも着ているのは黒いコートで、表情は自分よりずっと険しい。
混乱したまま、口を開いた。
「ろ、ロクサス……?」
出てきたのは、自分の声じゃなかった。
低くて、落ち着いた、男の子の声だった。
エマは自分の喉に手を当てた。
「…………え?」
また声が出た。また、ロクサスの声だった。
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一方のロクサスは、エマの顔でエマの声を聞いて、固まっていた。
(俺の声だ)
目の前にいる人間が、ロクサスの声で喋っていた。でも顔はエマじゃない。ロクサスの顔だ。ロクサスのコートを着ている。
それから、今自分が着ているものを見下ろした。
見慣れない服だった。軽い。コートじゃない。そして、視界が低かった。
「……なんだ、これ」
出てきた声が、エマの声だった。
ロクサスは自分の手を見た。細かった。指が細くて、腕が細くて、自分の手じゃなかった。
(エマの手だ)
ゆっくりと理解が追いついてきた。体が入れ替わっている。自分がエマの体の中にいて、エマがロクサスの体の中にいる。
「……エマ」
「……ロクサス」
二人して、しばらく黙っていた。
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「とりあえず、出口を探すしかないな」
ロクサスが——エマの体のロクサスが言った。エマの声で言っているのに、口調はロクサスだった。
「そ、そうだね」
エマが——ロクサスの体のエマが答えた。ロクサスの声で答えているのに、どこかおどおどしていた。
歩き出したロクサスは、数歩で立ち止まった。
「……低いな」
「え?」
「目線が。こんなに低いのか、エマは」
「そ、そうだよ、あたし背低いから……」
ロクサスは自分の——エマの手を見た。それから腕を持ち上げて、曲げてみた。
「……細い」
「ちょ、ペタペタしないでよ!」
「別にペタペタしてない、確認してる」
「おんなじだよ!」
エマが頬を赤くした。ロクサスの顔が赤くなっているのは、なんだか奇妙な光景だった。
ロクサスは構わずもう少しだけ腕を見てから、眉を寄せた。
「……こんな細い腕で、もし何かあったとき」
「何かって?」
「エマを守れるか、ってこと」
エマは少し黙った。
「……エマを守るのに、エマの体を使うのか」
「変な感じ、するか?」
「する。すごく」
ロクサスはもう一度手を見てから、静かに言った。
「絶対何もさせないけどな」
エマの胸が、じんわりと温かくなった。
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森の道は、迷路みたいに入り組んでいた。
角を曲がるたびに景色が変わった。木々が密集した薄暗い場所かと思えば、突然開けた草原に出て、青白い花が一面に咲いていたりした。水面が光を反射してきらきらしている池もあった。不思議な場所だった。怖いというより、どこか夢の中みたいな感じがした。
エマはその間もずっと、自分の手を持て余していた。
(おっきい手だな)
ロクサスの手は、自分の手より全然大きかった。指を曲げてみたり、伸ばしてみたりしながら、こっそり観察していた。
それから、腕。
「……」
袖をちょっとだけ捲って、腕を見た。筋肉があった。自分の腕と全然違う。触ってみると、硬かった。
(意外と筋肉あるんだ、ロクサス)
などと考えていたら、突然我に返った。
(何やってんの、あたし!!)
慌てて袖を戻した。顔が熱い。ロクサスの顔が熱いのだから、今頃ロクサスの顔は真っ赤になっているはずで、それもまた恥ずかしかった。
「エマ、どうした」
「な、なんでもない!!」
「顔赤いぞ」
「赤くない!」
「赤い。俺の顔がそんなに赤くなるとは思わなかった」
「うるさーい!!」
ロクサスが首を傾げた。エマの顔で首を傾げているのが、なんともおかしかった。
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しばらく歩くと、森がひときわ開けた場所に出た。
中央に、古びた木製の扉が一枚、ぽつんと立っていた。壁も枠もない。ただ扉だけが、草の上に立っている。
「……あれじゃないか」
「そうっぽいね」
二人して扉に近づいた。取っ手を引くと、扉は静かに開いた。向こうには白い光があった。
「行くぞ」
「うん」
ロクサスが先に扉をくぐった。エマも続いた。
白い光に包まれた瞬間、体がふわっと軽くなった。
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気がついたら、トワイライトタウンの広場にいた。
見慣れた石畳。見慣れた空。夕焼けが、空を橙色に染めていた。
エマは自分の手を見た。細かった。自分の手だった。
「……戻ってる」
隣でロクサスが言った。ロクサスの声で。エマが顔を上げると、ロクサスがいた。ちゃんとロクサスの体のロクサスが、自分の手を確認しながら立っていた。
「よかった……!」
エマは思わず声に出した。
「……ああ」
ロクサスも短く答えた。それから少し間があって、ぼそっと言った。
「……エマの体、軽かった」
「え」
「自分の体より全然軽くて、なんか変な感じだった」
「あ、あたしはロクサスの体、重かった……というか、硬かった」
「硬かった?」
「筋肉が……その、あたしの体と全然違って」
言いながら、エマの顔がじわじわ赤くなった。ロクサスはそれを見て、少し目を細めた。
「腕、触ってたろ」
「さわっ……さわってないし!!」
「袖捲ってた」
「見てたの!?」
「見てない、なんとなくわかった」
エマは顔を覆った。ロクサスが小さく笑う気配がした。
「……わりと恥ずかしかったぞ、俺も」
「え?」
「エマの体で動くの。なんか、こう……」
ロクサスは少し言葉を探した。
「守らないといけない、って思ったのに、守る方の体がエマで。変な感じがした」
「……それって」
「細くて、軽くて。こんな体で毎日動いてるんだな、って」
エマはロクサスの横顔を見た。夕焼けの光の中で、ロクサスはまっすぐ前を向いていた。耳がほんの少し赤かった。
「……ロクサス」
「なに」
「なんか、ありがとう」
「何が」
「心配してくれてたんでしょ、あたしのこと。あたしの体になってても」
ロクサスは黙った。否定しなかった。
夕焼けが、二人の影を長く伸ばしていた。
「……行くか」
「うん」
並んで歩き出した。肩と肩の距離が、いつもより少しだけ近かった。
エマはそれに気づいて、でも何も言わなかった。
このままでいいと思ったから。
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