狂聡ss
狂聡 しゃばけ のクロスオーバー
『付き合ってる狂聡』と『わぬ』の世界に『しゃばけ』の『鳴家』が降ってくるお話です。
去年、『カ!』のアニメを観てハマった後に、前からファンである『しゃばけ』のアニメを鑑賞し、頭の中で混ざりました。
わぬが存在してる設定です。
聡実くんと狂児さんがわぬと喋れたり、あっさり鳴家を受け入れたりしてます。
長崎屋の鳴家が広徳寺の鳴家と仲良しだといいなぁという妄想が入っています。
色々捏造してます。
勢いと妄想で書きました。よろしくお願いします。
※ゆるふわ関西弁。
―――――――――――――――――――――
『不思議な鏡』
長崎屋の若だんな一太郎は病弱で有名だが、今日は珍しく体の調子が良かった。とても良かったので、久しぶりに寄進と用事のため上野の広徳寺の高僧・寛朝に会いにきていた。
寛朝は妖封じで有名な高僧である。
寺の小僧に奥へと案内されて廊下を歩いていると、若だんなの着物の袖からひょいと”小鬼”が飛び出した。
「おや? 鳴家?」
と若だんなは小声で小鬼の鳴家に話しかけた。
長崎屋の若だんなは昔から妖を見ることができる。そのおかげで、彼は沢山の妖に慕われていた。
しかし、普通の人は妖を見ることが出来ないため、妖封じで有名な高僧がいる寺であれど、案内してくれる小僧の前で、堂々と鳴家に話かけるのはためらわれた。
若だんなは自然と小声で鳴家に問いかけていた。
「我は鳴家に会いに行く」と鳴家は返事する。
「広徳寺の鳴家に会いに行くってことかい?」
「きゅい」
「おやまぁ……」
と若だんなは呟き、にこりと微笑んだ。
「ふふっ。そうかいそうかい。でもすぐに戻っておいでよ。寛朝様へのおまんじゅうは鳴家の分もたっぷりあるからね」
一緒に食べようと言う若だんなに鳴家は嬉しそうに両手をあげて喜んだ。
すると、廊下はきゅいきゅいと激しくきしむ音を立てた。あまりに大きな音だったので先を歩いていた小僧が首を傾げる。
「おやぁ? ここの板、傷んでいるのかな?」
と眉間を寄せ呟いた。鳴家は家の中できしむ音を立てる妖怪なのだ。若だんなは慌てて鳴家のことをごまかすため小僧の元へと戻っていく。若だんなは小僧に別の話題を振って、意識を他に移させていた。
若だんなについてきていた妖でありながら長崎屋の手代の仁吉は、鳴家をチラリと見て「遅くならないように」と言って通り過ぎていく。
鳴家はそんな若だんなたちをにこやかに見送った。
そして、こぶしをぎゅっと握って、楽しげに辺りをキョロキョロ見渡す。
「鳴家はどこ~~~?」
と廊下を歩き出してすぐ、
「きゅい~~きゅいきゅい!」
「きゅいきゅい~~~」
鳴家は広徳寺の鳴家たちと再会し、無邪気に走り出したのだった。
その際、廊下や天井を激しくきしんだが、幸い広徳寺はとっても広くちょうど人気が無かったため、誰も気にするものはいなかった。
「きゅいきゅいきゅい~~~!」
と鳴家たちがはしゃいで追いかけっこして遊んでいると、とある部屋に出た。その部屋には文机が隅に置かれていた。文机の上には鏡が立てかけて置かれていた。
広徳寺の鳴家がその鏡を見て首をかしげる。
「この鏡、見たこと無い。こんなのあったっけ?」
という広徳寺の鳴家の言葉を聞きながら、若だんなとともにやってきた長崎屋の鳴家は、好奇心で鏡に近づいていく。
「すごい。鳴家がもう一人いるみたい……」
その鏡は、今まで見たことがないくらい鮮明に長崎屋の鳴家の姿を写していた。江戸にたくさん鏡はあれど、こんなにもしっかり姿が見えるのは初めてだった。
「すごくぴかぴか……きらきら…………」
鮮明に写る鏡に鳴家はすっかり心を奪われ、目をキラキラさせて、鏡の表面に手を触れたそのとき、
「きゅべ?」
長崎屋の鳴家は固い鏡の表面に触れたはずなのに、小さな鳴家の手は鏡の表面を突き抜けて中へと入ってしまう。
手を抜こうと引っ張るが、何故か抜けない。しかも、抜けないどころか、鳴家は鏡の中へとどんどん引き込まれていく。鳴家はあまりの恐怖に「ぎゅわわわ~~~~~」と叫んだ。
周りの広徳寺の鳴家も混乱して、きゅわきゅわぎゅわぎゅわ叫ぶ。
しかし、叫んでばかりではどうしようもなく、長崎屋の鳴家はどんどん鏡の中へと吸い込まれ、やがて完全に鏡の中へと消えてしまったのだった。
◇
「ぎゅわわ~~~~~~~~~~~~~~~っ」
鏡の中へと引き込まれた鳴家は暗闇で渦に巻き込まれ、目をグルグルさせた。
しかし、闇だった視界はやがて明るくなった。渦からは解放されたものの、急に空に放り出され、今度は真っ逆さまに落下していく。
落下していく先には建物があり、だんだんと地面が近づいていく。
(ぶるかる~~~~~~~~)
「ぎゅんべ~~~~~~~~~っ」
何がなんだが分からぬまま鳴家は激痛を覚悟したが、何か白く柔らかいものにぶつかったため少し和らいだ。鳴家は「ぎゃわっ」と叫び、地面に転げ落ちる。その際「わぬ!」という悲痛な鳴き声が聞こえたが、鳴家は頭をぶつけ、クラクラしていたため、鳴き声をすぐに確かめることは出来なかった。
またどこからか「わぬ……」という鳴き声がする。
しばらくして鳴家は意識を取り戻し、そっと瞼を開けた。視界に青空が広がって眩しい。だが、すぐに大きな白いものが鳴家をのぞき込み、陰に覆われた。
「わぬ?」
とその白い何かは首を捻る。
一体この白いのは何なのだろうか。
「だ……だれ?」
としばらく鳴家も首を傾げていたが、ふと若だんなのもとに戻らなくてはならないことを思い出しハッとする。
「我のおまんじゅう!」
おまんじゅうがあるよと教えてくれた若だんなのもとに戻らなくてはならない。あんまり離れていると、若だんなはきっと鳴家を心配する。若だんなが心配すると、病弱な若だんなの体に悪いと言って、妖であり今は長崎屋の手代として働く仁吉が、鳴家にひどく怒るに違いなかった。だから、早く帰らなくてはならない。
ちょっとだけ広徳寺の鳴家と遊んだら、おまんじゅうを食べるつもりだった鳴家は、キョロキョロと辺りを見渡し、ここがどこだが確認して、瞼をパチクリさせた。
「きゅべ? ここ……どこ??」
見慣れない、高い建物ばかりが並んでいる。地面は黒くて固く、道の脇には等間隔に灰色の大木のようなものが建っている。その大木はいっぱい黒いヒモで繋がっており、どこまでも続いていた。それは電柱、電線というのだが、江戸に暮らす鳴家が知るはずもない。
「ここ……お江戸………………?」
鳴家があまりにも見たことのない風景に困惑していると、先ほどの白い何かが「わぬ!」と言った。
鳴家は何故かその「わぬ!」が「蒲田だよ!」という言葉だということが分かった。
「かまた……?」
(我は上野の広徳寺にいたはず……。あれれ?)
鳴家は「わぬ」と鳴く白い何かの方を振り返り、じっと考え込んでから、白いのに問いかけた。
「蒲田に若だんなはいる?」
「わぬ~~~……」
「わからない……かー」きゅわ…と鳴家は眉尻を落とした。
それから鳴家は『わぬ』と名乗った白いのに、「お菓子があるから若だんなもとに一刻も早く戻らなければいけない」ことを一生懸命説明した。
するとわぬは、
「わぬ!」
と言ってくれた。
鳴家は瞳を潤ませる。
「若だんなを一緒に探してくれるの……?」
「わぬ!」
それから二人の『若だんなを探せ!』が始まった。
鳴家とわぬは蒲田の色んなところを探し始めた。公園、路地裏、知らない家のお庭に、夜は賑わってる繁華街などなど、わぬが知ってる場所、いつもは通らない場所を回りまくった。
「若だんな~~若だんな~~~~きゅべ~~~~~」
「わぬ~~。わぬ~~~!」
二人はとても一生懸命に探しまくった。それなのに……
「若だんな……どこにもいない…」
わぬは鳴家を頭に乗せ、蒲田駅の近くのベンチに座っていた。
夜の帳に包まれた蒲田駅周辺は暗闇でもネオンの明かりで輝いていた。
協力したのに成果を出せなかったわぬは、がっかりした様子の鳴家に申し訳なくて、肩を落として落ち込んでいる。
そんなわぬたちのもとに、一人のスーツの男性が足を止め、コツコツと革靴を鳴らして近づいてきた。
ぬっと大きな影がわぬたちを覆う。
「わぬ?」
と聞き慣れた男性の声がして、わぬはそっと顔を上げた。
「こんなところで何してるん? もう遅いで?」
オールバックの厳つい男前を鳴家は見上げ、わぬに尋ねる。
「だあれ?」
「わぬ!(狂児さん!)」
狂児はわぬに白い歯を見せてニッと笑った。
わぬは鳴家を頭に乗せたまま、ぴょんっとベンチから降りた。狂児に身振り手振りで説明しはじめた。
「わぬわぬわぬ」
「どうした、わぬ?」
「わぬ、わぬわぬ……わぬ」
「それはアカンなあ」
「わぬわぬわぬわぬ〜〜」
人間の狂児にも『わぬ』の言葉が通じるらしかった。
「ほぅ……。迷子の子のために若だんな? を探してたんかー…」
と納得する。
事情を聞いた狂児は言葉を続ける。
「で、その迷子の子はこの子……なんやな?」
と狂児は先ほどから気になっていた、わぬの頭の上に乗っている小さな何かに視線を向ける。鳴家は普通の人間には姿は見えない妖怪なのだが、どうやら狂児には見えているらしい。
「人にも犬にも見えんなぁ…新種の猫か?」
狂児は理解が追いつかず、天を仰いだ。
なんだか見たことのない『きゅわきゅわ』と鳴く小鬼のような何かがそこにいる……。
やがて狂児は、まぁいいかと白い歯を見せた。
「今から聡実くんの家にお泊まりなんやけど、わぬも一緒に行かへん?」
狂児はわぬを夜の街で放っておけず誘っていた。わぬにも帰る家があるとは思うのだが、もしかしたら遠いかもしれない。だったら、今日は一端、聡実くんの家にどうかと思ったのだった。
わぬは狂児の誘いにどうしようかと腕を組んだ。もしかしたら二人のお邪魔になるかもしれない。そんなことを考えたものの頭上の鳴家が「きゅわ……若だんな……おまんじゅう…………」と悲しそうにグ~とお腹を鳴らしたのを聞いて、聡実くんのおウチにお邪魔させてもらうことに決めた。
今は屋根のあるところで鳴家を休ませてあげたかった。
わぬは鳴家と共に狂児の後ろについて行くと、聡実くんのアパートの前にやってきていた。カンカンカンと靴音を鳴らす、年季の入った階段を登り、聡実くんの暮らす一室の玄関前にたどり着く。
狂児はわぬを持ち上げ、チャイムを鳴らすよう促した。
わぬは頷いて、真っ白な手でチャイムを鳴らす。
すぐに中から足音がして、ガチャ…と玄関が開いた。
「はい……」
と聡実が玄関を開けて顔を出す。
すると、目の前にどーんと「わぬ☆」と視界がわぬでいっぱいになるほど目と鼻の先にわぬが現れ、聡実は目を丸くした。わぬを持ち上げている狂児が聡実の反応にニヤッと笑う。
しばらく呆然としたあと、やがて聡実は頬をほころばせた。
「いらっしゃい。わぬ」
優しい聡実の声に自然とわぬの表情も緩む。
わぬの頭上にいる鳴家が「だれ?」と尋ね、「わぬ(聡実くん)」とわぬが答える。
狂児は持ち上げていたわぬを降ろし、ニコニコと自分を指さす。
「きょーじさんもいるよ~~ん」
「どこですか?」と聡実は冷たく視線をそらす。
「さ……さとみく~~ん」
と狂児は冗談まじりに悲しげな声を上げ、わぬたちと一緒に聡実の家に入っていった。
聡実の家にあがると、こたつが用意されていた。その上にはミカンが積み重なって置かれている。
「バイト先でもらいました」
ご自由にどうぞと聡実はミカンを指さし、こたつに潜り込む。
狂児やわぬもこたつに潜り込んで、冷えた体を暖めつつ、ミカンをむき始めた。
聡実はそんなわぬの様子をほっこりした気持ちで見つめていた。白いもこもこの『わぬ』は今日もかわいいなぁと胸が踊る。
しかし、わぬに視線を向けていた聡実は、先ほどから一つ気になっていることがあった。
「わぬ。上に乗ってる小さいのなんなん? ちっちゃくて可愛いなぁ」
と聡実は言った。
「わぬ?」
ミカンの皮剥きに夢中になっていたわぬは、反射的に聡実くんに相づちをしつつ、剥いたミカンを自分の頭上に差し出した。
聡実はわぬの上に乗っているのは”ぬいぐるみ”かなにかと思っていたため、『わぬ、”ぬいぐるみ”にミカン食べさせて、おままごとでもしてるんかな?』と微笑ましく思い、頬を緩ませた。
だが、そのとき……
わぬの頭上に乗っていた小さい”ぬいぐるみ”が、ぱくんっとミカンを食べたのである。
「ミカンがっ……!」
と聡実は突然、大きな声を上げ、皆がビックリする。
「聡実くん?」と狂児。
「わぬ?」とわぬが小首を傾げる。
聡実はその瞬間、思考の宇宙に意識が飛んだ。
わぬのミカンを”ぬいぐるみ”が食べた。ミカンを食べたということは生き物なのか。しかしこのような生物など見たことがないし、いるはずがないと思うのだが、わぬという存在自体、一体何者なのか……etc
などとグルグル考え、聡実は長い熟考の末、横目でわぬに問いかけた。
「わ……わぬ。何を…連れてきたん……?」
わぬはすっと真顔になった。
しかしやがて
「わぬ♪」
と陽気に頷いたのだった。
わぬは頭上の鳴家に机に降り立つよう促し、両手を広げ「わぬ!(鳴家だよ!)」と紹介する。
すると鳴家は、
「我は鳴家。わぬにお世話になってます」
と思い切って丁寧に頭を下げた。
突然、小さな何かが喋りだして、聡実と狂児は息を呑む。しかし、すでにわぬという白い存在に出会い、二人は不思議なものを受け入れる態勢を持ち合わせていた。
鳴家の存在を受け入れ、皆はそれぞれ自己紹介し、その流れで鳴家の事情を知っていった。
「鳴家は若だんなを探してるんか」と聡実。
「わぬの頭にいたこの迷子の子、やっぱり新種の猫やなかったんやなぁ」
と狂児は一人頷く。
「で、若だんなさんはどこに住んでる人なん?」
と聡実が尋ね、わぬは大きく目を見開いた。
今日一日わぬは、一生懸命”若だんな”を探していたが、若だんながどこに住んでいるかということを思いつかなかった自分に愕然とした。
わぬはそんな自分に少しショックを受けたものの、聡実くんって頭いいなぁと思い、尊敬を念を密かに送る。
鳴家はニコッと笑って聡実の疑問に答える。
「日本橋!」
日本橋を聞いて聡実と狂児は、ほっとする。
「なんや住所わかるんかー」と狂児。
「日本橋か。もっと具体的な場所とかわかる?」
と聡実はさらに尋ねる。
鳴家は胸を張ってさらに答えた。
「若だんなは……江戸一番の大店、廻船問屋兼薬種問屋、長崎屋の一人息子!」
狂児と聡実はしばらく沈黙し、やがてカッと目を見開いて同じことを心の中で叫んだ。
((じ……時代が違う…………っっ))
江戸て……と二人は互いに顔を見合わせ、わぬと鳴家に聞こえぬよう小声でやりとりする。
「鳴家は名前からして、たぶん妖怪……だと思うし、やっぱり人間とは違う時間軸で生きてるから、ちょっと居眠りして三百年とかかも……。どう思う狂児さん」
「うーん。ありえるなぁ。これはそっとしといた方がいいかもしれん。むやみに傷つけることになるかも」
二人は頷きあって、振り返る。
「見つかるといいなぁ。鳴家」と聡実は笑顔を張り付けて言った。
「そやなぁ」と狂児が自然に相づちを打つ。
鳴家は素直に「きゅい」と笑顔で二人の言葉に頷いた。
わぬは鳴家の言葉を聞いて明日は日本橋に行こうと決心した。
「わぬ」とわぬは鳴家に言う。
「きゅい。日本橋に連れてってくれるの?」
「わぬわぬ」
「明日はきっと若だんな見つかる! きゅいきゅい~」
わぬと鳴家は手と手を取り合ってクルクルと回った。
それを見ていた聡実は眉尻を落とす。
「狂児さん。わぬと鳴家だけで大丈夫やろか? 僕は明日も学校あるし……」
「そやなー……」
狂児はしばらく天井を見上げ、わぬと鳴家に話しかけた。
「わぬ、きょーじさんも日本橋、連れてってや~~」
その晩、聡実の家では狂児とわぬと鳴家がお泊まりし、にぎやかな一夜を過ごした。
◇
――次の日
聡実が学校に登校したあと、わぬと鳴家と狂児の三人は日本橋に向かった。
初めての電車にハシャぐ鳴家を周りから誤魔化したりしつつ、たどり着いた日本橋で、若だんなを探したものの……
「きゅい~~~~~。若だんながいない~~~~~~~っ」
狂児は内心「そうやろなぁ」と思いつつ、悲しげに「わぬ~」と助けを求めるわぬの視線に眉尻を落として微笑みかけた。
「ま、とりあえず美味しいものでも食べよかー」
狂児たちは目に付く飲食店で買い食いをした。色んな甘味や美味しい昼食を味わい、お腹がパンパンになる。
食事に満足した一行はベンチで休憩していた。
鳴家は満足して、わぬの頭の上で、膨らんだお腹を押さえ仰向けになっている。
ここはおいしいものいっぱい!と鳴家はにっこり微笑む。
けれど、ふと鳴家の脳裏に若だんなの姿が過ぎる。
『鳴家や。おまんじゅう、甘くて美味しいねぇ』
『ふふっ。たんとお食べ、鳴家や』
優しい優しい若だんなのことが、鳴家はいっちばん大好きだった。
若だんなのことを思い出すと、次々と長崎屋の面々のことも思い浮かんだ。みんなみんな、鳴家は大好きだった。
「……きゅい」
鳴家は目尻に涙を浮かべる。けれど、わぬと狂児にこれ以上気を使わせてはいけないと、涙をぐっとこらえたそのとき、
「あ、聡実く~~ん」
と、わぬたちと一緒にベンチに座っていた狂児は、スマホを持った手を大きく振った。
学校帰りの聡実が、スマホ片手にこちらとやってくる。
「どーでした?」と聡実。
「さっぱりやな」と狂児は軽い調子で答えた。
「そうですか……」
聡実は視線を落とし、沈黙すると、顔をあげ、わぬに視線を向けた。
「鳴家……」と聡実が問いかける。
「きゅべ?」と鳴家はわぬの頭上で声を発した。
その声を聞いて聡実は鳴家と視線を合わせようと中腰になる。
「今日、学校で改めてよう考えてたんやけど……鳴家、もっと詳しく迷子になった状況を教えてほしい。何か力になれることがあるかも知れんし」
真剣な聡実の様子に鳴家は瞼をパチクリする。
「きゅわ……」
「な?」
優しく、けれど力強い瞳で射抜く聡実に、鳴家はビビビッと刺激され、自然と背筋が延びた。
「きゅわわわ……。きゅわ!」
落ち込んでいた鳴家は気合いを入れ直し、説明を始めた。
上野の広徳寺にいたはずなのに、突然不思議な鏡に吸い込まれ、気づけば蒲田にいて、わぬと出会ったことを詳細に語った。
それらを聡実はきちんとスマホにメモし、眉間を寄せる。
「なるほど……。僕は思い違いをしてたんやな。鳴家の話からすると、もしかして鳴家は、江戸からタイムスリップしたかもしれん」
「タイムスリップ! って聡実くん……」
「狂児さん。世の中、何があるか分からん。そういうもんやろ?」
「う~ん」
眉間を寄せた狂児は、わぬをチラリと見て、「まぁ…否定はできんか」と呟く。
鳴家は一人、首を傾げる。
「タイムスリップ? なにそれ?」
「わぬわぬ」
とわぬが鳴家にタイムスリップを説明する。
「え? 我は未来に来たってこと? ここはずっと先のお江戸……?」
鳴家はビックリして目を丸くし、疑問をぶつける。
「じゃあ、ここはどのくらい先なの?」
鳴家の疑問に聡実が答える。
「ざっと三百年くらいやな……」
「きゅべ……? 三百年先の未来に若だんなはいる?」
「うーん。若だんなって人間やんな?」
聡実の確認に、こくんと鳴家は頷いた。
すると狂児が「人間の寿命は百年くらいやからなぁ」と言う。
「きゅわわ~~~~~!?」
狂児の言葉に鳴家は衝撃を受けていた。
「じゃあ、鳴家はもう若だんなに会えない……?」
「そうとは限らん」と聡実が言う。「鳴家がこっちにタイムスリップしたなら、帰り道もきっとある」
「聡実くん。そんな希望を持たせること言って、なかったらどうするん?」
「……」
狂児の言葉に聡実は一瞬黙ってしまう。しかし、すぐに冷静な様子で口を開いた。
「でも希望を抱かなきゃ、行動もできません」
聡実は強い眼差しで、わぬと鳴家に話しかける。
「まずは二人が出会った場所から探すべきやと僕は思う。そこに手がかりがないなら、上野を探そう。きっとどこかに突破口があるはずや」
狂児は、ようは消去法だろうと片眉をあげる。
しかし、聡実の言葉に希望を抱き、元気を取り戻していくわぬたちの様子を見ているとやがて
「聡実くんは、ほんま男前やなー…」
と呟き、ふっと笑った。
そして狂児は、明日はどこを探そうか真剣の相談する三人を、眩しそうに、一歩引いて見つめていた。
◇
――またまた次の日
昨晩、狂児は大阪に帰ってしまったため、今日の探索は鳴家とわぬと聡実の三人であった。聡実は学校もバイトも今日はお休みなため、たっぷり時間がある。
「今日はわぬと鳴家が出会った場所と上野に行くで」
「わぬ!」
「きゅい!」
三人はまずわぬと鳴家が出会った場所で何か手がかりがないか探したが、何も見つからなかった。
次に電車で上野に向かう。
聡実はかつて上野に広徳寺という大きな寺があったことを、ネットで検索して知り、その跡を巡ることにしていた。
上野駅を出ると、スマホ片手にあちこち歩き出す。
聡実が下調べしたこともあって、かなり濃密に跡地を巡ったと思う。
しかし、どこを探しても、鳴家に有益な手がかりは見つからなかった。
三人は上野公園のベンチで休憩する。
「みつからへんなー」
と疲れた様子で聡実が嘆息する。
その言葉にに「きゅーいー…」と同じく疲れた鳴家が同意する。
わぬも沈んだ表情で頷いた。
三人はどうしたものかとぼんやり考えていると、目の前を腕を組んだ男女のカップルが通り過ぎていった。
聡実はなんとなくそのカップルを眺めていると、そのカップルはテントの屋根を張っている露店へとふらりと入っていった。
わぬも聡実と同じようにカップルを観察していたらしく、
「わぬ……」と呟いた。
「そやなぁ。何の店やろ」
聡実とわぬは首を傾げ、自然と立ち上がって露店へと足が向いた。
成果が出ず、ちょうど気晴らししたい気持ちだったのだろう。
疲れた様子の鳴家もフラフラと二人についていき、出店へと入っていく。
そこは骨董品のようなものが並んでいた。
時計や置物、小物や食器など、様々置かれている。
「これ……」
と聡実が見つめる先にはあるのは印籠だった。某時代劇ドラマのように立派な感じではなく、庶民が使っていたものだろう。
昔の人はこれに薬を入れて持ち運んでいたと聞いたことがある。これも誰かが薬を入れて持ち歩いていたのだろうか。
そう思うとなんだか歴史ロマンがある。
使い道はないが、ちょっと欲しいかも。などと物欲がわき始め、慌てて視線をそらした。財布のヒモが緩みそうで怖い。骨董趣味があるわけでもないのに、手を伸ばしたくなる不思議な魅力が品々にはあった。
鳴家は骨董が置かれたテーブルの上を歩き、キョロキョロと見渡す。
「きゅい……付喪神になってるのいない…………」
とガッカリした声で言った。
付喪神って確か、と聡実が考え始めたとき、
「きゅい?」
と鳴家は呟くと、突然走り出した。そして、ある品ところで、ピタリと足を止めた。
それは古い鏡だった。立てかける台があるため、手に持たなくも鏡を使うことができる状態だった。周りにもいくつか古い鏡が置かれているが、その鏡が一番よく磨かれていて、写りもいい。
「似てる……」
と鳴家が呟く。
多少磨かれるといっても、骨董品に混ざっている何の変哲もない古い鏡だ。
けれど、鳴家はこの鏡に何かを感じたらしかった。
聡実は、もしかしてこれが鳴家がこの時代にくる前に吸い込まれたという鏡だったりして、と考え、それはさすがに都合が良すぎるか、と頭を振った。
「お客さん。その鏡が気に入ったかい?」
ふと背中を丸まって店番をしていた髭面の店主が、ニコリと話しかけてきた。
聡実は店主に苦笑をこぼし、「ええと……」と口ごもる。
鏡の方に視線を向ければ、鳴家の様子を見守っていたらしいわぬが、聡実に潤んだ瞳を向けていた。
聡実は鳴家の「若だんな……」という寂しげな声も聞こえて、聡実はゴクリと唾を飲み込んだ。
「えっと……あの…………この鏡っておいくらですか」
商品に直接値段が張ってあるのかもしれないが、ぱっと見値段は分からなかった。
店主が白い歯を見せて「百万円だよ」と快活につげる。
「は?」と聡実の体は固まる。
その反応に店主はすぐにクツクツと喉を鳴らして笑い、満足げな表情をした。
「なーんちゃって」
「あ……あはは。そうですよねぇ」
「うんうん。本当の値段は……」と少しもったいぶってから教えてくれた。「一万円だよ」
「いちまん……えん……」
大学生の聡実には、高い金額であった。しかし、骨董品としては安いのかもしれない。
「わぬ……」
「きゅい……」
聡実に助けを求める二人の視線を感じ、聡実は覚悟を決めて、鞄から財布を取り出した。
悲しいことに今月は他にも出費が重なっている。
しばらくお昼は半額メロンパンやなぁ…と痛い出費を噛みしめつつ、万札を引っ張り出したのだった。
◇
あのあとも結局、特に成果はなく、古い鏡を持って聡実たちは家に戻った。
聡実は鏡を畳の上に置き、じっと見下ろす。
畳には合う、が、大学生の部屋のインテリアとしては、どうだろう。
「よくよく考えたら、この鏡、変なのだったらどうしよ……」
妖怪の鳴家が惹かれる鏡となると、呪物だったりするかもしれない。
お化けが出たらと思うと一瞬、背筋が凍ったが、わぬたちの姿が目に入り、聡実は真顔になってメガネをクイッとした。
もうすでにおかしなものに関わっている。今更お化けで怖がるなんて、ちゃんちゃんらおかしい話ではないか。
「若だんな~~~~」
と鳴家が鏡に向かって呼びかけている。
この鏡がもしかしたら、自分を吸い込んだ鏡かもしれないと鳴家は思っているらしい。
「若だんな~~~。鳴家はここだよ~~~~~」
切実な鳴家の声に聡実とわぬの胸は締め付けられる。
うんともすんとも言わない鏡に、聡実は眉尻を落とす。
自分のしたことは、鳴家にむやみに期待させただけなのではないか。
罪悪感が聡実の心をつつく。
「鳴家……」
聡実はしゅんとして、視線を鏡から足元に落とした。
その夜。
聡実は自分の布団に、わぬと鳴家はお客様用の布団に潜りこんで、規則正しい寝息を立てていた。
すぴーすぴーとぐっすり眠っていた鳴家はふと、耳をぴくぴくとさせた。
『……や…………やー…………やな…………やなり!』
その声は鳴家がとてもよく知っている待ちわびた声だ。
「きゅ……い…………?」
寝ぼけ眼で鳴家は起きあがる。連日の若だんな探しに疲れていた鳴家は、聡実とわぬと一緒に布団に入って眠り、英気を養っていたのだが、どこからともなく聞こえてきた声で眠りからたたき起こされた。
『鳴家やーー。鳴家や。おお~~~~~い』
「きゅ…………きゅわ!? わ、若だんな!?」
鳴家はガバリと起き上がり、鏡のもとへ一目散に駆け出す。
『鳴家? 鳴家なのかい? 仁吉、うちの鳴家の声がするよ』
「きゅわ~~~! 若だんな、若だんな、若だんな~~~~!」
鏡から若だんなの声がする。鳴家は嬉しくなって、きゅわきゅわ床をきしませた。
激しい床のきしみ音にわぬと聡実も目を覚ます。
「きゅわきゅわ若だんなが鳴家を呼んでる~~~~~~!」
鳴家は嬉しそうに鏡に飛びつくと、とぷ……とまるで水の中に手を突っ込むように鏡の中へと吸い込まれた。鳴家は歓喜した。やっぱりこれはあの鏡だったのだ。きっとこの鏡に潜れば、若だんなのもとに帰ることができるに違いない!
聡実とわぬは、まるで水面のように鏡に手を突っ込んでいる鳴家に目を見開いた。
「鏡の中に鳴家が入ってる!?」
と聡実は信じられない様子で鳴家を凝視する。
鳴家は振り返る。
「わぬ、聡実くん。我は……お江戸に帰る!!」
わぬと聡実は大きく目を見開いた。
「わぬ、聡実くん…………我のために……ありがとう」
鳴家は手を振り、鏡の中に入っていこうとする。
しかし、わぬの「わぬ……」という寂しげな声を聞いて再び振り返った。
「わぬ」
「きゅい……」
「わぬ……」
「きゅい………」
「わぬわぬわぬわぬ…」
「きゅ…きゅい」
なんだがよくわからないが、二人のやりとりに聡実は、ほろりと涙を流す。声だけで、二人が短い間に友情を紡いでいたことが伝わっていた。
きっとこれが今生の別れやなぁ…。そう思うと聡実は目に涙がいっぱい溢れた。
一端、涙を拭こうとメガネを取り、服の袖で拭うと、またメガネを装着し、唖然とした。
「え……?」
突然、嘘のように静かになった自分の部屋に困惑する。
涙を拭いた一瞬で、鳴家の姿が消え、わぬの姿も消え、あるのは古い鏡だけだった。
「わぬ…………? やなり…………?」
聡実はキョロキョロ自分を部屋を見渡す。だが、どこにも二人の気配はない。
聡実の視線は自然と鏡へと引き寄せられ、くわっと目を剥いた。
「ま……まさか…………!?」
◇
「きゅわ~~~~~~~~~~っ」
「わぬ~~~~~~~~~~~っ」
鳴家とわぬは鏡の中の渦に巻き込まれていた。
二人は最後に熱い抱擁をして、別れを惜しんでいたのが、そのときに鏡が二人いっぺんに吸い込んでしまったのだ。
鳴家が目をグルグル回しながらも、わぬと離ればなれにならないようぎゅっと抱きついた。わぬもまた鳴家を離さないようぎゅっとする。
二人は必死にグルグルを通り抜けていく。
◇
お江戸の広徳寺では、高僧・寛朝に寄進と相談に来ていた長崎屋の若だんな一太郎が、鏡の前で叫んでいた。
「鳴家や~~~~。鳴家もう一度返事をしておくれ~~~~~~」
目を潤ませ、一太郎は必死に鏡に向かって呼びかけている。
その周りには広徳寺に暮らす鳴家たちが心配げな様子で鏡を見つめていた。この鳴家たちが長崎屋の鳴家が鏡に吸い込まれたことを教えてくれたのだ。
「若だんな。そんなに叫んではお体に障ります」
手代の仁吉は心底若だんなを心配して言った。
「でも、さっきうちの子の声がしたんだよ!」
「そうですか? ここでも鳴家がきゅわきゅわ鳴いていたので、私には分からなかったのですが……」
「あれはうちの子だよ!」
「……」
実は万物を知る白沢という妖である長崎屋の手代の仁吉であっても、さすがに鳴家の鳴き声を聞き分けることは出来なかった。
そのとき、どこからか「ぎゅわわ~~~」という鳴家の声が聞こえてきた。
その声を聞き取った若だんなが「あれはきっとうちの子……!」と走り出す。仁吉が慌ててその後ろについて行く。
「若だんな。そんな動いてはお体に」
と若だんなをまず一番に心配しつつ、戸を開け、空を見上げる若だんなの隣に立つ。
若だんなの視線の先には小さな影が見えた。
「ぎゅわ~~~~~~」
鳴家の叫び声が天から響いていた。
なんと鳴家が空から真っ逆さまに落ちてきているではないか。
若だんなと仁吉は目を見開いて仰天した。
「た、大変だ。仁吉、鳴家を助けておくれ」
「まったく。世話が焼ける…」
仁吉は恨めしげに天を仰ぎ、一瞬にして姿を消してしまった。
だがすぐにシュバッと若だんなの目の前に現れた。
仁吉は鳴家を抱えている。若だんなの目にはすぐに、その鳴家が長崎屋の鳴家であることが分かった。
「鳴家! うちの鳴家じゃないか! ああ良かった! 本当に良かった」
若だんなは鳴家に駆け寄る。
「ありがとう。仁吉」と若だんな。
「これぐらいお安い御用です……。しかしこれは本当にうちの鳴家なのですか? それに、一匹、妙なのも一緒だったのですが…………。これは……犬?」
目をグルグルさせていた鳴家は意識をだんだん取り戻し、瞼を開ける。
「きゅわ…………わかだんな……?」
「鳴家……」
「若だんなだぁ」
鳴家は若だんなに飛びついた。ぎゅっと離さまいと堅く抱きつく。
そんな感動の再会をしている間、仁吉に脇に抱えられていたわぬがそっと目を覚ました。
「わぬ?」
とわぬはパチパチ瞼を瞬かせる。
その時である。
「おや?」
若だんなが一番始めにとある異変に気づき、顔を上げた。
次に鳴家がその異変に気づく。
『わぬ~~~~~』
と、鳴家とわぬには聞き慣れた青年の声が、広徳寺の一室から聞こえてくる。
鳴家が若だんなから飛び降りて、広徳寺へと駆け足で入っていく。若だんなが鳴家の行動に驚きつつも鳴家を追いかけると、仁吉もわぬを抱えたまま、後ろについて行った。
鳴家は広徳寺の一室に置かれている鏡の前に立つ。その鏡は鳴家が吸い込まれ、江戸と蒲田を行き来した鏡だった。
『わぬ~~~~! 鳴家~~~~~~!』
「やっぱり、聡実くんの声だ!」
鳴家はビシッと鏡を指さした。
「でもなんで聡実くんがわぬと我を呼ぶ声が鏡からするの?」
首を傾げる鳴家の隣で”わぬ”も首を傾げる。
鳴家は目を点にして横のわぬを見上げ、「ぎょえ~~~~~~」と仰天した。
「わぬ~~~~~~!?」
鳴家はどうしてわぬが江戸にいるのかと混乱したが、鏡の中に一緒に吸い込まれたことを思いだし、どうして鏡からわぬを叫ぶ聡実くんの声がするのか、合点がいった。
わぬと鳴家はこれまでのことをかくかくしかじか若だんなと仁吉に説明した。
不思議な鏡を再びくぐらなければ、わぬはきっと蒲田に帰れない。わぬは聡実くん狂児さんを思い浮かべ、すぐに決意を固めた。
決意を固めて鏡の前に立つわぬに若だんなは微笑みかける。
「わぬさんや。鳴家を助けてくれてどうもありがとう」
仁吉は背後で力強く頷き、
「鏡を通るときによく念じなさい。さすれば主のもとへ導くはずだ」
わぬは二人の言葉にコクンと頷く。
鳴家はふるふると手を振ってくれている。
わぬもニコニコ笑って手を振る。
別れは悲しいけれど、わぬも鳴家も帰りたいたったひとつの場所があるのだ。
わぬは深呼吸をすると、思い切って鏡に飛び込んだ。
それが鳴家が見たわぬの最後であった。
長い沈黙のあと、若だんなが一番最初に口を開いた。
「しかし、寛朝さま。この鏡は危険すぎます。寺のこんなところに置いておかれちゃ困ります」
と若だんなが、実はひっそり一連の事件を見守っていた広徳寺の高僧・寛朝に意見した。
「う~~~ん。こんな鏡、見覚えがないんだがなぁ」と寛朝。
「とにかく、この鏡は封印しなくては…………おや?」
若だんなは瞼を瞬かせる。
「鏡が……ない」
忽然と鏡は消えてしまった。最初からそこには存在しなかったかのように。
聡実が買った鏡もまた、わぬが戻ったあと、ひっそりと消えてしまうのだった。一体、あの鏡がなんだったのか、分かるものは、神のみぞ知る、であった。
◇
「わぬ~~~~~~~~~~っ」
とわぬは鏡の渦に目をグルグルさせて叫んでいると、やがてベチャッと顔面から土の上に叩きつけられた。
痛みに耐えながら起きあがると、どうやら公園の砂場に着陸したらしいと分かった。
わぬはフラフラしながら立ち上がる。この公園は知っている。わぬが知ってる蒲田にある公園だ。
わぬは嬉しくなって駆け出したい気持ちになったが、体はへとへとで、ゆっくり歩くことしか出来なかった。重い体を引きずって、アパートにたどり着くと、階段を一歩一歩上がっていく。
玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「わ……わぬ!! 帰ってきた!! よかった!!!」
「わぬ~~~~~!」
こうしてわぬは聡実くんのもとに無事たどりついたのだった。
◇
「あのあとそんなことがあったんやなぁ」
と一ヶ月ぶりに聡実の家にやってきた狂児は、湯飲みのお茶をすする。
狂児の視線の先には、同じように聡実の家に遊びに来たわぬが丸くなって眠っていた。
わぬは大阪土産をいっぱい食べて、眠たくなってしまったらしい。
「そうです。大変だったんですから。鏡はいつの間にか消えちゃったし」
と聡実は狂児の隣に座り、狂児の肩に寄りかかる。
「一体、あれはなんだったんだか……」
「ほんまやねぇ。ま、鳴家が無事帰ることができたんは良かったと思たけど…」
と狂児は言い、ぼんやりわぬを見る。
「わぬ……気持ちよさげに寝てるなぁ」
「そうですねぇ」
聡実と狂児は静かな二人きりの時間に浸る。東京と大阪という遠距離恋愛中の二人にとって、こうして一緒にいられる時間は何より嬉しいことであった。わぬを起こさないよう、そっと互いに手を重ね、見つめ合う。それから二人とも幸せそうに微笑を浮かべるのだった。
END
『付き合ってる狂聡』と『わぬ』の世界に『しゃばけ』の『鳴家』が降ってくるお話です。
去年、『カ!』のアニメを観てハマった後に、前からファンである『しゃばけ』のアニメを鑑賞し、頭の中で混ざりました。
わぬが存在してる設定です。
聡実くんと狂児さんがわぬと喋れたり、あっさり鳴家を受け入れたりしてます。
長崎屋の鳴家が広徳寺の鳴家と仲良しだといいなぁという妄想が入っています。
色々捏造してます。
勢いと妄想で書きました。よろしくお願いします。
※ゆるふわ関西弁。
―――――――――――――――――――――
『不思議な鏡』
長崎屋の若だんな一太郎は病弱で有名だが、今日は珍しく体の調子が良かった。とても良かったので、久しぶりに寄進と用事のため上野の広徳寺の高僧・寛朝に会いにきていた。
寛朝は妖封じで有名な高僧である。
寺の小僧に奥へと案内されて廊下を歩いていると、若だんなの着物の袖からひょいと”小鬼”が飛び出した。
「おや? 鳴家?」
と若だんなは小声で小鬼の鳴家に話しかけた。
長崎屋の若だんなは昔から妖を見ることができる。そのおかげで、彼は沢山の妖に慕われていた。
しかし、普通の人は妖を見ることが出来ないため、妖封じで有名な高僧がいる寺であれど、案内してくれる小僧の前で、堂々と鳴家に話かけるのはためらわれた。
若だんなは自然と小声で鳴家に問いかけていた。
「我は鳴家に会いに行く」と鳴家は返事する。
「広徳寺の鳴家に会いに行くってことかい?」
「きゅい」
「おやまぁ……」
と若だんなは呟き、にこりと微笑んだ。
「ふふっ。そうかいそうかい。でもすぐに戻っておいでよ。寛朝様へのおまんじゅうは鳴家の分もたっぷりあるからね」
一緒に食べようと言う若だんなに鳴家は嬉しそうに両手をあげて喜んだ。
すると、廊下はきゅいきゅいと激しくきしむ音を立てた。あまりに大きな音だったので先を歩いていた小僧が首を傾げる。
「おやぁ? ここの板、傷んでいるのかな?」
と眉間を寄せ呟いた。鳴家は家の中できしむ音を立てる妖怪なのだ。若だんなは慌てて鳴家のことをごまかすため小僧の元へと戻っていく。若だんなは小僧に別の話題を振って、意識を他に移させていた。
若だんなについてきていた妖でありながら長崎屋の手代の仁吉は、鳴家をチラリと見て「遅くならないように」と言って通り過ぎていく。
鳴家はそんな若だんなたちをにこやかに見送った。
そして、こぶしをぎゅっと握って、楽しげに辺りをキョロキョロ見渡す。
「鳴家はどこ~~~?」
と廊下を歩き出してすぐ、
「きゅい~~きゅいきゅい!」
「きゅいきゅい~~~」
鳴家は広徳寺の鳴家たちと再会し、無邪気に走り出したのだった。
その際、廊下や天井を激しくきしんだが、幸い広徳寺はとっても広くちょうど人気が無かったため、誰も気にするものはいなかった。
「きゅいきゅいきゅい~~~!」
と鳴家たちがはしゃいで追いかけっこして遊んでいると、とある部屋に出た。その部屋には文机が隅に置かれていた。文机の上には鏡が立てかけて置かれていた。
広徳寺の鳴家がその鏡を見て首をかしげる。
「この鏡、見たこと無い。こんなのあったっけ?」
という広徳寺の鳴家の言葉を聞きながら、若だんなとともにやってきた長崎屋の鳴家は、好奇心で鏡に近づいていく。
「すごい。鳴家がもう一人いるみたい……」
その鏡は、今まで見たことがないくらい鮮明に長崎屋の鳴家の姿を写していた。江戸にたくさん鏡はあれど、こんなにもしっかり姿が見えるのは初めてだった。
「すごくぴかぴか……きらきら…………」
鮮明に写る鏡に鳴家はすっかり心を奪われ、目をキラキラさせて、鏡の表面に手を触れたそのとき、
「きゅべ?」
長崎屋の鳴家は固い鏡の表面に触れたはずなのに、小さな鳴家の手は鏡の表面を突き抜けて中へと入ってしまう。
手を抜こうと引っ張るが、何故か抜けない。しかも、抜けないどころか、鳴家は鏡の中へとどんどん引き込まれていく。鳴家はあまりの恐怖に「ぎゅわわわ~~~~~」と叫んだ。
周りの広徳寺の鳴家も混乱して、きゅわきゅわぎゅわぎゅわ叫ぶ。
しかし、叫んでばかりではどうしようもなく、長崎屋の鳴家はどんどん鏡の中へと吸い込まれ、やがて完全に鏡の中へと消えてしまったのだった。
◇
「ぎゅわわ~~~~~~~~~~~~~~~っ」
鏡の中へと引き込まれた鳴家は暗闇で渦に巻き込まれ、目をグルグルさせた。
しかし、闇だった視界はやがて明るくなった。渦からは解放されたものの、急に空に放り出され、今度は真っ逆さまに落下していく。
落下していく先には建物があり、だんだんと地面が近づいていく。
(ぶるかる~~~~~~~~)
「ぎゅんべ~~~~~~~~~っ」
何がなんだが分からぬまま鳴家は激痛を覚悟したが、何か白く柔らかいものにぶつかったため少し和らいだ。鳴家は「ぎゃわっ」と叫び、地面に転げ落ちる。その際「わぬ!」という悲痛な鳴き声が聞こえたが、鳴家は頭をぶつけ、クラクラしていたため、鳴き声をすぐに確かめることは出来なかった。
またどこからか「わぬ……」という鳴き声がする。
しばらくして鳴家は意識を取り戻し、そっと瞼を開けた。視界に青空が広がって眩しい。だが、すぐに大きな白いものが鳴家をのぞき込み、陰に覆われた。
「わぬ?」
とその白い何かは首を捻る。
一体この白いのは何なのだろうか。
「だ……だれ?」
としばらく鳴家も首を傾げていたが、ふと若だんなのもとに戻らなくてはならないことを思い出しハッとする。
「我のおまんじゅう!」
おまんじゅうがあるよと教えてくれた若だんなのもとに戻らなくてはならない。あんまり離れていると、若だんなはきっと鳴家を心配する。若だんなが心配すると、病弱な若だんなの体に悪いと言って、妖であり今は長崎屋の手代として働く仁吉が、鳴家にひどく怒るに違いなかった。だから、早く帰らなくてはならない。
ちょっとだけ広徳寺の鳴家と遊んだら、おまんじゅうを食べるつもりだった鳴家は、キョロキョロと辺りを見渡し、ここがどこだが確認して、瞼をパチクリさせた。
「きゅべ? ここ……どこ??」
見慣れない、高い建物ばかりが並んでいる。地面は黒くて固く、道の脇には等間隔に灰色の大木のようなものが建っている。その大木はいっぱい黒いヒモで繋がっており、どこまでも続いていた。それは電柱、電線というのだが、江戸に暮らす鳴家が知るはずもない。
「ここ……お江戸………………?」
鳴家があまりにも見たことのない風景に困惑していると、先ほどの白い何かが「わぬ!」と言った。
鳴家は何故かその「わぬ!」が「蒲田だよ!」という言葉だということが分かった。
「かまた……?」
(我は上野の広徳寺にいたはず……。あれれ?)
鳴家は「わぬ」と鳴く白い何かの方を振り返り、じっと考え込んでから、白いのに問いかけた。
「蒲田に若だんなはいる?」
「わぬ~~~……」
「わからない……かー」きゅわ…と鳴家は眉尻を落とした。
それから鳴家は『わぬ』と名乗った白いのに、「お菓子があるから若だんなもとに一刻も早く戻らなければいけない」ことを一生懸命説明した。
するとわぬは、
「わぬ!」
と言ってくれた。
鳴家は瞳を潤ませる。
「若だんなを一緒に探してくれるの……?」
「わぬ!」
それから二人の『若だんなを探せ!』が始まった。
鳴家とわぬは蒲田の色んなところを探し始めた。公園、路地裏、知らない家のお庭に、夜は賑わってる繁華街などなど、わぬが知ってる場所、いつもは通らない場所を回りまくった。
「若だんな~~若だんな~~~~きゅべ~~~~~」
「わぬ~~。わぬ~~~!」
二人はとても一生懸命に探しまくった。それなのに……
「若だんな……どこにもいない…」
わぬは鳴家を頭に乗せ、蒲田駅の近くのベンチに座っていた。
夜の帳に包まれた蒲田駅周辺は暗闇でもネオンの明かりで輝いていた。
協力したのに成果を出せなかったわぬは、がっかりした様子の鳴家に申し訳なくて、肩を落として落ち込んでいる。
そんなわぬたちのもとに、一人のスーツの男性が足を止め、コツコツと革靴を鳴らして近づいてきた。
ぬっと大きな影がわぬたちを覆う。
「わぬ?」
と聞き慣れた男性の声がして、わぬはそっと顔を上げた。
「こんなところで何してるん? もう遅いで?」
オールバックの厳つい男前を鳴家は見上げ、わぬに尋ねる。
「だあれ?」
「わぬ!(狂児さん!)」
狂児はわぬに白い歯を見せてニッと笑った。
わぬは鳴家を頭に乗せたまま、ぴょんっとベンチから降りた。狂児に身振り手振りで説明しはじめた。
「わぬわぬわぬ」
「どうした、わぬ?」
「わぬ、わぬわぬ……わぬ」
「それはアカンなあ」
「わぬわぬわぬわぬ〜〜」
人間の狂児にも『わぬ』の言葉が通じるらしかった。
「ほぅ……。迷子の子のために若だんな? を探してたんかー…」
と納得する。
事情を聞いた狂児は言葉を続ける。
「で、その迷子の子はこの子……なんやな?」
と狂児は先ほどから気になっていた、わぬの頭の上に乗っている小さな何かに視線を向ける。鳴家は普通の人間には姿は見えない妖怪なのだが、どうやら狂児には見えているらしい。
「人にも犬にも見えんなぁ…新種の猫か?」
狂児は理解が追いつかず、天を仰いだ。
なんだか見たことのない『きゅわきゅわ』と鳴く小鬼のような何かがそこにいる……。
やがて狂児は、まぁいいかと白い歯を見せた。
「今から聡実くんの家にお泊まりなんやけど、わぬも一緒に行かへん?」
狂児はわぬを夜の街で放っておけず誘っていた。わぬにも帰る家があるとは思うのだが、もしかしたら遠いかもしれない。だったら、今日は一端、聡実くんの家にどうかと思ったのだった。
わぬは狂児の誘いにどうしようかと腕を組んだ。もしかしたら二人のお邪魔になるかもしれない。そんなことを考えたものの頭上の鳴家が「きゅわ……若だんな……おまんじゅう…………」と悲しそうにグ~とお腹を鳴らしたのを聞いて、聡実くんのおウチにお邪魔させてもらうことに決めた。
今は屋根のあるところで鳴家を休ませてあげたかった。
わぬは鳴家と共に狂児の後ろについて行くと、聡実くんのアパートの前にやってきていた。カンカンカンと靴音を鳴らす、年季の入った階段を登り、聡実くんの暮らす一室の玄関前にたどり着く。
狂児はわぬを持ち上げ、チャイムを鳴らすよう促した。
わぬは頷いて、真っ白な手でチャイムを鳴らす。
すぐに中から足音がして、ガチャ…と玄関が開いた。
「はい……」
と聡実が玄関を開けて顔を出す。
すると、目の前にどーんと「わぬ☆」と視界がわぬでいっぱいになるほど目と鼻の先にわぬが現れ、聡実は目を丸くした。わぬを持ち上げている狂児が聡実の反応にニヤッと笑う。
しばらく呆然としたあと、やがて聡実は頬をほころばせた。
「いらっしゃい。わぬ」
優しい聡実の声に自然とわぬの表情も緩む。
わぬの頭上にいる鳴家が「だれ?」と尋ね、「わぬ(聡実くん)」とわぬが答える。
狂児は持ち上げていたわぬを降ろし、ニコニコと自分を指さす。
「きょーじさんもいるよ~~ん」
「どこですか?」と聡実は冷たく視線をそらす。
「さ……さとみく~~ん」
と狂児は冗談まじりに悲しげな声を上げ、わぬたちと一緒に聡実の家に入っていった。
聡実の家にあがると、こたつが用意されていた。その上にはミカンが積み重なって置かれている。
「バイト先でもらいました」
ご自由にどうぞと聡実はミカンを指さし、こたつに潜り込む。
狂児やわぬもこたつに潜り込んで、冷えた体を暖めつつ、ミカンをむき始めた。
聡実はそんなわぬの様子をほっこりした気持ちで見つめていた。白いもこもこの『わぬ』は今日もかわいいなぁと胸が踊る。
しかし、わぬに視線を向けていた聡実は、先ほどから一つ気になっていることがあった。
「わぬ。上に乗ってる小さいのなんなん? ちっちゃくて可愛いなぁ」
と聡実は言った。
「わぬ?」
ミカンの皮剥きに夢中になっていたわぬは、反射的に聡実くんに相づちをしつつ、剥いたミカンを自分の頭上に差し出した。
聡実はわぬの上に乗っているのは”ぬいぐるみ”かなにかと思っていたため、『わぬ、”ぬいぐるみ”にミカン食べさせて、おままごとでもしてるんかな?』と微笑ましく思い、頬を緩ませた。
だが、そのとき……
わぬの頭上に乗っていた小さい”ぬいぐるみ”が、ぱくんっとミカンを食べたのである。
「ミカンがっ……!」
と聡実は突然、大きな声を上げ、皆がビックリする。
「聡実くん?」と狂児。
「わぬ?」とわぬが小首を傾げる。
聡実はその瞬間、思考の宇宙に意識が飛んだ。
わぬのミカンを”ぬいぐるみ”が食べた。ミカンを食べたということは生き物なのか。しかしこのような生物など見たことがないし、いるはずがないと思うのだが、わぬという存在自体、一体何者なのか……etc
などとグルグル考え、聡実は長い熟考の末、横目でわぬに問いかけた。
「わ……わぬ。何を…連れてきたん……?」
わぬはすっと真顔になった。
しかしやがて
「わぬ♪」
と陽気に頷いたのだった。
わぬは頭上の鳴家に机に降り立つよう促し、両手を広げ「わぬ!(鳴家だよ!)」と紹介する。
すると鳴家は、
「我は鳴家。わぬにお世話になってます」
と思い切って丁寧に頭を下げた。
突然、小さな何かが喋りだして、聡実と狂児は息を呑む。しかし、すでにわぬという白い存在に出会い、二人は不思議なものを受け入れる態勢を持ち合わせていた。
鳴家の存在を受け入れ、皆はそれぞれ自己紹介し、その流れで鳴家の事情を知っていった。
「鳴家は若だんなを探してるんか」と聡実。
「わぬの頭にいたこの迷子の子、やっぱり新種の猫やなかったんやなぁ」
と狂児は一人頷く。
「で、若だんなさんはどこに住んでる人なん?」
と聡実が尋ね、わぬは大きく目を見開いた。
今日一日わぬは、一生懸命”若だんな”を探していたが、若だんながどこに住んでいるかということを思いつかなかった自分に愕然とした。
わぬはそんな自分に少しショックを受けたものの、聡実くんって頭いいなぁと思い、尊敬を念を密かに送る。
鳴家はニコッと笑って聡実の疑問に答える。
「日本橋!」
日本橋を聞いて聡実と狂児は、ほっとする。
「なんや住所わかるんかー」と狂児。
「日本橋か。もっと具体的な場所とかわかる?」
と聡実はさらに尋ねる。
鳴家は胸を張ってさらに答えた。
「若だんなは……江戸一番の大店、廻船問屋兼薬種問屋、長崎屋の一人息子!」
狂児と聡実はしばらく沈黙し、やがてカッと目を見開いて同じことを心の中で叫んだ。
((じ……時代が違う…………っっ))
江戸て……と二人は互いに顔を見合わせ、わぬと鳴家に聞こえぬよう小声でやりとりする。
「鳴家は名前からして、たぶん妖怪……だと思うし、やっぱり人間とは違う時間軸で生きてるから、ちょっと居眠りして三百年とかかも……。どう思う狂児さん」
「うーん。ありえるなぁ。これはそっとしといた方がいいかもしれん。むやみに傷つけることになるかも」
二人は頷きあって、振り返る。
「見つかるといいなぁ。鳴家」と聡実は笑顔を張り付けて言った。
「そやなぁ」と狂児が自然に相づちを打つ。
鳴家は素直に「きゅい」と笑顔で二人の言葉に頷いた。
わぬは鳴家の言葉を聞いて明日は日本橋に行こうと決心した。
「わぬ」とわぬは鳴家に言う。
「きゅい。日本橋に連れてってくれるの?」
「わぬわぬ」
「明日はきっと若だんな見つかる! きゅいきゅい~」
わぬと鳴家は手と手を取り合ってクルクルと回った。
それを見ていた聡実は眉尻を落とす。
「狂児さん。わぬと鳴家だけで大丈夫やろか? 僕は明日も学校あるし……」
「そやなー……」
狂児はしばらく天井を見上げ、わぬと鳴家に話しかけた。
「わぬ、きょーじさんも日本橋、連れてってや~~」
その晩、聡実の家では狂児とわぬと鳴家がお泊まりし、にぎやかな一夜を過ごした。
◇
――次の日
聡実が学校に登校したあと、わぬと鳴家と狂児の三人は日本橋に向かった。
初めての電車にハシャぐ鳴家を周りから誤魔化したりしつつ、たどり着いた日本橋で、若だんなを探したものの……
「きゅい~~~~~。若だんながいない~~~~~~~っ」
狂児は内心「そうやろなぁ」と思いつつ、悲しげに「わぬ~」と助けを求めるわぬの視線に眉尻を落として微笑みかけた。
「ま、とりあえず美味しいものでも食べよかー」
狂児たちは目に付く飲食店で買い食いをした。色んな甘味や美味しい昼食を味わい、お腹がパンパンになる。
食事に満足した一行はベンチで休憩していた。
鳴家は満足して、わぬの頭の上で、膨らんだお腹を押さえ仰向けになっている。
ここはおいしいものいっぱい!と鳴家はにっこり微笑む。
けれど、ふと鳴家の脳裏に若だんなの姿が過ぎる。
『鳴家や。おまんじゅう、甘くて美味しいねぇ』
『ふふっ。たんとお食べ、鳴家や』
優しい優しい若だんなのことが、鳴家はいっちばん大好きだった。
若だんなのことを思い出すと、次々と長崎屋の面々のことも思い浮かんだ。みんなみんな、鳴家は大好きだった。
「……きゅい」
鳴家は目尻に涙を浮かべる。けれど、わぬと狂児にこれ以上気を使わせてはいけないと、涙をぐっとこらえたそのとき、
「あ、聡実く~~ん」
と、わぬたちと一緒にベンチに座っていた狂児は、スマホを持った手を大きく振った。
学校帰りの聡実が、スマホ片手にこちらとやってくる。
「どーでした?」と聡実。
「さっぱりやな」と狂児は軽い調子で答えた。
「そうですか……」
聡実は視線を落とし、沈黙すると、顔をあげ、わぬに視線を向けた。
「鳴家……」と聡実が問いかける。
「きゅべ?」と鳴家はわぬの頭上で声を発した。
その声を聞いて聡実は鳴家と視線を合わせようと中腰になる。
「今日、学校で改めてよう考えてたんやけど……鳴家、もっと詳しく迷子になった状況を教えてほしい。何か力になれることがあるかも知れんし」
真剣な聡実の様子に鳴家は瞼をパチクリする。
「きゅわ……」
「な?」
優しく、けれど力強い瞳で射抜く聡実に、鳴家はビビビッと刺激され、自然と背筋が延びた。
「きゅわわわ……。きゅわ!」
落ち込んでいた鳴家は気合いを入れ直し、説明を始めた。
上野の広徳寺にいたはずなのに、突然不思議な鏡に吸い込まれ、気づけば蒲田にいて、わぬと出会ったことを詳細に語った。
それらを聡実はきちんとスマホにメモし、眉間を寄せる。
「なるほど……。僕は思い違いをしてたんやな。鳴家の話からすると、もしかして鳴家は、江戸からタイムスリップしたかもしれん」
「タイムスリップ! って聡実くん……」
「狂児さん。世の中、何があるか分からん。そういうもんやろ?」
「う~ん」
眉間を寄せた狂児は、わぬをチラリと見て、「まぁ…否定はできんか」と呟く。
鳴家は一人、首を傾げる。
「タイムスリップ? なにそれ?」
「わぬわぬ」
とわぬが鳴家にタイムスリップを説明する。
「え? 我は未来に来たってこと? ここはずっと先のお江戸……?」
鳴家はビックリして目を丸くし、疑問をぶつける。
「じゃあ、ここはどのくらい先なの?」
鳴家の疑問に聡実が答える。
「ざっと三百年くらいやな……」
「きゅべ……? 三百年先の未来に若だんなはいる?」
「うーん。若だんなって人間やんな?」
聡実の確認に、こくんと鳴家は頷いた。
すると狂児が「人間の寿命は百年くらいやからなぁ」と言う。
「きゅわわ~~~~~!?」
狂児の言葉に鳴家は衝撃を受けていた。
「じゃあ、鳴家はもう若だんなに会えない……?」
「そうとは限らん」と聡実が言う。「鳴家がこっちにタイムスリップしたなら、帰り道もきっとある」
「聡実くん。そんな希望を持たせること言って、なかったらどうするん?」
「……」
狂児の言葉に聡実は一瞬黙ってしまう。しかし、すぐに冷静な様子で口を開いた。
「でも希望を抱かなきゃ、行動もできません」
聡実は強い眼差しで、わぬと鳴家に話しかける。
「まずは二人が出会った場所から探すべきやと僕は思う。そこに手がかりがないなら、上野を探そう。きっとどこかに突破口があるはずや」
狂児は、ようは消去法だろうと片眉をあげる。
しかし、聡実の言葉に希望を抱き、元気を取り戻していくわぬたちの様子を見ているとやがて
「聡実くんは、ほんま男前やなー…」
と呟き、ふっと笑った。
そして狂児は、明日はどこを探そうか真剣の相談する三人を、眩しそうに、一歩引いて見つめていた。
◇
――またまた次の日
昨晩、狂児は大阪に帰ってしまったため、今日の探索は鳴家とわぬと聡実の三人であった。聡実は学校もバイトも今日はお休みなため、たっぷり時間がある。
「今日はわぬと鳴家が出会った場所と上野に行くで」
「わぬ!」
「きゅい!」
三人はまずわぬと鳴家が出会った場所で何か手がかりがないか探したが、何も見つからなかった。
次に電車で上野に向かう。
聡実はかつて上野に広徳寺という大きな寺があったことを、ネットで検索して知り、その跡を巡ることにしていた。
上野駅を出ると、スマホ片手にあちこち歩き出す。
聡実が下調べしたこともあって、かなり濃密に跡地を巡ったと思う。
しかし、どこを探しても、鳴家に有益な手がかりは見つからなかった。
三人は上野公園のベンチで休憩する。
「みつからへんなー」
と疲れた様子で聡実が嘆息する。
その言葉にに「きゅーいー…」と同じく疲れた鳴家が同意する。
わぬも沈んだ表情で頷いた。
三人はどうしたものかとぼんやり考えていると、目の前を腕を組んだ男女のカップルが通り過ぎていった。
聡実はなんとなくそのカップルを眺めていると、そのカップルはテントの屋根を張っている露店へとふらりと入っていった。
わぬも聡実と同じようにカップルを観察していたらしく、
「わぬ……」と呟いた。
「そやなぁ。何の店やろ」
聡実とわぬは首を傾げ、自然と立ち上がって露店へと足が向いた。
成果が出ず、ちょうど気晴らししたい気持ちだったのだろう。
疲れた様子の鳴家もフラフラと二人についていき、出店へと入っていく。
そこは骨董品のようなものが並んでいた。
時計や置物、小物や食器など、様々置かれている。
「これ……」
と聡実が見つめる先にはあるのは印籠だった。某時代劇ドラマのように立派な感じではなく、庶民が使っていたものだろう。
昔の人はこれに薬を入れて持ち運んでいたと聞いたことがある。これも誰かが薬を入れて持ち歩いていたのだろうか。
そう思うとなんだか歴史ロマンがある。
使い道はないが、ちょっと欲しいかも。などと物欲がわき始め、慌てて視線をそらした。財布のヒモが緩みそうで怖い。骨董趣味があるわけでもないのに、手を伸ばしたくなる不思議な魅力が品々にはあった。
鳴家は骨董が置かれたテーブルの上を歩き、キョロキョロと見渡す。
「きゅい……付喪神になってるのいない…………」
とガッカリした声で言った。
付喪神って確か、と聡実が考え始めたとき、
「きゅい?」
と鳴家は呟くと、突然走り出した。そして、ある品ところで、ピタリと足を止めた。
それは古い鏡だった。立てかける台があるため、手に持たなくも鏡を使うことができる状態だった。周りにもいくつか古い鏡が置かれているが、その鏡が一番よく磨かれていて、写りもいい。
「似てる……」
と鳴家が呟く。
多少磨かれるといっても、骨董品に混ざっている何の変哲もない古い鏡だ。
けれど、鳴家はこの鏡に何かを感じたらしかった。
聡実は、もしかしてこれが鳴家がこの時代にくる前に吸い込まれたという鏡だったりして、と考え、それはさすがに都合が良すぎるか、と頭を振った。
「お客さん。その鏡が気に入ったかい?」
ふと背中を丸まって店番をしていた髭面の店主が、ニコリと話しかけてきた。
聡実は店主に苦笑をこぼし、「ええと……」と口ごもる。
鏡の方に視線を向ければ、鳴家の様子を見守っていたらしいわぬが、聡実に潤んだ瞳を向けていた。
聡実は鳴家の「若だんな……」という寂しげな声も聞こえて、聡実はゴクリと唾を飲み込んだ。
「えっと……あの…………この鏡っておいくらですか」
商品に直接値段が張ってあるのかもしれないが、ぱっと見値段は分からなかった。
店主が白い歯を見せて「百万円だよ」と快活につげる。
「は?」と聡実の体は固まる。
その反応に店主はすぐにクツクツと喉を鳴らして笑い、満足げな表情をした。
「なーんちゃって」
「あ……あはは。そうですよねぇ」
「うんうん。本当の値段は……」と少しもったいぶってから教えてくれた。「一万円だよ」
「いちまん……えん……」
大学生の聡実には、高い金額であった。しかし、骨董品としては安いのかもしれない。
「わぬ……」
「きゅい……」
聡実に助けを求める二人の視線を感じ、聡実は覚悟を決めて、鞄から財布を取り出した。
悲しいことに今月は他にも出費が重なっている。
しばらくお昼は半額メロンパンやなぁ…と痛い出費を噛みしめつつ、万札を引っ張り出したのだった。
◇
あのあとも結局、特に成果はなく、古い鏡を持って聡実たちは家に戻った。
聡実は鏡を畳の上に置き、じっと見下ろす。
畳には合う、が、大学生の部屋のインテリアとしては、どうだろう。
「よくよく考えたら、この鏡、変なのだったらどうしよ……」
妖怪の鳴家が惹かれる鏡となると、呪物だったりするかもしれない。
お化けが出たらと思うと一瞬、背筋が凍ったが、わぬたちの姿が目に入り、聡実は真顔になってメガネをクイッとした。
もうすでにおかしなものに関わっている。今更お化けで怖がるなんて、ちゃんちゃんらおかしい話ではないか。
「若だんな~~~~」
と鳴家が鏡に向かって呼びかけている。
この鏡がもしかしたら、自分を吸い込んだ鏡かもしれないと鳴家は思っているらしい。
「若だんな~~~。鳴家はここだよ~~~~~」
切実な鳴家の声に聡実とわぬの胸は締め付けられる。
うんともすんとも言わない鏡に、聡実は眉尻を落とす。
自分のしたことは、鳴家にむやみに期待させただけなのではないか。
罪悪感が聡実の心をつつく。
「鳴家……」
聡実はしゅんとして、視線を鏡から足元に落とした。
その夜。
聡実は自分の布団に、わぬと鳴家はお客様用の布団に潜りこんで、規則正しい寝息を立てていた。
すぴーすぴーとぐっすり眠っていた鳴家はふと、耳をぴくぴくとさせた。
『……や…………やー…………やな…………やなり!』
その声は鳴家がとてもよく知っている待ちわびた声だ。
「きゅ……い…………?」
寝ぼけ眼で鳴家は起きあがる。連日の若だんな探しに疲れていた鳴家は、聡実とわぬと一緒に布団に入って眠り、英気を養っていたのだが、どこからともなく聞こえてきた声で眠りからたたき起こされた。
『鳴家やーー。鳴家や。おお~~~~~い』
「きゅ…………きゅわ!? わ、若だんな!?」
鳴家はガバリと起き上がり、鏡のもとへ一目散に駆け出す。
『鳴家? 鳴家なのかい? 仁吉、うちの鳴家の声がするよ』
「きゅわ~~~! 若だんな、若だんな、若だんな~~~~!」
鏡から若だんなの声がする。鳴家は嬉しくなって、きゅわきゅわ床をきしませた。
激しい床のきしみ音にわぬと聡実も目を覚ます。
「きゅわきゅわ若だんなが鳴家を呼んでる~~~~~~!」
鳴家は嬉しそうに鏡に飛びつくと、とぷ……とまるで水の中に手を突っ込むように鏡の中へと吸い込まれた。鳴家は歓喜した。やっぱりこれはあの鏡だったのだ。きっとこの鏡に潜れば、若だんなのもとに帰ることができるに違いない!
聡実とわぬは、まるで水面のように鏡に手を突っ込んでいる鳴家に目を見開いた。
「鏡の中に鳴家が入ってる!?」
と聡実は信じられない様子で鳴家を凝視する。
鳴家は振り返る。
「わぬ、聡実くん。我は……お江戸に帰る!!」
わぬと聡実は大きく目を見開いた。
「わぬ、聡実くん…………我のために……ありがとう」
鳴家は手を振り、鏡の中に入っていこうとする。
しかし、わぬの「わぬ……」という寂しげな声を聞いて再び振り返った。
「わぬ」
「きゅい……」
「わぬ……」
「きゅい………」
「わぬわぬわぬわぬ…」
「きゅ…きゅい」
なんだがよくわからないが、二人のやりとりに聡実は、ほろりと涙を流す。声だけで、二人が短い間に友情を紡いでいたことが伝わっていた。
きっとこれが今生の別れやなぁ…。そう思うと聡実は目に涙がいっぱい溢れた。
一端、涙を拭こうとメガネを取り、服の袖で拭うと、またメガネを装着し、唖然とした。
「え……?」
突然、嘘のように静かになった自分の部屋に困惑する。
涙を拭いた一瞬で、鳴家の姿が消え、わぬの姿も消え、あるのは古い鏡だけだった。
「わぬ…………? やなり…………?」
聡実はキョロキョロ自分を部屋を見渡す。だが、どこにも二人の気配はない。
聡実の視線は自然と鏡へと引き寄せられ、くわっと目を剥いた。
「ま……まさか…………!?」
◇
「きゅわ~~~~~~~~~~っ」
「わぬ~~~~~~~~~~~っ」
鳴家とわぬは鏡の中の渦に巻き込まれていた。
二人は最後に熱い抱擁をして、別れを惜しんでいたのが、そのときに鏡が二人いっぺんに吸い込んでしまったのだ。
鳴家が目をグルグル回しながらも、わぬと離ればなれにならないようぎゅっと抱きついた。わぬもまた鳴家を離さないようぎゅっとする。
二人は必死にグルグルを通り抜けていく。
◇
お江戸の広徳寺では、高僧・寛朝に寄進と相談に来ていた長崎屋の若だんな一太郎が、鏡の前で叫んでいた。
「鳴家や~~~~。鳴家もう一度返事をしておくれ~~~~~~」
目を潤ませ、一太郎は必死に鏡に向かって呼びかけている。
その周りには広徳寺に暮らす鳴家たちが心配げな様子で鏡を見つめていた。この鳴家たちが長崎屋の鳴家が鏡に吸い込まれたことを教えてくれたのだ。
「若だんな。そんなに叫んではお体に障ります」
手代の仁吉は心底若だんなを心配して言った。
「でも、さっきうちの子の声がしたんだよ!」
「そうですか? ここでも鳴家がきゅわきゅわ鳴いていたので、私には分からなかったのですが……」
「あれはうちの子だよ!」
「……」
実は万物を知る白沢という妖である長崎屋の手代の仁吉であっても、さすがに鳴家の鳴き声を聞き分けることは出来なかった。
そのとき、どこからか「ぎゅわわ~~~」という鳴家の声が聞こえてきた。
その声を聞き取った若だんなが「あれはきっとうちの子……!」と走り出す。仁吉が慌ててその後ろについて行く。
「若だんな。そんな動いてはお体に」
と若だんなをまず一番に心配しつつ、戸を開け、空を見上げる若だんなの隣に立つ。
若だんなの視線の先には小さな影が見えた。
「ぎゅわ~~~~~~」
鳴家の叫び声が天から響いていた。
なんと鳴家が空から真っ逆さまに落ちてきているではないか。
若だんなと仁吉は目を見開いて仰天した。
「た、大変だ。仁吉、鳴家を助けておくれ」
「まったく。世話が焼ける…」
仁吉は恨めしげに天を仰ぎ、一瞬にして姿を消してしまった。
だがすぐにシュバッと若だんなの目の前に現れた。
仁吉は鳴家を抱えている。若だんなの目にはすぐに、その鳴家が長崎屋の鳴家であることが分かった。
「鳴家! うちの鳴家じゃないか! ああ良かった! 本当に良かった」
若だんなは鳴家に駆け寄る。
「ありがとう。仁吉」と若だんな。
「これぐらいお安い御用です……。しかしこれは本当にうちの鳴家なのですか? それに、一匹、妙なのも一緒だったのですが…………。これは……犬?」
目をグルグルさせていた鳴家は意識をだんだん取り戻し、瞼を開ける。
「きゅわ…………わかだんな……?」
「鳴家……」
「若だんなだぁ」
鳴家は若だんなに飛びついた。ぎゅっと離さまいと堅く抱きつく。
そんな感動の再会をしている間、仁吉に脇に抱えられていたわぬがそっと目を覚ました。
「わぬ?」
とわぬはパチパチ瞼を瞬かせる。
その時である。
「おや?」
若だんなが一番始めにとある異変に気づき、顔を上げた。
次に鳴家がその異変に気づく。
『わぬ~~~~~』
と、鳴家とわぬには聞き慣れた青年の声が、広徳寺の一室から聞こえてくる。
鳴家が若だんなから飛び降りて、広徳寺へと駆け足で入っていく。若だんなが鳴家の行動に驚きつつも鳴家を追いかけると、仁吉もわぬを抱えたまま、後ろについて行った。
鳴家は広徳寺の一室に置かれている鏡の前に立つ。その鏡は鳴家が吸い込まれ、江戸と蒲田を行き来した鏡だった。
『わぬ~~~~! 鳴家~~~~~~!』
「やっぱり、聡実くんの声だ!」
鳴家はビシッと鏡を指さした。
「でもなんで聡実くんがわぬと我を呼ぶ声が鏡からするの?」
首を傾げる鳴家の隣で”わぬ”も首を傾げる。
鳴家は目を点にして横のわぬを見上げ、「ぎょえ~~~~~~」と仰天した。
「わぬ~~~~~~!?」
鳴家はどうしてわぬが江戸にいるのかと混乱したが、鏡の中に一緒に吸い込まれたことを思いだし、どうして鏡からわぬを叫ぶ聡実くんの声がするのか、合点がいった。
わぬと鳴家はこれまでのことをかくかくしかじか若だんなと仁吉に説明した。
不思議な鏡を再びくぐらなければ、わぬはきっと蒲田に帰れない。わぬは聡実くん狂児さんを思い浮かべ、すぐに決意を固めた。
決意を固めて鏡の前に立つわぬに若だんなは微笑みかける。
「わぬさんや。鳴家を助けてくれてどうもありがとう」
仁吉は背後で力強く頷き、
「鏡を通るときによく念じなさい。さすれば主のもとへ導くはずだ」
わぬは二人の言葉にコクンと頷く。
鳴家はふるふると手を振ってくれている。
わぬもニコニコ笑って手を振る。
別れは悲しいけれど、わぬも鳴家も帰りたいたったひとつの場所があるのだ。
わぬは深呼吸をすると、思い切って鏡に飛び込んだ。
それが鳴家が見たわぬの最後であった。
長い沈黙のあと、若だんなが一番最初に口を開いた。
「しかし、寛朝さま。この鏡は危険すぎます。寺のこんなところに置いておかれちゃ困ります」
と若だんなが、実はひっそり一連の事件を見守っていた広徳寺の高僧・寛朝に意見した。
「う~~~ん。こんな鏡、見覚えがないんだがなぁ」と寛朝。
「とにかく、この鏡は封印しなくては…………おや?」
若だんなは瞼を瞬かせる。
「鏡が……ない」
忽然と鏡は消えてしまった。最初からそこには存在しなかったかのように。
聡実が買った鏡もまた、わぬが戻ったあと、ひっそりと消えてしまうのだった。一体、あの鏡がなんだったのか、分かるものは、神のみぞ知る、であった。
◇
「わぬ~~~~~~~~~~っ」
とわぬは鏡の渦に目をグルグルさせて叫んでいると、やがてベチャッと顔面から土の上に叩きつけられた。
痛みに耐えながら起きあがると、どうやら公園の砂場に着陸したらしいと分かった。
わぬはフラフラしながら立ち上がる。この公園は知っている。わぬが知ってる蒲田にある公園だ。
わぬは嬉しくなって駆け出したい気持ちになったが、体はへとへとで、ゆっくり歩くことしか出来なかった。重い体を引きずって、アパートにたどり着くと、階段を一歩一歩上がっていく。
玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「わ……わぬ!! 帰ってきた!! よかった!!!」
「わぬ~~~~~!」
こうしてわぬは聡実くんのもとに無事たどりついたのだった。
◇
「あのあとそんなことがあったんやなぁ」
と一ヶ月ぶりに聡実の家にやってきた狂児は、湯飲みのお茶をすする。
狂児の視線の先には、同じように聡実の家に遊びに来たわぬが丸くなって眠っていた。
わぬは大阪土産をいっぱい食べて、眠たくなってしまったらしい。
「そうです。大変だったんですから。鏡はいつの間にか消えちゃったし」
と聡実は狂児の隣に座り、狂児の肩に寄りかかる。
「一体、あれはなんだったんだか……」
「ほんまやねぇ。ま、鳴家が無事帰ることができたんは良かったと思たけど…」
と狂児は言い、ぼんやりわぬを見る。
「わぬ……気持ちよさげに寝てるなぁ」
「そうですねぇ」
聡実と狂児は静かな二人きりの時間に浸る。東京と大阪という遠距離恋愛中の二人にとって、こうして一緒にいられる時間は何より嬉しいことであった。わぬを起こさないよう、そっと互いに手を重ね、見つめ合う。それから二人とも幸せそうに微笑を浮かべるのだった。
END
4/4ページ