狂聡ss
※兄視点のつき合ってる狂聡です。正実お兄ちゃんは父親になっていて、聡実くんは社会人で家を出て、大阪で一人暮らしをしています。
兄弟の話が中心なので、狂児さんは出てきません。
関西弁はよくわかっていません。広い心で読んでいただけると助かります。
―――――――――――――――――――
『弟の秘密』
お盆に家族をつれ、実家につくと、岡正実は久々の訪問に懐かしい気持ちになった。
「久しぶりやねぇ。さっ入り入り」
玄関で母に迎えられ、正実は妻と幼い子供たちを先に通し、最後に入った。
団地の狭い室内は、人数が一気に増えてさらに狭くなった。けれど、両親は賑やかになった家族団らんに嬉しそうに頬を緩ませている。
何より孫とのふれあいを楽しみにしていたらしく、たくさんのお菓子や優しい言葉が降りかかり、正実は思わず妻と顔を見合わせ笑っていた。
大学で家を出てから、実家に帰るのは長期休みだけとなり、社会人になってからは、年に数回程度。
結婚して家族が増えてからは、ますます頻度は減った。
けれど、こうして家族をつれて帰省すると両親は大喜びする。そんな姿を見ると、もっと会いに来ないとなと、温かい気持ちになった。
家族といえば、もう一人、正実にとって大事な家族がいた。
「あれ、聡実は? 今日来る言ってたよなぁ」
何気なく母に尋ねると、母も壁時計に視線を向け、「そやねぇ」と相づちを打った。
「まぁ、もうすぐ来るやろ」と母が言ったところでインターホンが鳴った。
母は瞼をパチクリし、にやりと笑う。「噂をすればなんとやらやな」と言い、意気揚々と聡実を迎え入れに玄関へ向かった。
リビングに顔を出した聡実に、正実はソファにくつろぎながら手を振った。
「久しぶりやなぁ。元気にしてた?」
「うん。兄ちゃん、久しぶり」
表情はあまり動かないが、優しい目で語りかけてくる弟に、正実は自然と口元が緩んだ。
聡実は正実の家族にも挨拶する。約一年ぶりに会う甥や姪を目の前にすると「大きくなってる……」と呟いて、小さく驚いている様子だった。
じゃれつく甥と姪とひとしきり交流してから、聡実は正実の隣に座った。
「騒がしくしてごめんなぁ」
と正実が言うと、聡実は首を横に振る。
「別に嫌やないよ。可愛いし」
という聡実は、最近覚えたという踊りを披露する子供たちに視線を向ける。子供の側には正実と聡実の両親がおり、孫の踊りをしきりに褒めている。
正実はそんな両親に苦笑をこぼす。
「孫相手だとああなるんやもんなぁ」
「そやねぇ」
と聡実が相づちをうった声をきいたところで、不意に正実は一年前、母とした会話が脳裏によぎった。
『正実も落ち着いたし、次は聡実やねぇ』
と母がリビングでお茶をすすりながら言った。
『あの子、真面目に仕事もしてるし、顔だって悪くないやろ? けど、奥手なんかなぁ』
知り合いの娘さんとか紹介しようかと考えてる、と言う母の言葉に、正実は慌ててストップをかけた。
『母さん、早いよ。聡実はまだ20代だし』
『でもあの子から一度も色っぽい話聞いたことないし。それとも正実はきいたことある?』
『そういう話はしたことないけど』
正実自身、妻との出会いも聡実に話したことはない。年齢差があるからか喧嘩をしたことはない。仲良しな兄弟関係だと思うが、正実が家を出てからは、プライベートな話は一緒に暮らしていた時より、しなくなった気がする。
結局この話は、聡実は任せるべきだ、という結論で話がまとまった。聡実は社会人になってまだ数年しか経っていない、まずは足場を固めるべきだとか適当なことを正実は母に言った気がする。
そんなことを考えていたからか、正実は聡実の横顔をじっと見つめていたらしく、視線に気づいた聡実が首を傾げた。
「なに? 兄ちゃん」
「な、なんでもない」
弟と視線が合ったことに驚いて、慌てて視線を外す。
自分は一体、何を思い出しているのだろう。急に聡実の周りが心配にでもなったのだろうか。
聡実が元気だったらそれで良い、そう思っていたはずなのだが。
(母さんが余計なこと言うから……)
あれから一年経っているし、母も自分で言ったことを、すっかり忘れているに違いない。だが、未だ母の中には聡実を心配する気持ちがくすぶっているに違いなかった。
早めの夕飯に両親が用意してくれたお寿司を一家で食べて、食後のデザートにスイカをいただいた。そんなお盆の風景が過ぎ去り、日が暮れると、聡実は自分の家に帰ると皆に挨拶して立ち上がる。
「あ、聡実。駅まで送る」と正実は自然と聡実を追いかけていた。
「そんないいよ。女の子じゃあるまいし」
と遠慮する聡実に「ゆっくり話せなかったしさ」と正実は弟の久々の再会が別れがたく、ついていく。
家族に聡実を送っていくと告げて、玄関から出ると、賑やかだった部屋から抜け出せたことに、少しほっとする自分がいた。
ここにいるのは弟だけで、兄以外の役割は今、必要ないのだ。父親としての自分、社会人としての自分、夫としての自分は求められていない。
気がつけば、色んな役割を背負っていたのだな、と正実は一人ため息をついた。
まぁ、別に嫌なわけではないけれど。
「外、あっついなぁ」
と正実は聡実の横に並んで歩きながら口を開いた。「汗、ダラダラ出るわ」
「そやねぇ」
と聡実は相づちを打って、正実はまた話し出す。
聡実に対して気を使う必要がないからか、次から次ぎへと話は尽きず、正実は駅につくまで、ひたすら口を動かしていた。
それで喉が乾いたのか、駅前のチェーンのカフェが目に入ると、寄っていかないか、と自然と誘っていた。
「一杯、おごるわ」と言うと、聡実も暑さにやられていたらしく、店のメニュー表を見て頷いた。
キンキンにクーラーで冷えた室内に、ひどく心が安らいだ。
互いに飲み物を注文し、届くのを待つ。その間、正実は窓の外を眺める弟の姿をぼんやり見つめた。
年の離れた弟が手が掛かったのは、ずっと小さいときだけで、いつの間にかすくすく成長し、気づけば社会人だ。
(あんな小さかった聡実が、もう大人かぁ…)
感慨深いものを感じ、嬉しいような、寂しいような気持ちになっていると、
「兄ちゃん、なに?」
と聡実に問いかけられ、正実は目を見開く。
「え?」
「なんか、視線がうるさいけど」と聡実。
「視線?」
「なんか聞いてほしいことでもあるの?」
「え、ないない! ただ、まぁ、大きくなったなぁ、と思ってただけで」
「なにそれ」
「兄として弟の成長が嬉しいというか……」
「ははっ。兄ちゃん、僕にまで父性向けてんちゃう?」
お父ちゃんやもんなぁと、聡実はおかしそうに笑った。
飲み物が届くと、二人は静かに、喉を潤した。ストローで吸う甘いレモンジュースは、夏の暑い日の体にしみこんだ。
それから聡実の近況についていくつか尋ねた。その流れから「誰か良い人でもいないの?」などと正実は軽口を叩いた。たぶん、母親に以前言われた聡実を心配する話が頭に残せていたのだろう。
それは、別にいてもいなくてもどっちでも良い、空っぽの頭で言った一言だった。
しかし、その言葉を聞いたとたん、聡実の表情がみるみる強ばった。
その表情を見て、正実はしまったと思った。余計なことを言ってしまったことをすぐ後悔した。弟には弟の距離感がある。それを知らず知らずのうちに踏み込んでしまったのだ。
内心慌てたものの、適当に取り繕うことも出来ず、グラスに氷しか残っていないのにストローをくわえ押し黙る。
何か別の話題に変えようと、正実がストローから口を離したそのときだった。
「……おるよ。いい人」
それはとても静かな声だった。
正実は弟の返答に驚き、目を見開いた。
「え、いるの?」
「うん」
「いつから?」
「大学のときから」
「ええ! そんな話、聞いたことない」
「言ったことないし。言うつもりもなかったんやけど……」
聡実は自分から出た言葉に自分で驚いているようだった。
「そんな前からつき合ってるなら、ゆくゆくはその……」
結婚とかと正実が匂わせると、聡実は首を横に振る。
「結婚するつもりはない」
「え? えっとそれは別れるってこと?」
「うんん」聡実はまた頭を振る。
「あ、籍は入れないってこと。そういう感じなんか」
結婚となると色々手続きが発生する。それのせいで苦労する話も多く、内縁関係を選ぶ家庭も少なくない。
「でも、もし今後同棲するなら、両親の紹介とかしといた方がええんとちゃう? というかもう同棲してるんか?」
と正実が思ったことをぽんと出すと、聡実は苦虫をつぶしたような表情になった。
「う~ん。まだ一緒に暮らしてはないけど……」
と弟は難しい顔をして黙ってしまった。
なにか考えているようだが、それがいったい何なのか、見当もつかなかった。
正実が頭を捻り、眉間にシワを寄せたとき、突然ハッとした。今、自分は弟の内側に土足で踏み込みまくっているのではないか。
(余計なことを言ってしまったかも。聡実のペースがあるのに!)
”男女”のことだ。今後どうなるかなんて分からない。確定しない未来をあれこれ言ったってしょうがないのだ。正実は慌てて言う。
「いや、ま、なんでもええねん。兄ちゃんは聡実が元気ならそれで」
「…………うん」
「何か兄ちゃんが出来ることがあるなら、相談乗るし」
「うん……」
聡実は静かに頷き、しばらくじっと考える仕草をして深々と嘆息した。やがて顔を上げて、再び口を開く。
「……この話、誰にも言わないでほしいんやけど。父さんと母さんにも」
「え? そ、そうか? 分かった」
弟は秘密主義らしい。
知らなかった一面に戸惑いつつも、正実は弟を尊重することを心に決めた。
聡実は自分のグラスをぼんやり見つめた。氷が溶けてカランと音を立てる。
不意に聡実は泣きそうな顔になった。
「ごめん。兄ちゃん」
呟くような声で言った聡実の顔は、正実の胸を締め付けた。
正実の言葉の何かが聡実を傷つけている。
こんな顔をさせるつもりで、振った話ではなかったのだ。
ただ、聡実が心配だっただけなのに。
表情からして、なにか色々事情があるようだと察せられた。
聡実は別れたくないのに向こう別れたがっているとか、逆に聡実が恋人と距離取りたいのかもとか、色々な事情が浮かんでは消える。
すぐにでも聞きだしたい気持ちにもなった。だが、これは心の奥底にしまって置くべきなのだと正実は自分に言い聞かせた。
いつか弟が自然と話しだすまで、誰にも言うまい。
固くそう決めて、記憶の彼方へと放りこんだ。
◇
その記憶が放たれたのは数年後のことだ。
弟から相談があると連絡が来て、誘われたイタリアンで事情を聞いた。
びっくりである。まさか、弟が、えっ…ええ~~~~~~!!
両親に紹介する前に相談したかったと言ってくれたのは嬉しかったが、事情が事情なだけに、これは親に正直に言うべきか迷うものだった。
しかし、聡実は腹をくくったらしく「あの人のこと愛してんねん」とまっすぐな瞳で言うものだから、こっちの顔が赤くなった。
昔、カフェでうつむいていた聡実はもういない。彼は今、前だけを見つめていた。
この数年で弟に大きな変化があったらしい。
お前そんな情熱的なタイプだったんか…とか、でも好みがなぁ…とか、好きならしょうがないかぁ…?とか色々思うことも沢山あったが、最終的に聡実が幸せならと両親と揉めたときは味方になると約束した。
別に聡実の相手のことを応援するつもりはない。ただ、聡実が孤立することだけは避けたかった。
でも、あとあと聡実の相手を紹介された両親から連絡が来て、また驚かされた。
「元ヤクザ~~!? それは聞いてない!」
スマホを耳に押しつけ、母からの電話を真剣に聞き取る。
「聡実から聞いたのは男で、すごい年上ってことだけ。…………は? けどめっちゃいい男? なんやねんそれ!」
あれってやっぱり文集の……などと母は続けて言っていたが、混乱する正実の耳には入らず、気がつくと通話は切れていた。
味方になるって言うんじゃなかった、と一瞬頭を抱えたが、いや自分だけは客観的に冷静でないとと言い聞かせた。もしも揉めたなら、家族のために、正実が中立の立場に立って仲介をしなければならない。
しかし、それ以後、特に揉めたなどという連絡はなかった。
両親と聡実の間で、解決され、正実の出番は何も無かった。拍子抜けではあったが、これで良かったのだ、たぶん。
◇
お盆の日になると、正実は子供たちを連れて実家に顔を出す。正実の子供たちもすっかり大きくなり、もう高校生になっていた。
「聡実! ひさしぶり!」
リビングに顔出した弟に正実は声をかける。すると、聡実は微笑んで正実の隣に座った。
年に一度のお盆に顔を出す。相変わらずの家族行事は続いている。
聡実とは連絡は頻繁に取り合っているものの、こうして顔を合わすのも一年ぶりである。
「元気にしてたか?」と正実。
「うん。……これ去年も同じ会話してない?」
「去年というか毎年やろ」
「そうかもなぁ」
二人は互いに笑いあう。
麦茶をすする聡実を眺めていると、机にひじをついた左手の薬指に指輪があるのが目に入った。弟は両親に相手を紹介してからほどなく、指輪をつけだした。
ふと正実は、聡実はめっちゃ幸せなんやろなぁと思った。
それは聡実の雰囲気から正実が感じ取った実感だった。
相手が相手だけに少し複雑だが。
でも、まぁ、ええかぁ……と夏の暑さに疲れた体で、ゆったり独りごちた。
兄弟の話が中心なので、狂児さんは出てきません。
関西弁はよくわかっていません。広い心で読んでいただけると助かります。
―――――――――――――――――――
『弟の秘密』
お盆に家族をつれ、実家につくと、岡正実は久々の訪問に懐かしい気持ちになった。
「久しぶりやねぇ。さっ入り入り」
玄関で母に迎えられ、正実は妻と幼い子供たちを先に通し、最後に入った。
団地の狭い室内は、人数が一気に増えてさらに狭くなった。けれど、両親は賑やかになった家族団らんに嬉しそうに頬を緩ませている。
何より孫とのふれあいを楽しみにしていたらしく、たくさんのお菓子や優しい言葉が降りかかり、正実は思わず妻と顔を見合わせ笑っていた。
大学で家を出てから、実家に帰るのは長期休みだけとなり、社会人になってからは、年に数回程度。
結婚して家族が増えてからは、ますます頻度は減った。
けれど、こうして家族をつれて帰省すると両親は大喜びする。そんな姿を見ると、もっと会いに来ないとなと、温かい気持ちになった。
家族といえば、もう一人、正実にとって大事な家族がいた。
「あれ、聡実は? 今日来る言ってたよなぁ」
何気なく母に尋ねると、母も壁時計に視線を向け、「そやねぇ」と相づちを打った。
「まぁ、もうすぐ来るやろ」と母が言ったところでインターホンが鳴った。
母は瞼をパチクリし、にやりと笑う。「噂をすればなんとやらやな」と言い、意気揚々と聡実を迎え入れに玄関へ向かった。
リビングに顔を出した聡実に、正実はソファにくつろぎながら手を振った。
「久しぶりやなぁ。元気にしてた?」
「うん。兄ちゃん、久しぶり」
表情はあまり動かないが、優しい目で語りかけてくる弟に、正実は自然と口元が緩んだ。
聡実は正実の家族にも挨拶する。約一年ぶりに会う甥や姪を目の前にすると「大きくなってる……」と呟いて、小さく驚いている様子だった。
じゃれつく甥と姪とひとしきり交流してから、聡実は正実の隣に座った。
「騒がしくしてごめんなぁ」
と正実が言うと、聡実は首を横に振る。
「別に嫌やないよ。可愛いし」
という聡実は、最近覚えたという踊りを披露する子供たちに視線を向ける。子供の側には正実と聡実の両親がおり、孫の踊りをしきりに褒めている。
正実はそんな両親に苦笑をこぼす。
「孫相手だとああなるんやもんなぁ」
「そやねぇ」
と聡実が相づちをうった声をきいたところで、不意に正実は一年前、母とした会話が脳裏によぎった。
『正実も落ち着いたし、次は聡実やねぇ』
と母がリビングでお茶をすすりながら言った。
『あの子、真面目に仕事もしてるし、顔だって悪くないやろ? けど、奥手なんかなぁ』
知り合いの娘さんとか紹介しようかと考えてる、と言う母の言葉に、正実は慌ててストップをかけた。
『母さん、早いよ。聡実はまだ20代だし』
『でもあの子から一度も色っぽい話聞いたことないし。それとも正実はきいたことある?』
『そういう話はしたことないけど』
正実自身、妻との出会いも聡実に話したことはない。年齢差があるからか喧嘩をしたことはない。仲良しな兄弟関係だと思うが、正実が家を出てからは、プライベートな話は一緒に暮らしていた時より、しなくなった気がする。
結局この話は、聡実は任せるべきだ、という結論で話がまとまった。聡実は社会人になってまだ数年しか経っていない、まずは足場を固めるべきだとか適当なことを正実は母に言った気がする。
そんなことを考えていたからか、正実は聡実の横顔をじっと見つめていたらしく、視線に気づいた聡実が首を傾げた。
「なに? 兄ちゃん」
「な、なんでもない」
弟と視線が合ったことに驚いて、慌てて視線を外す。
自分は一体、何を思い出しているのだろう。急に聡実の周りが心配にでもなったのだろうか。
聡実が元気だったらそれで良い、そう思っていたはずなのだが。
(母さんが余計なこと言うから……)
あれから一年経っているし、母も自分で言ったことを、すっかり忘れているに違いない。だが、未だ母の中には聡実を心配する気持ちがくすぶっているに違いなかった。
早めの夕飯に両親が用意してくれたお寿司を一家で食べて、食後のデザートにスイカをいただいた。そんなお盆の風景が過ぎ去り、日が暮れると、聡実は自分の家に帰ると皆に挨拶して立ち上がる。
「あ、聡実。駅まで送る」と正実は自然と聡実を追いかけていた。
「そんないいよ。女の子じゃあるまいし」
と遠慮する聡実に「ゆっくり話せなかったしさ」と正実は弟の久々の再会が別れがたく、ついていく。
家族に聡実を送っていくと告げて、玄関から出ると、賑やかだった部屋から抜け出せたことに、少しほっとする自分がいた。
ここにいるのは弟だけで、兄以外の役割は今、必要ないのだ。父親としての自分、社会人としての自分、夫としての自分は求められていない。
気がつけば、色んな役割を背負っていたのだな、と正実は一人ため息をついた。
まぁ、別に嫌なわけではないけれど。
「外、あっついなぁ」
と正実は聡実の横に並んで歩きながら口を開いた。「汗、ダラダラ出るわ」
「そやねぇ」
と聡実は相づちを打って、正実はまた話し出す。
聡実に対して気を使う必要がないからか、次から次ぎへと話は尽きず、正実は駅につくまで、ひたすら口を動かしていた。
それで喉が乾いたのか、駅前のチェーンのカフェが目に入ると、寄っていかないか、と自然と誘っていた。
「一杯、おごるわ」と言うと、聡実も暑さにやられていたらしく、店のメニュー表を見て頷いた。
キンキンにクーラーで冷えた室内に、ひどく心が安らいだ。
互いに飲み物を注文し、届くのを待つ。その間、正実は窓の外を眺める弟の姿をぼんやり見つめた。
年の離れた弟が手が掛かったのは、ずっと小さいときだけで、いつの間にかすくすく成長し、気づけば社会人だ。
(あんな小さかった聡実が、もう大人かぁ…)
感慨深いものを感じ、嬉しいような、寂しいような気持ちになっていると、
「兄ちゃん、なに?」
と聡実に問いかけられ、正実は目を見開く。
「え?」
「なんか、視線がうるさいけど」と聡実。
「視線?」
「なんか聞いてほしいことでもあるの?」
「え、ないない! ただ、まぁ、大きくなったなぁ、と思ってただけで」
「なにそれ」
「兄として弟の成長が嬉しいというか……」
「ははっ。兄ちゃん、僕にまで父性向けてんちゃう?」
お父ちゃんやもんなぁと、聡実はおかしそうに笑った。
飲み物が届くと、二人は静かに、喉を潤した。ストローで吸う甘いレモンジュースは、夏の暑い日の体にしみこんだ。
それから聡実の近況についていくつか尋ねた。その流れから「誰か良い人でもいないの?」などと正実は軽口を叩いた。たぶん、母親に以前言われた聡実を心配する話が頭に残せていたのだろう。
それは、別にいてもいなくてもどっちでも良い、空っぽの頭で言った一言だった。
しかし、その言葉を聞いたとたん、聡実の表情がみるみる強ばった。
その表情を見て、正実はしまったと思った。余計なことを言ってしまったことをすぐ後悔した。弟には弟の距離感がある。それを知らず知らずのうちに踏み込んでしまったのだ。
内心慌てたものの、適当に取り繕うことも出来ず、グラスに氷しか残っていないのにストローをくわえ押し黙る。
何か別の話題に変えようと、正実がストローから口を離したそのときだった。
「……おるよ。いい人」
それはとても静かな声だった。
正実は弟の返答に驚き、目を見開いた。
「え、いるの?」
「うん」
「いつから?」
「大学のときから」
「ええ! そんな話、聞いたことない」
「言ったことないし。言うつもりもなかったんやけど……」
聡実は自分から出た言葉に自分で驚いているようだった。
「そんな前からつき合ってるなら、ゆくゆくはその……」
結婚とかと正実が匂わせると、聡実は首を横に振る。
「結婚するつもりはない」
「え? えっとそれは別れるってこと?」
「うんん」聡実はまた頭を振る。
「あ、籍は入れないってこと。そういう感じなんか」
結婚となると色々手続きが発生する。それのせいで苦労する話も多く、内縁関係を選ぶ家庭も少なくない。
「でも、もし今後同棲するなら、両親の紹介とかしといた方がええんとちゃう? というかもう同棲してるんか?」
と正実が思ったことをぽんと出すと、聡実は苦虫をつぶしたような表情になった。
「う~ん。まだ一緒に暮らしてはないけど……」
と弟は難しい顔をして黙ってしまった。
なにか考えているようだが、それがいったい何なのか、見当もつかなかった。
正実が頭を捻り、眉間にシワを寄せたとき、突然ハッとした。今、自分は弟の内側に土足で踏み込みまくっているのではないか。
(余計なことを言ってしまったかも。聡実のペースがあるのに!)
”男女”のことだ。今後どうなるかなんて分からない。確定しない未来をあれこれ言ったってしょうがないのだ。正実は慌てて言う。
「いや、ま、なんでもええねん。兄ちゃんは聡実が元気ならそれで」
「…………うん」
「何か兄ちゃんが出来ることがあるなら、相談乗るし」
「うん……」
聡実は静かに頷き、しばらくじっと考える仕草をして深々と嘆息した。やがて顔を上げて、再び口を開く。
「……この話、誰にも言わないでほしいんやけど。父さんと母さんにも」
「え? そ、そうか? 分かった」
弟は秘密主義らしい。
知らなかった一面に戸惑いつつも、正実は弟を尊重することを心に決めた。
聡実は自分のグラスをぼんやり見つめた。氷が溶けてカランと音を立てる。
不意に聡実は泣きそうな顔になった。
「ごめん。兄ちゃん」
呟くような声で言った聡実の顔は、正実の胸を締め付けた。
正実の言葉の何かが聡実を傷つけている。
こんな顔をさせるつもりで、振った話ではなかったのだ。
ただ、聡実が心配だっただけなのに。
表情からして、なにか色々事情があるようだと察せられた。
聡実は別れたくないのに向こう別れたがっているとか、逆に聡実が恋人と距離取りたいのかもとか、色々な事情が浮かんでは消える。
すぐにでも聞きだしたい気持ちにもなった。だが、これは心の奥底にしまって置くべきなのだと正実は自分に言い聞かせた。
いつか弟が自然と話しだすまで、誰にも言うまい。
固くそう決めて、記憶の彼方へと放りこんだ。
◇
その記憶が放たれたのは数年後のことだ。
弟から相談があると連絡が来て、誘われたイタリアンで事情を聞いた。
びっくりである。まさか、弟が、えっ…ええ~~~~~~!!
両親に紹介する前に相談したかったと言ってくれたのは嬉しかったが、事情が事情なだけに、これは親に正直に言うべきか迷うものだった。
しかし、聡実は腹をくくったらしく「あの人のこと愛してんねん」とまっすぐな瞳で言うものだから、こっちの顔が赤くなった。
昔、カフェでうつむいていた聡実はもういない。彼は今、前だけを見つめていた。
この数年で弟に大きな変化があったらしい。
お前そんな情熱的なタイプだったんか…とか、でも好みがなぁ…とか、好きならしょうがないかぁ…?とか色々思うことも沢山あったが、最終的に聡実が幸せならと両親と揉めたときは味方になると約束した。
別に聡実の相手のことを応援するつもりはない。ただ、聡実が孤立することだけは避けたかった。
でも、あとあと聡実の相手を紹介された両親から連絡が来て、また驚かされた。
「元ヤクザ~~!? それは聞いてない!」
スマホを耳に押しつけ、母からの電話を真剣に聞き取る。
「聡実から聞いたのは男で、すごい年上ってことだけ。…………は? けどめっちゃいい男? なんやねんそれ!」
あれってやっぱり文集の……などと母は続けて言っていたが、混乱する正実の耳には入らず、気がつくと通話は切れていた。
味方になるって言うんじゃなかった、と一瞬頭を抱えたが、いや自分だけは客観的に冷静でないとと言い聞かせた。もしも揉めたなら、家族のために、正実が中立の立場に立って仲介をしなければならない。
しかし、それ以後、特に揉めたなどという連絡はなかった。
両親と聡実の間で、解決され、正実の出番は何も無かった。拍子抜けではあったが、これで良かったのだ、たぶん。
◇
お盆の日になると、正実は子供たちを連れて実家に顔を出す。正実の子供たちもすっかり大きくなり、もう高校生になっていた。
「聡実! ひさしぶり!」
リビングに顔出した弟に正実は声をかける。すると、聡実は微笑んで正実の隣に座った。
年に一度のお盆に顔を出す。相変わらずの家族行事は続いている。
聡実とは連絡は頻繁に取り合っているものの、こうして顔を合わすのも一年ぶりである。
「元気にしてたか?」と正実。
「うん。……これ去年も同じ会話してない?」
「去年というか毎年やろ」
「そうかもなぁ」
二人は互いに笑いあう。
麦茶をすする聡実を眺めていると、机にひじをついた左手の薬指に指輪があるのが目に入った。弟は両親に相手を紹介してからほどなく、指輪をつけだした。
ふと正実は、聡実はめっちゃ幸せなんやろなぁと思った。
それは聡実の雰囲気から正実が感じ取った実感だった。
相手が相手だけに少し複雑だが。
でも、まぁ、ええかぁ……と夏の暑さに疲れた体で、ゆったり独りごちた。
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