狂聡ss

ファ。軸ですが、ファ。の二人の関係性はどっかに飛んじゃってます。友達以上恋人未満な狂聡です。両片思いだと分かっているけど、一歩も進む気がない聡実くんと、揺さぶってくる狂児さん。そんな二人のイメージです。

薬物に関してはフィクションです。
ゆるふわ関西弁です。

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『境界線』

 

 講義室で授業が始まるのを待つ中、聡実は友人たちとしゃべっていると、友人の丸山はまた、どこから情報を得ているのか、新たな飲み会に参加すると言い出した。
「岡も行こーぜ!」
 そんなハシャぐ丸山の毎回の誘い文句に、聡実は苦笑をこぼす。いつもどおり断ろうとして、ふと視線を天井に向け、丸山に視線を戻した。
「……そうだな。飲み会参加してみようかな」
 その日、聡実は自分でも思わぬ返事をしていた。

「お! まじ! いこいこ!」
 と丸山は喜び、その隣でスマホをイジっていたもう一人の友人が「珍し~」と意外そうに視線を向ける。

(って何いってんやろ、僕……)
 自分の言葉に驚き、やっぱり断ろうと口を開き掛けたところで、教授が教室にやってきた。
 おかげで断るタイミングを逃した聡実は、講義後、丸山から飲み会の場所と時間を教えられ、途方にくれたのだった。

 聡実の大学生活は忙しい。勉強と週五のファミレスバイトで、いつもクタクタだ。
 だからプライベートは、なるべく気楽が良いと思っていた。

 けれど今日、聡実は不意に、もっと大学生らしいことをしなければならない、という気合にかられた。もっと色んな人と交流し学生生活を謳歌するべきではないか。そんな思いが彼の中でぐるぐる駆けめぐっていた。
 そんな気分だったために、友人の丸山から誘われた大人数の飲み会に思わず参加する言ってしまったのだ。言ってすぐに、後悔の念にかられたわけだが。

(自分で言っといてアレやけど、面倒くさい……)

 丸山から教えられた日は、何も予定は入っていない。ちょうど良い断り文句も思いつかず、そのまま聡実の飲み会参加は決まってしまったのだった。


 ◇

 聡実の休日は、平日が忙しい分、けっこう暇だった。
 それなのに予定一つが決まったとたん、飲み会と同じ日に、別の人からSNSで映画の誘いが来ていた。

 ファミレスバイトの休憩中、聡実はスマホを眺めていた。

『さとみくんが見たい言ってた映画ちょうどやってるし、せっかくだから一緒に行こ~』
 成田狂児からの軽い文面に聡実は眉をひそめる。

(東京来るペース早ない?)
 3、4ヶ月に一回くらいの食事が、最近は月に1回は必ずある。

 狂児との再会から1年以上経つが、彼とたまに食事する関係は続いている。

 この男と自分の関係は一体なんなのだろう。友達というには年が離れすぎている気がする。友人関係に年の差なんて関係ないと思えたら、友人なんだろうけど……。
(いやでもヤクザやし。ヤクザと友達て)
 聡実は自分のことを鼻で笑い、深々と嘆息した。
 眉間にシワを寄せ、額に手をつく。

 狂児のことを考えると、おかしな気分になる。これはきっと中三のカラオケの思い出に振り回されているせいだろう。

(そもそも飲み会参加すんのもアイツのせいや)



 ―――前回狂児と食事した日のことを思い出す。
『大学生って忙しいらしいね』と狂児が食べながら話した。
『は?』
『サークル、飲み会、合コン、キャンパスライフ』
 狂児の付け焼き刃の大学に関する単語に、眉をひそめる。
『聡実くん。青春やん。あはは』
『……』
 言い方が明らかに人をおちょくっている。
 狂児の言動に、聡実はムッとした。

 聡実も確かに大学生で忙しい。勉強バイト友人関係は自分なりに充実している。しかし、キャンパスライフを謳歌しているのかと言われれば、上には上がいるため肯定するのはためらわれる。

(なんや皮肉か? 僕のこと馬鹿にしてるんか?)
 などと恨み言が出そうになったが、どうせこいつは何も考えていないに違いない。
 
 そんなやり取りの後、
『サークル、飲み会、合コン、キャンパスライフ』
 この狂児の言葉が妙に忘れられず、自分の現状をかんがみて、今までと違うことをしようという気になったのだった。



 記憶を一通り振り返り現実に戻った聡実は、スマホの画面をじっと見つめる。この約束をとりつけると、狂児と映画のあと、夜に丸山と飲み会に参加することになる。せっかくの休日なのに少し忙しい。
 しばらく目を瞑って考え、聡実は狂児に返事をした。


 ◇


「聡実くん。まった~?」
 にこやかに待ち合わせ場所にやってきた狂児に、スマホを眺めていた聡実は顔を上げる。
 相変わらず顔がうるさい男だなぁと思い、聡実は片眉を上げた。
「……全然待ってない。僕もさっき来たばっかやし」
 適当な言葉を投げかけつつ、二人は一緒に歩き出した。

 大学へ行き、ファミレスバイトに勤しみ、あっという間に、狂児との映画の約束の日になった。
 おそらく予定としては午前中に一本映画を見てから昼を食べて解散といったところだろう。そして、聡実はその後、丸山と知らない人間との飲み会に参加するのだ。

 映画館につくと、事前に予約していたチケットを発券し、ポップコーンなどが売ってる売店に目を向ける。
 午前中なため昼に来るよりは人は少ない。売店に並んでいる人々は、カップルや親子ずれ、友達同士、シングルなど様々だった。
「聡実くん、何か買ってく? 好きなの買うたるよ」
 狂児にそう言われ、聡実は頭を振った。
「いえ、ここは自分で買います」
「そうか? まぁ、別々で好きなの買った方がええか」
 何にしよかな、と狂児もぼんやりメニューの看板を眺め始める。
 聡実はそっと視線だけ狂児に向け彼を観察する。休日スタイルなのか今日はラフな格好だった。髪はいつもより軽くまとめてあるだけで、オールバックに少し前髪が垂れている。

 長身で、一回り以上年上で、無駄に顔が整っているこの男と自分の組み合わせは、周りはどう思うのだろう。

 胸がざわついて、視線を落とす。自分の薄汚れたスニーカーを見ながら、聡実は眉をひそめる。
「聡実くん?」
 狂児に名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。すると、思ったよりも顔面の距離が近くて目を剥いた。

「……っ」聡実は息を呑む。

 こちらを伺うように身を屈めて、狂児は白い歯を見せる。「何にするか決めた?」

(あかん)

 一体何がいけないのか、自分でも分からないが、とにかくこの距離は近すぎる。

「ねぇ。聡実くん?」
 もうしゃべらないでほしい。なんで僕はいちいちこの男の振る舞いに反応してしまうのか。
 聡実は心を守りたくて、ぎゅっと目を瞑り、数歩後ろに下がる。

 すると、柔らかく堅いものにぶつかり、ハッとした。

 人とぶつかったらしいと気づき、慌てて聡実は謝る。
「す、すみません」
 と振り返ると、聡実と同年代の派手な女性がいた。スマホをいじりながら歩いていたため、前を見ていて、こちらに気付かなかったらしい。髪は茶色で、爪は長く整えられ、体に線が見える服は、彼女のスタイルをより良く見せていた。

「ちっ。ぼんやりしてんじゃねーよ」
 女性はギロリと睨むと無愛想に去っていく。聡実は恐縮して、再び謝った。そのとき、甘い香りに気づき鼻をすすった。

(なんの香り……?)

 女性の柑橘系の甘い残り香に、”お香”でもやっているのだろうかと彼女の背中を見送った。どうもその香りは香水という感じではない気がしたのだ。
 気が強い今時の若い女性という感じだったが、意外と古風な趣味を持っているのかもしれない。

「災難やったなぁ」
 と狂児が軽い調子でなぐさめてくる。そんな彼に聡実は肩を上下に揺らし、受け流した。

 ちょうど冷静になれて良かったのかもしれない。

 そんな風に考えながら、狂児を見上げると、彼はさっき聡実がぶつかった女性を観察していた。
 聡実もつられて女性に視線を向ける。
 女性は彼氏を来ているらしく、体格の良いヤンキーな男性の腕に抱きついて、映画の入り口受付に向かって歩いて行った。

 少しの間、狂児はそのカップルをじっと眺めた。なぜそんなに見つめているのだろう。
 二人の姿が消えると、狂児はこちらに顔を向けた。
「聡実くん。売店いこか」
 何事も無かったように指さして歩き出した狂児に、聡実は少し首を傾げていたが、飲み物の注文などしてるうちに違和感は忘れていた。

 ◇

 スクリーンが広がる室内へと入り、食事をしながら待っていると、明かりが消えて暗くなった。
 自然なオープニングからの突然のアクションシーン。手に汗握る展開からのヒロインヒーローのロマンス。友人からおすすめされて見たくなった作品だが、確かにこれは面白い。
(これなら狂児さんも退屈せんやろな)
 上映からしばらくして、ふとそんなことを映画を見ながら思っていると、突然、肘掛けに乗せていた手の甲に温かな感触が降ってきた。

(は……?)
 聡実は目を見開いて、体が硬直し、やがて壊れかけたロボットのように自分の片手を見つめた。

 そこにあったのは、聡実よりも角張った大きな狂児の手だった。

「ーーっ」
 聡実は息を飲み、金魚のように口をぱくぱくさせ、狂児の顔を見上げた。狂児の顔は暗闇でよく見えないが、ニッと笑いをかけている気配はした。優しい手つきで聡実の手を撫でてくる。聡実は悲鳴が出そうになるのを必死に我慢した。
(な……ななっ)
 なんやねんこれ!
 他人がいる暗闇で、周りにバレないよう触られる。こんなやり取りを”友達”はするものなのだろうか。
 聡実が振り払うこともできず固まっていると、最終的に狂児は指を絡めて上からぎゅっと握りしめてきた。それは、まるで、恋人同士……のよう、に。


 上映終了後、トイレへと直行した聡実は、個室の便座に座って頭を抱えていた。
 狂児の行動のせいで頭がおかしくなりそうだった。

(あかん……)

 あんなことをされてしまえば、さすがの聡実でも、今日のお出かけが”デート”であったのだと察せられた。

 聡実は一瞬、自分の思考に唖然とし、すぐさま全力で頭を降った。
(ない! ないない。なにアホなこと考えてんねん。頭わいとんのか!)
 邪念を消し去るため、聡実は何度も頭を降り、自分に言い聞かせる。
(あれはただ、からかってきてるだけ。狂児……狂児なんかただのアホや!)
 脳裏に初めて出会った頃の衝撃や、彼とのカラオケ三昧な常識とかけ離れた日々を思い出し、無理やり自分の中に渦巻き始めた感情を押し戻した。


 聡実を待つ間、狂児はぼんやり映画のポスターを眺めていた。ふいに香りが気になって鼻をひくつかせる。
「……」
 狂児の横には、上映前、聡実がぶつかった若い女性とその彼氏らしき男がイチャつきながらしゃべって通り過ぎていく。
 彼らの背中を見送りながら、片眉をあげた。

「狂児さん、お待たせしました」
 お手洗いから戻ってきた聡実の声に狂児は振り返り「ん」と微笑みを浮かべた。
 しかし、狂児はもう一度カップルを一瞥し、聡実へと視線を戻す。
 その様子を見ていた聡実は瞼をまたたかせ、首をひねった。
 二人は並んで歩き出す。

「……なんか、さっきもですけど」と聡実は気になって口を開く。
「なに?」
「前にいるカップル、何回か見てますけど、気になることでも?」
 聡実たちより数メートル先を歩くカップルの片方は、上映前に聡実がぶつかった若い女性である。
「ああ……。いや~あの二人めっっっちゃ」
「めっちゃ?」
「ハッパの匂いするな~思て」
「え?」
 葉っぱとは、つまり煙草か? と思ったところで、ハッとする。
「あれ持ち歩いてるんかな。こんなところで匂いを嗅ぐと思てなかったから、ついつい見てもうたわ」
 軽い調子でにこやかに言う狂児に、聡実は押し黙る。
 ヤクザである狂児には、彼らの匂いがどんなものか検討がついたらしい。
 中三の夏に薬物依存の男に絡まれたことを思い出す。あの男は見るからに宇宙人でヤバかったが、あのときに比べれば、前方のカップルはヤンキーぽいとはいえ、まだごく一般人に見えた。
 
 聡実はゴクリと唾を飲み込む。

(表と裏があるんやな)
 聡実はそんなことを思い、社会の裏をかいま見た気がして眉間にシワを寄せる。
 まぁ、今、ヤクザと映画を見てる自分も大概な気もするが。

「あ~~お腹すいた。昼飯いこか」
 明るい狂児の声を聞いて聡実は頷きながら思う。

(狂児さんの裏はなんなん……? 今日はなんで映画の最中、手握ったん? おかげで途中から内容入ってこなかったんやけど)

 そんなことを考え始めた自分の頬をパチンッと叩く。

「あかんなぁ……」
 裏なんて考え出したら、きりがない。
 忘れよう。全部。
 特に狂児のことは考えたって仕方がない。
 自分の中に芽生えている感情と向き合ってしまったら、何もかも崩れてしまう。そんな気がしてならない。
 聡実はふぅと息をつく。目を一度閉じてから、全てを振り払うように、一歩前に歩き出した。


 ◇


 丸山から誘われた飲み会は夕方から夜にかけて、居酒屋での開催だった。他校の大学生とごちゃまぜの大人数の飲み会は、聡実にとって有意義な時間……といえるかは分からなかった。
 自分と考え方の違う人間との交流は勉強になるし、社会に必要なスキルだと思うが、こうも騒がしいのは疲れる。
(からあげ、うまい)
 気を使うことにぐったりして、聡実は隅で静かにジュースとからあげを味わっていた。
 まだ二十歳ではないため、酒は飲めない。丸山もそのはずだが、赤くなった彼の顔を見て、やっぱりなと思う。
 この人数だし、酒を飲んだってバレないだろうが、聡実は規則を破るのは性に合わない。

 常識的な普通な人間。なんならつまらない真面目が聡実だった。

 チリッと胸を焦がすものを感じて、下を向く。視線の先には、映画館で狂児に撫でられた手の甲があった。自然と彼の指を感触を思いだし、その手の甲に自分でも触れる。
 狂児はもう大阪に帰ったのだろうか。

 賑やかにどんちゃん騒ぎの居酒屋の中、聡実の心は、今はここにいない男へと向いていた。
 大きな手、ニヤついた顔、無駄に長い足に甘い雰囲気……

『聡実くん』

 彼の声が頭に響き、聡実は眉をひそめる。
(また狂児のこと考えてもうてる)
 どうしようもない感情があふれて、今にも決壊しそうで、なんとかあふれる前に必死に引き返す。もうずっと、狂児に再会してから、自分は境界線に突っ立っている気がした。

 聡実はスマホで時間を見てそろそろ解散かなと室内をぐるりと見渡す。
 すると、他の人と盛り上げっていた丸山がこちらに近づいてくることに気づいた。
「岡、岡~」
 とすっかり出来上がった様子の丸山が、ニカッと笑う。
「二次会だって。一緒にいこーぜ」
「え」
 と聡実は瞼をぱちくりする。
「まだ終電まで時間あるし、一緒に飲も!」
 火照った顔で目をキラキラさせ誘ってくる丸山の背後で二人ほど、こちらに手を降っている。
 さすがにもう帰りたい。自分は一次会だけで十分だった。
 どうやって断ろうかと思考を巡らせていると、スマホを持って廊下から入ってきた派手な女性に驚いた。

(あ……あの人!)

 彼女は午前中、映画館で聡実がぶつかった女性だった。そして狂児が”ハッパ”の匂いがすると言っていた人物だった。
 飲み会初めの自己紹介のときには彼女は居なかったはずだが、後から合流したのだろうか。聡実がじっと彼女を見つめていると、彼女もまた聡実の方に視線を向ける。
 目がバチッと合い、気づかれたかとドギマギしたが、彼女は「なに?」と冷たく首を傾げてきた。
 綺麗な子だが、興味のない人間には愛想がないらしい。
「いや、なんでもないです」と聡実は無愛想な女性に気圧され、遠慮がちに答える。
「……」
 彼女は聡実から視線を外し、スマホをいじり出す。

 随分と薄い反応を見て、彼女は午前中にぶつかった相手のことなど覚えていないのではないかと思った。
(たぶん彼氏といたから、そっちに夢中でこっちの顔なんか覚えてないんやな)
 ああ、良かった。初対面の人と無駄な争いは起こしたくない。
 聡実は、ほっと胸をなで下ろした。

「山川さんも二次会行く?」
 誰かが彼女に話しかけるのが耳に入った。どうやら彼女は山川というらしい。
「うんん。帰る。彼氏が迎えに来るから」
 と答えるのを聞いて、聡実はなんだが複雑な気分になった。

 匂いは消したのか、今の山川からは匂わない。けれど、男の一緒のときは、またあの匂いをまとうのではないだろうか。

 聡実はどういう感情を持てばいいか分からず、天を仰いだ。


 ◇

 二次会を断り、帰り支度をして居酒屋を出ると、うずくまる丸山が目に入った。聡実は目を丸くして、丸山を心配する集団に近づく。
「どうした?」
 と聡実が尋ねると、丸山の近くにいた飲み会のメンバーが「気持ち悪くなっちゃったんだって」と説明してくれた。
「飲み過ぎたのかな…。丸山はもう帰った方がいいな」
 聡実は冷静に言い「こいつ僕がつれて帰ります」
 と丸山の肩に腕を回した。
 丸山の近くにいたメンバーは二次会参加者ばかりだったので、ほっとした様子で、聡実にお礼を言い、去っていく。
「岡~。わりぃ……」
 と丸山は言い、聡実は嘆息する。「いいよ別に。もう帰るし。丸山の家ってどこだっけ?」
「家はなぁ~」
 丸山が自宅の住所を言い掛けたところで、誰かがトントンと聡実の肩を叩いた。
 驚いて振り返ると、そこには”山川”がいた。
「あんたらも解散組でしょ。駅まで距離あるし、車に乗ってったらって彼が言ってんだけど」
 山川はつっけんどんな口調で申し出てきた。たぶん、彼女の本意ではないのだろう。彼氏の手前、話しかけてきたに違いない。
「大丈夫です。こいつ意識はあるし。歩けるから」
 と、すぐに断ったのだが、車の前にいた、その彼氏がこちらに近づいてきた。問答無用な雰囲気にギョッとして、思わず後ずさる。

「遠慮しないで。酔っぱらいの相手は大変でしょ。駅まで送るだけなら、俺らの負担も少ないし君も助かるっしょ! 心配しなくてい~よ~」
 と山川の彼氏は話しかけてきた。

 無愛想な山川に対して、その彼氏はガツガツしてるが、めちゃくちゃ愛想はあるらしい。
 ヤンキーな見た目の割に、優しい雰囲気と言葉に心を動かされそうになるが、鼻をすすってハッとする。

(あ……なんかやばい、かも)
 めちゃくちゃ匂いがする。これってやっぱり……。

「ささっ。乗っちゃって、乗っちゃって~~~」
 善意の押しつけで強引に山川の彼氏に腕を引っ張られ、気がつくと、聡実と丸山は車の中にいた。

「え、ちょっと」と聡実は丸山を抱え、戸惑いを隠せずいると、「気にしないで。持ちつ持たれつ。助け合いっしょ!」と山川の彼氏は白い歯を見せた。

 山川も助手席に乗り込み、愛想なくスマホをいじり始める。

 聡実は言葉が通じない雰囲気に口をパクパクさせ、やがてさっきよりも強い匂いに気づき、青ざめる。
 窓が締め切っている車内は、それはもう匂いが充満していて、聡実は心臓が止まりそうだった。
「あの、僕ら歩いて、かえ……っ」
「さぁ、しゅっぱーつ!」
 彼氏は車を発進させる。と同時に助手席にいた山川が煙草に火をつけた。

 その煙草は果たして合法なものなのか。と疑ってしまうのは、考えすぎだろうか。

「あ、ごめんねぇ。彼女、吸いたくなっちゃったみたいで」
 と山川の彼氏は山川の代わりに謝罪する。
「いえ……。えっと…………煙草……お好きなんですね」
 聡実は視線をそらし、適当な言葉を返した。
「煙草……ね」
 と彼氏はニヤッとする。
「煙草、煙草。ま、そう思うよね〜。ははっ」
 と彼氏は何か含みのある物言いをして、ニヤニヤ笑いながら、運転を続けた。

 なんだかこれ以上関わりたくないと、聡実は視線を窓に移す。

 聡実は充満する空気に耐えられず、車の窓を開けようとする。が、そのとき煙草を深く吸って吐き出した山川が爆笑し始め、ぎょっとした。
「ははははっあ~~~はははははははははっ」
 山川はまた煙草を吸い、笑い続ける。
 突然のことに唖然としていると、山川の彼氏の方も脈絡なく「あっははははは!」と爆笑する。
(え? え?)
 訳が分からず、聡実は固まる。
 一体、この空間は何なのだろう。
 意味不明な二人の爆笑に、聡実の恐怖が頂点に達した。まるで次元が歪んで宇宙空間に突き落とされたような気分だった。
 丸山は気分が優れないのか、意識はあるもののぐったりしている。しかし、そのおかげでこの異常には気づいていない。
「あの、お、降ろしてください! 自分らで帰りますから!!」
 聡実は居てもたってもいられず、悲鳴のような声で訴えるが、二人に通じている気がしなかった。

 笑い続ける二人に為すすべもなく戸惑っているうちに、聡実の動きも鈍くなりはじめた。
(……へっ!? なに、これ…………あかん………っ)

 狂児さん――――っ

 そんな助けを求める声を心で叫んだが、やがて思うように体が動かなくなり、もの凄くフワフワして――そこから先の記憶は無くなった。



 聡実が次に目覚めたのは早朝の路上である。固くリュックを抱きしめ、道の隅で丸くなっていた。まるで酔いつぶれた大学生のように。だが、聡実は酒は一滴も飲んでいないはずだった。
「……」
 朝日をぼんやり眺めながら、だんだん意識がはっきりすると、聡実は一気に血の気が引いた。リュックの中身が無事か確かめ、スマホで丸山に電話をかける。
「もしもし丸山! 大丈夫か!!」
「え? なに朝から……」
「今どこにおる! 無事か!!」
「へ? 普通に自分ちだけど……ああ~頭痛い」
 早朝から電話は悪いと思ったが、丸山とのやりとりに心底ほっとした。
 彼は無事、自宅にたどり着いたらしい。
 朝から電話をかけたことを謝罪し、聡実は通話を切る。

(よかった。本当によかった)

 心配事が晴れたとたん、糸が切れたマリオネットのように、また路上に転がった。
「こっっわっっ」
 そんな彼の悲痛な声が辺りに響いたが、静かな朝は全てを溶かし、消えていく。

 あれはなんだったのだろう。

 たぶん山川が吸っていたものが原因だろう。が、どうしてこんなところに一人寝転がっているのか、どれだけ時間が経っても、記憶が戻ることは無かった。

 ◇


 それから狂児と再び会ったのは一ヶ月後のことだった。

 いつものように食事をして、別れる。なんの変哲もないやり取りが続く。
 辺りはすっかり暗くなり、行き交う雑踏はそれぞれ帰路につこうとしていた。
 狂児の少し後ろを歩きながら、聡実は彼の背中をじっと見つめる。自分よりも年上で経験豊富な大人が、未熟な年下男に囚われるはずがない。だから、この距離感が正解なのだと、また聡実は自分に言い聞かせていた。
 狂児は振り返り「じゃあ。聡実くん」と別れの挨拶をする。別れ際、聡実に小指にちょんと触れてきて、聡実はびくりと肩を揺らす。
「またね」
 彼は流し目で聡実の様子を一瞥し、ふっと笑みを浮かべ、あっさりと離れていく。

 聡実は所在なさげに視線をさまよわせ、離れていく狂児の背中を見つめていたが、やがて身を翻した。
 狂児の気まぐれな”からかい”を深く突っ込むことなく、受け流す。ここから何かを変える気になんてない、はずだった。

「あ……」
 聡実は立ち止まり、目を見開く。
 雑踏の中に一ヶ月前に出会って、それ以降一度も会うことも無かった、あの”カップル”をみつけてしまった。
「……っ」
 あの日のトラウマに聡実は青ざめ、反射的に避けようとして、方向を変えた。
(絶対関わりたくない!)
 話の通じない相手だということは、あの夜で身にしみていたからだ。
 しかし、その方向転換のせいで、再び狂児の姿が目に映った。

 もうとっくに人の波に消えたと思っていた狂児は、聡実の方を振り返っていた。
 視線がバチリと会い、二人は互いに目を丸くする。

 どうして狂児は聡実の背中を見送っていたのだろう。
 聡実は頭が真っ白になり、
「きょうじ、さん」
 と呟いた。

 都会の人混みの中、大勢が通り過ぎているはずなのに、今ここにいるのは二人だけ。そんな気がして、心が激しく揺れ動く。

 何かが崩れていく。

 感情があふれて、こぼれる――――――

 気がつくと聡実の足は、吸い込まれるように狂児へと向かっていた。
 彼のそばに歩み寄り、そっと見上げる。
 二十以上年上のヤクザにこんな気持ちを抱くのは絶対おかしい。それなのに突然ブレーキは壊れ、聡実を突き動かした。

「なぁ、狂児さん。もう少し……一緒にいよか」

 聡実の頭の中で小石が崖下に転がり落ちていく乾いた音が響いた。
 もう戻れない。
 そんな予感が、離さまいと聡実の手首を固く握った狂児の熱い手からも感じられた。


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