織田作先生の備忘録
1
そこは、私が気紛れに顔を出す店であり、そして彼が同じ頻度で顔を出してくる店でもあった。
歩き慣れたヨコハマの街、中心街からは離れた薄暗い路地に、その店はある。別段気にも留めないような小さなバーだ。灰色一色の外套を羽織っているかのような景色の中で、その店は少しばかり古びた看板に赤い光を灯して自らの居場所を私に伝えてくる。例えるなら、泥の中に落ちた蛍。身にへばりついてくる重苦しいものに苦しみながらも体内で化学光を発し、自分が生きていることを告げてくる。
……少し重い表現だろうか。
所狭しと並んだ建物の中で唯一光を宿すその看板の下の戸を開ければ、カランというベルの音が私を出迎えてくれる。店自体は地下にあって、私は薄暗い階段を降りていく。すると
夕日に似た黄色 の空間が私の足先に現れる。外の薄暗さとはまた違う暗さの、言うならば落ち着く色合いのこの店は、奥行きに沿うように六つばかりのスツールが並ぶカウンター席だけが準備された狭い酒場だ。
「やあ」
その数少ない席の中央で、まるで私が来ることを知っていたかのように彼はグラスを持ち上げて私に笑いかけてきた。
「先にやってるよ」
「太宰」
名を呼べば、丈の長い茶色の外套 を着た蓬髪 の男は人の良い笑顔で「そうだよ」と返事をしてくる。
「私が太宰。今更知ったのかい?」
「いや、随分と前から知っていた気がする」
「そりゃあね、君とここで飲み交わすようになって久しいんだもの、忘れられちゃあ寂しいね。……そういえばかなりになるねえ、私達がこの店に来るようになってから。もはやこの店のグラスのそれぞれの名前もそらんじることができる」
彼の隣に座りながら、私は太宰の横顔を見つめた。
「グラスに名前があるのか」
「あるよ」
太宰はカウンターの向こうの壁に並べられたグラスを順に指差した。
「メアリー、サンデー、オーガスト、ビリー、ジャスミン、トム、ジェリー。ちなみに私が今手にしているこれはナタリー」
「……そうだったのか」
私にはどれも同じに見える。太宰の目には私の見ているものとは違う景色が見えているのだろう。楽しげに見開かれた両目を見遣れば、太宰はこちらをチラと見て目を細めた。
「織田作は相変わらずだねえ」
「ああ、いつも通りだ。今日も子供達に襲撃された」
素直に言えば、太宰は「そういうところだよ」とよくわからないことを言う。何のことかと聞こうとしたのと同時に、店のマスターが私の前にグラスを置いた。琥珀色の蒸留酒だ。マスターに礼を言ってから大きな氷の浮かんだそれを手にし、軽く回す。
「このグラスの名前は何だ?」
「うーんとね、じゃあサクノスケにしよう」
「俺と同名か」
「素敵だろう?」
太宰はそう言って手にしていた酒を一口飲んだ。
太宰治。並外れた頭脳を持つ、元マフィア幹部。今は武装探偵社という会社で働いているらしい。出会った当時はまだ未成年だったが、今や後輩もいる二十二歳。時の流れは早い。
「安吾と連絡が取れてね、もう少ししたら来るはずだよ」
「安吾が来るのか」
「ヨコハマ出張だよ。おいでと言ったら『仕事が終わり次第向かいます』だってさ。仕事なんて途中で放り出してしまえば良いのに」
そうもいかないだろう。私は酒を口に含みながらもう一人の友人のことを思う。
坂口安吾。丸眼鏡が特徴的な、見た目通りの冴えた男だ。以前はマフィアに潜入捜査をしていたが、現在は東京で内務省特務課という秘密異能組織の一員として働いている。この街に予定があればついでに顔を出してくる程度だが、顔を合わせればすぐに幼馴染のように話すことができる貴重な相手だ。
「安吾は真面目だからな」
「真面目なんて損するだけだよ。うちの国木田君だって、真面目も真面目、大真面目。出社時間から退社時間までのみならず一日の全てについて秒刻みでスケジュールを組んで、それを実行しているんだもの。私には無理。予定を決めていたら美女と出会った時に口説 きに行けないし、良い死に場所を見つけてもそちらに行けないじゃないか」
あーあ、と太宰は背もたれのないスツールの上で仰け反って伸びをした。
「今日だって爆弾が……ああッそうだよ織田作、聞いておくれよ!」
突然大切なことを思い出したかのようにガバリと上体を起こし、太宰がこちらへ身を乗り出す。
「爆弾! 爆弾だったのだよ!」
「何がだ?」
「今日の仕事! 通り魔事件の容疑者の家を捜索していたらね、何と床下から不発弾が出てきたのだよ! 不発弾! とうとう私の目の前に現れたのだよ不発弾が! これは私のために準備されたに違いないと思ってね、思わず抱き着こうとしたのだけれど国木田君に『俺の予定をこれ以上乱すな!』と止められてしまった。国木田君が予定を重視しなければ、私は今頃自殺完遂者として崇め奉られていたというのに」
「それは残念だったな」
「凄く残念だった。供え物の酒とおにぎりで毎日を過ごす計画だったのに」
太宰は酷く残念そうな顔で唇を尖らせた。私への襲撃が失敗に終わった子供達のような顔だった。
元マフィア幹部の探偵社員、そして元潜入捜査官の異能特務課職員。この二人と友人という関係を結んでいる私はというと、仕事と呼べる仕事はしていない。たまに太宰の同僚から太宰の捜索を頼まれたり、元職場から顔馴染みのおばちゃんの話し相手を頼まれたりしている他は、知り合いの洋食店の手伝いや孤児を養う施設の手伝いをしたりしている。つまりは何でも屋だ。
「子供達は元気かい?」
「ああ、すこぶる元気だ。今日は縄跳びの縄で足元を掬 われた」
「前に会った時は落とし穴に誘導されたんだっけ?」
「あれは流石にひやりとした。俺は、俺の行動によって引き起こされる事象については異能予知が遅くなるからな」
「織田作の異能を知らないというのに織田作を驚かせるとはね。その子達は見込みがあるよ」
ふふ、と太宰は楽しそうに言う。いつものことだが、この店で顔を合わせるこの男はいつも楽しげだった。まるで手に入らないはずのものを手に入れたかのように、彼は私にそのにこやかな笑顔ばかりを向けてくる。泣きそうになっている自殺志望の子供の面影などどこにもない。ここにいるのは目の前の事象を楽しげに見つめる自殺志望の青年だ。数年前とは大違いだった。
「抗争で親を失った子供達を見守る会、とかいう団体は実際のところどうなの?」
「悪くない」
一言で簡潔に返してから、私はグラスの中の酒を飲み干した。
「設備にも問題はないし、食事もちゃんとしている。寄付金は正当な募金によるもので、裏金の類いではなかった。前会長の横領を探偵社が突き止めたおかげで環境が良くなったと職員達が喜んでいる」
「ポートマフィアとの癒着が囁かれていた議員が暗殺されて、その事件を追った結果の副産物だけどね」
「それでも感謝している。おかげで予定より早く子供達が手を離れた。それにその件があったから俺はポートマフィアを抜けられた」
私は自分の手を見た。拳銃を握り慣れた手だ。過去に人を殺めてきた手だ。そして今は、子供達の襲撃ごっこに付き合ってやるための手だった。
「首領 に殺されるのかと思った」
「森さんは最適だと思った手間しかしない人だからね、寡黙な近未来予知能力者を殺すために部下を大量消費するより、近場へ野放しにした方が良いと判断したのさ」
「そうか。……お前は首領 のお考えがわかるんだな。俺にはさっぱりだ」
「そりゃあね」
全てを理解しているかのように太宰は笑う。
「私ならそうしていたから」
その言葉は私の耳に強く残った。太宰の、その頭脳の明晰さを的確に表現している言い方だと思った。
カラン、と聞き慣れたベルの音が聞こえてきたのはその時だ。
「来たね」
太宰がその姿を見る前に言った。私も同意見だった。
コツ、コツ、と靴音を鳴らしながら来店者は階段を降りて私達の視界に現れる。前髪を撫であげ黒スーツを着こなした、丸眼鏡が印象的な青年だ。
「やあ」
太宰は私が来店した時のようにひらりと片手を上げた。
「調子はどう? 安吾」
「すこぶる元気ですよ」
安吾はにこりともせずに言った。そして、ふと宙を眺め回す。
「おや、照明を新しくしたんですか? 店内が以前よりも明るい気がします。チカチカしていますね」
私は店の天井を見上げた。穏やかな橙色の光が太陽光のように絶え間なく灯っている。点滅はしていない。
「そうか?」
「安吾、聞いてはいけないことかもしれないしそれをわかった上で敢 えて聞くけれど」
太宰は何かを隠すようににこりと笑んだ。
「何徹目?」
「まだ二です」
「……まだ?」
「予定ではあと二日程は二十四時間労働することになると思います」
安吾は丸眼鏡を指で押し上げて言った。いつもと変わらない、冷徹さすらをも窺える几帳面な声だった。
「この程度の困難は慣れたもの、大したことではありません」
鋭い眼差しは秘密組織の一員らしく、緊迫感がある。
「こりゃ駄目だ」
太宰がからりと笑った。
「マスター、安吾に一杯。二徹目の人が朝起きれなくなるようなやつ頂戴」
「終電で帰るので酒は結構です」
「あとねー、馬刺とモツ煮、エイヒレ」
指折り数えていく太宰の向こう側の席に座り、安吾は眉間をほぐしながら店主に「水を」と一言告げている。が、差し出されたグラスは太宰の手によって引ったくられた。
「太宰君!」
「あ、あとね、私コロッケ食べたい!」
「無視しないでください!」
「俺は咖哩 が食べたい」
「織田作さんのはいつものことじゃないですか!」
「いつもじゃない。朝と昼と夜だ」
「それをいつもと言うんです!」
そうなのか、と私は感心した。太宰もだが、安吾には知識がある。太宰の知識は情報取得によるものだが、安吾のそれは経験だ。どちらも重要で不可欠。二人が揃えば巨大組織を転覆させることだってできるだろう。
「勉強になる」
「良かったねえ安吾、織田作に褒められて」
「疲労で突っ込みが追いつかない……!」
安吾が頭を抱えた横で、太宰は酒の追加を頼み、さらにその横で私もまた二杯目を頼む。いつも通りの、小さなバーで過ごす夜だ。
そこは、私が気紛れに顔を出す店であり、そして彼が同じ頻度で顔を出してくる店でもあった。
歩き慣れたヨコハマの街、中心街からは離れた薄暗い路地に、その店はある。別段気にも留めないような小さなバーだ。灰色一色の外套を羽織っているかのような景色の中で、その店は少しばかり古びた看板に赤い光を灯して自らの居場所を私に伝えてくる。例えるなら、泥の中に落ちた蛍。身にへばりついてくる重苦しいものに苦しみながらも体内で化学光を発し、自分が生きていることを告げてくる。
……少し重い表現だろうか。
所狭しと並んだ建物の中で唯一光を宿すその看板の下の戸を開ければ、カランというベルの音が私を出迎えてくれる。店自体は地下にあって、私は薄暗い階段を降りていく。すると
夕日に似た
「やあ」
その数少ない席の中央で、まるで私が来ることを知っていたかのように彼はグラスを持ち上げて私に笑いかけてきた。
「先にやってるよ」
「太宰」
名を呼べば、丈の長い茶色の
「私が太宰。今更知ったのかい?」
「いや、随分と前から知っていた気がする」
「そりゃあね、君とここで飲み交わすようになって久しいんだもの、忘れられちゃあ寂しいね。……そういえばかなりになるねえ、私達がこの店に来るようになってから。もはやこの店のグラスのそれぞれの名前もそらんじることができる」
彼の隣に座りながら、私は太宰の横顔を見つめた。
「グラスに名前があるのか」
「あるよ」
太宰はカウンターの向こうの壁に並べられたグラスを順に指差した。
「メアリー、サンデー、オーガスト、ビリー、ジャスミン、トム、ジェリー。ちなみに私が今手にしているこれはナタリー」
「……そうだったのか」
私にはどれも同じに見える。太宰の目には私の見ているものとは違う景色が見えているのだろう。楽しげに見開かれた両目を見遣れば、太宰はこちらをチラと見て目を細めた。
「織田作は相変わらずだねえ」
「ああ、いつも通りだ。今日も子供達に襲撃された」
素直に言えば、太宰は「そういうところだよ」とよくわからないことを言う。何のことかと聞こうとしたのと同時に、店のマスターが私の前にグラスを置いた。琥珀色の蒸留酒だ。マスターに礼を言ってから大きな氷の浮かんだそれを手にし、軽く回す。
「このグラスの名前は何だ?」
「うーんとね、じゃあサクノスケにしよう」
「俺と同名か」
「素敵だろう?」
太宰はそう言って手にしていた酒を一口飲んだ。
太宰治。並外れた頭脳を持つ、元マフィア幹部。今は武装探偵社という会社で働いているらしい。出会った当時はまだ未成年だったが、今や後輩もいる二十二歳。時の流れは早い。
「安吾と連絡が取れてね、もう少ししたら来るはずだよ」
「安吾が来るのか」
「ヨコハマ出張だよ。おいでと言ったら『仕事が終わり次第向かいます』だってさ。仕事なんて途中で放り出してしまえば良いのに」
そうもいかないだろう。私は酒を口に含みながらもう一人の友人のことを思う。
坂口安吾。丸眼鏡が特徴的な、見た目通りの冴えた男だ。以前はマフィアに潜入捜査をしていたが、現在は東京で内務省特務課という秘密異能組織の一員として働いている。この街に予定があればついでに顔を出してくる程度だが、顔を合わせればすぐに幼馴染のように話すことができる貴重な相手だ。
「安吾は真面目だからな」
「真面目なんて損するだけだよ。うちの国木田君だって、真面目も真面目、大真面目。出社時間から退社時間までのみならず一日の全てについて秒刻みでスケジュールを組んで、それを実行しているんだもの。私には無理。予定を決めていたら美女と出会った時に
あーあ、と太宰は背もたれのないスツールの上で仰け反って伸びをした。
「今日だって爆弾が……ああッそうだよ織田作、聞いておくれよ!」
突然大切なことを思い出したかのようにガバリと上体を起こし、太宰がこちらへ身を乗り出す。
「爆弾! 爆弾だったのだよ!」
「何がだ?」
「今日の仕事! 通り魔事件の容疑者の家を捜索していたらね、何と床下から不発弾が出てきたのだよ! 不発弾! とうとう私の目の前に現れたのだよ不発弾が! これは私のために準備されたに違いないと思ってね、思わず抱き着こうとしたのだけれど国木田君に『俺の予定をこれ以上乱すな!』と止められてしまった。国木田君が予定を重視しなければ、私は今頃自殺完遂者として崇め奉られていたというのに」
「それは残念だったな」
「凄く残念だった。供え物の酒とおにぎりで毎日を過ごす計画だったのに」
太宰は酷く残念そうな顔で唇を尖らせた。私への襲撃が失敗に終わった子供達のような顔だった。
元マフィア幹部の探偵社員、そして元潜入捜査官の異能特務課職員。この二人と友人という関係を結んでいる私はというと、仕事と呼べる仕事はしていない。たまに太宰の同僚から太宰の捜索を頼まれたり、元職場から顔馴染みのおばちゃんの話し相手を頼まれたりしている他は、知り合いの洋食店の手伝いや孤児を養う施設の手伝いをしたりしている。つまりは何でも屋だ。
「子供達は元気かい?」
「ああ、すこぶる元気だ。今日は縄跳びの縄で足元を
「前に会った時は落とし穴に誘導されたんだっけ?」
「あれは流石にひやりとした。俺は、俺の行動によって引き起こされる事象については異能予知が遅くなるからな」
「織田作の異能を知らないというのに織田作を驚かせるとはね。その子達は見込みがあるよ」
ふふ、と太宰は楽しそうに言う。いつものことだが、この店で顔を合わせるこの男はいつも楽しげだった。まるで手に入らないはずのものを手に入れたかのように、彼は私にそのにこやかな笑顔ばかりを向けてくる。泣きそうになっている自殺志望の子供の面影などどこにもない。ここにいるのは目の前の事象を楽しげに見つめる自殺志望の青年だ。数年前とは大違いだった。
「抗争で親を失った子供達を見守る会、とかいう団体は実際のところどうなの?」
「悪くない」
一言で簡潔に返してから、私はグラスの中の酒を飲み干した。
「設備にも問題はないし、食事もちゃんとしている。寄付金は正当な募金によるもので、裏金の類いではなかった。前会長の横領を探偵社が突き止めたおかげで環境が良くなったと職員達が喜んでいる」
「ポートマフィアとの癒着が囁かれていた議員が暗殺されて、その事件を追った結果の副産物だけどね」
「それでも感謝している。おかげで予定より早く子供達が手を離れた。それにその件があったから俺はポートマフィアを抜けられた」
私は自分の手を見た。拳銃を握り慣れた手だ。過去に人を殺めてきた手だ。そして今は、子供達の襲撃ごっこに付き合ってやるための手だった。
「
「森さんは最適だと思った手間しかしない人だからね、寡黙な近未来予知能力者を殺すために部下を大量消費するより、近場へ野放しにした方が良いと判断したのさ」
「そうか。……お前は
「そりゃあね」
全てを理解しているかのように太宰は笑う。
「私ならそうしていたから」
その言葉は私の耳に強く残った。太宰の、その頭脳の明晰さを的確に表現している言い方だと思った。
カラン、と聞き慣れたベルの音が聞こえてきたのはその時だ。
「来たね」
太宰がその姿を見る前に言った。私も同意見だった。
コツ、コツ、と靴音を鳴らしながら来店者は階段を降りて私達の視界に現れる。前髪を撫であげ黒スーツを着こなした、丸眼鏡が印象的な青年だ。
「やあ」
太宰は私が来店した時のようにひらりと片手を上げた。
「調子はどう? 安吾」
「すこぶる元気ですよ」
安吾はにこりともせずに言った。そして、ふと宙を眺め回す。
「おや、照明を新しくしたんですか? 店内が以前よりも明るい気がします。チカチカしていますね」
私は店の天井を見上げた。穏やかな橙色の光が太陽光のように絶え間なく灯っている。点滅はしていない。
「そうか?」
「安吾、聞いてはいけないことかもしれないしそれをわかった上で
太宰は何かを隠すようににこりと笑んだ。
「何徹目?」
「まだ二です」
「……まだ?」
「予定ではあと二日程は二十四時間労働することになると思います」
安吾は丸眼鏡を指で押し上げて言った。いつもと変わらない、冷徹さすらをも窺える几帳面な声だった。
「この程度の困難は慣れたもの、大したことではありません」
鋭い眼差しは秘密組織の一員らしく、緊迫感がある。
「こりゃ駄目だ」
太宰がからりと笑った。
「マスター、安吾に一杯。二徹目の人が朝起きれなくなるようなやつ頂戴」
「終電で帰るので酒は結構です」
「あとねー、馬刺とモツ煮、エイヒレ」
指折り数えていく太宰の向こう側の席に座り、安吾は眉間をほぐしながら店主に「水を」と一言告げている。が、差し出されたグラスは太宰の手によって引ったくられた。
「太宰君!」
「あ、あとね、私コロッケ食べたい!」
「無視しないでください!」
「俺は
「織田作さんのはいつものことじゃないですか!」
「いつもじゃない。朝と昼と夜だ」
「それをいつもと言うんです!」
そうなのか、と私は感心した。太宰もだが、安吾には知識がある。太宰の知識は情報取得によるものだが、安吾のそれは経験だ。どちらも重要で不可欠。二人が揃えば巨大組織を転覆させることだってできるだろう。
「勉強になる」
「良かったねえ安吾、織田作に褒められて」
「疲労で突っ込みが追いつかない……!」
安吾が頭を抱えた横で、太宰は酒の追加を頼み、さらにその横で私もまた二杯目を頼む。いつも通りの、小さなバーで過ごす夜だ。
