人形兵器の夢と目覚め
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クリスはギルド本拠地とヨコハマを自由に行き来している。それは彼女へ知識を与えるためでもあった。クリスが本国を離れ異国の地に赴いている理由の一つだ。
彼女がギルドの一員としてこの港街に降り立ったのはフィッツジェラルドの思惑でもあり、取引内容でもあり、彼女の存在意義でもあった。つまりクリスはこの三組織戦争の戦闘員ではない。切り札――もとい非常時の便利道具の一つだ。
それを使う時が近いかもしれない。
「ポートマフィアに情報を流した」
トン、と指先で机上を叩き、フィッツジェラルドは眼前に立つ少女へと告げた。
「今にポートマフィアが刺客を向けてくる。こちらが意図的に流したギルド構成員の行動予定情報を参考にしてな。その作戦を逆手に取り、人質を一人手に入れる。――君がそれを捉えに行け」
「……わたし、ですか」
通常ならばきょとんとするのだろう無表情で彼女は言う。
「わたしは切り札なのでは?」
「そろそろ総力戦になる。悔しいことにな。この辺りで詳細不明の戦闘員を登場させておけば敵の情報錯乱になる」
つまり囮だ。本性のわからぬ彼女の投入で敵は混乱し、その捜索に時間と人手を割く。その隙に先手を打つのだ。
予想外なことに遠征に来た構成員のうち一人が死に一人が重症を負った。もう一人も暫くは目覚めないだろう。無視するにしてはこれらの事実は重すぎた。
この組織に所属するものは全てフィッツジェラルドの私物同然だ。それを壊されたとあっては黙ってはいられない。
「了解しました」
嫌な顔一つせずクリスは答える。人間というよりも道具に近いそれを誰もが『人形』と呼んだ。そのことに対して彼女自身が何かを言うことはない。それはおそらく、彼女の絶対君主である上官自身が彼女を人形と称しているからだ。そしてそのことに異論を唱える人間はどこにもいない。
彼女は人形だ。人と同じ姿を持つ、人形。命とも数えられぬ無機質な物体。これほどその言葉が相応しい存在がこの世にあるだろうか。
「人質は捉え次第こちらに引き渡せ。その後追っ手が来るだろうが、適当に叩いておけ」
「はい」
素直な返事は軍人のものよりも気迫がなく単調で、そして心地良い。苛立っていた心も落ち着きを取り戻しつつあった。組織の要たる自分が重い心地のままでは作戦に支障が出かねない、少しばかりの気分転換にワインボトルでも出すか。
立ち上がり、すれ違い様にその頭へと手を置く。他愛無いことだ、飼い犬へのご褒美のような、ついつい手を伸ばしてしまうあれだ。意味はない。親愛もない、
けれど。
「……マスター」
その声はフィッツジェラルドを呼ぶ。
「一つ、お伺いしたいことが」
「何だ」
「心とは、何ですか」
そちらを振り返った。窓辺に、それは佇んでいた。
人形だ。亜麻色の髪、青の目。白のブラウスに紺のスカート。着飾るでもない質素な人形がそこにある。
胸に当てた手で服を握りしめて、顔を少し俯かせて、立っている。
それが――知るはずもない単語を口にした。
心。
「……心、だと?」
「わたしには心があるのだと教えてくれた人がいるのです。ですがわたしには、そのようなものはありませんでした。なかったのです。なのに、最近、こうして…気持ち悪いような、日差しのような、知らないものがここにあって」
ぐ、とその拳が握り込まれる。
「でもすぐに消えてしまうのです。あの日も、今も……長くは続かない。覚えようとしても、形取ろうとしても、できないのです。説明もうまくできず……このままではこの異常を報告することができません。心とは何かを知ることができれば、それを報告し対処することができるのですが」
この人形は、と見つめる先で彼女は服の胸元を握り締めて俯いている。胸の中にあるのだという感覚に戸惑っている。
――そう、戸惑っているのだ。
目を伏せ、眉を寄せ、視線を泳がせて口端に浮かぶ言葉を全て吐息に変えながら――戸惑っている。
戸惑い。それは、無機物にできるはずもない行動。
そうか、そうなのだ。
彼女は。
「……ほう」
ならば、これは大層面白い事象なのではないだろうか。思い出すのは彼女の上官だった。これは人形だと躊躇いなく発言した彼が今の彼女を見たら、一体どのような表情を浮かべるだろうか。
ふと思いついたその発想にフィッツジェラルドは微笑む。なるほどそれは確かに興味深い。やってみる価値はあるだろう。
「心とは何か、か」
先程通り過ぎてきた道筋を戻り、机の上へ手を置く。クリスが見つめる先で天板の下側へと手を差し入れ、そこにある引き出しを開けた。思った通りのものがそこにある。そのうちの二つを取り出し、机の上へと置く。一つは立方体、もう一つは直方体の、どちらも滑らかに毛羽立った装飾品ケースだ。
立方体のそれの中を開ける。緩やかな曲線を絡み合わせたデザインの指輪が白の中に嵌め込まれていた。それを摘んで取り出し、無造作に机の上に置く。同じように直方体の箱からはネックレスを取り出した。銀の細い鎖に小粒のダイヤが揺れる華奢な代物だ。が、宝石には用がなかった。
鎖の端を取り外してダイヤを引き抜き、代わりに指輪を通す。指輪のネックレスが出来上がった。鎖の接続部を繋ぎ直してその部分を摘み持てば、ダイヤよりも大きく重い指輪は鎖と共に数度円弧を描きながら揺れる。
クリスは黙ってフィッツジェラルドの手元を見ていた。疑問の言葉一つ漏らさなかった彼女へと、フィッツジェラルドはそれを突きつける。再び指輪が円弧を描いて揺れた。
無言で行われたそれを、彼女は理解できなかったらしい。「これは何ですか」と問いを口にする。
「振り子だ」
フィッツジェラルドの答えに「振り子」とクリスは復唱する。おそらく困りきっているのだろう彼女へと頷いた。
「妻のために買ったネックレスと指輪だが、電話口で話しただけで断られた。銀より金、清楚なものよりゴージャスなほうが良いのだそうだ。数日前とは真逆の発言だが、何、いつもの可愛いわがままだよ。――心とは振り子だ。指先で常に持っている振り子のことだ」
つまみ持っている鎖の先で、指輪は小刻みに震えている。止まることはない。指先には血管が通っている、その振動だ。生きている限り止まることのない振動、それが鎖へと、そして指輪へと伝わり目の前に見せつけてくる。
「これが心だ」
フィッツジェラルドは言った。手を一度強く振れば、再度指輪は大きく揺れた。しかしやがて揺れは小さくなり、また小さな振動へと収まる。その様子を見せつけるようにクリスの眼前で繰り返した。
指輪が跳ね、揺れ、そして収まり振動に震えるだけになる。何度も何度も、それが繰り返される。
「君は先程『すぐに消える』と言った。消えるのではない、感知できなくなるだけだ。心は常に震えているが細かすぎて感じ取れていないのだよ。そして感じ取れるほどに揺れれば気付ける。それが感情だ。悲しく悪い方へ揺れることもあれば嬉しく良い方へ揺れることもある。振動が小さい時もあれば三百六十度回転するほど大きい時もある」
説明に合わせて指輪を揺らす。左へ、右へ、そしてつまみ持つ指を中心に一回転――その動きを見逃すまいとばかりに、青の目は指輪を追っていた。その全ての揺れがやがて静まり小さく振動する状態に戻った後も、その青は指輪を食い入るように見つめている。
「そしてどちらも時間経過で鎮まっていく。――君は心の動きを感じ取るセンサーが鈍いのだろう、だから少しの揺れもなかったことになり、大きな揺れもすぐに感じ取れなくなる。ただそれだけのことだ」
「……心は、いつも、ある……?」
「無論だ。君が人間なら、心が消えることはない。折れたり失くしたりとは言うが、それはセンサーの感度が変わったり鎖が絡まったりしているだけだ、心という振り子は決して人間の中から消えることはない」
指輪と鎖を手の中にしまい、そのままクリスへと向けた。が、クリスはそれをただ見つめるだけだった。「手を出せ」と言えば、ようやくフィッツジェラルドの意図を理解したのか両手のひらで水を掬うように広げて合わせ、差し出してくる。それへと手の中の物を乗せた。
「やろう。俺にはもう必要のないものだからな」
突然のそれは、彼女でなければ相当困る申し出だっただろう。
「……ありがとう、ございます」
けれど彼女は両手をそっと握り、そこに置かれた不可解な物を包み込んだ。形ばかりの礼はそういう時に言うべき言葉だから発されたものだ、おそらくクリス自身は全く有り難くは思っていまい。むしろ先程のフィッツジェラルドの説明も理解はしていないだろう。それでも構わなかった。楽しみなのは今ではない、今後なのだから。
クリスは先程フィッツジェラルドがしたように鎖の両端をつまみ持って掲げた。震え続ける指輪を見つめ、そして強く手を動かしては揺れる指輪の動きを観察する。
「…これが、心」
「良い勉強になっただろう」
揶揄うように言うも、クリスがその真意に気付くことはない。ひたすら目の前の見慣れない玩具を見つめるだけだ。
「あの」
ふと、指輪から離れることのなかった青が動きフィッツジェラルドを捉える。やはり感情の見えないそれを見開くでもなく細めるでもなくそのままに、クリスは小さく呟いた。
「……どうして、教えてくれたのですか。これは任務ではありません。わたしの個人的な話です。お断りされても良かったのですが」
鼻で笑う。無論、ただのお節介ではない。言うならばお遊び、暇潰しだ。
「これほど面白いことはないからな」
青を見返す。そこにあるのは確かに青だ。空の色というよりも海の色に近く、海の色というよりも湖の色に近い青、そして沼の色に似ていた。けれど今は違う。顔を上げたせいか、そこに窓からの日差しが差し込んだせいか――沼の色は透き通り、底知れぬ湖面と化していた。青だ。それも、そばに佇む木々の深緑をも反射し映し込んだ、青と緑が隣り合う眼差し。
これが、この少女の本来の色。
この色を彼女の上官は知っているのだろうか。知らないのだろう。知っていたのなら、彼女を人形とは称さない。
あえて称すのならば、美――どのような画材でも表現しきれない、写真でさえも切り取りきれない、見る者の心を奪う至高の芸術。
神秘なる湖畔そのものだ。
「何、余興だ」
フィッツジェラルドの答えにクリスは一呼吸分黙り込んだ。
「……余興?」
「そうだ、リトルレディ」
思わず笑う。見開かれた目を、傾げられた首を、「きょとんとした」と表現するしかないその表情を一瞥した。
高級ホテルの一室、空と海が隣接する海辺を切り取る窓辺――そこに佇む一人の少女を見遣った。
「人形兵器の顔が感情を表現したんだぞ。驚かんはずがないだろう?」