人形兵器の夢と目覚め
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その後、急ぎ敦を奥へと匿い、武装探偵社は突然の来訪者を受け入れた。社を買い取ろうとしたギルドは福沢の拒否を受けて退去するも、翌日に異能攻撃を開始。賢治やナオミを異能部屋に引きずり込み、探偵社から人員を奪う作戦で揺さぶりをかけてきた。が、その目論見は敦によって防がれ、福沢の指示により事務員は全員県外へ避難、社員は拠点を移して身を潜めることとなった。同時期にギルドはポートマフィアへも異能攻撃を行い、ヨコハマの様相は三つ巴と化している。
探偵社、ギルド、そしてポートマフィア――三社による異能力戦争の開始だ。
人気のない見慣れた社内で一人、国木田は立ち尽くしていた。電気はついておらず、電話が鳴ることもない。自身の呼吸音すら聞こえる静けさの中で、首を回して社内を見渡す。
先日のことを思う。
突然現れたギルドの長、目をぎらつかせながら去り際に福沢へと言い放った挑発、そして。
――ああ、俺達よりも先に来客がいたようだな。これは失礼した。
そこにいた少女へと男は悠然と笑んだ。初対面の無関係者へと向けるものではないように思われたあれは、一体何だったのだろうか。
扉の開閉音が聞こえてくる。そちらを見、国木田は現れた人影を認めて眉間のしわを深めた。この数日、毎日のように顔を出してきていたのだ、今日もそうするだろうとは思っていたが一体何を目的に探偵社へ通っているのか皆目見当もつかない。こうして予想通りに顔を出してきたというのに安堵よりも違和感ばかりが強調される。
「……やはり来たか」
国木田の呟きに、扉を開けて顔を覗き込ませてきた彼女は数度瞬きをした。
「お一人ですか」
「今はな。今後暫くは無人になる」
「倒産ですか?」
「縁起の悪いことを言うな」
その無表情の目で社内を見渡した後、クリスはいつものようにトトトと部屋へと入ってきた。当然のように国木田の前で立ち止まり、そして見上げてくる。外からの弱い陽光を受けて彼女の髪が麻糸のように薄く透き通った。その下にある頬には紅の色はなく、肌触りも固いものを思わせる。やはり人形然とし過ぎている、少しばかり気色が悪い。
「聞け」
腰に手を当て、疑問も戸惑いもない青を見返す。
「今、外部組織により探偵社は危機に陥っている。この危機を脱するため、俺達は拠点を移すこととした。故にここは今日から無人だ。お前も来るな。敵に駒として利用される可能性がある」
「危機」
「そうだ。詳しいことは言えん。ただ『ここには来るな』、それだけを理解しろ」
イエスかノーか、そういった問いかけへの答えはいつも早いのがクリスだ。が、国木田の言葉に彼女は何も言わなかった。ただ、見上げてくる。青の目で国木田をじっと凝視してくる。
青。ぬめる湖底の、泥に汚れた湖のような青。引きずり込まれたのなら抜け出せないであろうほど、深く、重く、暗い色合い。
目を逸らさずにいられたのは数秒だけだった。
「……言いたかったのはそれだけだ。わかったのなら今すぐ帰って」
「……ぜ」
声が、聞こえた。
「なぜ」
そちらを改めて見る。見下ろした先で、やはり重苦しい青が見張るでもなく細めるでもなく、真正面から国木田を見つめている。
「なぜ、わたしにそれを教えてくれるのですか」
珍しい事態だった。
クリスから問いを向けられることは確かにあったが、それは目の前の物体の名称を問うものばかりだった。それ以外の会話といえばいつもイエスかノーか、それとも黙り込むか――それだけだったのだ。
未だに彼女が探偵社へ顔を出しに来る理由もわからないし、何度「書類に触るな」と言い聞かせたかもわからない。その上で機密書類へ手を伸ばそうとするのを何度も寸前で引き止めてきた。太宰に絡まれても何も言わず、奴に握られた手を黙って見つめ続けている。何を考えているのかわからず、彼女も相互理解に努めようとしない。それがクリスという少女なのだった。
そうであるはずだった。
「なぜですか」
けれど今、彼女は理由を問うてきた。ならばそれに真摯に答えるのが正しさか。
「お前を危険に巻き込まないためだ。それに、顔を出しに来て誰もいなかったら驚くだろう」
「驚く……」
「驚くだろう、普通」
国木田の言葉にクリスは首を捻るでもなく黙り込む。そして数秒後、こくりと一つ頷いた。
「はい。恐らく、それが普通のことです」
奇妙な言葉遣いだった。
「わたしを危険に巻き込むのは駄目なことなのですか?」
「当然だ。お前は無関係なのだからな、それに」
それに。
「……それが俺の理想だからだ」
拳に力が入る。思わず視線を逸らす。
戦争だと福沢は言っていた。組織間の争いがどのようなものか、国木田にもわかっている。それは構成員への被害だけで済むとは限らないものだ。もしかしたら無関係の市民へも危害が及ぶ、そういうものだ。
平穏を掻き乱すものだ。
それを、自分達はしようとしている。
「俺達はお前達を危険に晒すことはもちろん、不幸に晒すべきではないのだ。何があってもそれだけは防がなくてはならん。市民全員がつつがなく幸福を享受する――誰も殺されず、誰も憎まず、誰も苦しまぬ、そういう街を、世界を作る。それが探偵社のすべきことであり俺の理想なのだ」
理想、と少女が呟く。それは文字を読み上げるだけの響きを有していた。言葉の意味を理解していないのだろう。「夢のようなものだ」と補足するも、クリスの顔には納得したような様子は見られなかった。そもそも話を聞いているのかすらわからない。徹底した、それこそ無機物に話しかけているかと思うほどの人形ぶりがそこにある。
そもそも、と国木田は思う。
彼女に感情はあるのだろうか。
国木田の「ここには来るな」という言葉に、クリスの顔色は全く変わらなかった。瞬きの回数も呼吸の頻度も変わらなかった。あれほど毎日来ていたというのに悲嘆の欠片もなかったのだ。宅配業者に同じことを言ったとしても、突然どうしてなのかという怪訝そうな顔をくらいはするだろう。しかし彼女には何もなかった。
それがどうにも、落ち着かなかった。
自分は誰に――否、何に話しかけているのだろう。
軽く頭を振る。それ以上考えると良くない思考に至りそうだった。
「話はそれだけだ。今後ここには来るな。わかったか」
「はい」
今度は沈黙を挟まずクリスは答えた。切れの良いその返答はこちらの迷いすらも断ち切ってくれるように思えて心強い。少しばかりの安堵を覚えつつ、国木田は「なら良い」と頷いた。
「すまんな」
――それは他愛ないやり取りの一つだった。
少しだけの謝罪の言葉と共に、少女の頭へと手を置く。それは聞き分けの良い子供へとどめとばかりに言い聞かせた内容を守らせるためのおまじない、そんな意味合いの、何と言うこともない動作だった。
そのはずだった。
乗せていた手を外し、彼女に帰るよう伝えようとした瞬間――クリスは自らの手を自身の頭へと置いた。
そこにあったものを疑うように。
そこにあったものを確かめるように。
「……こ、れは」
呆然と彼女は顔を上げる。大きく見開かれた目が揺れ、唇がわななく。
――動揺、そして。
「これは、何ですか」
――青。
息を呑む。そこに現れた色へと瞠目する。
青があった。水に似たそれは、ガラス板を角度を変えて組み合わせた細工品のように輝いていた。それも単色ではない。箇所によって深みの違う青が、そしてそれを彩るような深緑が、陽光を受けて煌めいている。深く清く、木々を映し込んだ――湖畔の色。
これは沼の色ではない。泥の色ではない。人形のガラス玉ではない。
陽光や風、時間で色味を変える、大自然の色だ。
「これは何ですか」
クリスは声を震わせた。
「平常時と明らかに異なっています。異常感知、緊急時対応要求……おかしい、おかしいのです。これは……」
クリスの手が胸へと移動する。そこに何かがあるかのように、さすり、掻き、掴む。
「心臓でしょうか。心臓がひっくり返ったのでしょうか」
「んなわけがあるか」
「でもおかしいのです」
震える声で、しかし切羽詰まった様子で早口に言いながらクリスは胸の辺りを触り続けている。視線は揺らぎ、焦点は定まらない。
――初めて見る、彼女の様子だった。
「言語化困難な事態が発生しています。ここに……何もなかったはずなのに、今、あなたが頭に手を触れた時、何かが確かに……臓器の異常です。危険です。他の人物から触れられた時と似た症状ですが、先日より明らかに悪化しています。早く治療を要求しなければいけません」
焦りを隠すことなくクリスは言った。救いを求めるように国木田を見上げてくる。その眼差しを、見開かれた湖畔の色を、呆然と見返した。
感情。
これは、確かに感情だ。
人形が表せるものではない。プログラムできるものでもない。確かに彼女の頬は紅潮し、目尻に涙が浮かび、目には色が宿り、唇がわななき、声は震え時折裏返っている。
戸惑い、驚き、狼狽え、混乱。
感情が、そこにある。
「……お前、まさか」
そうか、とようやく知る。彼女は無表情なのではない。無感情なのではない。無論、人形でも機械でもない。
感情を、表情を、今まで知らなかっただけなのだ。
そんなことがあるのだろうか。心を知らずに生きてきたなどというのが、本当にあり得るのだろうか。
彼女は、一体何なのだろうか。