人形兵器の夢と目覚め
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[感知く《きづく》]
次の日もクリスは探偵社に顔を出してきた。与謝野に一通り案内されたというのに、今度は何を目的に来たのだろうか。
「就業時刻きっちりに現れるとは……太宰に見習ってもらいたいくらいだが」
「嫌だなあ国木田君、今日の私はちゃあんと探偵社に来たじゃないか」
「朝から女性への聞き込みが予定されていたからだろうが」
カタカタと手元のパソコン作業を進めつつ国木田は向かいに座る太宰を睨みつける。あーらら、などと軽い合いの手を打ちながら、太宰は片手をひらひらと扇ぐように動かした。
「とか言ってえ、私が時間通りに出社してきたのがちょっと嬉しいくせに」
「そんなことはない。これが当然だ、明日からも励め」
「それは嫌」
「即答するな!」
「朝は首吊りの日課があるもの。今日も聞き込みが終わったらそっちに行くつもりだし。国木田君に外せない日課があるのと同じく私にも重要な日課があるのだよ。毎日同じことをすることで気分を上向かせ体調を良く保つのさ。それを止められるのは死活問題だ、国木田君ならわかってくれるだろう?」
「そ、そう言われると強く言い返せんな……」
後ろから「言い返せないんだ……」という谷崎の苦笑いと「国木田さんらしいですね」という賢治の声が聞こえてきた気がするが、気のせいだろう。日課は大切だ、毎日を理想的に過ごすにあたり欠かせないものの一つである。他人が口を挟めるものではない。
「というわけでこれから日課のサボりだから、クリスちゃんもおいで」
と、太宰がいつの間にか席を立ち、応接間付近を彷徨っていたクリスへと跪いてその手を両手で握っている。
「今日は南西に吉があると見た! さあ行こう! 昨日のサボり日課の間にとても良い高さの建設現場を見つけたのだよ!」
「行かせるか!」
「うぐおぅ!」
素早くその背に立ち頭を叩く。顔を床にのめり込ませる勢いで太宰がつんのめる。そのままめり込んでしまえば少なくとも今日一日は社内に留め置けたのだが、仕方がない。
「何でも日課だと言えば許されると思うな!」
「日課なのに」
「サボりの常習犯なだけだろうが!」
なぜ毎朝こうして太宰を怒鳴らなければならないのか。嫌な日課である。
ふと、国木田は顔を上げた。尻を突き出して床に伏せる太宰を見下ろすように、クリスが佇んでいる。けれどその青い目は太宰を見ていなかった。
自分の手を見ていた。
――太宰が掴んでいた手だ。
「クリス」
名を呼ぶ。ゆっくりと顔を上げた彼女と目が合う。そこにあるのは、やはり人形のような無表情だった。
「我慢する必要はないぞ。嫌なら嫌と言え、さすがのこいつも一度拒絶されればこれ以上セクハラめいたことはせん。そのくらいの分別はある男だ」
「……我慢」
何のことかと言わんばかりに彼女は復唱する。まさか我慢というのがどういうものかすら知らないというわけではないだろう。太宰の行為をどう思っているのか、そのくらいはあるはずだ。
けれど彼女はイエスともノーとも言わなかった。言わないまま、黙り込んでいた。沈黙、さらに沈黙。それは誰かが誰かの発言を待つために生じたものではなかった。ただの、無だ。誰が何を言うでもない、夜の静寂ほどに心地良いものでもない、ただ気まずいだけの。
酷く、重かった。
それを跳ね飛ばしたのは騒々しい足音だ。
「おはようございます!」
バァン、と扉を開け放ち敦が飛び込んでくる。その顔は切迫していた。
「どういうことですか太宰さん!」
「やァ敦君、おはよう」
「ゆ、床で寝てるなんて珍しいですね……じゃなくて!」
行き場のない感情を両手の指に宿してわなわなと震わせ、飛びかかる勢いで敦は太宰へと叫ぶ。
「同棲なんて聞いてませんよ!」
――どうやら鏡花との同棲という事実に今ようやく驚いたらしい。
無論、男女の同棲など国木田が認めるわけもない。が、相手は鏡花、敦がどれほど彼女のことを大切にしているかはわかっているし、鏡花もまた敦に一際心を許している。鏡花本人に確認も取ってあるのだ、ひとまずは問題ないだろうという結論に至ったのであった。それを決定した理由の一つには「太宰が敦で遊ぶため」というのもあるが、この点に関しては止める必要も感じられない。
というわけで今目の前で太宰が敦を丸め込んでいるのも傍観である。それよりも重要な仕事が山のようにあるのだ、気にしてなどいられない。
「おい太宰」
太宰に言いくるめられ意気揚々と鏡花との同棲を承諾した敦を横目に、国木田は太宰へと声をかけた。
「早くマフィアに囚われてた件の報告書を出せ」
「良いこと考えた! 国木田君、じゃんけんしない?」
「自分で書け」
なぜこいつはこうもサボり方を思い付くのが早いのだ。
国木田に断られた太宰はというとすぐさま敦へと向き直り、その小綺麗な顔に凛とした笑みを浮かべながら「敦君、今日は君に報告書の書き方を教えようと思う」とほざく。さすがの敦も勘づいたようで、顔を輝かせて「お願いします」などと言わなかったのは幸いか。頬を引き攣らせた敦に、太宰は少しばかり不満そうに唇を尖らせて「ちぇ」と舌打ちした後、ふとその表情を真面目なものに変える。
「君にも関わる話だよ」
「え?」
「君に懸賞金を賭けた黒幕の話だ」
「わかったんですか!」
勿論、と太宰は頷く。暫く不在だった間何をしていたのかと問うた際「ポートマフィアに捕まっていたのだよ」とあっさりと言われた時は腰が抜けたかと思ったが、あの組織から五体満足のまま無事に抜け出せたのだからさすがは太宰と言うべきなのだろう。がしかし、ちゃらんぽらんが一人で抜け出せるような組織ではないのも確かだ、それも他組織とのやり取りの記録を覗き見るなどという大胆なことをした上での無傷での生還は些か疑わしい。後々その点について詳しく問い詰めようと思っている。
とはいえ今はその話を持ち出す時ではない。
「マフィアの通信記録によると、出資者は」
太宰がそれを口に出そうとした、瞬間。
「――あつし」
声が、聞こえた。
「なかじま、あつし」
掠れた、泣き出す前の子供のような微かな声。
そちらを見る。太宰の話を真剣な面持ちで聞いていた敦が、突然の呼び声に驚いた顔で立っている。そこへと歩み寄る細い足、ふわりと広がる紺のスカート。
「あなたが」
伸ばされる手が、敦の頬へと触れる。
「あなたが、虎の子。全てを導く、唯一の」
クリスだった。気配を消すかのように黙って話を聞いていたクリスが、敦へと触れ、捉え、その作り物めいた顔を近付けている。
「見つけた」
冷めた青が、敦を捉えている。
時が止まる。広がった紺が足元の影を引き伸ばし、窓から差し込んだ日の光が白のブラウスを照らし、亜麻色が金に輝く。
息を呑む。凍りつく。感嘆と緊張が全ての動きを止める。
冷気が背筋を這う錯覚。
「……君、は」
敦が戸惑いをそのままに囁く。それに答えず、クリスは何かを続けようと唇を動かす。
――何も聞こえなかった。
「離して」
凛とした声が静寂を破いたのだ。
「この人に触らないで」
敦に触れていたはずのクリスの手が掴み上げられている。彼女よりもさらに小さな手。
鏡花だ。
ぐ、とクリスの手首に指を食い込ませながら鏡花はクリスを睨み上げる。それをクリスは静かに見下ろしていた。怒りはない。驚きはない。目を疑うほど静かな青が、激情を宿しつつある群青色を見据えている。
二つの青。空と海のような、花と水のような、全く異なる色味の青が二つ――交わる。
「理解しました」
堅苦しい言葉とともにクリスが頷いた。クリスが手を下ろし、それに従って鏡花が手を離す。爪の痕の残った腕を、クリスは見下ろした。
そこでようやく、国木田は息を吐き出した。そして今まで息を止めていたことにようやく気付いた。見れば太宰もまた、目を見開いて呆然としている。他の社員も同様だった。
今のは、何だ。
まるで――一瞬だけ世界が切り替わったかのような、夢の中にいたかのような、奇妙な浮遊感。この感覚を知っている。何度も感じたことがある。それは本を読み終わった時に知るものであり、ドラマを見終わった時に感じるものであり、映画を見終わった時に気付くものだ。
世界の切り替わり。
ここがどこであるかも忘れてしまうような没入感、それが終わり我に返った際の疑似的な浮上感。
なぜ、今、それを感じたのか。
考え込む暇はなかった。
突如豪風が窓をガタガタと激しく鳴らす。天候の悪化ではない。轟音と共に聞こえてきたのは機械が発する騒音。
プロペラの回転音だ。
「た、大変です!」
ちょうど席を外していた谷崎が焦った様子で部屋へ駆け込んでくる。太宰が窓辺へと駆け寄る。誰もがそれへ続き、窓へと張り付いて外の様子を見る。
そこにいたのは一機のヘリだった。このような市街地に降り立つはずもないそれが、探偵社の目の前の道路を塞ぐように降り立ち、その腹から人を降ろしていく。真っ先に降りてきた人影へと国木田は目を凝らした。見知らぬ男だ。撫でつけられた金髪にしわのない白いスーツ、まるで余裕だと言わんばかりの悠然とした笑み。
誰だ。
「先手を取られたね」
太宰が神妙に呟く。
「どういう意味だ」
「先程の話の続きさ。敦君への懸賞金の出資者が誰かという話」
窓の外からこちらを見上げて笑む男へと、太宰は目を細める。真剣かつ剣呑な横顔がそこにあった。
「あれがそうだよ。フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド――北米異能集団ギルドの団長だ」