人形兵器の夢と目覚め
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***
数分後。
太宰はクリスという少女と共に喫茶うずまきに留まっていた。
クリスという少女はイエスかノーか以上の会話をしなかった。珈琲が運ばれてきてからも黙り込み続けている。珈琲が飲めないのかと訊ねれば「いいえ」と言い、じゃあ飲みなよと言えば「いいえ」と返してくるだけだ。もはや湯気の立たなくなった珈琲を前にその青い目でじっと眼前を見つめているだけ。奇妙な少女に与謝野も戸惑いを隠せなかったようで、困ったように太宰を見遣ってきた。元より与謝野には急ぎの仕事がある。そこで、太宰が彼女の接待――というよりはもはや世話か――を代わりに引き受けたのだった。
さて、と太宰は少女を見遣る。その言動を思い起こし、仮説を立てる。
「クリスちゃん」
名を呼ぶ。すると彼女は、ぱっとこちらへと顔を上げる。名前への反応は早いようだ。
ならば。
「珈琲、飲めるんだよね」
「はい。問題ありません」
「そう」
じゃあ、と仮説に基づいた一言を、告げる。
「――その珈琲、飲んで良いよ」
それは、あえて声に出す必要もないはずの言葉。
「了解しました」
けれど少女はその一言を待っていたかのように即座に頷いた。先程までその気配すらなかったというのに、躊躇いなくカップを持ち上げて口をつける。
――なるほど。
彼女を一目見て、わかったことがある。そしてこうして少しばかり彼女の様子を見て、それは確信へと変わった。
不明な点は少しだけだ。
「ねえクリスちゃん」
数口に分けて珈琲を飲んでいた彼女の手が止まる。促すように視線を向けてきたその青へ、太宰は率直に問うた。
「君はどこから来たの?」
「米国です」
素っ気なさすらも感じ取れるほど素早く簡素に、彼女は答えを返す。そして再度カップへと口をつけた。どうやら全てを一気に飲み干すつもりらしい。味わう気はないようだ。
「珈琲、飲めるんだね」
「問題ありません」
「美味しかった?」
「美味しいものなのだと聞いています」
空になったカップをテーブルに置き、クリスは声音を変えずに答える。何かを隠すでもない、誤魔化すでもない、本心からの回答だ。
「与謝野先生も私も、ここの珈琲は美味しいとは確かに言ったよ。けれど今聞きたいのは君の感想だ。どうだった? 美味しかった?」
クリスはカップへと目を落とした。視線の揺れはない。ただ一点を、穴が開くほど集中的に見つめている。動揺はない、戸惑いもない。
あらゆる感情がない。
「わかりません」
「わからない?」
「味はよくわかりません。わたしには『美味しい』がわかりません。それがどういうものなのかは把握していますが、わたし自身にそれは存在しません。なのでお答えすることは不可能です」
それは「味覚がない」ということだろうか。それとも味に関する感想を抱きづらいということだろうか。
むしろ、と太宰は目の前の少女を見つめ続ける。
むしろ彼女は――それを必要としていないのではないだろうか。
機械じみた応答、感情の見えない顔、あらゆる出来事に対して感想の一つも口に出してこない異常さ。米国から来たという少女の、その本性、それは。
「……ねえクリスちゃん」
名前を呼ぶ。それにすらも、彼女はイエスとノーを答えるのと同じ速度で顔を上げて口を開く。
「はい」
「君の本当の呼び名は?」
――沈黙。
それは驚きでも躊躇いでもない。物置の中のがらくたが発するのと同じもの。誰も何も言わず、聞こえてくるわけもない、当然の静けさ。
なるほどね、と太宰は肩をすくめる。
「答えるなとは言われていない内容なのかな。でも答えて良いとも言われていないから、君はそれを私に教えることはできない。どう?」
「はい」
「ならこれ以上それについては聞いても無駄か。話を変えよう。次の質問だ」
テーブルの上に両肘をつき、両手を組む。身を乗り出し、少女へと顔を寄せる。
「――君を管理しているのは誰?」
「上官です」
「上官って?」
「お答えできません」
今度ははっきりと拒絶を口にし、クリスは口を閉ざした。当然と言わんばかりの沈黙、決められたことを繰り返しているだけの機械じみた行動。
まるで機械人形だ。
「……そう」
太宰は薄く微笑んだ。ある程度予測は立った。これ以上は彼女自身に聞いても答えてもらえないだろう。確信が持てないままになっている事項は、もし自分が彼女の「上官」なら言うなと口止めするであろう内容ばかりだからだ。
彼女の「上官」はかなり頭の回転が早いらしい。「上官」という言葉までは相手に伝えても良いとしたのは、太宰のような聡い人間への間接的な牽制だろう。
「私からは以上だ、ありがとう。君からはまだ何かあるかい?」
「いいえ。……それでは失礼します」
軽く頭を下げ、クリスは席を立つ。テーブルを離れる前に再度太宰の方へと向き直り、丁寧に深く礼をした。
「さようなら」
それは小学生低学年の生徒がする学校帰りの挨拶のようだった。自然と口に出たのではない、そうしろと教え込まれたから行動したというだけのものだ。
くるりと背を向けて少女が去る。カランというベルの音と共にガラス戸の向こうへ消えていった紺色のスカートのひらめきを、太宰は見つめ続けていた。