殺人探偵と舞台女優
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パーティは盛り上がっていた。しかし橋田議員は途中で頭痛を訴えて、けれどパーティを途中で終わらせることなく「少し失礼、いやあ年ですかねえ、参った参った」とホテルの部屋へ向かった。顔色はそこまで悪くなかったし、本人もすぐに戻ってくると言っていたから、まさかそのまま橋田議員が顔を出さなくなるだなんて誰も思っていなかったのだ。
私は腕の時計へと目を落とす。
「……本当なら有名人からサインを貰っていた時間のはずなのに」
「文句なら橋田議員に言うんだな」
隣で綾辻先生が淡々と言う。しかしその目は氷を思わせる冷たさを放ったまま、周囲を見回していた。その目にしか映らないものを、先生は見ているのだろう。わたしが見回したところでわかることといったら、ここがホテルの一室、最上階の部屋だということくらいだ。
大きな窓は安全のためはめ殺し。大きなベッドは未使用で、しかしこの部屋の主のネクタイやワイシャツが雑に投げ置かれている。天井から下がったシャンデリアは白く眩しい光を放ち続け、その直下にいる人間達をこれでもかと照らしている。この部屋にいるのは、静かに周囲を見つめる綾辻先生に、隣で携帯端末を握り締めている私、そして――先程から部屋のあちこちで状況確認をしている警官だ。
「まさかこんなところで警察を呼ぶことになるだなんて……」
ふかふかのカーペットの上に倒れているのは、顔を引きつらせたまま絶命した、五十代の男。彼の生前の名は橋田誠。このホテルで開かれていたパーティの主催者だった。
そう、あろうことか私達が出席したパーティの主催者が変死を遂げてしまったのだ。
「発見当時、部屋は内側から鍵がかかっていた。第一発見者はフロントから鍵を借りて解錠、それまで密室だったことになる」
加えて、と綾辻先生は足元の遺体へと視線を落とした。
「被害者の遺体に外傷はない。異臭もなし。散らかってはいるものの争った形跡とは言い難い。一見、体調の不具合か不慮の事故による死だが……君達はまだ結論付けていないようだな」
「橋田議員は元内務省大臣です。事故死なら事故死としての証拠がないと。……あの、綾辻先生」
おずおずと訊こうとした私に綾辻先生は間髪入れずにぴしゃりと言い放った。
「俺の異能ではない。君は四六時中俺の隣でピラフを食べていただろう」
「失礼な。パスタも食べました」
「ああ失礼、そうだった。皿の端の方に残った唐辛子まで食べていたな」
「み、見ていたんですか」
別に意地汚いとかではない。お残しは駄目だという庶民的な感覚だ、豪華な食材を残すものかと張り切ったわけではない。断じて違う。
「そんなことより」
私は慌てて話を変える。
「先生はこの状況をどう見るんですか?」
私は部屋を一周見回す。綺麗に整えられ清潔で無個性な、という単一な印象を与えるホテルの一室だ。橋田議員が脱ぎ捨てたのだろう、ジャケットやネクタイが乱雑にベッドの上に放置され、靴も脱ぎ散らかされている。自分の部屋かのような、橋田議員の大らかで雑な性格がよく出ていた。鞄も入り口近くに投げ捨てられていて、口が開いている。携帯端末はベッドの上に放られており、財布は鞄の中に入ったままであることが確認されている。中年男性の日常が、ここにはあった。
「橋田議員には高血圧の持病があったと報告があります。検死をしないと確かなことは言えませんが、この状況からしても病死の可能性が高いように感じますが……」
「高血圧……そうだな」
珍しく綾辻先生が頷いた。
「それが君の推理か」
「す、推理というほどのものでは……状況を見て思ったことを言っただけで」
「なるほどな」
綾辻先生は再び頷き、そして考え込むように押し黙った。これはもしかしてもしかすると、とうとう先生の思考に私が追いついたことによる驚愕の沈黙なのではなかろうか!
「すみません」
わくわくとし始めた私へ冷水をぶっかけるように、ふと、警官の一人が話しかけてくる。
「頼まれた方々をお呼びしました」
頼まれた? 何を?
「ああ」
きょとんとする私をさて置き、綾辻先生が悠然と答える。
「では手早く終わらせよう」
「……あの、先生?」
「探偵さん!」
私を遮ったのは焦った女性の声だった。振り返れば、橋田議員の秘書、山中が落ち着かない様子で部屋に入ってくる。
「どういうことですか! 犯人がわかっただなんて!」
犯人がわかった、だと?
「そのままの意味だ」
綾辻先生はつまらなそうに山中を見遣る。その目は相変わらず無感情で無関心だ。
「橋田議員殺害の犯人がわかった。それ以上にどう言えば良い? まさか犯人という言葉がわからないだの、橋田議員とは誰だだのと言うつもりはないだろうな」
「ちょ、ちょっと綾辻先生!」
どういうことだ。さっき病死だと結論付いたのではなかったのか。
「まさかとは思うが」
私の考えが読めたのか、綾辻先生は冷え切った目で私を見、呆れたように続けた。
「この状況を見た上で病死だと考えた、とは言わないだろうな、辻村君」
「だ、だってさっきそう言ったけど先生は何も言い返して来なかったじゃないですか!」
「呆れてものも言えなかっただけだ」
もう!
「綾辻さん」
ふと。
静かで、心地良い響きの声が聞こえてくる。凛とした響きは瞬時に場を静寂に陥れる。宝石が煌めく亜麻色の髪、その輝きに勝る青の眼差し。
「リアさん……?」
「綾辻さんに呼ばれたんです」
彼女はそう言って、微笑む。
「お手並みを拝見できるんですよね」
「待ってください!」
慌てて叫ぶ。このままでは綾辻先生の意のままに事が進んでしまう。
「駄目です、綾辻先生!」
その無表情で冷たい視線がこちらを向く。臓腑が凍るようなその温度を睨み返す。
「忘れたんですか」
「いいや」
当然のように綾辻先生は言う。
「だが、死んだのは議員だ。君達の思考は単純、遅かれ早かれ俺に事件解決を依頼してくることはわかっている。なら前準備までをしておいても問題ないだろう」
「でも、現段階では何も連絡は」
言いかけた、その時。
ブーッ、とバイブ音が手の中から聞こえてきた。ずっと握り締めていた私の通信端末だ。取り出して画面を見れば、特務課の先輩の名前が浮き出ている。先程連絡を取り、事態を報告したのでその返事だろう。
「何か言うことはあるか」
綾辻先生の声は低い。私はぐっと唇を噛む。
「……ありますよ」
勿論だ。ないわけがない。犯人告発の前準備までは許されるだとか、そういう程度の話ではない。綾辻先生はただの探偵ではないからだ。こんなに簡単に振り回されてたまるものか。
「先生、あなたは今回のパーティ参加に特別な条件をつけられているんです。あなたが単独で勝手に行動した場合、誰かに見境なく異能を使った場合、私は」
私は。
「――あなたを私の意志で銃殺することができるんです」
本来は、綾辻先生の処罰は私なんかより上の階級の人達が協議して決め、そして私や狙撃手によって実行される。危険異能者とはいえ一人の人間だからだ。けれど今回は、綾辻先生の近くには私しかいられない。一人の人間を大人数で警備するなど、誰がどう見ても不審だ。異能というもの、異能者という存在、市民の不安を駆り立てないためにもそれらは決して公表されてはならない。
だから、特務課は苦渋の決断を下した。私に綾辻先生の生殺与奪の権を与えたのだ。反対意見もあった。けれど、元内務省長官の頼みと綾辻先生の行動の制限を両立できる手段は少ない。結局、私に全ての責任を押しつける形で協議は収まった。
「綾辻先生」
携帯端末がずっと鳴り続けている。その音を聞きながら、私は声の震えを押し殺す。
「……立場をわきまえて下さい」
これは懇願だ。
その権利を私に行使させる事態にしないでくれという、祈りだ。
「……十秒待つ」
綾辻先生はそう言って背を向けた。
「招宴に参加するという仕事は成し遂げた。用もないところに長居する利点はない」
不満そうな言葉。けれどそれが先生の意志を表している。
「わかりました」
私は頷いて、鳴り続けている端末を耳に当てる。すぐさま焦りを隠した先輩の声が聞こえてきた。