人形兵器の夢と目覚め
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結局クリスは用件を言わなかった。屋外の人目のある中では言いにくいのかと思い、とりあえず探偵社へと連れて行くことにした。とはいえ社まで距離がある、大人の徒歩なら問題ないが見知らぬ子供に延々と歩かせるのは忍びない。子供、と称したが正確な年齢は十八なのだという。敦と同い年だ。しかし、彼女は異様に細身だった。痩せすぎだ、筋肉があるようには思えない。少し歩いただけでも息を上げてしまいそうな、それこそ足一つで大の大人を転ばせられたのが嘘のように思えるほど、彼女は細かった。
見も知らぬ少女に無理をさせたり怪我をさせたりするのは良くない。ということで、国木田はタクシーを呼んでクリスと共に乗り込み、探偵社へと向かっているのだった。
「国木田さん」
何度目だったか、クリスが国木田を呼ぶ。車窓へと両手をついて、「あれ」と何かを指差しながら声を上げた。
「あれは、何ですか」
「……もう通り過ぎたからわからん。訊ねるならもう少し早く指差せ」
「それは困難な指示です。今見えたものは、とても早く見えなくなってしまいます。車を止めることを提案します」
「却下だ。探偵社へ行くのが目的だろう。ここでお前の問いかけのために止まっていては本末転倒だろうが」
「そうであるのならば、わたしはあなたの要求に応じることができません」
片言の日本語のような言葉遣いで彼女は答えた。聞けば、米国から語学留学兼観光をしに来たのだという。奇妙な言葉遣いは日本語に慣れていないからだろうか。
「それよりも俺の質問に答えろ。探偵社に何の用だ」
「国木田さん、あれは何ですか」
「先に問いに答えんか。――何だ、ポストのことか」
「ポスト」
「郵便ポストだ。手紙や書類などを投函する箱だ」
「あれは赤色です」
「日本ではほとんどがその色だ」
「赤……」
クリスは窓に張り付かせた両手で窓を掻くように指を動かした。まるで手を伸ばせば届くとでも思っているかのようだ。その様子を横目に、国木田はため息をつく。
実年齢に反して行動があまりにも子供じみている。実働経験の少ない機械人形そのもののようではないか。
クリスによる問いかけはその後も数回行われた。探偵社に着いた後も「あれは何か」「これは何か」と訊いてくる。揶揄われているのかとも思ったが、その顔は依然として無表情なのだった。
「探偵社はここだ」
エレベーターで四階へと上がり、見慣れ切った扉の前に立つ。クリスはそこに掲げられた「武装探偵社」の文字へと静かに見入った。
「ここから先は用のある人間しか立ち入ることはできん。子供の遊び場ではないからな、俺を含め多くの社員が懸命に働いているのだ。それを邪魔するようなことは決して許さ――おい、こら、待て!」
説明を言い終わるより先にクリスはドアノブを捻って戸を開けた。静止する間もなく、彼女は部屋の中へと立ち入ってしまう。驚いている間に、少女の姿は机の間を通り抜けて奥へと進もうとする。無遠慮が過ぎるのではなかろうか。
「待たんか!」
ぐ、とその肩を掴めば、よろりとその細い体は簡単に後方へと傾いだ。慌てて手の力を抜く。その肩は握力で折れてしまいそうなほどに細かった。
病気か何かなのだろうか。何であれ、機密文書も置かれている社の奥へ部外者を立ち入らせるわけにはいかない。
「勝手に入るな!」
「目標場所へ到達、次段階へと移行します」
「何の話だ!」
「何だい国木田、今日は珍しく少女誘拐してきたのかい?」
ちょうど両腕を掲げて伸びをしていた与謝野が、吐息と共に言う。何ということもない様子で発されたそれに「え?」と谷崎が返した。
「し、少女誘拐って……」
「んなわけがあるか!」
「珍しくってことは、国木田さんもしかして、以前にも……?」
「違う!」
若干顔を引きつらせる谷崎に怒鳴っている間にも、クリスはとことこと社内へ立ち入ろうとする。その腕を掴んで応接間へと引きずりながら、国木田は青ざめる谷崎とにやつく与謝野へ空いた手でビシリと指差した。
「常習どころか一度もしたことはないし今後もする予定はない!」
そもそも妹と公然の場であれやこれやしている谷崎にそのような反応をされるのは腑に落ちない。
「誤解を招く言い方をするな! それとクリス、隙を見て抜け出そうとしても無駄だ。今茶でも出す、一杯飲んで即刻帰れ」
「でも」
「『でも』も『だって』もない!」
「わたしはあなたの個人的趣味の領域には興味がありません。あなたの個人的趣味を探すようなことはしませんし、それを晒し上げるようなこともしません。ここに何があってもあなたの個人情報は安全に秘匿されます。ご安心ください」
「お前も誤解を招く言い方をするな!」
何なのだ一体。
ゼーハーと荒く息をつきながら肩を大きく上下させる。無駄に疲労した気がした。
「まあまあ、落ち着きなよ国木田」
与謝野がからからと笑いながら席を立ち、こちらへと歩み寄ってくる。彼女は確か幕僚護衛の任務に関する仕事をしていたはずだ。社長命令で凍結させていたせいもあって時間的制約がかなりある仕事なのだが、こちらへ気を向ける暇などあるのだろうか。
「で? 依頼人かい?」
「そういうわけでもないというか何というか……とにかく『探偵社へ連れて行け』と言うので連れて来たのですが」
「訳有りって感じか」
「それは何とも」
「じゃあ妾が話を聞いておくよ。アンタ、まだ仕事が山積みだろう?」
山積みと言ってもいつも通りだ。「そちらは」と業務の進行具合を聞き返せば、与謝野は「少し休憩しようと思っていたところさ。ずっと椅子に座っているのも疲れちまってね」と笑う。休憩がてら来訪者の世話をしようということらしい。クリスも相手が女性の方が話しやすいかもしれない、悪い話ではなさそうである。
「助かります。お任せしても良いでしょうか」
「構わないよ」
与謝野はひらりと片手を上げた。
「で、肝心のお嬢さんの方だけど」
クリスはというと国木田にしっかりと腕を掴まれたまま黙っている。先程までぐいぐいと国木田の手を振り解こうとしていたのに不思議なことだ。与謝野と共に見下ろした先で、クリスはじっと一点を見つめていた。
その視線の先にあったのは――クリスの腕を掴んでいる国木田の手だった。
静かに瞬きが繰り返される。引き結ばれた唇に、見開かれるでもない青の目。無感情のまま、彼女は国木田の手を見つめていた。
「……クリス?」
何かが、奇妙だ。
触れてはいけないものに触れている気がして、思わず手を離す。逃げるような動きをされたというのにクリスの顔にやはり感情は表れなかった。無言のまま、無表情のまま、国木田に掴まれていた箇所をじっと見つめている。
「……す、すまん、その、痛かったか?」
「いいえ」
国木田のしどろもどろの言葉に、クリスはやはり素早く簡潔に答えた。けれどその目は何かを探すように、何かを見出さんとするかのように、ただ一点を見つめ続けていた。