願いが叶う教会
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
私達は愛し合っていた。結婚しようと約束していた。けれど親はそれを許してくれなくて、私は毎日を泣いて過ごした。
私達には結婚したい理由があった。彼が、戦争に召集されているのだ。もうすぐ会えなくなる。その前に、彼と知り合い恋に落ち思いが通じ合った記憶を、形に残したい。
世界を巻き込む大戦は激化しているらしかった。超人的な力を持つ人々がその力で戦場を圧しているのだと噂で聞いたことがあった。彼自身にそんな力があったのなら、彼が戦場に行くと聞いても「また会う日まで」と言って彼のことを待ち続けていられただろう。けれど彼は普通の人だった。刃物といえば鍬しか持ったことのない、普通の男の人だった。
生きて帰ってこれるなんて、信じる方が苦しかった。
「式を挙げよう」
召集の前の日、彼は私にそう言った。
「皆に内緒で、こっそり挙げちゃおう。正式なやつじゃないけど……神様に一度、愛を誓おう。そうしたら神様が僕達に免じて、本当の式を挙げさせるために僕を君の元へ返してくれるかもしれない」
彼は信心深いわけではなかった。私も奇跡を信じ切るほどではなかった。けれどその気休めのような提案が、私を救ってくれた。
その日、私達は式を挙げた。山奥にある、古い教会で。事情を聞いた神父様は優しく私達を迎えてくださった。
そうして私達は、仮初めの夫婦になった。
私は奇跡を望んだ。何もできない普通の人が道具として使い捨てられていく場所から、普通の人でしかない彼が戻ってくる――そんな絵空事を、私は信じた。式を挙げた教会に通って、いつしか住むようになって、私はずっと、ずっと祈り続けた。
それでも。
この世界はやっぱり、夢でも幻でもなかった。
彼は帰ってこなかった。そのまま終戦の日を迎えて、戦場からたくさんの人が帰ってきて、それでも――彼だけは、私の元に戻ってこなかった。
***
「ずっと……お待ちしていました」
恍惚とした胸が言葉を紡ぐ。一歩、歩み寄る。ずっと憧れていた白いウェディングドレス、ずっと待ち望んでいた人。歓喜しないはずがない。
愛しい人が両手を伸ばしてきて、目の前に下がるベールをそっと上へと上げる。視界が開けて、白い霧の中に佇むその人をはっきりと目にすることができた。優しい眼差し、優しい微笑み、ずっと記憶の中で繰り返し再生するしかなかった光景が今、目の前に。
目元がにじむ。悲しいわけでもないのに、涙があふれてくる。
会いたかった。会いたかったのだ。あなたに、ずっと、ずっと、会いたかった。
「泣かないで」
彼はそう言って困ったように笑った。
「君はすぐに泣く。変わらないなあ」
そうだっただろうか――そうだったのだろう。わたしはずっと前から泣き虫だった。いつもこの人に慰めてもらっていたのだ。
「ごめんなさい。嬉しくて……もう会えないと思っていました」
「僕もそう思っていた。けど、探し出したんだ。願いを叶えるために、死んだ後もずっと探し続けて――今日、やっと見つけた」
彼は変わらない笑顔で続けた。
「今度こそ、君が”僕”の求めた人に違いない」
――何かが。
違和感。
けれどその疑問はうっすらと消えていく。白い霧が視界の隅を覆い、脳の中にまで浸透してくる。心地良かった。ぼんやりとした思考、歓喜ばかりが胸を熱くする。これが喜びなのだろう。
「ずっと……会いたかったのです。わたしは、あなたに」
あの人に。
言いたいことがあった。聞きたいことがあった。その答えが、ずっと知りたかった。あの赤い部屋で君を殺した時からずっと、ずっと、胸の奥底にそれはあった。
ねえ、君は、わたしを。
それを口に出そうとする。けれど声の出し方がわからなくなったかのように、喉は吐息ばかりを零した。
どうして。
どうして、尋ねられないの。
君に、ずっとずっと、謝りたかった。ごめんなさい、ごめんなさい。その先に許しは要らない。君は既に死んでしまった。わたしが殺した。
なら、君は、わたしを。
「……ッ」
恨んで、いるのだろうか。ならば、君は、わたしを。
――瞬間。
破壊音。講堂の静寂をぶち壊す轟音。
それは背後、講堂の入り口から突然発された。バキリと木の板を割るような音、ドンドンという箱を叩くような音。
「――クリス!」
叫び声。なぜかそれに返事をしそうになる。なぜだろう、わたしはそんな名ではなかった気がする。
振り返る。打音と共に両開きの扉が振動している。やがてそれは――一つの蹴りによって大きく弾き飛ばされた。
「クリス!」
誰かが駆け込んでくる。長身の男の人だ。きちりとした服装はお役人様だろうか。束ねられた髪、質素な眼鏡。
その奥で、しっかりとわたしを見据える――真っ直ぐな眼差し。
知っている。
知っている、気がする。
呆然とそれを見つめる。相手もこちらを見つめてくる。胸に何かがこみ上げてくる。それは歓喜ではなかった。なぜならそれは、痛かった。
先程絶えたはずの涙がまた、目尻から頬へと零れていく。拭う気も起きないまま、ただその人を見つめる。
どうしてだろう、と霧の中で霧のような思考をする。
わたしはこの人を、知らないはずなのに。
どうしてか――どうしてか、その姿を見た今、どうしようもなく嬉しくて、悲しくて、涙が止まらない。