人形兵器の夢と目覚め
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敦を狙うポートマフィアの猛攻を耐え切ってから暫くになる。わたわたと右往左往するしかなかった敦はその件を経て一回り成長し、今では他の社員と共に半人前程度の仕事をするようになった。若者の成長は喜ばしいものだ、と国木田は思う。訳あって探偵社で預かることになった鏡花という少女の世話も、彼なら問題なく行えるだろう。他人の世話ができる社員というのはかなり貴重だ、太宰なぞの悪手にかかって怠惰を覚えるより先に勤勉さに慣れ親しませなければ。
とはいえ社員当たりの仕事量が緩和することはなく、無駄な時間を過ごすつもりもない。今日もまた予定通りのきちりとした日々を送るのだ。
そう思いつつ見慣れた街を歩いていた――他愛ないとある日のことだった。
歩道を歩く国木田は冷静に足を止めた。今更驚くまでもない、即時解決可能な事件の発生が国木田の目に映ったからだ。前方から行き交う人々を押しのけて駆けてくる一人の男――そしてそれを追う数人の警官。男の手にはナイフ。何があったかはわからないが緊急事態であることは確かだ。
ナイフに気付いた人々から混乱の声と悲鳴が上がる。自然と道ができていく中を、男は突き進んでくる。その行き先へと立ち塞がった。
「どけ……!」
男が叫ぶ。ナイフを振りかざしてくる。その動きを見つめる。
問題ない、相手の腕を掴み上げて一度地面に投げれば十分に制圧できる。ナイフを持つだけで強気になれる程度の人間など恐るるに足りない。
息を沈める。両手を構える。そして、相手の動きを見定め――手を伸ばそうとした、その時だった。
「あ」
男が躓いた。
「うわああッ!」
足をもつれさせ、男は顔面から地面へと倒れ込んだ。そのまま数センチ間滑走し、そして止まる。足元で両腕を投げ出したまま動かなくなったそれを、国木田は両手を構えたまま呆然と見下ろした。
「……え」
今更何事もなかったかのように両手を下ろすのは躊躇われた。
警官が駆け付けてくる。地面に伏す男と、何かをしようと構えの姿勢を取る国木田とを見つめ、暫く沈黙、そして「……えっと」と頭を掻いた。
「その……ご無事、ですかね」
無論だ。男は国木田のどこにも触れていないのだから。
「……ああ」
ゆっくりと両手を下ろす。とりあえずは、とばかりに警官達が男を押さえ込んで手錠を取り出す。あっという間に始まってあっという間に終わってしまった活劇の片隅はどうにも居た堪れない。足元で行われているその様子を呆然と眺め、そして国木田は気まずさを誤魔化すように顔を上げる。
そこにいた誰かが足を出して男を転ばせたのを、国木田は見ていた。
騒然とする人々の中に彼女はいた。癖のない直立、裾の広がりやすい紺の膝丈スカートに白いブラウスという服装が清楚さを思わせる。肩ほどの長さの髪は亜麻色だった。
人形のようだ、と国木田は思う。
青いガラス玉の嵌め込まれた目、硬く塗られた頬――玩具屋の人形と見紛うほどの無表情は、国木田が歩み寄るのを静かに見つめている。
「おい」
その目の前に立ち止まり、声をかける。
「その……助かった。礼を言う」
彼女は無言のまま国木田を見上げてくるだけだ。沈黙、口を開く気配もない。置物に声をかけているかのように思えてきて、国木田はちらりと周囲を見回した。奇異なものを見るような目が向けられていないことを確認し、安堵のため息をそっとつく。
「……その、だな。ええと……怪我はないか」
「ありません」
思ったよりも早く簡潔に返答は返ってきた。返答というよりは応答か。イエスかノーか、それだけの。
「……そうか」
他に言うことが思いつかない。
気まずさを殺しきれずに口を噤む国木田へ、少女は無言を貫く。気に留めていないようだ。無関心、無表情、無遠慮。無とつく全ての状態がこの少女に収まっている。
人形のようだった。人形だと言われた方がまだ納得がいく気がした。
「……あなたは」
ふと声が聞こえてくる。少し掠れた、囁くような声だった。場所が違っていれば泣き疲れた子供の声だと思っただろう。けれど国木田は気付いた。それは泣き疲れた子供の声でもなく空耳でもなかった。
「あなたは、武装探偵社ですか?」
その問いは目の前の少女から発されたものだった。依然として表情はない。真っ直ぐに不躾に、青のガラス玉が見上げてくるだけだ。
「……そうだ。国木田という」
「記憶しました。では武装探偵社へ案内していただけますか?」
「は?」
「武装探偵社へ案内していただけますか?」
言い直すでもなく言い訳をするでもなく、少女は再度訊ねてくる。鸚鵡――否、やはりこの少女は人形じみている。全てが機械的だ。まさか本当に機械人形なのだろうか。そんなはずはない、とその青の両目を、白のブラウスのしわを、紺のスカートの影を見つめる。瞬きはある、呼吸もある、生者特有の僅かな動きもある。やはりこの少女は人形ではない。
と、国木田は自分を見上げてくる視線に気付いた。気付いたと言うよりは元から少しも焦点が動いていなかった。
青。作り物めいた、粘土細工のような単一の青。
――底なしの沼に、射竦められている。
「……ええと、探偵社に行きたいのか?」
「案内していただけますか?」
「用件は何だ。探偵社は子供の遊び場ではない、用件がなければ案内はできん」
「用件……」
「いや、その前に名前だ。貴様の名を名乗れ。話はそれからだ」
名前、と彼女は呟いた。その声もまた、文面を読み上げただけのような無感情なものだった。
「クリスです」
その起伏のない掠れた小さな声で。少しでも間違えば震えて途切れてしまうかのような儚い声で。
「クリス・マーロウ」
彼女はその名を告げた。