人形兵器の夢と目覚め
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ヘリによって回収された後、飛行艇に乗ってクリスは英国へと帰還した。足を踏み入れたのはとある建物の上階、高級ホテルを思わせる豪奢な壁と床と天井の内側。
クリスを囲む世界の枠組み。
任務がない限りは、クリスは常にこの建物の中に留まる。それは上官がここにいるからであり、命令だからでもあった。
――そっか、クリスさんもなんだね。クリスさんも地下牢に閉じ込められてたんだ。
Qが言った「地下牢」の意味を、今少しだけわかった気がする。
木目の繊細さをそのまま生かした両開きの扉の前に立つ。息を吸う。吐く。そして扉に手をかけ、開ける。
「個体番号八八三、ただいま帰投しました」
「ご苦労様」
カチャリという陶器がぶつかり合う音が微かに響く。癖のついていないカーペットに白い家具が並んでいる部屋だった。丸く広いテーブルには菓子やティーポットが置かれ、一人の女性が椅子に座って紅茶を楽しんでいる。周囲には白い服をまとった執事然とした青年達が静かに佇んでいた。その中へと立ち入る。テーブルの横へと立ち止まり、女性へと向き直る。
無言のクリスへと女性は静かに微笑んだ。
「とは言ってもあなたに疲労はないのでしたわね」
「多少の消耗は確認しています。――こちらが調査報告書です」
先程作り上げた紙束を渡す。眺めるように一通りを見、そして彼女は満足げに言う。
「十分ですわ。さすがは博士の愛娘といったところでしょうか」
「愛娘ではなく道具ですよ、レディ・クリスティ」
声が上がる。それはクリスの後を追うように部屋の中へと入ってきた白衣の青年のものだ。言葉は否定的だが声には笑みを含んでいる。穏やかな親しみやすさを覚えさせる声音は彼の人柄を表しているようでもあった。
「それは失礼をいたしました」
女性が微笑む。こちらも謝罪のわりには楽しげなのだった。
「任務完了を確認していただけたのなら早急に点検と修理を行いたいのですが」
「構いません」
女性が頷く。許可は出た。ならば、今すぐに点検と修理を受けなければいけない。
けれどクリスは口を開いた。
「マスター」
最後の一口を楽しもうとしていた女性が驚いたように顔を上げる。部屋を出て行こうとした青年が立ち止まる気配。視線と、探り。それらを感じながらクリスは続ける。
「お聞きしたいことがあるのです」
「珍しいですわね。何かしら?」
息を吸う。吐く。
「――心とは、何ですか」
静寂。そして小さな笑い声が女性から発される。怒るでもなく焦るでもなく、悠然と女性は笑ったのだ。
「ふふ、団長さんのしそうなことですわね。人形に心を教えるだなんて。おそらくあなたを驚かせるためのものですわよ、博士」
女性は椅子へ腰かけたままそちらを見遣るそぶりをする。つられて、クリスはそちらを見た。応えるように青年が振り向いてくる。その顔に変化はない。見慣れた生真面目そうな、けれど少しの緊張感を覚えさせる顔つきがクリスを見据えてくる。
「驚くまでもない」
彼は告げた。
「その可能性は考えてありました。その危険性より、この人形に他者の異能や思考を観察させ解析させる方が重要だった……ただそれだけです。もうすぐ人形兵器として彼女は完成する。そのための今回の作戦参加でした。心が芽生えたのなら潰せば良い」
「簡単に言いますのね」
「実質簡単なものです。心は脳内の化学反応の結果でしかない。ギルド団長も無駄なことをしたものだ」
無駄。
その言葉にクリスは息を詰まらせる。
無駄。心を知ることが、無駄。
そうなのだろうか。この知識は、経験は、無駄だったのだろうか。
ぐ、と手を掴み合わせる。薬指にはまった指輪が硬く冷たい。その感触が、クリスに存在を訴えてくる。言わなければ、と思った。伝えなければ、この人に、この成果を。
わたしは何者なのかを訊かなければ。
「――八八三」
番号を呼ばれる。びくりと肩が跳ねる。それは予感だった。予知とも言えた。この人はそうなのだ、この音域のこの発声でクリスを呼んだ場合、次に来るのは指示。
絶対的な――命令。
「その指輪を外せ」
絶対に逆らってはいけない、神の代行者の、言葉。
「……ッ」
クリスは指輪を隠すように握り込む。いつもは言えるはずのイエスが言えなかった。
黙り込む。それをもわかっていたかのように、青年はため息もなく続けた。
「それは君には不要なものだ」
「……ですが」
「心なんてない方が良い」
顔を上げる。その眼差しを見返す。
髪の色と同じ、穏やかな土色。覇気を必要としないかのような平静な大地、その色。
「君は殺戮兵器だ。心はない方が良い。そもそも心なんてあったところで未来が大きく変わることもない。世界の結末はいつだって予測通りだ。心があればあるほど複雑で遠回しになって、見ているこちらからすれば鬱陶しいことこの上ない」
「……上官」
「君は人形だ。人形でいるべきなんだ」
青年は言った。
「もう飽きたんだ。どれほど人が心を動かしたって世界は予定通りの展開しか許さない。――人の心すらも把握してしまった僕にはどんな奇跡も予想の範囲内でしかない。最初の一行だけで最後の展開を理解してしまう推理小説を延々と読み続けている……つまらないんだ。だからせめて無駄な言動はしないでくれ。君は、君だけは、計算式の最終解だけを提示する簡潔な存在であって欲しいんだ」
おいで、と青年がクリスを促し、そして先に部屋を出ていく。頷くしかなかった。彼はクリスの絶対的な主なのだから。
「残念なこと」
青年が部屋を出た直後、それを見ずに察したかのようなタイミングで女性が呟く。
「あなたにその孤独を分かち合える友人が一人でもいたのなら、あなたの未来は違っていたのかもしれませんわね。――ウィリアム管理官」
友人。
それは一体、何だろうか。
青年が去っていった扉を、その向こうを見つめる。見つめ、知らずのうちに指輪へと触れる。それをくれた人を、これをはめてくれた人を、思い出す。
心。
目に見えない何かを抱えるように、胸の前で両手を握り合わせる。
胸の中で振り子が揺れている。それがどのような言葉で言い表せるものなのかは、わからなかった。
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人形兵器の夢と目覚め 完