人形兵器の夢と目覚め

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この終焉なき舞台に拍手を -番外編-
本作品の夢主は「終焉なき」本編と同一人物であり、英国出身です。
カタカナでの名前を推奨しております。
名前(ファーストネーム)
名字(ファミリーネーム)
舞台女優名・芸名

***


クリスさんは遠いところの人なんだね」

 Qと小屋の地下でそんなことを話した。太宰と中也が来る前、Qが眠る前だ。

「英国の人だったんだ。英国ってどんなところ?」
「わかりません。わたしには、それを説明する必要がありません」
「思った通りで良いんだよ。寂れた、とか、狭い、とか、綺麗、とか」

 口を閉ざす。そして、故郷のことを思い出す。

「……赤い」
「赤い?」
「赤い、獣。それが唯一存在しない国……そう教えられました」

 〈赤き獣〉。それはクリス達が滅ぼさなくてはいけない化け物だ。人ならざる人、全てに害なす者。昔故郷にいた時は明らかに異形の姿をしていたが、世の中にいる〈赤き獣〉は人の姿を取ることが多いのだという。クリスには見分けが付けられない。見分けることができるのはマスターだけだ。だからマスターが害だと判断し排除するよう指示を出したものをクリスは倒す。それが人間の形をしていようとも、正体が〈赤き獣〉ならば――敵ならば、躊躇うことはない。

「化け物かあ」

 ふふ、とQは楽しげに笑った。故郷の地で〈赤き獣〉を殺す儀式を眺めていた子供のような、こちらも笑ってしまいそうになる無邪気な笑顔だった。

「でも、ここにいる人は皆普通の人だよ」
「そんなはずはありません。マスターは『殺さなければいけない者も紛れている地』だと……だからわたしの同行が必要なのだと言っていました。マスターは神の代行者、神に次ぐ神なる者。〈赤き獣〉の所在を見間違うことは決してないのです」
「それはよくわからないけど……ぼくの異能はね、皆を化け物にするんだ。狂わせて、怖がらせて、叫ばせて、壊させて、殺させて。人は皆そうなるんだよ、クリスさんは違ったけど。それってさ、まるで」

 Qがこちらを見上げてくる。にこり、とその顔が笑む。

クリスさんだけが化け物って感じがしない?」

 言っている意味がわからなかった。
 ――けれど今なら、その意味がわかる気がした。
 小屋の中でQを抱えながら、クリスは扉の向こうの光景を呆然と見つめていた。破壊音、木々が倒れる音、地面が抉れる音。大きな何かが暴れている。
 それは、ラヴクラフトだった。
 ダックスフントを象っていた蛸のような腕が全身を埋め尽くしている。否、おそらくあれがラヴクラフトの正体なのだろう。全長数メートルの巨大な何か――人の手を先に持った蛸の足、それを全身から幾本も生やし纏っている。上部の顔らしい箇所には空洞が三つ。

「ッの……!」

 遠くで中也が何かを叫んでいる。今しがたラヴクラフトの腕に吹き飛ばされたのは太宰か。太宰の元へと向かう中也を追うようにラヴクラフトがそちらへと顔を向ける。その最中、小屋の中で座り込んでいるクリスをその眼が捉えたような気がした。
 虚ろな闇。
 空いた空白。
 ――見られている。
 気付かれている。

「……ッう、あ」

 何かを叫ぼうとして、何を叫ぼうとしているのかわからないまま言葉にならない呻き声を上げた。ぐ、とQを抱き寄せる。

 ――頼んだよ。

 中也と共に小屋の外へと出た太宰に、そう言われた。

 ――君はギルドの人間にしては奇妙な立ち位置のようだ。なら、Qを任せても問題ないね?

 クリスは頷いた。ギルド構成員を傷付けることは禁止されているが、彼らの戦いに協力しなければいけないという命令はされていない。
 そうだった。ギルド構成員は誰一人害するなというのがマスターの指令だった。だからそうなのだと思っていた。
 ギルドには排すべき化け物はいないのだと、そう思っていた。
 なのに。

「……どうして」

 ラヴクラフトが月夜の下で巨躯を晒している。わからないと、面倒だと、そう言っていた彼が今、人ならざる姿を取っている。普段のクリスならば彼を化け物だと断じていただろう。けれどマスターは違った。フィッツジェラルドは違った。ラヴクラフトは化け物ではないと――人を害し神に反する〈赤き獣〉ではないと、そう言った。
 あれが化け物でないというのなら。
 ならば。

 ――君もラヴクラフト君も対して変わらんからな。

 あの言葉が、別の意味を内包している気がしてくる。
 中也が太宰と何事か話し終わった後、決意の顔つきで一人ラヴクラフトに歩み寄っていく。手袋が投げ捨てられ、露出した肌に肌色よりも明確な色が浮かぶ。中也の風貌が変質していく様を、クリスは息を呑んで見つめていた。
 赤。
 赤い筋がその腕に、足に、頬に、走り始める。血管――否、それは人体にはないはずの紋様。刺青よりも神々しく、痣よりも禍々しく、輝くように焦げ付くように皮膚を這いずり伸びていく。
 ああ、そうか、と思う。
 ――彼もまた、人ならざる者。
 中也が駆ける。動きのない巨躯へと小柄なそれが馳せ、跳躍、一歩とも思えない疾走の後一閃がラヴクラフトの腕を一本切る。
 切った。
 人が手にする刃物では到底一撃で切り離せないだろう太さのそれを、中也の一蹴が切断した。ラヴクラフトの巨体がよろける。傷口からぼこぼこと気泡を吐き出すように内容物を膨張させ修復を開始するも、それよりも先に中也が宙へと身を躍らせた。
 跳躍――否、疾走。
 宙を蹴り、そしてそこへと留まり、中也が浮遊しながら両手を掲げる。掲げたその両手に球体が生じた。そう見えた。球体というよりは穴だと気付いたのはだいぶ後だ。全てのものが集約され押しつぶされた空間――光をも閉じ込め吸い取る強重力。中也がそれを投げ飛ばす。地上の何よりも重く変質した空間そのものがラヴクラフトを殴り、叩き、裂き、抉る。
 爆風、人が持ち得ようもない力と再生力のぶつかり合う衝撃。
 ラヴクラフトの体の大部分が消失する。けれど傷口からすぐに肉体が膨れ上がり傷を埋めていく。地に足を付けた中也がよろりと上体を大きく揺らした。赤い何かが顎を伝って落ちていく。
 赤。
 赤い。

 ――〈赤き獣〉は、悪だ。

 そう教わった。実際そうだった。彼らは人ならざる姿をしていて、けれどどことなく人の姿をしていて、時々親しい村人と同じ姿をしていた。わたし達を騙すために知り合いに姿を似せているのだと「先生」は説明してくれた。姿を真似された村人は〈赤き獣〉に食われて既に死んでしまったのだと。村人の姿をしたそれが助けを求めてくるのは〈赤き獣〉がわたし達をたぶらかそうとしているからだと。
 化け物は、悪だ。人を悪へと陥れる悪そのものだ。それは化け物の姿をしている時もあれば人の姿をしている時もある。それを見分けられるのはマスターだけで、だからわたしはマスターの指示する通りに人を、人の姿をした〈赤き獣〉を殺すのだ。
 赤は、化け物の色だ。化け物を殺した時の色、悪の色、人と同じ色。
 ならば、あの色は、あの人は。
 ――殺すべき化け物だ。
 突然の爆音と共にラヴクラフトがのけ反る。体の内側から何かが爆発したような、奇妙な動きだった。咆哮が聞こえてくる。痛みに叫ぶようなそれが響く中、その眼前へと浮き上がる矮躯。
 その手に掲げられた巨大な暗黒球体。
 中也がそれを投げつける。ラヴクラフトの姿がそれに飲み込まれ、圧され、消え、そのまま地へと押し潰される。
 風圧に、クリスはQを抱き寄せながら顔を伏せた。風が砂埃を巻き上げる。強い力が目に見えない手のようにクリスを押し倒そうとする、それに必死に抗う。
 やがて無音が再び戻ってきた。そっと顔を上げ、ラヴクラフトの巨大な体がどこにもいないことを知る。終わったのだろう。おそらくは、ギルドの敗北――太宰と中也の勝利という形で。
 ――体の奥から湧き上がってきた何かに息を詰めた。
 ぞ、と何かが這い上がってくる錯覚。衝動だ。Qの異能によって与えられた狂気と似た焦燥。使命感と呼ぶべきもの。
 ころさなければ。
 悪を、獣を、化け物を。
 抹殺しなければ。
 それが、わたしの――役割。

クリスちゃん」

 声。顔を上げる。太宰がそこにいた。服も顔も汚れている。苛烈な戦闘が窺えた。

「大丈夫だった?」
「問題ありません」

 言葉を返す。その上で、問う。

「あの人は……中原中也はどうなりましたか?」
「無事だよ」

 あっちで寝てる、と太宰が遠くへと顎で指す。
 生きている。
 赤き、化け物が。
 殺さなければいけない。あれは確実に化け物だ、〈赤き獣〉だ。間違いない。何度も見てきたそれに極似している。
 けれど。

「……太宰さん」

 呼ぶ。見下ろしてくるその穏やかな表情へと、問う。

「……中原中也は、ラヴクラフトは、何なのですか」

 問う。

「――わたしは、何なのですか」

 問う。
 答えが欲しい。答えが欲しい。この思いも「心」なのだろうか。わからない。わからないことばかりだ。祖国を離れてギルドに行って、この街に来て、わからないことが増えていく。知らず知らぬままでいられた違和感に次々と気付いていく。

「それは君次第だよ」

 太宰は答えた。

「中也が何者なのかも、ラヴクラフトが何者なのかも、決めるのは本人だ。私じゃない。他の誰でもない。――君が何者なのかを決めるのは君だ。だから、クリスちゃんが自分で決めれば良い」

 決める。
 それはできないことだ。自分はマスターに命じられる人形なのだから。

 ――それでも良いとフィッツジェラルド君は言った。

 ラヴクラフトの横顔を思い出す。

 ――だから、わからないまま、考える。

 わからないと言いながらも気にした風はなかったあの横顔を、不安も歓喜も浮かばない単調な様子を、思い出す。
 クリスは彼と似たようなものだとフィッツジェラルドは言った。ラヴクラフトとクリスはきっと似ているのだろう。その在り方が、力が――その化け物めいた実情も含めて。けれどラヴクラフトはその事実を気にしていなかった。自分は何なのかという疑問の答えを既に理解しているからだろうか。なら、彼と似ているはずのわたしはなぜわからないままなのだろう。
 クリスは俯いた。拳を握り締める。寝息を立てるQの横顔を見つめ続ける。
 わたしは一体、何なのだろう。
 そう思いながら。
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