人形兵器の夢と目覚め
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[宣告る《つげる》]
夜、計画通り探偵社はQを奪還しに来た。それをクリスは小屋の中で待っていた。
――本当に良いの?
スタインベックが何度も確認してきたのを思い出す。そのたびにクリスは頷いた。
フィッツジェラルドからの指示はない。次の行動指示まで好きにしろということだ。ギルドを裏切る行動をしなければ、クリスは何をしても良いことになっていた。元よりクリスがギルドの一員としてこの街にやって来たのには理由がある。
把握、解析、推測。
クリスは今の作戦の駒ではない。その次の作戦に及ぶための道具なのだ。
だから、ここでQと共に敵を待つことにも意味がある。
隣に座るQへと目を落とす。疲れ切ったのだろう、クリスへと身を預けて眠っているようだ。この子の異能はクリスには効かない。効かない、というよりは効果が発揮されないと表現する方が正しいか。何にせよクリスにとってQは危険ではない、無理に起こして距離を取る必要もないのだった。
そしてそれは、Qにとってのクリスは天敵となり得るという意味でもあるのだが。
すう、と寝息が聞こえてくる。寄り掛かったまま動かないその頭部を見つめる。
Qが眠るまで、いろいろと話をした。地下牢に閉じ込められる前の話、閉じ込められた後の話。クリスもまた口外を禁止されていない事柄を話した。これほど身の上を話した相手は初めてだったかもしれない。
――そっか、クリスさんもなんだね。
クリスの話を聞いて、Qは笑っていた。
――クリスさんも地下牢に閉じ込められてたんだ。
地下牢に入ったことはない。物心ついた頃から既に上官がそばにいた。上官によって管理され、その命令通りに任務を遂行した。クリスには地下牢投獄の経験はない。けれどQはそう言った。
あれはどういう意味だったのだろう。
ギ、と天井からきしむ音が聞こえてきた。誰かがこの小屋に立ち入ってきたらしい。忍ぶような足運びが、二つ。スタインベックとラヴクラフトではない。探偵社だろうか。
「……か?」
「……、靴も最低だよ」
「手ッ前ェ!」
近付いてくる足音――と言い合い。どうやら仲の悪い二人のようだ。一人は聞き覚えがある声だった。太宰だ。けれどもう一人は誰だろう。
疑問はすぐに晴れた。
「おや」
階段を下りて来た人影が部屋へと入ってくる。クリスを見、予想外とばかりに目を見開いた。
「クリスちゃん?」
太宰だった。けれどその表情はすぐに平坦なものになる。思考、結論――予測。何かを知った輝きがその眼差しに瞬時に宿る。
「あァ? 誰だあのガキ」
太宰の後から来た青年が眉をひそめた。粗暴な話し方に、黒い帽子、黒い外套。探偵社にはいなかった人間だ。
あれは、確か。
瞬き一つ。思考を巡らせ記憶の海へと手を伸ばす。この街のターゲットは武装探偵社とポートマフィアだった。警戒すべき人間は全て把握してある。それが、クリスの任務なのだから。
――データ一致。対象の名は中原中也。異能力保持者。重力使い。
「……ん? 手前」
中也が顔を覗き込んでくる。その青を見返す。
「何、中也知ってるの?」
「随分と前に見かけた迷子だ。マフィアビルの近くをうろついてたんだが、いつの間にか姿を消しやがった。くたばったかと思ったんだが……」
「なるほどね」
太宰が呟く。その暗い目が細く細められる。
やがて何事もなかったかのようににこりと人の良い笑みを浮かべ、太宰は紹介するかのようにクリスを手で差し示した。
「可憐な少女の名も知らないという可哀想な君にこの私が特別に教えてあげよう。彼女はクリスちゃん。私の将来の心中相手だ」
「同情するぜ、こんな奴に目ェつけられるとは」
中也が憐れむような顔をした。何か悲しいことが目の前で起こったかのような表情だった。
「この際だ、助けてやるよ。こいつをどうしたいか言ってみろ、ぶん殴るでも良いし地面に埋め込むでも良いぜ。手前の言う通りにやってやる」
「クリスちゃんを助けるより私を殴る方が主目的なくせに、格好つけちゃって」
「わかってんなら面倒くせえ冗談はやめろ。――さっさとここを出るぞ。ギルドの増援が来たら厄介だ。……寝てるんならちょうど良い、太宰、そいつ持て。俺は人形を持っていく」
中也がQの顔を覗き込んで一つ頷き、傍らのパイプ椅子に置かれていた人形へと手を伸ばしかける。すると太宰が「ああッ」と大声を上げてギブスをした腕を掲げた。
「大変だよ中也!」
「な、何だよ」
「私、片腕怪我してる! ギルドの襲撃で! これじゃあ片腕しか使えないなあ、子供を背負うなんてできやしない! 人形を持つくらいならできる気がするけれども! けれども! ども!」
――わかりやすい訴えだった。
チッと中也が舌打ちをする。そしてQへと向き直り、その前へとしゃがみ込んだ。両脇へと手を差し入れ持ち上げようとする。咄嗟にその腕を掴んだ。
引き留めていた。
なぜかはわからなかった。
「あ?」
中也がこちらを見遣ってくる。青と目が合う。闘争を見慣れているのだろうその鋭く揺らぎのない青に、身が縮んだ。手を離す。けれど中也は無言のままこちらを見据えてきた。逃げるように顔を逸らす。
「……手前」
唸るような声。顔を逸らしたまま目を閉じる。ポートマフィア構成員への対処について、マスターからの指示はない。指示のない殺戮は禁じられている。どうすれば良いのかわからなかった。
――何も起こらなかった。
そっと体から力を抜き、目を開く。
手が差し出されていた。手袋をした、手。
「立てるか?」
中也の手だった。
手。
「事情はわからねえが、俺達はこいつを連れてここを出る。ついてくるなら勝手にしろ。別に止めはしねえ」
「中也」
太宰が制止の声を上げる。「何だよ」と振り返った中也と太宰が睨み合う。やがて大きくため息をついて太宰が肩を上下させた。呆れたようだった。
「……まあ良いか」
「何がだ。はっきり言いやがれ」
「敵意はないしね。連れて帰って話を聞くのはアリか」
「だから何のことだよ」
「クリスちゃん」
中也を無視し、太宰がこちらを見据えてくる。今度は鳶色だ。けれど中也のものと似た――闘争を見慣れている、覇気の衰えない目。
「君の目的を教えてもらうことはできる?」
それは、イエスかノーかの問いかけ。長らく耳にしなかった、答えやすい問いかけだった。クリスは即座に首を横に振る。
「できません」
「私達に危害を加えるつもりは今後あるかい?」
「ありません」
「なら十分だ。私とおいで。後で話を聞こう」
頷く。元よりそれが目的だ。探偵社の内情を再度探る――ギルドのヨコハマ攻略作戦の終盤に指定された、マスターの指令だった。
前回は社員の情報を探りつつ異能開業許可証の在り処を探した。今回の目的は、この男だ。
太宰治。
今後の作戦に大きく関わる異能者。
中也がQを抱え、太宰がQの人形を持った。二人の後ろをついていく形でクリスは階段を登る。そういえば、と二人の背中を見ながら思った。
スタインベックとラヴクラフトはどうなったのだろう。
中也はポートマフィアの人間だ。そしてそれは作戦書には書かれていなかった事態でもある。二人はどうなったのだろう。どうしているのだろう。
気になった。けれどなぜ気になったのかは――わからないままだった。