人形兵器の夢と目覚め
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フィッツジェラルドはQを使った作戦を実行した。住民に自発的に破壊行動をさせる作戦は成功し、武装探偵社によって阻止されるまで市民同士の戦いが小さな街で行われ続けた。大勢が死んだだろう。大勢が傷付いただろう。人だけではなく街そのものも傷付き、破損している。
上等だ、とマスター・フィッツジェラルドは笑った。本来は阻止されるはずもなかったらしいが、緊急プランの第一段階にあたるこの作戦がそれなりの功績を残したという点については満足したらしい。奪取目的だった虎の異能力者を逃がしたと聞いているものの、どうやらプランの第二段階で再度捕獲できるようになっているらしかった。オルコットという作戦参謀の立てる作戦は緻密で隙がない。
ヨコハマ殲滅作戦が決行されたその日の夜、クリスは森の中の小屋を訪れていた。Qが囚われている小屋だ。今夜、ここに探偵社が来るのだという。Qの異能は凶悪だ、ポートマフィアに使われないよう、そしてギルドにこれ以上利用されないよう、探偵社がどこよりも先に奪いに来るということだった。
誰が来るのだろうか、とクリスは探偵社の面々を思い出す。親しいわけではない、だがクリスがここにいるのを見られた場合、彼らにクリスのことが知れ渡るのは目に見えていた。事務所に顔を出していた少女が敵の駒だったと知ったのなら彼らはどういった反応をするのだろうか。殺しに来るのだろうか、罵ってくるのだろうか。わからなかった。
人の反応は全く予想できない。大抵はそうするらしいという知識があるだけだ。
小屋の扉を開けば、蛸の足のような腕をくねらせるラヴクラフトと目が合った。変貌した腕を手持無沙汰に絡ませ合っている。じっと見つめれば、ラヴクラフトは絡まった腕をそっと差し出してきた。
「ダックスフント」
「……どこがですか」
「バルーンアートを、見たことがある。それを、真似た」
「どこがですか」
どこからどう見ても良くて蛸の足だ。犬には見えない。
「マスターからの指令ですか?」
「子供を、楽しませようとした。考えた末こうした」
クリスの問いに、ラヴクラフトは淡々と答えた。その言葉にクリスは口を閉じる。一つの可能性に気付いたからだった。
――君もラヴクラフト君も対して変わらんからな。
フィッツジェラルドのあの言葉を、思い出したからだった。
「……もしかして、あなたも」
そっと囁くように呟く。
「あなたも……わからないのですか。心が、感情が……楽しいだとか悲しいだとか、そういうものが」
「わからない」
腕を様々な方向から絡ませ合わせながら、ラヴクラフトは表情をそのままに言う。
「それでも良いとフィッツジェラルド君は言った。だから、わからないまま、考える。面倒臭い」
「……そうですね」
そうだ。
これはとても難しいことだ。わからないままでも良いと言われているのに、わかろうとしてしまう。わからないのなら何もしなければ良いのに、バルーンアートを真似るように他人の心の真似をしようとしてしまう。それでもわからない、わからないままだ。
心とは何なのだろう。
――だから聞きに来た。確かめに来た。
クリスは地下へと続く階段を降りた。ひやりとした空気が立ち上ってくる、その中を静かに降りていく。やがて現れた空間へと辿り着き、クリスは奥へと進んで壁を見上げた。
壁一面に木の枝が這っていた。木の根のようにも見える。そこにQが張り付けられていた。探偵社によって異能が解除された後気を失ったらしく、今は首を垂れて黙り込んでいる。
「やあ、珍しいお客だね。見張りの交代かな?」
部屋の隅でパイプ椅子に座っていたスタインベックが声をかけてくる。明るいその声音に、クリスは小さく首を横に振った。
「……少し、話をしたいのです」
言い、クリスは壁を――壁に張り付けられたQを見る。
「作戦は終わりました。なのに、まだこの状態なのですか」
「まだ作戦中だよ。今夜探偵社が来て、ポートマフィアも来て、この子を取り合う。その隙に僕達は背後を取る。救出に手間がかかる状態にしておく方が囮としてちょうど良いってわけ。そういう作戦だったはずだよ」
「……ですが」
何かを言いかけ、口を噤む。何を言おうとしているのか自分でもわからなかった。けれど、何かを言わなくてはいけない気がする。それはQの解放を望む言葉のはずだ。けれど、なぜそうしたいのだろう。
胸元を掴む。その内側に渦巻く靄のようなものの形を知ろうと目に見えない手を伸ばし、けれど何も掴めなかった。
何もわからなかった。
「……意外だな」
スタインベックが椅子の背もたれに寄り掛かり、頭の後ろで両手を組む。ギシリと椅子が音を立てる。
「君が他人のことを心配するなんて」
心配。
「……心配」
呟く。この「心」の名前がそれなのだろうか。
頭を振る。そのことを考えても答えは出そうになかった。
「このままでは話ができません。木から外しても良いですか」
「外せるのなら」
スタインベックの答えは軽く短い。が、椅子から立ち上がる様子はなかった。クリスの様子を見ているのだろう。
スタインベックを一瞥した後、クリスは壁へと歩み寄る。木の根と見紛う太い枝が何本も這い、Qの小さな体に蛇のように絡みついている。斧でもないと切れないだろうその枝の一つへと手を触れる。
「――【フォースタス】」
呼ぶ。願う。必要な対価は既に収集してあった。Qを捕らえる際にもポートマフィア構成員を十人殺している。不足するはずもない。
願う。求める。体の中に蓄積されていた何かが消費され消えていく。同時に体の内側の臓器が引き抜かれるような違和感が生じていく。
スタインベックの異能が枝から切り離されていく。枝がみるみるうちに細く縮み、乾ききった細い枝へと変貌する。ここまでくれば手で折って剥がすことができる、ただの枯れ枝だ。
枝を掴む。ぱきり、と軽い音を立てて枝が折れる。
「へえ、本当だったんだ」
スタインベックが感嘆の声を上げた。
「異能を無効化できるとはね」
「使い方次第では不可能ではない、という程度のものです。ほとんどの異能力はその所持者が死ねば効果を失います。それを疑似的に行って強制的に解除しているだけです。消費が激しいので多用はできません」
言いながらクリスは枝を折っては外し、床に投げていく。やがてQの体がぐらりと落ちかけた。片腕でそれを支えつつ、木の枝を外す作業を続ける。
「今からこの子を起こします。再度精神操作の異能が使われた場合、この場所で被害に遭うのはあなただけです。安全確保を提案します。上階へ行っていただけますか」
「まあ確かにその通りだ。君もラヴクラフトも精神破壊の耐性がある」
肩を竦めるその顔には呆れに似たものが浮かんでいる。
「じゃあお言葉に甘えて上に行こうかな。探偵社が来るまでのんびりお話していなよ」
椅子から立ち上がり、スタインベックは片手をひらりと上げて階段を登って行った。どうやら二人きりで会話をするために追い出されたのだと思われているらしい。あながち間違いでもない、訂正する必要はないだろう。
次々と枝をもぎ取っては投げ捨てる。床が細切れの枝で埋め尽くされる。その中へとQを座らせ、軽く揺すって名前を呼んだ。僅かに呻き声が上がる。
「聞きたいことがあります」
Qが意識を取り戻し事態を把握するより先に話しかける。元より救出しに来たわけではない、用件を早く済ませたいだけだ。
「あなたはわたしに狂気を求めました。そのためにわたしへ狂気を植え付けました。確かにあの時、わたしは狂気を感じていました。胸の中に……全身に、何かをしなければいけないという、誰によるものでもない命令がありました」
Qが顔を上げる。疲れ切ったその顔を覗き込み、続ける。
「あれが狂気だというのなら、『心』だというのなら、教えてください。あの時、わたしはどうするべきだったのですか。心が消えることはないとマスターは言っていました。わたしにも心があるのだと国木田さんは言っていました。ならわたしには何らかの心というものが今もあるはずです。わたしの中の振り子は今も揺れているはずです。……今のわたしの心は何なのですか。今こうしてあなたに話しかけているわたしの心は、一体何なのですか」
心、とQは呟いた。
「……クリスさんは、心が、知りたいの?」
「はい」
知りたいか、知りたくないか。その二択で考えるなら答えは明白だ。
「知りたいのです。感情を、知りたいのです。そうしたら説明できるはずなのです。今のままでは上官に報告できません。わたしは上官の道具なのです、身体異常を報告しなければいけません。そのためにはこの異常を正確に理解しなければいけません。――先程あなたはわたしに狂気という『心』を与えてくれました。あなたならきっと『心』について答えられるはずです。教えてください」
どうしてこれほど話をしているのかわからない。どうしてこれほど懸命に頼み込んでいるのかもわからない。
わからない。わたしはなぜ、このような行動を取っているのだろう。
「……そんなことを言われても」
Qが視線を外す。力なく俯いたその顔を見つめたまま、クリスはQの言葉を待った。
「心って、言葉にならないから心なんだよ。言葉で表せない心だってあるんだよ。だから説明なんてできないし……狂気をもう一度感じたいっていうのなら、もう一度やってあげても良いけど」
「本当ですか」
「……ううん、嘘。ちょっと疲れちゃった」
Qが大きく息を吐き出す。顔色は悪く、瞼が眠たげに降りつつあった。吐息は深く、そして震えている。この小さな身に与えられた痛みをクリスは知っている。それがどれほど酷いものであったかも、知識として知っている。ただそれだけだった。だから、Qへかける労いの言葉は一欠片も思い浮かばなかった。
そのことに気付き、戸惑う。相手の痛みを慮るなど必要性がない。なのになぜ今、相手へかける言葉を探そうとしているのだろう。
わからない。わからない。
迷い、戸惑い、何かをしなければいけないという焦りのままに、クリスは手を伸ばした。これしかわからなかったのだ。ギルドに来て、この街に来て、そうしてようやく知った仕草。相手を喜ばせる方法。
俯いたその小さな頭を撫でる。柔らかな髪がくしゃりと手の下で波打つ。
「……えへへ」
Qは笑った。満面の、とまではいかないものの、笑った。胸の中の振り子が逆方向に揺れる錯覚。冷え切った氷だと思っていたものが突如柔らかな毛布に変貌するような感覚。
知らず肩の力が抜ける。
「クリスさんは優しいね」
「やさしい?」
「相手を気遣って何かをする人のことをね、優しいって言うんだよ」
優しい。
不思議な言葉だ。ささやかで柔らかで、あたたかい日の光に似た心地を与えてくれる言葉。きっと、その単語自体が――優しい。
「……わたしは、ただ、これしかわからないからこうしただけです。平易な行動です、誰でもできることなのだろうと推測します。それでも『優しい』のですか」
「どの行動をするかじゃなくて、何をするかが大切なんだよ。ぼくを地下牢に入れた太宰さんも、ぼくをここに閉じ込めたあのお兄さんも、こんなことしてくれなかった」
そっとQの手が自らの頭上、そこに置かれたクリスの手に重ねられる。促されるように降ろせば、Qは縋るようにクリスの手のひらへ頬をすり寄せた。
「クリスさんはあのお兄さんの仲間だよね。ぼくね、すっごく憎いよ。今すぐクリスさんを呪いたいくらい。クリスさんも他の人達みたいに狂ってくれたら面白かったのに。……でもね、それだけじゃないんだ。クリスさんを呪いたい理由。クリスさんと遊びたい理由」
柔らかな頬が手の下にある。それだけだ。なのに、どうしてか――このまま時間を過ごしていたいと思っている。
「心を教えて欲しいって言ったよね」
Qの言葉に頷く。
「はい」
「心はね、手だよ」
手。
「手は心を表してくれるんだ。相手が憎いのなら叩けば良い、掴めば良い、殴れば良い。相手と仲良くしたいなら開いて差し出せば良い。相手を慰めたいなら頭を撫でてあげれば良い。誰かと喜び合う時も、誰かを殺す時も、手は心の思うままに行動してくれる。だから今のクリスさんは優しいんだよ。こうして、ぼくを優しく撫でてくれたもの」
だからね、とQは微睡むように微笑む。
「そんなクリスさんの手がいろんな人を掴んで、殴って、殺して、そうしているのを見れたらとっても楽しいと思うんだ。いつもは見せない表情を見せてくれるのってとっても楽しいんだよ。クリスさんの狂気、見てみたかったなあ」
心。
手。
呆然としたまま、クリスはQの頬へと手を当て続けていた。それへとすり付けられてくる柔らかな頬の感触を上の空で感じ続けていた。
手。
手が、心。
思い出したのはフィッツジェラルドの手だ。国木田の手だ。ぽん、と軽く置かれたあの手のひらだ。殴るでもなく叩くでもなく、促すでもなかった、あの。
手は心を表す。なら、あの二人の手は――どんな心を表していたのだろうか。