人形兵器の夢と目覚め
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「ねえ、どうして?」
顔を上げる。Qが困ったような顔をしていた。
「どうして、平気なの?」
「……平気、ではないと、思います」
明らかに異常事態が発生している。けれどQにとってはこれ以上の何かが起こる予定だったらしい。それが何なのかはわからない。この「心」を感じた時、人は何らかの行動を取る――そう決まっていて、Qはそれを待ち望んでいる。そういうことだろうか。
わたしには、わからない。
ただ確かなのは。
「……任務を、遂行、します」
呟く。決まりきったその言葉よりも先に迸りそうになる唸り声を押し殺す。
「どうして!」
Qが叫ぶ。
「どうして殺さないの? どうして襲わないの? 憎いはずなのに、怖いはずなのに、壊したくて仕方がないはずなのに! どうして」
「命令にない殺人は許可されていません」
後ずさるその細い腕を掴む。手の中でちくりと痛みが走った。腕に針金でも纏っているのだろうか。手のひらに食い込んでくるそれをさらに食い込ませるように強く掴み上げる。Qが「痛い」と悲鳴を上げる。
「わたしはマスターの命令を――神の代行者の命令を遂行するための道具です。あなたはわたしのマスターではありません、あなたの命令に従う理由がわたしにはありません。命令拒否、遂行不可。これよりマスター・フィッツジェラルドの任務遂行へ移行します」
きっと普通の人間なら、この「心」の思うままに何らかをしていたのだろう。それが普通で、人間なのだろう。人形にはわからない。
わからないままだ。
――誰も殺されず、誰も憎まず、誰も苦しまぬ、そういう街を、世界を作る。
必要以外の殺しの理由も、憎しみという感情も、苦しみという状況も、何もわからない。それらが存在しない街というものが現在の街と何が違うのかわからない。
あの言葉の意味が端から端までわからない。わかるようになるとも思えない。
けれど、それでも、わたしは。
――理解するという夢を、設定してしまった。
心というものを報告する手立てもわからないまま、夢を見ろというマスターでもない人間の命令を聞いてしまった。信用すると決めてしまった。その理由がわからない。わからない、わからない。神の代行者たる尊いお方の命令だけを聞くように設計されている人形なのに、どうしてあの命令を受け入れてしまったのだろう。
答えが知りたい。わからないままは、嫌だ。
誰か――誰か、教えて。
わたしの行動の理由を、根拠を、原因を、教えて。
「心」を教えて。
Qの小さな体を片腕で持ち上げてそばの鉄柵へと叩きつけた。悲鳴が上がる。突然の事態に周囲の人間達がざわめきクリス達から距離を取る。それらを全て無視し、クリスを橋の隅で蹲るQの体を踏みつける。ポケットから通信機を取り出し、上空にいるマスターへと繋ぐ。
「マスター、ターゲット捕獲完了しました」
『上等だ、よくやった。数分で構成員を向かわせる、その間捕虜を逃がすな。襲ってくるポートマフィア構成員は倒せ』
「倒すというのはどの程度でしょうか」
『殺しても構わん。が、全員は殺すな、君の存在を本部へ伝えてもらう必要がある。そうだな……半数を殺せ。いいか、”半数殺せば奴らは無力化する”、そういう〈赤き獣〉だ。殺しすぎるなよ』
「了解しました」
何かに気付いたのか突如周囲から悲鳴が上がる。逃げるようなそれらの後にやってきたのは黒服の男達だった。ポートマフィアの構成員だ。Qの奪還をしに来たのだろう。その数、二十。
橋の両方から十人ずつが迫り、クリスを挟み込む。逃げ道を塞いだのだ。こちらは一人、単純に考えればポートマフィアの方が圧倒的に有利。彼らは揃って拳銃を手にしてこちらへと向けてくる。
「抵抗するな! 大人しく両手を上げて」
――言い切ることはできなかったようだ。
クリスは膝の力を抜いて重心を下げた。と同時に地を蹴る。一歩の後構成員の眼前へと到達、狙いを定めることもできないまま立ち竦んだその表情が変わるより先に、クリスはその喉元をナイフで掻き切った。
鮮血、一閃。
勢いよく噴き出した血が構成員達の視線を集める。その隙にクリスは低めた姿勢のまま疾走、群れた黒服達の中を駆けつつナイフをつぎ込んでいく。一人、二人、三人、四人。一歩踏み出すと同時に腕を振り、頸動脈を的確に突き、薙ぐ。大したことのない作業だ。
鮮血に驚愕し一度瞬きをする、その間に八人が首を裂かれる。あまりにも短い間に起こった非常事態をようやく把握した黒服の人間達が、拳銃を構えて撃つ。銃声が連続する。
その間をクリスは駆けた。何ということはない、見えるものを避けていくだけのことだ。
普通の人間は、これができないらしいが。
跳ね、横転し、しゃがみ込んだ状態のままつま先で地を蹴って前進する。突撃の末眼前へと迫った黒服の首元へとナイフを突き立て、大きく横に薙いで首の大部分を裂く。背後では避けた銃弾が対面にいた構成員へと当たっているようだった。予期せぬ流れ弾に悲鳴が上がり、次々と膝を崩して倒れ込んでいく。包囲網が崩れていく。
――一瞬、上空から影が差した。
「やってるね」
とん、とQの元に降り立つ人影に、クリスは一瞥を向ける。
癖のある金髪にハンチング帽。ギルド構成員の一人、スタインベックだ。腕から生えた蔦が彼の着地を手伝ったのだろう、かなりの高度から落ちてきたというのに怪我一つないようだ。
「手伝おうか?」
陽気な様子で片手を上げてくる青年に、クリスは軽く首を振る。
「いいえ」
すでに九人を殺している。あと一人殺せば終わりだ。そう思考するクリスの背後から飛来してくる銃弾の気配。避ければスタインベックに当たるかもしれない、ギルド構成員の傷害は禁止されている、防がなくては。
くるりと身を翻して背後を向く。ナイフをしっかりと握り手首で固定、銃弾と垂直にナイフを構える。平面で受けてはナイフが折れてしまう。
キン、と硬質な音が響く。手の中のナイフが細かく激しく振動する。
「……ッ」
顔をしかめる。その間に黒服が次弾を打ち込もうと引き金を引きかけていた。人差し指が動く、その僅かな時間のうちに、クリスはその男の全身を見つめる。
認識。
一人の人間の輪郭を、肉体を、存在を――確認する。
人が、ひとり。
それだけで十分なのだから。
――ふ、と。
その手に握られた拳銃が音を発するよい先に、男が倒れ込む。引っかかった指先が引き金を引き、あらぬ方向へと銃弾が弾き出される。その飛来先を確かめる様子もなく、黒服は四肢を放り出して動かなくなった。
十人目。
「……驚いた」
スタインベックが来、死者と生者が入り混じる橋の上を見渡す。
「こうも呆気ないなんてね」
「任務を遂行したまでです」
「登録された人間の命令しか聞かないとはいえ、まさか精神操作系の異能すら効かないなんて……精神操作の効かない一騎当千か、歩く核ミサイルそのものだね。――で、それが君の異能?」
スタインベックがクリスの顔を覗き込んでくる。その目にクリスの顔が映り込んでいた。
薔薇の咲く赤色の目。
瞳孔の代わりに薔薇の紋様が浮かび上がった、人ならざる眼。
「悪魔に対価を差し出し願いを叶える異能、ね。神に恨まれそうな異能だ」
「ギルト構成員の発言への訂正は許可されています。――悪魔というのは一種の概念であり、例えです。具体的には、人一人の命と引き換えに願いを一つ叶えることができるという〈恵み〉です」
「夢のような異能だ」
「対価を必要とするので無制限ではありません。何でもできるというわけでもありません。それでも対価の供給タイミングに指定がないので、比較的自由度は高いでしょう。定期的な点検と修理が必要になりますが」
「点検と修理?」
スタインベックが橋の隅で気を失っていたQを抱え上げる。肩へと乗せた小さな体を見つめながら、クリスは頷いた。
「自由度が高い分、通常の異能行使よりも身体負荷がかかります。無抵抗――使用条件なく最大効果を発揮できるとはつまり、媒体の限界を無視するということですから。とはいえ、機械も人形も使い続ければいつか壊れるもの。道具に修理が必要なのは当然のことです」
スタインベックが黙り込む。何かを言おうとして言えないままになっている、そういった類の沈黙に似ていた。この話をすると大抵の相手はそういう反応をする。気にせず無視して良いという回答を既に得ている現象だ。
「どうなろうと直せるので問題にはなりません。当任務において足手まといになることは一切ないと保証します」
行きましょう、とクリスはスタインベックに言った。早く移動しなければポートマフィアの増援が来るかもしれない。ポートマフィアの異能者を捕獲次第現場から離脱せよとマスターに言われているのだ、それを遂行しなければならない。
自分は人形、指示に絶対に従う、修理を必須とする道具。
だから、わたしは。
胸に手を当てる。服を掴み、握り締める。
わたしは、それでも。
――「心」とは何かと、問いかけずにはいられない。