人形兵器の夢と目覚め
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
[動揺る《ゆれる》]
ポートマフィアの構成員を誘い出し捕獲するという作戦は、本来はラヴクラフトという構成員が受ける任務であったらしい。彼とは顔を合わせた程度で会話をしたことはなかった。話すことがなかったとも言える。クリスもラヴクラフトも、必要のない会話をして友好を育むような性格ではなかった。
だからフィッツジェラルドの「君もラヴクラフト君も対して変わらんからな」という発言の意味はわからない。彼もまた自分と同様、人形なのだろうか。そこまで考えてクリスは思考を止めた。それ以上考えても作戦には関係がない。彼が何であろうと、自分が任務を遂行しなければいけないという事実が変形することはないのだから。
数日間歩き回った街をクリスは歩いていた。街中を通る川にかかっている橋は多くの人が行き交っている。海向こうの異能力組織が攻撃を仕掛けてきているというのに呑気なものだ。作戦次第では、彼らも街を燃やす燃料になるというのに。
呑気なものだ。
――マスター・フィッツジェラルドがそう言っていた。
橋の中央で立ち止まり、鉄柵へと手を触れて川へと向き直る。涼やかな音と色味の水が足の下を流れている。両脇には高層ビル。おそらく景色の良さを売りにしているであろうマンションも見える。
街が、ある。
人が住む街が。
――見知らぬ人ばかりが普段通りの生活を繰り返している、陳腐な。
「……陳腐、な」
その単語もマスターがよく口にしていた。この街を豪華客船から眺めながら、高級ホテルから見下ろしながら、空中要塞「白鯨」から見渡しながら、彼はそう評していた。ならばこの街は陳腐なのだろう。陳腐という言葉の意味は理解している。くだらない、淋しい、価値のない。他と比べて劣っているという趣旨の言葉。
――劣るとは何だろうか。
川の両岸を挟む建築物を眺め、そしてクリスは焦点を上に上げた。空がある。白鯨が泳いでいるはずの空が一色の青を有している。きっとそれを綺麗と言うのだろう。
わたしには、わからないけれど。
胸に手を当てる。そこには機械的な鼓動が続いているというだけで、数度感じてきたあの違和感はなかった。
服のポケットに手を突っ込み、その中に入れていたものを取り出す。銀の鎖に通された指輪、振り子――「心」だ。繋ぎ目を指で摘み、クリスはそれを川の方へと掲げる。ゆらりと揺れた指輪が太陽光を反射してきらりと輝いた。そっと揺らし、その輝きがチラチラと連続する様を眺める。
川、街、空、陽光。
それでも――何も感じなかった。
「……難しい」
難易度を表す単語を呟き、振り子を手の中にしまう。ポケットに入れ、再度空を見上げようとし――クイと服の袖を引かれたことに気が付いた。
そちらを見る。
「こんにちは、お姉さん」
子供がいる。柔らかな白黒の髪に小さな帽子を乗せた、可愛らしいと言うべき子供。
「ねえお姉さん、ギルドの人でしょ?」
子供が笑う。その一言で察する。
――この子供が、任務対象だ。
「お姉さん達のおかげで、ぼく、こうして街に出られたんだ。とっても嬉しいんだよ! だって地下牢は何もなくて誰もいなくて、つまらなかったんだもの」
「地下牢……」
「お姉さんは入ったことある?」
「いいえ」
「そっかあ。あのね、地下牢って悪いことをした子を入れるんだって森さん言ってたんだ。だからぼくは入れられたんだって。でもぼくは何も悪いことしてないよ。楽しいことをしただけ。楽しいことをしたら、地下牢に入れられたの。……ねえお姉さん、お名前なあに?」
名前、とクリスは反芻した。それは個体名のことだろう、おそらく国木田へ名乗った名と同じものを言えば良いはずだ。
「……クリス」
「クリスさんね! ぼくは夢野久作。皆からはQって呼ばれているんだ」
呼びやすいでしょ? とQは楽しげに跳ねた。覗き込むように腰をかがめて首を傾げてくる。
「クリスさん、ぼくと遊んでよ」
「……遊ぶとは何ですか」
「とっても楽しいことだよ。久し振りの外なんだけど、森さんったら『仕事が終わるまで他の人で遊んじゃ駄目』って言うんだもの。でもクリスさんなら良いんだって。だから遊んで?」
ねえ、とQが袖を引っ張ってくる。何かを催促するような仕草だが、クリスには何を望まれているのかわからなかった。遊ぶ、というものは適合する回答があまりにも多すぎる、どれをすれば良いのだろう。
わからないまま、クリスはQへと向き直る。待ち望むかのような様子でQはそこにいる。マスターから言われたのはこの子供の捕獲だ。けれどそれを実行するより先にこの子供の依頼を遂行しなければいけない。複数の任務が重複した場合、全てを過不足なく達成するのがクリスの役目だ。
遊ぶ。遊ぶとは何だろう。
――とっても楽しいことだよ。
そういえばこの子はそのようなことを言っていた。楽しいというのは確か、喜びに似たものだ。嬉しいという言葉で表現できる感情の――「心」の、ことだ。
クリスはそっとQへと手を差し出した。そして、手のひらをその髪の上へと乗せて、左右に動かす。
フィッツジェラルドがやってくれたように。
国木田がやってくれたように。
Qの頭を、撫でた。
「……クリスさん?」
Qは何事かと目を丸くしている。喜んでいる様子ではない。間違ったのだろうか、とクリスはQから手を離して「すみません」と謝った。
「遊ぶとは楽しいことなのだとあなたは言いました。わたしにはそれがわかりません。この方法で喜びを感じられるらしいということはわかっていたので、こうしたのですが……間違っていますか?」
「間違ってはないよ」
Qはふるふると首を横に振った。そして口元を緩ませて「えっとね」と視線を泳がせる。
「こういうこと、してもらったことあまりなかったから……ちょっとびっくりしただけ。でも嬉しかったよ」
「嬉しい、でしたか」
「うん。嬉しかった。だからね」
Qはにこりと笑った。
「――お礼をするよ、ギルドのお姉さん。一緒に楽しく遊ぼう!」
途端、Qが体当たりをしてきた。とはいえクリスを押し倒すようなものではない。まるで何かを押し付けてくるかのような――不可思議な動作。
ふと、皮膚に何かが這いずるような感覚。手を見下ろす。見慣れない痣が浮き出ていた。腕に、足に、違和感は広がっていく。
「仕事が終わるまでは他の人で遊んじゃ駄目って言われたんだ。じゃあ、早く仕事を終わらせてしまえば、今度は他の人で遊んで良いってことになるよね?」
Qが笑う。その腕の中にはいつの間にか不気味な人形が抱えられていた。ぼろぼろの雑巾で縫い上げたような人形だ。首があり、腕があり、一本ながら足がある。そして顔もあった。虚ろで底知れない闇色の眼が二つ。
口と思しき三日月型が大きく開く。尖った不揃いな牙がずらりと並んだ口内を晒して、人形が笑い声を上げる。
――何かを予感する悪寒が背筋を駆け上がった。
人形が笑っている。大口を開けて発される高らかな笑い声。それをけたたましく叫びながら、人形は自らの頭部へと短い両腕を伸ばし、そして。
裂いた。
ぞわり、と胸の内に何かが沸き上がってくる。それは先日覚えた「喜び」というものに似ていた。けれど明らかに違う。まるで泥のようだ、重く、粘り気があって、今すぐ掻き出してしまいたいと強く願ってしまう類の――不快感。
「ッ……!」
一歩後ずさる。
視界が狭まる。人々が行き交っている、先程から何ら変わりない光景――目の前にある全てが否応なく邪魔に思えて、排除しなければという気にさせられる。早くしなければ自分が内側から壊れてしまう、そう伝えてくる焦燥。
消さなければ。
壊さなければ。
でなければ――殺されてしまう。
予感。予兆。確信。
これは、何だ。
「どうしたの、クリスさん」
Qが首を傾げてくる。
「我慢しなくて良いんだよ」
我慢。
「殺したいでしょう? 呪いたいでしょう? それで良いんだよ、その心のままに、この人達を殺そうよ。クリスさんの狂気をぼくに見せてよ……!」
狂気。
それは、これのことか。
これも――心、なのか。
ならば、とクリスは両手を見つめた。手形の痣が浮き出ている。それを見つめて、そうして胸の中の違和感を探る。形を、色を、味を、あらゆる五感を駆使してその違和感の正体を具象化しようと試みる。気持ち悪い何か、焦りが否応なく沸き上がってくる原因、Qが狂気と呼んだもの。
これが心。これも心。
心。