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何でも屋真壁嵐~夜の見世物~

「ど、どうしたんだね。吉田くん……」
 翌朝、顔を合わせた瞬間の、上司の驚愕の顔はもっともだった。
 麻衣子の頭は包帯でぐるぐる巻きにされていた。麻衣子は頭を下げた。
「遅刻してしまい、申し訳ございません。明日から気をつけます」
「あ、ああ……」
 下げるとにじんだ血が上司に丸見えになった。すぐに顔を上げた麻衣子はビジネスバッグを持ち直して、
「では、仕事に参ります」
「いや、吉田くん。それはどうしたんだね」
「私が車で駅まで行き、電車に乗り換えていることはご存知でしょう。今朝車に乗ろうとしたらタイヤがパンクしていました。仕方がないのでタクシーを呼んで駅まで行き、会社の最寄り駅に着きました。ここまで来る途中に頭上から植木鉢が落ちてきました」
「タイヤのパンクまで。しかしその処置、とてもプロとは思えない」
「もちろんです。私が自分で手当てしましたから。ドラッグストアで包帯や消毒を購入して、巻いてまいりました。ゆえの遅刻、重ね重ねお詫びを」
「い、いや、吉田くん。遅刻のことはお咎めなしだから、早く帰りたまえ。そして早急に病院へ行きたまえ。これは立派な労働災害だ。頭の怪我は放っておくと取り返しのつかないことになるぞ」
「わかりました。ありがとうございます」
 麻衣子は再び頭を下げると、その足で病院へ向かった。事情を説明し、レントゲンなども受けたが、幸い大事には至らなかった。医師は再三、植木鉢を落とした張本人を突き止め、慰謝料を払わせることも可能だと口を酸っぱくして言ったが、麻衣子はそれを断った。病院を出る頃には陽も傾いていた。
 そういえば車の件を思い出し、家族で世話になっているディーラーに電話すると今日は休業日のため、明日には来てくれるとのことだった。しかしタクシー代も馬鹿にならないため、母に電話して、迎えを頼んだ。
「たまにはうちに泊まりなさいよ」
「そうする」
 麻衣子はうなずいた。上司からは明日も大事を取って休むことを命じられていたため、都合がよかった。
 なんだかんだで正月ぶりの帰還である。家族総出で歓迎してくれたが、いちばん喜んでいた人物が一人いた。
「麻衣子ねーちゃん!」
 入るや否や、駆け寄ってくる彼女を麻衣子は抱きとめた。
「汗臭いよ?」
「いいの!」
 顔をすり寄せてくる彼女の後頭部を優しくなでると、寄ってきた父親に返した。
「アキちゃん、元気そうですね」
「ああ、ちょっといろいろあったんだがな」
 父親の晋作は少し取りつくろうような笑顔を向け、アキを一層抱きしめた。
 隣に住む加山かやま家の一人娘であるアキは、この春小学校に上がったばかり。麻衣子含め吉田家は生まれたときからアキを見守ってきた。祖父母などあわよくば七五三の写真に混ざろうと画策しているようだが、せめて入学式に参加するぐらいで我慢してほしいというのが麻衣子の両親の意見。対する肝心の加山家の両親は、願ってもないと言わんばかりだった。農業を営んでいる夫婦からすれば、いざというとき預かってくれる吉田家は第二の家族に等しい存在だった。
 風呂から上がると、アキは祖父と晋作に遊んでもらっていた。麻衣子は髪を手ぐしで一度とくと、晋作の元へ歩んだ。
 それからすぐして、麻衣子と晋作は縁側で庭を眺めていた。今日は月が大きい。祖父が趣味で育てた盆栽も、祖母がかわいがっている花も月明かりに照らされて輝いていた。
「晋作さん、私が知らないうちにアキちゃんに何かあったんですか」
 麻衣子が単刀直入に聞くと、晋作は少し肩を震わせた。間を置いて、悲しげな顔を彼女に向けた。
「聞くんだね」
「ええ。差し支えなければ」
「ああ……麻衣子ちゃんになら、言ってもいいかもね」
 晋作は重い口を開けた。
 麻衣子も通っていたアキの小学校は、地区ごとに児童が集合して、全員で登下校する。その際子どもだけでなく有志の近所の人も一緒に歩いて子どもたちを見守る。だが集合場所以前以後はてんでばらばら、おのおので向かう。
 一年生のアキは、麻衣子の祖父母がかわりばんこで送り迎えしていた。アキもそれを楽しみにしていたのだが、その日は違った。
 三日前の下校時間。集合場所におじいちゃんもおばあちゃんも来ない。だが子どもでもアキは田舎育ちのハツラツとした女の子。冒険心もある。今日は自力で帰ってやろうと一歩踏み出した。
 家まではくねくねした、舗装されていない田舎道をたどって約二百メートル。えっちらおっちら歩いていると、ぼうぼうと茂った草の陰から、誰かが飛び出した。
「アキちゃん、チョコレートは好きかい」
 この季節に分厚いコート、顔を見られたくないようなニット帽にサングラスにマスク。どこからどう見ても怪しいが、小学一年生の彼女に判断力はない。
「好きだよ」
「そうかい、おじさんと一緒にチョコレートを食べに行こう。お菓子の国の場所を知っているんだ……」
 と、アキの細腕に手を伸ばそうとした瞬間、
「おい、てめぇ!」
 怪しい男は突然飛び出してきた物体にタックルされ、事故みたいにごろごろと転がった。
 それは怒髪天を衝く勢いの晋作だった。下は野良仕事で破れたジーンズ、上は白いタンクトップが元からそうだったように真っ茶色。実は脱ぐとわかるが、彼はもともと花園も経験している元ラガーマン。プロには引っからなかったが、そのタックルの威力は推して知るべし。
「うちの娘に何さらしとんじゃぁ!」
 ドスの効いた声でそう叫ぶと、謎の男は腰をかばうようにして逃げ出していった。ぐきっとやられたのだろうが、ひねったぐらいで済めばラッキーだろう。
「いちおう警察にも連絡したけど、手がかりが、たまたまやつが転んだときにサングラスが取れたときにちらっと見えた目しかないんだ……このあたりだともちろん監視カメラもないからね」
「どんな目なんですか」
「ああ……」
 彼はメモ帳に描いてみせた。ただこれだけではなんともわからない。
「一瞬だったのと、西日のせいでこれでも曖昧なんだよ」
「いちおうもらいます」
 麻衣子はメモを受け取った。
「その日、たまたまおじいちゃんもおばあちゃんも来なかったんですか。いつもだったら自分が迎えに行く迎えに行くって取り合うぐらいだと聞いたんですけど」
「家の庭に大きなスズメバチが出たらしくてね、洗濯に出ていた喜美子さんが突然のことに腰を抜かして、それを全員で介抱しているうちに下校時間が来たらしい」
 晋作は悲痛な声をあげると、悔やむようにささくれだったゴツい手のひらでおでこを押さえた。
「自分も嫁も畑からスズメバチ退治に繰り出して、娘のことを失念していた。一件落着して急いで行ったらあんなことに。俺がもっとしっかりしていれば……」
 なおのちにわかったことなのだが、やつはスズメバチではなかった。全員あわてすぎて錯覚していただけで、普通より大きめのミツバチ数匹をスズメバチと見間違えたのだそうだ。とんだ間抜けだが、それにかまけてアキに危険が及んだのだとすると、笑い話では済まない。
「なるほど、そうですか……」
 麻衣子はメモ帳を手のひらの中で握りしめた。
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