このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

【SAO/キリト】幸村 紗英/ユエ

「よわくなんてない」

※既にアニメ化されているシーンなのでネタバレはありません。

【舞台:SAO】



 ―――弱いかもしれないけど、お願いだから、きみを守らせて。
 涙ながらに懇願してきた少女の顔を、今でも鮮明に思い出せる。いつもとは違う紅白の装備を身に纏い、肩にかかる綺麗な茶髪を揺らしながら俺の手を握った、ユエという少女を。路地裏で俺が彼女に声を掛けたのが始まりだ。第一層から行動を共にしてきて、お互いをそういう感情で意識してしまう事は多々あった。
 今までお互いパートナーという間柄だったのに、俺はあの時、確かにユエをひとりの女の子として見てしまったのだ。


 「―――キリト!!」
 焦りと怒りを含んだ声と、がきぃん、と金属同士が擦れ合う耳障りな音。俺の目の前を、風に靡く淡めの茶髪と紅の短いスカートが通り過ぎた。赤いライン入りの白いハイソックスに包まれた華奢な足を地面に叩きつけ、草も生えない荒れた地面を駆け抜けながら、翼のような鍔が舞った。白銀の愛剣《ナイトメアカンカー》で敵の剣を正確に弾いてみせる。ヒースクリフとのデュエルに負け、俺と共に血盟騎士団に入る事となった少女―――ユエだった。

 勢い余ってクラディールの前を通り過ぎてしまうが、すかさず身体を回転させると同時に奴の腹部に一撃をかました。奴も負けてやるわけはないらしく今度はソードスキルで大剣を横薙ぎに彼女へ浴びせようとするが、その攻撃は再びの鮮やかなパリィによって叶わない。クラディールに発生した隙に、逃すことなく追撃を見舞う。ソードスキルではないただの斬撃。彼女に硬直時間は課せられない。ぐいぐいと目まぐるしく奴のHPバーの緑色が左に押し込まれ、黄色になり、赤になり―――
 ―――あと一撃。あと一撃彼女が浴びせれば、奴は間違いなく、死ぬ。言い換えれば、あと一撃で――カーソルの色は変わらずとも――彼女は殺人者になってしまうのだ。
 ユエもそれを重々理解しているらしく、今までならぴたりと真っ直ぐに構えらえていた剣先が僅かに震えているのが見えた。この世界では血なんて飛ばないけれど、彼女の手が、頬が、返り血に染まる光景を嫌でも想像してしまう。その瞳からは涙なんて流れてなくて、あるのはただ、奴の死体と、血に濡れた彼女の白い手と、その手に握られた剣先を紅に染める愛剣。そのうち死体がポリゴン片になって空に散り、黒鉄宮のやつの名前に二重線が引かれ、彼女は殺人者になってしまう。そんなこと、あってはならない。あったとしたなら、その役目は、その彼女には大きすぎる感情は、俺が―――

 かちり、握り直された柄の音で現実に引き戻された。剣先の震えが、止まっている。装備と同じ紅の瞳が、殺意に満ちている。
 ―――殺す気だ。間違いない。直感的にそう悟った。次いで、そんなことさせるものかという感情が光のような速さで湧く。麻痺状態で動かない体に力を入れるが、動いたのは左手だけで、あとは微動だにしない。ダメだ。このままでは、いつかきっと彼女が――ユエが、壊れてしまう。
「……ユ、エ」

 掠れ掠れの俺の声を追うように、別の声が凛々しく追いかけてきた。
「ユエちゃん!!」
 腰に携えた細剣を抜刀することはせず、白い布地に包まれたその両腕でしっかりとユエを抱きしめる。彼女の閉じられたはしばみ色の瞳から涙が溢れ、大気に溶けて儚い輝きを放った。勢いでユエと彼女の体がぐらりと傾き、そのまま揃って地面に座り込む両者。ユエと同じ白と赤の装備を身に着ける彼女は―――
「アスナ…?」
 ―――KoB、《血盟騎士団》副団長、アスナ。
「ダメだよ、ユエちゃん…ユエちゃんが人殺しなんて、そんな……」
「……やめ、て」
 アスナの両腕から逃れたいらしく身じろぎをするユエ。離さないとばかりに抱く力を強めるアスナ。忘れられかけていた奴が動き出すのを、視界の端に捉えた。

「ヒャアァァアアア甘ェエェエンだよお嬢様方ァ!!!!!」
「!!」
 狂ったとしか言い表せないその顔を見たユエとアスナが、鋭く息を呑んだ。彼女の紅が、一瞬にして恐怖に塗られる。動け。動け。この一瞬身体が動いたのなら、あとはどうなっても構わない。―――動け!!
「う……うぁあぁあぁぁぁぁああ!!」
 喉が枯れるのも構わず、出せる限りの声に気迫を乗せる。奇跡的に麻痺が解除され、鉛のようだった身体が一気に軽くなった。すかさず右の五指を揃えて体術スキルを発動させ、奴のアーマーの継ぎ目に深々と差し込む。赤色のドットが弾け飛び、クラディールの死を告げた。「この……人殺し野郎が……」という餞別を残して。糸が切れたように倒れ込む俺の元へ、アスナの腕から解放されたユエが駆け寄ってくる。崩れ落ちる俺を細い両腕で抱き留め、重力に従ってゆっくりと腰を下ろしていった。
「キリト……!」
 しんじゃうかとおもった、とか細い声が耳元で囁いた。俺はゆっくりと彼女の茶髪に左腕を添える。
「…生きてるよ、ありがとう、ユエ」
「よかった、よかったよ…キリト……」
 ルビーのような瞳を潤ませて苦しそうに笑うユエ。留まりきらなかった涙が一粒零れて、俺の頬に当たって弾けた。

 強くなりたいと、この世界から逃げ出したいと嘆くユエの姿はもう見当たらない。始めの頃はぶれてばかりだった剣筋もしっかりと直線軌道を描いて振れるようになっている。ソードスキルも、体術スキルだってたくさん使えるようになった。そう、彼女はもう弱くなんてない。
「まもれたよ、キリト……!」
「ああ、つよくなったな、ユエ」
ぺたりと座り込んで俺の胸に額を押し付けて震えるユエの髪に、そっと唇を落とした。
5/5ページ
スキ