怪物

…馬車が向かった先は、森の中の小さな教会。その中のこぢんまりとした聖堂の奥へと進むと、地下室へと続く階段があった。もう日も暮れ始めているため、その先は暗闇に包まれていた。
男と共に来ていた部下と思われる数人の男達に囲まれ、彼は階段を下りていた。

「足下 気を付けて~」

壁にまばらに設置されているロウソクへとマッチで火を灯しながら、男は進んでいた。今の状況とは不釣り合いな陽気な声が、かえって不気味さをかもし出している。

「……」

暗闇に目が慣れたのか、灯りがなくとも彼には先々の階段が見えていた。
そして下りた先にあった部屋の中へと入り、息を呑む。

「あはは。すごいでしょ。この部屋だけでも充分 怖がらせることができるんだよね」

そう言いながら男が部屋に火を灯すと、その凄惨さがよりはっきりと見て取れた。
真ん中に置かれている古びた木製の台。その台にも石造りの壁にもところどころに血が飛び散っており、部屋の隅にはむちや斧、鉄製の禍々しい器具などの拷問に使ったであろう道具が無造作に置かれていた。
彼も敵国の者を捕らえて情報を吐かせる際に同じような部屋へと閉じ込めるのだが、方法としてはしばらく食事を与えないようにしたり眠りそうになると水を頭からかけたりと少々陰湿なものだった。それが生ぬるいと思えるほどである。ここは拷問部屋というよりも、もはや処刑部屋として使われているのだろう。きっと彼のように、もう人間ではないと確定された人物に形だけの自白をさせて、そのまま処刑する場所のように思えた。彼は他人事のように、そう推測していた。

「じゃ、王子サマにはそこの台に座ってもらって」

男が台を指差すと、部下達は彼をそこへと座らせて上着を剥ぎ取った。縄で縛られている間も抵抗を見せない彼の後ろへと回った男の手には、鞭が握られていた。

「あら、いい体。…ん~、王子サマには人狼の疑いがあるんよね。じゃああの台詞が言えちゃうわけだ」

ペシペシと片手に軽く鞭を打ち付けながら、男は呟いていた。
彼はうつむいて黙ったままだ。

「じゃ、始めようか。正直に答えてね。

 なんじは人狼なりや?」



「……違う」



認めたくなかった彼は、そう答えた。

すると、バシィッという音と共に背中に強烈な痛みが走った。

「ぐぅッ…」

呻いた彼に、男は面倒くさそうに告げる。

「ちょっと~、正直にって言ったじゃん。俺もビシッと決めたかったんだから、嘘つかないでよ。もう、台無しだよ~」

そう文句を言いながら、もう一度 彼の背中へと鞭を叩き付けた。彼は痛みに顔を歪める。たった二回の鞭打ちでも、背中はジンジンと脈打ち熱を帯びていた。
その後も彼が否定するたびに、男は鞭を振るい続ける。

「その目!その耳!その口!誰がどう見ても人狼だろうがっ!」

自白を促すように段々と語気も強くなっていく。ここに連れてこられた者達はこうしていたぶられて潰されていったのかと、もはや痛みも感情もなくなりつつある中で彼は思った。
自分ももう終わりなのかもしれない。…それなら、最期に知りたい。

「はぁっ……なあ…一つだけ、教えてくれ…」

「あぁ?」

血が滲む背中、息も絶え絶えに彼は男へとたずねた。

「……私を告発したのは、誰だ…?」

彼に酷い恨みを抱いている存在。そしてこれだけ苦しめた存在。それをどうしても知りたかった。
もはや己は終わる身だ。復讐なんてできやしないのだ。
藁にもすがる思いで問うてみた彼だが、男は「…はぁ」とため息を吐いていったん鞭打つ手を止めた。

「…ま、冥土の土産に教えてあげたいけど、残念ながらそれは俺にも分からないんだよね」

「…分からない、?」

「そ。誰かに直接聞いたわけじゃなくて、裁判所のほうに紙で届いたんだよね。手紙って感じのちゃんとしたものじゃなくて、本当に紙切れみたいな古びた紙で。差出人は書いてなかったんだけど、王子サマ、あんたに呪いをかけたからあの者には狼が取り憑いているって記されててさ。俺も最初はたちの悪いイタズラかと思ったけど、あんたを見て本当のことだったんだってちょっと驚いたくらい」

最期の情けなのか、男は彼にペラペラと真実を喋っていた。
…告発人が分からない。その事実に、彼の顔からは表情が抜け落ちた。

「………」

犯人が分かれば幾分か未練を断ち切れたかもしれない。その存在に強い恨みを抱きながら逝けたのだから。…しかし。

「…ああ、誰が」

呪いをかけた相手が分からないのなら、この溢れて止まらない負の感情を誰にぶつければいいのだろう。

「……う"ぅ」

彼が鋭い牙を剥き出しにして低く唸った瞬間、

「…は、?」

彼の人の形が崩れ始めた。
髪が伸び、耳が立ち、口吻こうふんが突き出し、尻尾が現れ、体が毛で覆われた。
縛っていた縄もブチブチと千切れ、使い物にならなくなったそれは地面にパサッと落ちた。
…彼の姿は、大きな狼へと変わったのだ。

「うわああぁっ!」

「なっなんだ!?」

呆然となる男のそばで、部下達は悲鳴を上げていた。人狼の拷問に慣れている彼らでも、こんな事態は初めてだった。バタバタと一目散に逃げ去り、部屋には大きな獣と男だけになった。

「…あ、あ…」

目を見開いてその場に立ち尽くす男を、狼となった彼は見下ろす。

「…その紙切れはどこにある」

冷たく人語を話す様、そして文字しか書かれていない紙切れを求める様が酷く恐ろしい。筆跡でも見て告発人を捜し出そうとでもいうのだろうか。
知性と執念を持った獣を目の当たりにした男はそう思った。冷酷な目で見つめられ、震えて上手く動かない口を必死に動かす。

「も、もう処分してしまった。本当にただのイタズラだと思ったんだ」

もうあの紙切れは燃やされ灰になっている。男は正直に彼へと告げた。

「……」

彼は考えるように黙り込んだが、突然バッと男のほうへと駆け出した。

「ひぃッ!」

驚いて尻もちをついたが、彼はそんな男の横を凄まじい速さで通り過ぎていった。
残された男は、放心状態でしばらく座り込んだままであった。


狼となった彼は走る。途中 先ほどの部下達に追いつき またもや悲鳴を上げられたが、そのどれもが耳に入っていないかのように、一人、また一人と追い抜いていった。
彼は暗い森を走り続ける。初めて訪れた場所だったが、迷うことなく真っ直ぐに森を抜けた。
時刻は深夜。街中に人の姿はない。建物が並ぶ通りを彼は駆け抜けた。
…そしてたどり着いたのが、数刻前に離れた宮殿だ。

「はー…はー…」

獣の荒い息遣いが、暗闇に響いていた。



「おや、王子!戻られたのですね」

人間姿の彼を、従者の一人が出迎えた。

「……」

彼は何も言わずに、横を通り過ぎる。いつもとは違う様子の彼に従者は首を傾げるも、後ろを振り返るとすでに彼の姿はなかった。

彼は足早に歩く。向かった先は…重傷の父親が眠っている寝室だ。
ノックをせずに、扉を開ける。

「? …王子?どうされたのですか?」

付き添いで看病している従者が一人いた。この従者は真実を知る者だ。以前の彼なら信用できる存在であった。…が、今は分からない。

それよりも、今、彼がやってしまいたいのは

「…お前か?私に呪いをかけたのは」

呪った存在を見つけ出し " 呪いを解く " ことだった。

「っきゃああぁ!!」

従者は悲鳴を上げる。

狼となった彼が、意識のない父親をその口で喰らいはじめたのだ。

グチャグチャと喰い千切り、味わうこともなく肉を飲み込む。

真っ白なベッドが、血や臓物で真っ赤に染まっていく。人の形を保っていないそれはもうすでに息絶えたと一目で分かるのに、彼はそれでも喰らい続けた。
壁にも天井にも届くほどの血しぶきがあがり、その場はまるで先ほどの拷問部屋のような目も当てられない惨状となっていた。
……全部食い尽くしても、己の姿は狼のままだ。それで彼は思う。

…なんだ。父親が犯人ではなかったのか、と。

犯人を殺せば呪いは解ける。
何の根拠もないが、彼はそう考えた。もはや話し合いや尋問なんてまどろっこしいことは必要ない。
殺せばいいのだ。それで簡単に分かるのだから。

「…ああ、お前か?なかなかこれを始末しなかったろう」

惨劇の一部始終をガタガタ震えながら見ていた従者に、彼は視線を向けた。
もう些細な理由があればそれでよかった。敵は巨万といる。一人だけに時間を割くのは効率が悪い。

彼はためらいなく殺した。
涙を流して命乞いしていた従者も、悲鳴を聞いて駆けつけた従者も、その従者を喰い殺した場面を目撃した従者も、全部、全部。

四面楚歌となった彼は、呪いを解くため手当たり次第に殺していった。

しかしどれだけ殺しても、彼の姿は狼のまま。

それなら、犯人は街にいる国民か?敵国の者か?

彼の名は知れ渡っている。誰もが彼に呪いをかけることは可能だった。

彼は街へと向かった。夜の街は静まり返っているが、唯一 物音や声が聞こえる場所があった。…それが路地裏だ。

ガサガサとゴミを漁る音が響いている路地裏へ、彼はやって来た。

「…はー……」

…あの裁判官の男は、告発は古びた紙で届いたと言っていた。

それなら、この路地裏の連中が呪いをかけた可能性も充分ある。

残酷な獣は、弱りきっている獲物にも容赦なく喰らいついた。

「ぎゃあ"ああ"ァッ…!」

「ア"アアッ…! イ ダイッ…イダイィィ…!!」

耳をつんざくような悲惨な声が、夜の街に響いた。

…おおよそ噛み殺した頃、夜は明けて朝になった。
人間の姿になった彼は、フードを被って街を歩く。なんだか朝日が眩しく、体も重く、狼の姿になる気が起きない。そうしてふらふらと歩いていた時に、声をかけてきた者がいた。

「あっ …ねえ!もしかして、パン屋のお兄さん?」

…あの少年だ。ずいぶんと久しぶりに顔を見た気がした。

「久しぶりだね!違う人がパンを持ってきてくれるようになって、お兄さんは元気かなって心配してたんだ」

「……」

にこやかに話す少年をじっと見てから、彼はたずねる。

「……お前は」

「え?」

「…この国の王子の名を、知っているか」

突然そんなことを聞いてきた彼に首を傾げながらも、少年は笑顔で答える。

「もちろん! 【※※※※】様だよね! 」

……些細な理由があれば、それだけで充分だった。

「…ああ……」

彼は少年を路地裏へと連れて行き、その細い首を掻き切った。

ただ、喰うことはなく、小さな遺体は壁に寄りかからせてその場を後にした。



ポリスが毎日慌ただしく街や宮殿、さらには森を駆け回っている。

まるで獣に襲われたかのような遺体が至るところから発見されるという前代未聞の事件に、その国の人々は震撼していた。

もう被害者はゆうに数百は超えている。しかし、それでもその正体不明の獣は見つからない。

誰かが言った。そして誰もが思った。


もうすぐこの国は滅びるかもしれない、と。








……それから六十年は経った頃。

「……」

彼は雨の降るさびれた街にいた。周りに人の姿はなく、建物もところどころが崩れかけていた。

数十年前に滅びてしまったのだ。この街は、この国は。

人を喰う獣が現れて人々を襲い、その惨劇の最中さなか 敵国にも侵攻された。宮殿に戦える兵士も少なく、圧倒的な人数の差でねじ伏せられたのだった。彼はそれをただ見ているだけだった。…彼がこの国を破滅させたと言ってもいいかもしれない。

「……は」

……しかし、その口元は笑っていた。

「…はは、 はははッ…」

その場に立ち尽くし、狂ったように高笑いを響かせる。
彼は確信している。

自分を呪った奴はもうこの世にはいない、と。

争いで死んだのか、寿命が尽きたのか、はたまた知らぬうちに己が喰い殺したのか。それは分からない。…しかし、いい気味だ。呪いをかけた人間は殺すために呪ったのかもしれないが、それが結果的にその人間よりもずっと長生きをする体となったわけだ。
彼はその身に狼を宿してから、老いることも命が尽きることもない不死の身体となったのだ。見た目もあの頃から一切変わらず、拷問を受けた際の背中の傷も綺麗に塞がっていた。

「ははははッ」

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ざまあみろと嘲笑うが、彼は目を背けているのかもしれない。

呪いをかけた人間が死んでも、呪いが解けることはないのだと。

これまで何十人、何百人と人の命を奪ってきた自分は、本物の怪物になってしまったのだと。

そして、これから先 永遠に怪物として生きていくのだと。

「…はは……、」

そんな運命に、彼は乾いた笑いをこぼすのだった。



── これが、数百年後まで語り継がれる伝説の『人喰い狼』誕生の真実である。
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