狼憑きと赤ずきんの話

気温があたたかいから暑いに変わる頃。
狼憑きと赤ずきんは、街と森の中間にある無人小屋で暮らしていた。ここならそれぞれを自由に行き来できるため、狼憑きは街で情報収集や物売りを、赤ずきんは森で食料調達をおもに行っていた。
ふたりで充分に生活はできていたのだが、赤ずきんはたびたび口に出している思いがあった。

「ああ…もっとお料理が…したい…っ」

料理をしたいという欲が溢れて止らないのか、利き手は何かの透明な調理器具を扱っているかのような手つきでぷるぷると震えていた。
この小屋にも簡単な料理道具は何個か設備されていたが、どうやら以前 住まわせてもらった老女の家にあった潤沢な品揃えには到底及ばないようだった。あの家ではムニエルやキッシュのような洒落た料理を作れていたが、この小屋ではただの焼き魚と平たいパイが精一杯である。狼憑きは赤ずきんの料理に不満はなかったが、赤ずきんは料理の味というよりも作れる種類が少ないことにもやもやとしているようだった。滅多に贅沢を言わない赤ずきんがこれほど所望しているのも珍しいため、狼憑きもこれ以上 見過ごすことはできないでいた。
だからある提案を赤ずきんに投げかけたのだった。

「…おい」

「なあに…ッ」

「…街のどこかの家でも借りるか」

「……えッ」




街の隅っこの隅っこにある古い小さな空き家。内見を終えた赤ずきんは、ほわほわとした笑みと雰囲気を纏っていた。

「台所も想像以上に広かったし、小屋よりも調理器具が揃ってたね…!頑張ってお金を貯めれば、他にも色々置けるかも…!」

小さな両手で握りこぶしを作り、ふんすっとやる気に満ちている。どうやらお気に召したようだ。狼憑きにはあまり小屋との違いは分からなかったが、しかし赤ずきんが気に入ったのならそれでいいかと深くは考えなかった。位置的にも街の隅にあってしばらく歩けば森だ。人との関わりも最低限に抑えられるので、なかなかの好立地だった。おまけに家賃も安い。
それに、ちょくちょくこの街で情報収集をしていたのだが、どうやらここでは人喰い狼についての噂も詳しくは知らない連中が多いようだった。最近は事件を起こしていないからという理由もありそうだが。狼だったか獅子だったか忘れた、という者もいたくらいだ。

「ここでいいか」

「うん!文句なし!」

狼憑きからの問いかけに、赤ずきんは力強く頷いたのだった。

それからは無事に所持金で家を借りることができ、この家は狼憑きと赤ずきんの新しい住処となった。赤ずきんのために色々な調理器具を少しずつ揃えてはいるが、しかしいつまでもこの場所にいるとも限らないため、ある程度の金は残すように二人は話し合いをして決めていた。最近は調理器具の需要も高くそこそこ値が張るため、一ヶ月に一回ほどのちょっとした高級な買い物になっていた。それでも赤ずきんにとっては、少しずつでも揃っていくことがとても喜ばしいようだ。

「来月は何を買おうかな~~。もしも大丈夫なら……オーブンとかっ…!?」

「あんなでかいのどうやって置くんだ。壁に穴を開ける気か。それに金も足りない」

「う~~ん、そっかぁ~~。…お金かぁ」

オーブンに夢見ている赤ずきんは、そうぽつりと呟いたのだった。



それから数週間ほど経ったある日のことだ。
夕方遅く、狼憑きが森から帰ってくると、家に赤ずきんの姿はなかった。いつも入り浸っている台所も、風呂も、家の裏も。あらゆる所を探してみたのだが、どこにもいない。

「……」

まさか森へ入ったのかとも考えたが、帰り道に赤ずきんとすれ違うことはなかった。入れ違いになったのなら分からないが。
赤ずきんはあの年のわりにはしっかりしているが、それでもまだ子供だ。この時間帯に姿が見えないとなると、狼憑きは多少の胸騒ぎを覚えた。
再び外へと出た狼憑きは、匂いで辿ることはできないかと、赤ずきんの匂いを思い出しながらその跡を追ってみることにした。あのツンと刺す嗅ぎ慣れた匂いではなく、いつもふんわりと漂っている赤ずきんの匂いで見つかってくれ、と願いながら。

……そしてたどり着いたのは、街の中のある一軒家だ。人通りの多い街中で赤ずきんの匂いだけを辿るのは至難の業かと思ったが、途中グルグルと街を周りながらもなんとかここへとたどり着くことができた。もしここまでの道のりが正しければ、赤ずきんは誰かに連れ回されていたのだろうか。…まだ確定ではないが、狼憑きはその可能性も考えわずかに牙を剥いた。

「………」

そして冷徹な表情で扉を開けようとしたその時、扉の向こうから声が聞こえたのだ。

「ありがとね、赤ずきんくん。おじさん助かっちゃった」

「……」

ガチャ、と狼憑きが触れる前に扉が開いた瞬間、狼憑きはこちら側からぐいっと扉の取っ手を引っ張った。

「おぉっと!!?」

前からつんのめりそうになって出てきた男の腕をぐっと掴む。

「いでででっ!!なにっ!?誰ぇっ!?」

騒ぐ男をそのまま外へと引きずり出そうとしたところで、

「おじさん大丈夫!?…って、あれ!?おおかみ!?」

怪我もなさそうな赤ずきんが、扉から顔を覗かせたのだった。




「黙っててごめんなさい。おれも自分でお金を貯めようと思って」

帰り道に、狼憑きは赤ずきんから事のあらましを聞いた。
狼憑きだけに貯金をさせるわけにはいかないと思った赤ずきんは、街でちょっとした小遣い稼ぎをしようと思ったそうだ。街の人に色々と聞いてみると、雑貨屋でのおつかいの仕事があると言われ、それなら自分でもできそうだとその仕事を請け負ったとのこと。そして日中に色々なおつかい先へと荷物を届けていたそうだ。最後に届けたのがあのだらしない男の家で、あの男からはお金も受け取ってきてほしいと雑貨屋に言われていたので外で待っていたが、代金探しにも時間がかかりそうだった男に「外は暑いでしょ?中に入って待っといて。ほんとごめんねぇ…ああ、金金…金はどこだぁ…」と言われたので中で待っていたそうだ。そしてようやく代金を受け取り、男に見送ってもらおうとしたところで狼憑きが家にやってきた、ということらしい。
あの男が長い間 赤ずきんを引き留めなければ、狼憑きが森から帰ってくるタイミングで赤ずきんも家へと帰ってこられただろう。
…しかし、我を忘れそうになってあの男へと訳も聞かずに掴みかかろうとしたことも事実である。この街で騒ぎを起こせば、赤ずきんと住み始めてようやく調理器具も揃いつつあるあの家からも出て行かなければならない。その点は少し無謀だったと狼憑きも反省した。

「…あっ!おれ雑貨屋さんにお金渡してくるね!あと、おつかいが終わったことも伝えなきゃ!」

帰り道にあった雇い主の雑貨屋を赤ずきんは指差した。

「おおかみも一緒に来る?中、すごいのがいっぱいあるんだよ!」

赤ずきんに誘われ、狼憑きも一緒に中を覗いてみることにした。

赤ずきんが店主と話している間、狼憑きは店の中をじっと見ていた。そんなものどこから見つけてきたんだ、と思う物ばかりである。あと数百年経てばあっと驚く価値が出るかもしれないが。
そう思いながら眺めていると、並んでいる商品の中に、獣につける口輪があるのを見つけた。…しかしなんというか、獣につけるにしては小さいようにも思えた。ちょうど人間の大人がつけられるサイズである。

「………」

それをぼー…と見つめていると、店の奥から赤ずきんが出てきた。

「おおかみ!店主さんがさ、おつかいのお礼に何でも好きなもの一個ずつ持って帰ってもいいって」

そう言って狼憑きの元へとやって来た赤ずきんの手には、小遣い程度のコインが握られていた。

「お金も貰ったのに、物でも何かくれるみたい。悪いからって断っても、いいよいいよ!持って行きな!あっちの兄ちゃんにも伝えといてくれ!って言われちゃった」

そう聞いて、狼憑きは先ほどまで見ていた口輪へと再び視線を移す。…数も一個しかないため、貰うなら今しかないと手を伸ばした。

「何それ…!かっこいい…!」

狼憑きが手に持った口輪を見て赤ずきんは目を輝かせていた。狼憑きが「お前も早く選んでこい」と声をかけると、赤ずきんは「うん!後でそれつけてるとこ見せてね!」と言って物選びを始めるのだった。

結局、赤ずきんは小さな砂時計を選んでいた。料理をする時に使うとのことだ。
奥にいる店主へと赤ずきんがお礼を言って、二人で店を出たのだった。


家につくと、赤ずきんは早速 狼憑きに「つけて!つけて!」と催促していた。赤ずきんからのキラキラとした視線を受けながら、狼憑きは口輪を身につけた。

「おぉ~…!!かっこいいね!!おれもそれが似合う大人になりたい!!」

野性味溢れる狼憑きに、赤ずきんは感嘆の声を漏らしていた。
会って間もない頃からずっと言われていたのだが、赤ずきんは狼憑きのようなワイルドな大人に憧れているらしい。身近な大人は狼憑きしかいないので、それしか目標にならないからかもしれないが。

「でも、それって何のためのものなんだろう?」

首を傾げた赤ずきんに、狼憑きは「…さあ」と返したが、金色の金具の部分を指で触れながら言葉を続けた。

「…私の場合は " 戒め " だ」

「いましめ??」

分かってなさそうな赤ずきんはさらに首を傾げていた。
…赤ずきんとの日々のために、人喰い狼の顔は出さないという戒めである。
何も分かっていない赤ずきんに、狼憑きは「分からなくてもいい」と告げたのだった。
9/20ページ
スキ