狼憑きと赤ずきんの話

それから狼憑きと赤ずきんは、数ヶ月はその小屋で過ごしていた。
狼憑きはなんだかんだで赤ずきんが作る料理を気に入り、人を喰うことはめっきりとなくなった。その殺傷力は人ではなく、野生動物へと使われるようになっていたのだ。仕留めた獲物を小屋へと持ち帰る狼憑きの姿は、もう見慣れた光景となっていた。
赤ずきんはあれからも隠れて定期的に右目を潰していたようだが、やはり匂いで狼憑きは察していた。しかし特に何も言わないことから、この行為もお互いもう慣れたものだった。

相変わらずこの小屋には誰も訪れてこない。それはいいことではあったが、しかし反対に山奥ならではの苦労も起き始めていた。

「あああ…おおかみ、マッチがもうなくなりそうだよ…」

もうすぐで冬がやってくる頃。この小屋に蓄えられていた火種が底を突きそうになったのだ。狼憑きはともかく、赤ずきんがこのまま冬を越すことは酷く難しかった。ここは赤ずきんが住んでいた所よりもはるかに寒冷地だったのだ。おまけに冬になれば、食料の調達も今まで通りにできるかどうかも分からなかった。

「…はっくしゅん!」

大きなくしゃみの後にぶるぶると震え出した赤ずきんを見て、狼憑きは「…仕方がない」と決心したのだった。
冬だけは町の近くで過ごすか、と。
完全に町中ではなくても、近くに店があれば何かと便利なはずだ。森で採れた山菜や野生動物の肉を売れば、マッチくらいは買える金になるだろう。
赤ずきんにそう伝えると、彼も鼻をすすりながらその意見に頷いていた。



「そろそろ出るぞ」

数日後、狼憑きが声をかけると、椅子に座っていた赤ずきんは「あ…はーい」と返事をした。
この小屋を出ると決めた時から毎日少しずつ身支度を進めていたため、昨日の夜には退く準備も完了していた。しかし、赤ずきんは忘れ物がないようにか、小屋の中を何度も見回している。

「…おい。早く出ないと日が暮れる」

狼憑きが痺れを切らして再び声をかけると、赤ずきんは「ああっ!ごめんねっ」と苦笑いを浮かべた。

「この小屋で結構長い間 おおかみと暮らしてたからさ、ちょっと寂しくなっちゃって。ここであったことが色々思い浮かんでた」

赤ずきんはそう言って、最後に目に焼きつけるようにじっ…と見つめた後、すっと立ち上がった。

「……」

赤ずきんがこちらへとやって来るまで、狼憑きも同じように小屋の中を見ていた。思えば半年以上はこの小屋で過ごしていたのだ。赤ずきんの言葉を聞いても狼憑きがここでの思い出に浸ることはなかったが、しかし悪い気も起きなかった。
良くも悪くも、狼憑きはあまり居場所には執着しないのだ。

「お待たせ。それじゃあ行こう」

狼憑きを見上げてにっこりと笑った赤ずきんを目に映し、狼憑きは扉を開けたのだった。



その後は道中で売れそうな山菜を集めながら、狼憑きと赤ずきんは数日かけて町の近くへとやって来た。
途中 寝泊まりした洞窟では、寒さに震えながら眠る赤ずきんに自身の黒いローブを被せる狼憑きの姿があった。しかし赤ずきんが目覚める頃にはサッと取り払っていたため、赤ずきんがそのことに気付くことはなかった。

そんな小さな行いもあってか、二人して大きな怪我も病気もすることなく山を下りることができた。さらには住める家もとんとん拍子に見つけることができたのだ。町から少し離れた場所に建てられていた家を訪ねてみると、そこには老女が一人で住んでいた。旅人を名乗り、「冬の間だけでも住まわせてもらえないか」と頼んでみると、快く受け入れてくれたのである。なんでも家族も知り合いももうほとんどが亡くなって訪れてくる人間もいないため、ずっと一人でひっそりと暮らしていたそうだ。赤ずきんはそんな老女に寄り添うため、狼憑きは口外されるおそれがないため、少しの間だけ共に住むことを決めたのだった。

住処を確保したところで、狼憑きと赤ずきんは物を売りに町にも足を運んだ。こぢんまりとしたその町の人通りはまばらだったが、いくつか開いている店もあった。狼憑きは自分の噂の影響もまだあるのかと思いつつ、店の目星をつけ赤ずきんへと指示を出す。

「あの惣菜屋の店主は高く買い取ってくれそうだ。お前が行ってこい」

「いいけど、おおかみは来ないの?」

「子供一人のほうが哀れに思ってくれるだろう。いいか。愛想よく頼み込め」

「なるほど~。確かにおおかみは無愛想だもんね」

「…なんだと?」

狼憑きがギロリと睨み付けると、赤ずきんは「わわっ!じゃあ行ってくるね~!」と慌てて走り出して行った。たまに狼憑きをからかう言葉を投げてくる赤ずきんに、狼憑きは「……はあ」とため息をつくのだった。



「おおかみ、すごいよ!思ってたより高く売れちゃって、おれびっくりしちゃった!やっぱりあそこは食材の宝庫だったんだねぇ」

赤ずきんは惣菜屋から受け取った金を狼憑きへと渡しながら、そう嬉しそうに笑っていた。狼憑きが袋に入った金を受け取ると、想像よりもずっしりと手に重みが伝わった。食材が貴重だったのもあると思うが、少なからず赤ずきんの愛嬌も合わさっての額かもしれない。

何はともあれ、住める家も見つかりこれだけ金もあれば、赤ずきんが凍える思いをしながら過ごすことはなさそうだと、狼憑きは思ったのだった。





「おおかみー!おばあちゃーん!ご飯できたよー!」

この家での暮らしにも慣れた頃。赤ずきんはさらに料理の腕を上げていた。あの小屋よりも充実した調理器具が揃っていたこともあり、老女に教えてもらいながら様々な料理に挑戦していたのだ。今ではすっかりこの家でのご飯当番になっていた。
呼ばれた狼憑きと老女が食卓に来てみると、あたたかくて美味しそうな料理が並んでいた。

「あらまあ!これ全部、赤ずきんちゃんが作ったの?すごいわねぇ」

老女は柔らかな笑みを浮かべて、赤ずきんとその料理を褒めていた。もう完全に孫へと接する祖母のようである。
そしてそれは狼憑きにも同じだった。

「あら?おおかみちゃん、お野菜を全然食べていないわね。ちゃんと食べないとだめよぉ」

見た目だけは若いため、老女は狼憑きも若者だと思っているようだ。まさか年老いた自分よりも長く生きているとは夢にも思わないだろう。
赤ずきんからも「野菜もちゃんと食べなよ~」と言われ、狼憑きはむすっとしながらも緑色のそれを口へと放り込んでいた。


そうやって過ごしたあたたかい冬は、あっという間に過ぎ去っていったのだった。
植物が芽吹き始めた季節、狼憑きと赤ずきんは老女の家から立ち去ることにした。
そのことを伝えると、老女は寂しげに笑いながらも無理に引き留めることはしなかった。

「うんうん…ふたりは旅人さんだもんねぇ。もっと色んな世界が貴方たちを待っているはずよ。…ふたりとも、元気でね。いつでもここに帰って来ていいからね」

「ありがとう、おばあちゃん。長い間お世話になりました。また会おうね!」

最後、老女は二人が見えなくなるまで、手を振り続けていた。
赤ずきんは教えてもらった料理と与えてもらったぬくもりに感謝し、狼憑きは最後まで老女が「おおかみ」という言葉に変な反応はしなかったことから、自分たちの存在や噂があの老女がきっかけで知れ渡ることはないと思ったのだった。
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