狼憑きと赤ずきんの話

それから十数日は過ぎた頃。
狼憑きと赤ずきんは、最初に出会った森を抜けて別の森へとたどり着いていた。その森には山菜やきのこや果実が豊富にあり、綺麗な川も流れていて、そこでは魚が泳いでいるのが見えた。山の幸に恵まれた魅力的な場所だ。赤ずきんにとっては宝の山のようで、目を輝かせながら森の中を散策していた。
おまけに旅人のために建てられた小屋も見つけ、そこにはある程度の料理道具も揃い、簡易的ではあるがベッドも風呂もあったのだ。あのボロ小屋とは違って優遇されているその小屋をぐるりと見渡し、赤ずきんの気持ちは高ぶったようだ。

「わあ…!すごい…!!ここならお料理もできるし、地面で寝なくてもいいし、川で体を洗わなくてもいいんだ…!!」

旅の道中、赤ずきんは愚痴を言うことも弱音を吐くこともなかったが、実は密かに今までの寝床や風呂事情には困ったところもあったようだった。この小屋を使えることに、全身からわくわくとした気持ちがあふれていた。一方、狼憑きは屋内ならどこも同じと思っていたので、新しい小屋の中を見ても特に心は動かなかった。
そろそろ日も暮れるため、今夜はこの見つけた小屋で休むことにした。
赤ずきんはさっそく暖炉のほうへと向かい、その近くの壁に掛けられていた料理道具をまじまじと観察していた。

「マッチも自由に使えるんだ!さっき採ったきのこ、焼いてみようかな?!」

マッチと小さめのスキレットを手に持つと、狼憑きにぱあっと笑いかけた。しかし狼憑きは興味ないようで、小屋の中を見回しながらチラリと視線を送っただけだった。まだまだ短い旅での仲であったが、赤ずきんはそんな狼憑きの仕草からこれは肯定だと捉え、暖炉に近寄っていった。そばにあった薪を暖炉に入れてマッチの火をつけると、その炎で薪をくべ始めた。そしてユラユラと炎が立ち始めた頃に、スキレットに入れたきのこを炒め出した。ジュクジュクと食欲をそそる音が小屋の中に響いていた。

「えへへ…今日の夜ご飯は豪華だなあ」

道端に生えていたきのこを焼いているだけだが、赤ずきんにとってはご馳走のようだ。嬉しそうに笑いながら料理をしている赤ずきんの声を、離れた場所から狼憑きは相変わらず興味なさげに耳だけで聞いていた。

しばらくして、赤ずきんは焼き上がったきのこをスキレットの上からひょいと摘まんで口に運んだ。その野生児ぶりを見た狼憑きがじと…と睨んでいる中、赤ずきんはもぐもぐときのこを咀嚼していた。

「んんん…!美味しいっ!!」

ぱああっと笑顔を咲かせ、その感動を表すように体をゆらゆらと左右に揺らしていた。「ふふふ~美味しいなあ~美味しいなあ~」と言いながら奇行を行っている赤ずきんに、狼憑きは毒きのこでも食ったのかと若干引き気味だった。

「おおかみも食べる~??」

赤ずきんはそうたずねながらも、残りのきのこもすべて自分が平らげようとしていた。狼憑きが「いらない」と言い放つと、赤ずきんは「え~~~」と笑いながら残りのきのこを食べている。
狼憑きは少しだけ恐怖を感じ、あの変なきのこは後で捨てるかと内心考えていたのだった。



初日にはそんな出来事もあったが、それからは特に怪しいこともなく、狼憑きと赤ずきんはその小屋で日々を過ごしていた。二人以外に旅人が来ることもなく、何日も貸し切り状態だ。おおかた、人喰い狼を恐れて旅に出る者も少ないのかもしれない。ましてやこんな森の奥に自ら足を踏み入れることも、常人にとっては自殺行為のはずだ。

「……あ。今夜にでもやっておかなきゃ」

呪われた狼憑きと旅をしている、同じく呪われた赤ずきんとは違って。


…その日の夜のこと。

「おおかみ!おれ、お風呂入ってくるね!」

いつものように、赤ずきんは日中の疲れや汚れを落とすために風呂場へと向かっていった。狼憑きもまた、いつものようにその声に返事をすることはなかった。
赤ずきんが風呂場へと入った後、しばらくするといつものように水の流れる音が聞こえ、時折ガタガタと木で出来た椅子が地面を擦る音がわずかに聞こえてきていた。これもいつものことだ。
今日もいつもと変わらない。いつもと同じ…

「……?」

…その時、狼憑きは、ある匂いをわずかに感じた。

鼻の奥をツンと刺す、あの嗅ぎ慣れた匂いだ。

ドクンッ…と本能からか、心臓が鼓動した。

赤ずきんがいる風呂場からそれを感じ、狼憑きは吸い寄せられるようにそちらへと向かった。

「………」

風呂場の前まで来ると、その匂いはいっそう強いものへと変わった。
狼憑きは扉に手をかけると、中にいる赤ずきんへ声もかけずにガラッと開いた。
そこには

「わ…っ …おおかみ?…えっと、どうしたの?」

血まみれのナイフを手に持った裸の赤ずきんが、少し焦ったように笑っていた。
その閉じられた右目からは濃い匂いを放っている真っ赤な血がだらだらと流れており、それは赤ずきんの胸まで垂れ落ちていてその体を汚していた。

「……」

「…ああっ、もしかして匂いがしたかな?おおかみ、鼻がいいもんね。ごめんねっ …すぐに洗い流すね」

赤ずきんはそう言って、風呂の水で血やその匂いを洗い流し始めた。その作業をしている間も、赤いそれは赤ずきんの右目から垂れ落ち続けていた。


…狼憑きが椅子に座っていると、赤ずきんが風呂を終えて狼憑きのいる部屋へとやって来た。いつものネグリジェを身に纏い、右目にはいつものように包帯が巻かれている。その包帯には、じんわりと血が滲んでいた。
先ほどの自傷行為を見られたからか、風呂上がりのいつものようなさっぱりとした顔はしておらず、困ったような気まずそうな表情を見せていた。
狼憑きは何も言わないものの、赤ずきんを鋭い目でじっと見ていた。そんな狼憑きに促されるように、赤ずきんは椅子に座ると渋々と口を開いた。

「びっくりさせちゃってごめんね。さっきのあれ、ちっちゃい頃からずっとやってるんだ。呪いを潰してるの」

「…呪いを、潰す?」

「うん。おれの右目…生まれた時から全部が赤くって。いっぱいみんなを怖がらせちゃった。これ、邪視って言うんだって。みんなを傷付けちゃう、とってもとっても悪いもの。だからいつも潰してるの」

目を伏せた赤ずきんは、困ったように頬をかきながら笑った。

「でもさぁ、お月様が出てない夜にはいっつも元に戻っちゃうんだ。それでまたみんなを怖がらせちゃって。もう、本当に困っちゃう」

赤ずきんは笑い話にでもしようとしているのか、苦笑いを浮かべながらそう狼憑きに伝えた。狼憑きは笑いもせず無言のまま聞いていたが、その邪視と呼ばれる赤ずきんの右目にずっと視線を向けていた。
『邪視』とは、悪意を持って相手を睨み付けることで呪いをかける魔力のことだ。数十年も昔、狼憑きは本で読んだ覚えがあった。
…このお人好しすぎる赤ずきんが、誰かを恨むことなんてあるのだろうか。
狼憑きは問いかける。

「…今まで、それで誰かを呪ったことはあるのか」

「ううん。それはないんだ。それだけが幸運だよ」

赤ずきんからの返答は、予想通りのものだった。
…それなら、わざわざ右目を潰すこともないと思うが。
まだ出会って日は浅いが、狼憑きはこの小さな赤ずきんと過ごした日々を思い返し、今後もその邪視が発動することはないに等しいと確信を持てるほどだった。本人は謙虚にも運のおかげと言っていたが、ただ単に赤ずきんの性格が穏やかすぎるからだと狼憑きは思っていた。
生まれ持った呪いで嫌いな誰かを殺すことだってできるだろうに、その発想すらないどころか、自分を傷付けて自分以外の誰かを傷付けないようにしているのだ。
呪いをかけられ四面楚歌になり、無差別に人を襲ってきた狼憑きとは正反対だった。
呪われた者同士でも、これだけ違う存在になり得るようだ。純真な赤ずきんに関しては、呪われているだなんて、真っ赤な右目を見せてもらわないと普通の人間には分からないくらいだ。
狼憑きは赤ずきんに、右目を潰すほどでもないだろう、と伝えたが

「ううん。いつこの目で誰かを傷付けてしまうか分からないから。誰かの幸せを奪いたくない。おれなんかが奪っちゃいけない」

優しい赤ずきんはそう言って、儚げに笑ったのだった。
6/20ページ
スキ