狼憑きと赤ずきんの話
翌日の朝方。
狼憑きが狭い小屋の中を見回っていると、少年が目を覚ましてベッドから起き出てきた。寝癖のついた髪で眠そうに左目をこすり、うとうととしながらやって来たところで狼憑きと鉢合わせた。
「…あ…お兄さんおはよぉ」
そう言ってぽやっと笑うと、ボロボロの木箱を開けて中から何かの木の実を取り出していた。たくさんの小さな木の実を布で包んでいる様子を狼憑きがじっと見ていると、少年は「えへへ。朝ご飯だよ」と教えた。
「お兄さんの分も用意するからちょっと待っててね。近くに川があって、いつもそこで洗ってるんだ」
健気で優しい少年は狼憑きへとそう伝えたが、腹が減っていない上に木の実なんていう粗末なものを口にしたことがない狼憑きは、その気遣いを踏みにじるように「いらない」とだけ言い放った。
「あ、そうなんだ…。分かった。じゃあお腹が空いたら言ってね」
しかし少年は冷たい狼憑きに文句を言うことはなく、それどころか嫌な顔ひとつせずに笑うと、取り過ぎた木の実を木箱へと戻していた。そしてテーブルの上に丁寧に畳まれて置かれていた赤いずきんを被ると、扉を開けて外へと出て行ったのだった。
狼憑きはそんな少年を気にすることなく、小屋の見回りを再開した。
それから少しして少年は小屋へと戻ってくると、椅子に座って木の実をもぐもぐと食べていた。野生動物の餌のような朝食だが、少年の顔はほわほわとしていて幸せそうである。そんな雀の涙ほどの幸せを噛み締めている少年を、狼憑きは冷めた目で見ていた。
小屋の見回りも済んだのだが、ここには大したものはなかった。簡易的なベッドがあって、テーブルがあって、椅子があって、そして小さな食料庫があるだけである。その食料庫というのも、山で取れる山菜や木の実だけが入っているだけで、腹の足しになるものは何一つなかった。こんな所でひとり暮らしているいわくつきの子供も含めて、本当に粗末な小屋だったのだ。雨風をしのぐことだけには使えそうだと思ったが、しかしこのボロい小屋が何回それに耐えられるのかも分からなかった。大目に見て屋根があることを利点だと考えても、小屋の中に少年がいることで欠点となっていた。それなら他の無人小屋を探すほうがましである。
どこまでも冷酷な狼憑きはそう考えてこの小屋から出て行こうとすると、後ろからガタッという音と共に声がかかった。
「待って!」
ぴた…と動きを止めた狼憑きは、無感情な目で少年へと振り返った。
そこには木の実を食べ終えた少年が、少し焦ったような、どこか迷っているような表情をして立ち上がっていた。
少年は一瞬考えるようにうつむいたが、すぐに意を決したように狼憑きをまっすぐに見つめた。
「おれも一緒についていっていい?」
「…なんだと?」
狼憑きは少年をギロリと睨みつける。この小屋は少年がいるから出て行こうとしていたため、その提案は狼憑きにとって不愉快なものだった。
少年は睨まれて申し訳なさそうにするも、儚げに笑いながら狼憑きへと伝えた。
「…ひとりは寂しくて退屈なんだ」
…幼い子供が発した一言。それで狼憑きの心が揺らぐことはなかったが、しかし無視して置いていくという残酷な行動は取らなかった。
狼憑きは少年の事情ではなく、自分の事情で今一度考えてみる。
…この子供は山奥のこの小屋でずっと一人で暮らしていた。だから世間知らずの無知な子供だ。外では人喰い狼という怪物が出て人を喰らっていることも知らないだろう。初対面の時も、見ず知らずの男が家にいてもまったく警戒している様子はなかった。おつむが弱く、ずいぶんと平和ぼけをしている頭のようである。
「……ダメかな」
「……」
…もし自分の正体を知られたとしても、こんなに弱そうな子供だ。殺そうと思えばいつでも殺せるだろう。
狼憑きは少年がついて来るところを想像し鬱陶しさに心の中で舌打ちしつつも、しかしとりあえずは自分の目があるところに置いておこうと思ったのだ。
「……勝手にしろ」
「!」
狼憑きの素っ気ない呟きに、少年はぱあっと嬉しそうに頬を染めた。そして「急いで準備するね!」とばたばたと忙しなく旅の準備を始めるのだった。
ヨレヨレのバスケットの中に服を仕舞い込んだり、木箱の中の食料を寄せ集めたりと、まるでピクニックの準備をするかのように少年は楽しげだった。狼憑きはまたしても心の中で舌打ちをしながら、小屋の中をぱたぱたと走り回っている少年を見下ろしていたのだった。
いつか自分の正体を恐れて逃げ出そうとした時は、その口を封じてやろうと思いながら。
狼憑きが狭い小屋の中を見回っていると、少年が目を覚ましてベッドから起き出てきた。寝癖のついた髪で眠そうに左目をこすり、うとうととしながらやって来たところで狼憑きと鉢合わせた。
「…あ…お兄さんおはよぉ」
そう言ってぽやっと笑うと、ボロボロの木箱を開けて中から何かの木の実を取り出していた。たくさんの小さな木の実を布で包んでいる様子を狼憑きがじっと見ていると、少年は「えへへ。朝ご飯だよ」と教えた。
「お兄さんの分も用意するからちょっと待っててね。近くに川があって、いつもそこで洗ってるんだ」
健気で優しい少年は狼憑きへとそう伝えたが、腹が減っていない上に木の実なんていう粗末なものを口にしたことがない狼憑きは、その気遣いを踏みにじるように「いらない」とだけ言い放った。
「あ、そうなんだ…。分かった。じゃあお腹が空いたら言ってね」
しかし少年は冷たい狼憑きに文句を言うことはなく、それどころか嫌な顔ひとつせずに笑うと、取り過ぎた木の実を木箱へと戻していた。そしてテーブルの上に丁寧に畳まれて置かれていた赤いずきんを被ると、扉を開けて外へと出て行ったのだった。
狼憑きはそんな少年を気にすることなく、小屋の見回りを再開した。
それから少しして少年は小屋へと戻ってくると、椅子に座って木の実をもぐもぐと食べていた。野生動物の餌のような朝食だが、少年の顔はほわほわとしていて幸せそうである。そんな雀の涙ほどの幸せを噛み締めている少年を、狼憑きは冷めた目で見ていた。
小屋の見回りも済んだのだが、ここには大したものはなかった。簡易的なベッドがあって、テーブルがあって、椅子があって、そして小さな食料庫があるだけである。その食料庫というのも、山で取れる山菜や木の実だけが入っているだけで、腹の足しになるものは何一つなかった。こんな所でひとり暮らしているいわくつきの子供も含めて、本当に粗末な小屋だったのだ。雨風をしのぐことだけには使えそうだと思ったが、しかしこのボロい小屋が何回それに耐えられるのかも分からなかった。大目に見て屋根があることを利点だと考えても、小屋の中に少年がいることで欠点となっていた。それなら他の無人小屋を探すほうがましである。
どこまでも冷酷な狼憑きはそう考えてこの小屋から出て行こうとすると、後ろからガタッという音と共に声がかかった。
「待って!」
ぴた…と動きを止めた狼憑きは、無感情な目で少年へと振り返った。
そこには木の実を食べ終えた少年が、少し焦ったような、どこか迷っているような表情をして立ち上がっていた。
少年は一瞬考えるようにうつむいたが、すぐに意を決したように狼憑きをまっすぐに見つめた。
「おれも一緒についていっていい?」
「…なんだと?」
狼憑きは少年をギロリと睨みつける。この小屋は少年がいるから出て行こうとしていたため、その提案は狼憑きにとって不愉快なものだった。
少年は睨まれて申し訳なさそうにするも、儚げに笑いながら狼憑きへと伝えた。
「…ひとりは寂しくて退屈なんだ」
…幼い子供が発した一言。それで狼憑きの心が揺らぐことはなかったが、しかし無視して置いていくという残酷な行動は取らなかった。
狼憑きは少年の事情ではなく、自分の事情で今一度考えてみる。
…この子供は山奥のこの小屋でずっと一人で暮らしていた。だから世間知らずの無知な子供だ。外では人喰い狼という怪物が出て人を喰らっていることも知らないだろう。初対面の時も、見ず知らずの男が家にいてもまったく警戒している様子はなかった。おつむが弱く、ずいぶんと平和ぼけをしている頭のようである。
「……ダメかな」
「……」
…もし自分の正体を知られたとしても、こんなに弱そうな子供だ。殺そうと思えばいつでも殺せるだろう。
狼憑きは少年がついて来るところを想像し鬱陶しさに心の中で舌打ちしつつも、しかしとりあえずは自分の目があるところに置いておこうと思ったのだ。
「……勝手にしろ」
「!」
狼憑きの素っ気ない呟きに、少年はぱあっと嬉しそうに頬を染めた。そして「急いで準備するね!」とばたばたと忙しなく旅の準備を始めるのだった。
ヨレヨレのバスケットの中に服を仕舞い込んだり、木箱の中の食料を寄せ集めたりと、まるでピクニックの準備をするかのように少年は楽しげだった。狼憑きはまたしても心の中で舌打ちをしながら、小屋の中をぱたぱたと走り回っている少年を見下ろしていたのだった。
いつか自分の正体を恐れて逃げ出そうとした時は、その口を封じてやろうと思いながら。