狼憑きと赤ずきんの話

それからしばらく経った頃のことだ。
赤ずきんが地道におつかいをして稼いできた分と、狼憑きが赤ずきんには内緒で稼いでいた分が貯まりに貯まり続け、ついにはオーブンの購入とそれ専用の工事が可能なほどに貯金額が膨らんだのだった。
赤ずきんはもっと先だと思っていたようで、予想よりはるかに早い金の貯まりに驚いていたが、狼憑きは最後まで事実を語ることはなかった。しかし、なんとなく赤ずきんは分かったのだろう。

「ありがとう、おおかみ」

そう狼憑きへとお礼を述べたのだ。狼憑きもとぼけることはせず、何も言わずに小さくこくりとだけ頷いた。

ようやくこの時が来たのだ。赤ずきんはルンルンとした軽快なスキップで、大工の店へと向かっていた。後ろを歩く狼憑きは「恥ずかしいからやめろ」と言うが、赤ずきんはわくわくとした気持ちを抑えられないようだった。

「完成したらオーブンで何を作ろうかな?パン…グリルチキン…東の国のピッツァっていう料理もできるかな…!?」

指を折り曲げながら、色々な料理の名前を口にしていた。弾んだ声で頬を染めていて本当に嬉しそうだ。狼憑きは今日まで稼ぎを続けてきたことに、改めて意味を見出したのだった。

店に到着すると、赤ずきんは元気よく「こんにちはー!」と扉を開けて、大工に念願のオーブンの注文をお願いした。その場で金も払ったため、さっそく明日から作業を開始してくれるらしい。工事中は音もうるさく埃や土が舞い上がるため住むのはおすすめしないとのことで、狼憑きと赤ずきんは少し離れたところにある宿屋で生活をすることになった。ざっと見積もって作業は二週間程度。終了すれば連絡を寄越してくれるそうだ。
家に戻った二人は、宿で暮らす間に必要な食料や日用品を持ち出す準備を始めた。次に帰ってくる時には家にオーブンが備わっているのを想像して、赤ずきんは準備中ずっとにこにこと笑っていた。

そして翌日。狼憑きと赤ずきんは、宿屋へと向かった。その宿屋は結構な大きさの二階建ての建物だ。受付で二階の部屋を指定され、ふたりはその部屋に腰を落ち着けて話をしていた。赤ずきんはハーブティーを片手に、ぽわぽわとした笑みを浮かべていた。

「こんなに楽しい旅ができているのも、おおかみがいてくれたからだよ。俺一人じゃ絶対にここまで来ることはできなかった。本当にありがとう」

あたたかな感謝の言葉をまっすぐに伝えられ、狼憑きは「大したことはしていない」と言うようにふいっと目を逸らした。相変わらず無愛想だが、赤ずきんは長年の付き合いから、狼憑きのこの仕草は照れ隠しやリラックスしている時のものだと理解していた。口には出さないが、狼憑きは態度で赤ずきんへの信頼や思いを示しているのだ。
狼憑きと赤ずきんは、お互いがとても大切な存在だ。
ずっとこうして生きていきたいと、お互い思い続けているのだった。



宿での生活を始めて五日ほど経った。
目標であったオーブンの購入も達成し金を貯める必要はなくなったのだが、赤ずきんはおつかいの仕事を続けていた。なんだかんだで数年同じ店で働いているので、店にも仕事にも愛着が湧いていたのだ。街を歩くのは楽しいし、人が喜んでいる顔を見るのも嬉しい。だからお気に入りの仕事だった。また欲しいものができた時のために、今からでもまた金を貯めておこうと思っていた。今度は狼憑きにはできるだけ頼らずに、自分の稼ぎだけで購入しようと密かに考えながら。

一方 狼憑きは、高額な金が貰える仕事はしなくなったものの、森に入って山菜や魚を捕って売ることは続けていた。その目的のためでなくても、森に入り浸ることが多かった。なんせ宿屋という場所には人が多くやってくるのだ。それが少しいただけなかった。たまに赤ずきんも誘っては、街ではなく人がいない森へと出かけていた。やはり赤ずきんと二人だけの時が一番心地いい。早く工事が終わって家へと帰りたいと、狼憑きは心の中で思っていたのだった。



宿で暮らし始めて十日ほど経った頃。
その日は赤ずきんの仕事が休みだったため、狼憑きは赤ずきんを誘ってふたりで森へと散歩に出ていた。木漏れ日や穏やかな鳥のさえずりを聞いていると、この街で暮らし始める前の森で生活をしていた日々が思い出された。

「おおかみが初めて俺の料理を食べてくれたあの小屋…懐かしいなあ。…そういえば、あの小屋にあったマッチ、全部使っちゃったんだよね…補充しに行ったほうがいいのかな…?」

赤ずきんは今になってそのことを気にし出したようだった。半年間 誰も訪れてこなかったのだから、狼憑きと赤ずきんがあの小屋を出た後も旅人は誰も立ち寄らないとも思うが。それにおそらく管理人か何かが年に一度は備品の様子を見に行くはずだ。もうすでに数年は経っていた。だから赤ずきんが気にすることでもないと狼憑きは伝えた。
しかし、赤ずきんはう~ん…と唸っていた。

「……ねえ、おおかみ。また今度さ、あの小屋に行ってみない?ちょっと気になっちゃって…」

苦笑いを浮かべながら、赤ずきんはそんな提案をした。

「あの頃から背も伸びたからさ、今の俺ならおおかみが普通に歩いてもついて行けそうだよ。…まあもしおおかみが嫌なら、俺一人でも…」

「お前、場所は分かるのか」

「……あ…えっとぉ…」

「…はあ」

狼憑きは呆れたようにため息を吐いた。あの頃の小さな赤ずきんは、狼憑きの後をついて行くのに必死で周りの景色も道もよく見ていなかったはずだ。そんな状態であの小屋に一人で行けるわけがない。狼憑きがいないと迷子になるのは目に見えていた。…それに、狼憑きも赤ずきんとの二人旅の再開も悪くはないと思っていた。
狼憑きは無鉄砲な赤ずきんをじと…と見ながら口を開いた。

「…私も行く」

「えっ!いいの?」

「お前一人ではたどり着けないだろう。野生動物の餌になるだけだ」

そう毒を吐きながらも寄り添ってくれる狼憑きに、赤ずきんは嬉しそうな笑顔を見せた。えへへと笑いながら、話を続けた。

「あっ!それとさ…俺とおおかみが初めて会った最初の小屋にも…よければ行ってみない?あそこも俺にとって思い出深い場所なんだ」

赤ずきんのその言葉に、狼憑きは「…ああ」と思い出したように言った。

「あのボロい小屋か。もう雨風に曝されて跡形もないんじゃないか」

「酷いなー!一応俺の実家なんだけど!」

赤ずきんは語気を強めて狼憑きにそう訴えたが、その顔と声は可笑しそうに笑っていた。

「…あははっ じゃあ、オーブンが完成して家に帰ったら、また二人でちょっとした旅に出てみようよ。おおかみ、約束」

「…ん」

森の中、二人はそんな約束を交わしたのだった。



…宿での生活も残りわずかな頃。
仕事を終えた赤ずきんが夕方、宿へと帰ってくると、宿泊客たちが溜まり場でこんな話をしているのが聞こえた。

「いやー最近になってようやく旅にも出られるようになったなー」

「ほんとだよ。なんか知らないけど、もう何年も『人喰い狼』の被害は出てないそうじゃん。どうなったんだろうな?そいつ」

「もう死んだんじゃねーか?猟師か何かに討たれて」

「それにしては何の噂も聞こえてこないな。あれって数百年前からいる伝説の怪物だろ?討ち取ったら国を挙げての快挙になると思うが」

「あー確かに。被害はもう聞かねーけど、そいつがどうなったのかも聞かねーな。じゃあ案外まだ生きてたりして?」

「人じゃなく野生動物でも襲うようになったんじゃないか?まあなんにせよ、国が平和になったのは良かったな。もう出てこないでくれよ」


「……?」

…『人喰い狼』?

赤ずきんは初めて聞いたその名前に、首を傾げるのだった。
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