狼憑きと赤ずきんの話

あれから赤ずきんの身長がまた少し伸びた頃。

風呂から上がった赤ずきんは、右目に包帯を巻いた後に部屋へとやって来た。
どうやら先ほど潰し終えたらしい。包帯には赤い血が滲んでいた。

「ふ~~~ さっぱり」

しかし、自傷行為をした後とは思えないほどに清々しい表情を見せながら、狼憑きの向かいの椅子へと座った。もう彼にとっては目を潰すことなんて、ただ普通にゴミを捨てることと変わりないようだ。伊達に壮絶な人生を歩み続けていないのだ。

「…ふふ。ねえ、おおかみ」

風呂上がりの濡れた髪で頬が上気している赤ずきんは、狼憑きをじっとりと見つめながら口を開いた。

「おおかみってさ、恋人はいたことあるの?」

「…なんだ。急に」

十代半ばになった赤ずきんは、恋愛の話題を狼憑きへと投げかけたのだった。狼憑きはじと…とした視線を赤ずきんへと向ける。
赤ずきん自身はまだ子供、それに狼憑きとずっと二人で旅をしていたので、恋愛を経験したことがなかった。…それに、邪視持ちの自分はきっとしてはいけないとすら思っていた。だから狼憑きの恋愛話というものに興味があったのだ。大人の恋愛を知りたそうに、狼憑きへと期待の眼差しを向けていた。

「………」

…狼憑きが人間、それにまだ年齢も一桁だった時代。
貴族の間では政略結婚が当たり前だった。狼憑きにも、親が勝手に決めた名前も顔も知らない許嫁のような存在はいた。しかし一度も会うことはなく、だんだんと争いも激しくなり皆の意識はそちらへと流れていったのだ。
そしていつしか周りの知っている人間たちも次々と滅んでいき、呪われた狼憑きだけが密かに生き残ったのである。許嫁ももうすでにこの世にいないだろう。
人喰い狼となってからも、人間相手に特別な感情を抱くことはなかった。
だから狼憑きも、恋愛らしい恋愛は経験したことがないのだ。
……そこまで思い出してみたところで、狼憑きは興味なさげに「ない」とだけ赤ずきんに告げたのだった。

「えー!嘘!おおかみ、そんなにかっこいいのに?」

目を丸くした赤ずきんは、そう言って首を傾げながら狼憑きを見つめた。
…赤ずきんのことだ。お世辞なんかではなく、本心で狼憑きのことを「かっこいい」と言っているのだろう。たびたび赤ずきんが「狼憑きのような大人になりたい」と口にしているのも相まって、狼憑きは彼の憧れの存在のようだ。
何も面白い話が聞けずにがっかりすることもなく、赤ずきんは純粋に狼憑きに恋人がいないことを疑問に思っていた。

「おおかみが気付いていないだけで、おおかみのこと好きだった人はいっぱいいたと思うな」

「…何を根拠に」

「ふふふ。もし俺が女の子だったら、絶対におおかみのこと好きになってたと思う」

「……」

狼憑きが赤ずきんを見ると、赤ずきんはふんわりとした笑顔を浮かべていた。

「だって、今こんなに大好きなんだもん」

優しげな声色で、そう言ったのだった。

「………」

狼憑きが何も言わずに黙っていると、赤ずきんは「…あっ、待って、ちょっとだけ違う」とあたふたし出した。

「今だけじゃなくて、前から!初めて会った時から、俺はおおかみのこと好きだったよ!それが今は大好きになってるって言いたかったんだ」

眩しいくらいの笑顔で、赤ずきんはそう狼憑きへと告げた。
…それを見た狼憑きは、つけている口輪の金具の部分に片手で触れた。ぐっと掴んでいるところを見る限り、今すぐその口輪を外したそうである。

「? どうしたの?」

赤ずきんが不思議に思ってたずねてみると、狼憑きは葛藤しているかのように手に力を込めながら、うつむいたまま「……はあぁ…」と熱く息を吐いた。

「…今すぐお前を噛みたい」

「なんで!?な、何か怒らせるようなこと言っちゃった…?」

またあたふたとし出した赤ずきんに、狼憑きは「違う…」と悩ましく呟くのだった。

狼ゆえの愛情表現を赤ずきんにしてしまわないようにも、狼憑きには口輪が必要なようだ。
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