愉悦なホテル

【大手企業に勤めるエリートの男】

コツコツと革靴の音を響かせながら、男はホテルの廊下を歩いていた。ピシッとスーツを着こなし、髪を軽く後ろに流しているその男は、見るからにエリートの風貌であった。
先ほどまで彼は、下の階にあるバーで飲んでいた。その端正な顔立ちと高級感のあるお召し物に釣られて声をかけてきた若い女を隣に座らせ、紳士的に振る舞いながら適当な会話と酒を楽しんだ。
こうした玉の輿を狙う女がやってくるのはいつものことなので、扱いには慣れているのだ。過去には気に入ってお持ち帰りした相手もいたのだが、残念ながら今 目の前にいる若い娘には興味がなかった。彼は言葉巧みに娘にカクテルを勧めると、やがて酔い潰れて眠りに落ちた彼女を従業員に任せてバーを後にしたのだった。
…しかし、まだ少し飲み足りなかった彼は自室で飲み直すことにした。フロントにいた従業員に部屋の番号としばらくしてからワインを持ってくるよう伝えると、従業員からは「かしこまりました」との返事が返ってきた。

そして今に至る。少し夜風にあたってから自身の部屋へと帰ってきた彼は、扉の前であることに気付いた。

「…ん?」

扉が少しだけ開いているのだ。バーに行く前 確かにカードキーでロックしたはずなのだが、それが何故か解除されていた。故障か、あるいは泥棒か。不審に思った彼は警戒しながら、部屋の扉をゆっくりと少しだけ開けて中を覗いた。

「……?」

彼は首を傾げる。薄暗い部屋の中、夜景を一望できる大きな窓の前に置かれた椅子に、誰かが座っていたのだ。そして、その人物の前にある机の上にはワインボトルとワイングラスが置かれていた。

「…ああ」

それを見た彼は、先ほど自分が注文したのがワインだったと思い出す。そうなると、あの人物は何者なのか自然と答えは導き出された。
あれはこのホテルの従業員だ、と彼は思ったのだ。それなら部屋のロックが解除されていた理由も納得できる。
少々持ってくるのが早かったうえに何故か勝手に部屋に入ってはいたものの、彼の中で「得体の知れない何者か」から「ホテルの従業員」へと変わったため、あの人物への警戒心はだいぶ薄れたようだった。半開きだった扉をグッと押して、部屋の中へと入っていく。
彼は近付きながら、その人物へと声をかけた。

「こんばんは。貴方がそれを持ってきてくれたのかな?」

彼に話しかけられ、座っていた人物はゆっくりと顔を上げて彼に視線を向ける。
…フードを深く被っていたから遠目ではよく分からなかったが、その人は今まで見たこともないくらい美しい人だった。男にも女にも見えるその麗人は、艶やかに彼へと微笑む。

「ああ。そうだよ」

声からして、どうやら男のようだ。しかし、そんなことも気にならないほどに彼はその男に魅力を感じていた。

「仕事が早いね。ここのホテルの人?」

「まあね」

男はホテルマンの格好ではなく、黒いファルダのような衣装を身に纏っていた。ここのフラメンコショーにでも出るバイラオールなのだろうか、と彼は男へと興味がわいてくる。男はそんな彼の心中を知ってか知らずか、艶めかしく足を組んで頬杖をつくと、妖艶な笑みを浮かべた。
彼は男の向かいにある椅子に座ると、机上のワインボトルへと手を伸ばす。

「ねえ、一緒にどう?」

男の前にグラスを差し出すと、男は何も言わずに彼へふっと笑いかけた。それを肯定ととり、彼は男のグラスと自分のグラスに深紅色のワインをとぷとぷと注いだ。
しばしワインの味を楽しむと、彼はクルクルとグラスの中のワインを回しながら、向かいにいる男へと話しかけた。

「ここに来てどれくらい?」

「さあ。どのくらいだろうね」

「覚えてないほど前?」

「ん。冬になる前だった気がするが、いつの冬かは分からない」

曖昧な返事をしながらワインを飲んでいる男を、彼はじっと見つめる。やはりというべきか、その姿も絵になっていたのだ。
よくよく見てみると、男は黒衣装の下には何も着ていないようだった。動くたびにチラチラと胸元の白い肌が見え隠れし、まるで見せつけるように晒された足を何度も組み替えていた。
静かな空間に、彼と男の息遣いだけが響いている。薄暗い部屋の中は、大人の雰囲気が漂っていた。
…やがて男はワインを飲み終えると、グラスを置いて彼へと視線を移した。
男からの絡みつくような視線を受けて、同じくワインを飲み終えた彼は笑みを浮かべた。

「何?」

すぅ…と目を細めて、男からの言葉を待つ。

「…ふふ。いいことをしよう」

男はそう言って妖艶に笑うと、自分の後ろにある大きなベッドをチラリと見た。彼にベッドへ行くよう顔と目で訴えているようだ。

「はは。これは一体なんのサービスかな?」

男からの誘いに乗った彼は椅子から立ち上がり、上着を脱いでベッドへと向かった。そしてふかふかとしたそれに腰掛けると、男に向かって手を差し出す。

「おいで」

そう言うと男は彼へと近付き、その膝の上へ向かい合う体勢で乗り上げた。彼が男の腰や背中に腕を回すと、ふたりの体はより密着した。
男は彼の頬を両手で包みこみ、その顔をじぃ…と見つめている。

「…ふふ。いい男だ」

男の小さな唇が、甘い言葉を囁いた。彼にとっては言われ慣れている言葉でも、目の前の美しい男から発せられたことで、彼の心臓はトクン…と少し高鳴った。
そして男はゆっくりと顔を近付けていき、彼の唇へとそれを押し当てる。

「ん…」

柔らかで少しひんやりとした感触だった。ほどよく酔って火照っていることもあってか男とのキスは酷く気持ちがよく、彼の気分もだんだんと高揚していった。
男は触れるだけのキスをしてすぐに顔を離そうとしていたが、彼が男の後頭部へと手を回してそれを阻止し今度は彼のほうから口づけた。男もキスには乗り気なようで、目を閉じ彼から与えられるぬくもりを受け入れていた。

しばらくキスを楽しんだ後、彼は膝の上にいた男をベッドへと押し倒した。白いシーツに黒い衣装と装飾のレースがふわりと広がり、長い三つ編みが辺りに散らばった。上から男の顔を覗き込むと、男は誘惑するかのように妖しく笑っていた。
その色にあてられた彼は、男の身体のいたるところにキスを落としていく。

「……いいね、このホテル」

「あ…っ」

つぷ…と男の中へと指を埋め込みながら、彼は言った。

「あとで評価しておくよ。従業員の"接待"が最高だってね」

その表情や声色には、興奮の色が滲んでいた。見れば、すでに彼のそれは窮屈そうにズボンをグッ…と押し上げていたのだ。
「そろそろいいか」と指を引き抜き、カチャカチャとベルトを外してズボンと下着をずらすと、彼の大きなそれが勢いよく外へと飛び出した。それを見た男は、嬉しげに笑みを深める。

「…はぁ……早く欲しい」

うっとりとした目で彼の雄を見つめ、ねだるように男は腰を揺らし始めた。

「……は…」

その淫乱さに、彼はゾクリ…と背筋が震えた。
男の膝裏を両手で持って足を開かせると、小さな口が顔を覗かせた。そこに自身の先を押し当てると、グッと腰を進めて男の中へとものを埋め込んでいった。

「あ、ぁ…ッ」

ずぶずぶずぶ…と入ってくる彼のそれが気持ちいいのか、男は体を仰け反らせて喘いでいた。突き出された胸が激しく上下する様は、酷く煽情的だ。
男の中は外とは比べ物にならないほどに熱く、彼のを味わうように貪欲に絡みついてきた。その締め付け具合や視覚からの刺激にこれ以上ないほど気持ちが昂った彼は、己の欲をぶつけるように強く腰を打ちつけ始める。

「あッ ぁんッ…」

シーツをぎゅっと掴み、淫らに体をくねらせながら男は快楽に溺れていた。美しいその顔は紅く染まり、潤んだ瞳からは今にも涙が溢れ落ちそうだった。高嶺の花のようなその存在を組み敷いて犯していることに、彼の支配欲はふつふつと湧き立っていった。

「はぁっ…はぁッ… …ねえ…どう?どんな感じ…?」

律動しながら体を倒した彼は、男にぐっと近付いて顔を上から覗き込む。男のよがった声と言葉を聞きたかったのだ。

「んッ…」

「教えて…気持ちいい?」

そう言わせたい彼がひときわ強く奥を突くと、男は嬌声を上げて びくんっと大きく体を震わせた。喋りやすいよう彼が動きを緩めると、男は息も絶え絶えに薄く開いた目で彼を見上げた。

「は…はぁ……ふ…」

男は小さく笑うと、手を伸ばして彼の右の頬にそっと添えた。優しく撫で上げながら親指で彼の唇をふにふにと触り、物欲しそうな表情を見せていた。
それで男がキスを求めているのだと察した彼は、欲しい言葉はいただけなかったが、しかし甘い蜜のように濡れている男の唇へと吸いつけられるように口づけた。

「んん…」

くちゅ、くちゅ…とお互いの唾液を交換しながら、何度も深く口づける。貪るような激しいキスで、男の中にある彼のがまた大きくなった。それは男も感じ取ったようで、からかうようにくすくすと笑っていた。

「はあ…こんなになるの初めてだ。朝まで止まらないかも」

「……ふふ」

男は彼の首へと腕を回し、頭を自分のほうへと引き寄せてから囁いた。

「…いいよ。夜が明けるまで楽しもうか」

彼と男は、その後も激しくお互いを求め合った。








……月は沈み、空が白みはじめた頃。
彼はホテルのベッドの上で目を覚ました。

「…ん……」

ぼーっとした頭でまだ重い瞼をうっすらと開けて、のっそりと上半身だけ起き上がる。彼は裸だった。床のカーペットの上には、シャツやズボンが乱雑に脱ぎ捨てられていた。

「………」

昨晩の出来事はもちろん覚えている。彼は辺りを見回してあの男を探したが、広い部屋の中にはその姿はなかった。
…自分の部屋に戻ったのだろうか。一言 声をかけてくれればいいのに。名前だけでも聞いておけばよかった。
たった一晩だけの関係だが、彼は飄々としていてつかみどころのないあの男が忘れられなかった。

彼は帰りの身支度を済ませた後、ホテルのレストランやバーに立ち寄って男を探したが、結局見つけることはできなかった。最後にもう一度会いたかったのだが、残念ながらもうそろそろ移動しなければいけない時間だった。後ろ髪を引かれつつも、彼はホテルのフロントへと向かった。
そこでチェックアウトをしている最中、彼はフロントの従業員に伝えた。

「昨夜、※※※号室にワインを届けてくれた男性スタッフの対応がとても素晴らしかったよ。ありがとう、また次来た時もよろしくねって言っといて」









「…って言葉をお客様からいただいちゃいました!いやあ自分のことみたいに嬉しかったです!持ってってくれたのって誰ですか!?」

「えー誰だろう?新人くん?」

「いや、僕じゃないです」

「男だよね?俺も知らない」

「俺も。厨房にワインが用意されてたのは見たけど、気付いたらなくなってたわ」

「昨日動けたのって、このメンバーだけだったと思うけど…」

「…え?じゃあ一体誰が……」

──彼がホテルを去った後、従業員たちの間でこんな会話がされたとか。
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