月と「死」の話

「死」の衣装のイメージが固まってきた頃。
次は「死」の口調でも考えようかと月は思った。月が制作するのは小説だ。だから最悪 口調さえ定まっていれば、執筆を開始することはできた。見た目は読者の想像に任せることになるが、もし行き詰まってしまったらもうその路線で行こうとも密かに考えていた。田口に急かされて作品を世に出した後にでも、ゆっくりと自分の中で「死」を創ればいい。月のこんな考えを田口は知るよしもないだろう。
さて、そんなことよりも悩みの種は「死」の口調・喋り方である。文字だけしか情報がない小説では、人物の口調というのはとても大切なものだ。登場人物が複数人出てくる場合、その口調や内容だけで今 喋っているのはこの人物だと読者に分かるようにしなければならないのだ。「今は誰が喋っているんだろう…次のこの言葉は誰のだろう…」なんていう目も当てられない状況は避けたいところだ。そのためには、「死」の口調はある程度 個性的なものにしなければと月は思った。誰か参考にできそうな人物はいないかと、数少ない交友関係を頭の中で辿ってみる。

「………、」

すると月は、ある人物を思い浮かべたのだった。




『なんと!私をツキの小説のモデルに?』

月からの電話で大まかな内容を聞いたその人物は、大袈裟に驚いてみせていた。
電話口の向こうにいるのは、遠くで暮らしている月の祖父である。月が唯一、この人には何をやっても敵わないだろうとすら思う人物だ。そういう意味では、最強である「死」に似たものを感じたのだ。
時差を確認し、こちらは深夜、あちらは夕方の時間に月は電話をかけた。祖父は久しぶりの孫からの電話に大層嬉しそうな様子だった。おまけに仕事のことで頼られているのだから、声だけでもその嬉しさが伝わっていた。

『なんて光栄なことだ。もちろん構わないよ。可愛い孫の頼みだからね』

月は電話をしながらも、上品で落ち着いた祖父の喋り方を意識して聞いていた。それに祖父には伝えていないのだが、この会話もこっそりと録音中である。もしそのことを伝えていたら、祖父もどこか意識した喋りになってしまうかもしれないと思ったからだ。あくまで自然な口調が好ましいと月は考えていた。久しぶりに電話をかけてきた孫に会話を録音されているだなんて、祖父は夢にも思わないだろう。もちろん悪用のためではないのだが。
祖父には「今 制作している小説の参考にしたい」とだけ伝え、「死」の存在は明かしていなかった。優しい祖父なら「死」という残酷な存在のモデルにされても怒らないとは思うが、それでも月は少し気を遣っていた。
それに完成した小説が世に出れば、どのみち祖父も知ることになるだろう。祖父は月が書く小説のファンでもあるのだ。新作が出るたびに、原文のままのそれを誰よりも早く手に入れていた。月が祖父のために取り置きでもしておこうかと訊ねてみても、「お前の本にはお金を払うほどの価値があるんだよ」とのことだ。そんな祖父のために、月は誰でもスラスラと読める文で小説を構成しているのかもしれない。たまに出てくる難読漢字は祖父へのちょっとした挑戦のようなものか。それは月にしか分からないことである。
祖父と会話をしている間は、とても和やかな時間が流れていた。祖父も月が制作しているという新作については深く詮索はしてこず、ただ単純に孫との会話を楽しんでいる様子だ。もしかしたら、好きな作家の新作のネタバレは踏みたくないのかもしれない。

『中庭の植物たちが美しく色付いているんだ。写真だけではすべて伝わらないのがもったいない。ぜひ今度見においで』

祖父が中庭で育てている植物は、幼い頃 遊びに行った際に見たことがあった。パティオ文化というものだ。たくさんの種類の植物があってすごかったことは覚えている。当時の月はただ「すごい」としか思わなかった。大人になった今、久しぶりに見てみたら、抱く感情も変わっているだろうか。月はおぼろげな記憶の中庭を思い出しながら、そう思った。
また今度機会があれば、と月は祖父に伝えた。

『はは。じゃあその時に久々に聞いてみようかな。お前はどの子が好きだい?ってね』

昔の思い出話に花を咲かせながら、月は祖父との会話を楽しんだ。それと同時に、祖父の口調のところどころをメモに残していた。後から見返して、「死」の言葉のイメージを固めるためにだ。最終兵器として録音もしているところからも、月の本気度の具合が表れていた。
会話したことでいい気分転換にもなり、月は祖父に電話をしてみて良かったと心から思ったのだった。

しばらくすると、あちらはそろそろ夕食の準備に取りかかるそうだ。月は祖父に感謝の言葉を伝えると、祖父からも「素敵な話が思いつくよう祈っているよ」というあたたかい言葉と共に感謝の言葉を返された。

『…そうだ!ヤチヨがこの間描いた私の絵があるんだよ。それも参考になるかもしれない。複製したものを送ろうか?』

最後に冗談交じりにそう言ってきた祖父の提案は断っておいた。
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