月と「死」の話
…カチ、カチ、と、暗い部屋に、マウスのクリック音とパソコンの無機質な機械音が響いていた。
時刻は深夜。真っ暗な部屋の中で電気もつけずに、その人物はパソコンから発せられる白い光を浴びていた。画面には色んなサイトが表示されており、ひとつのサイトを少し閲覧しては次へ、また少し閲覧しては次へ、というのを繰り返していた。いわゆるネットサーフィンである。しかし、どれも大して興味を引かれないのか、四角い箱を見つめるその人物の目に光はなかった。
死んだ目をした幸の薄そうな男。
「………」
彼こそが、東谷月である。
月は昔から、静かで無口な性格であった。同い年の子供が外で友達と元気いっぱいに駆け回っている中、部屋の隅でひとり絵本を読んでいるような子供だった。でも実は仲間に入れてほしくてチラチラと様子をうかがって…なんてことは一切なく、月は本当にひとりでいるのが好きだった。
唯一 心を惹かれたのは、絵本や童話などの空想の世界。動物が喋ったり、食べても食べてもなくならないお菓子だったり、ずっと夜のままの神秘的な世界だったり。空想の中でなら、自分が興味あるものだけで溢れた世界を作ることができた。そんな魅力的な世界に、人一倍 空想力が強かった月はのめり込んだ。表情は乏しいが、その頭の中には色鮮やかな世界が広がっていたのだ。
幼少期、少年期、そして青年期となった今でも、頭の中で空想を思い描くのは好きだった。…ただ、大きくなるにつれて現実世界の退屈さやつまらなさをはっきりと自覚してしまい、少々無気力で堕落気味な大人へと成長していた。昔に比べると、頭の中の空想世界は暗闇に包まれ色鮮やかな色は失いつつあるが、それでも作家という職に就いて、自分の世界をより深く覗いてみることは楽しいと思えた。売れる売れないはどうでもよく、ただ描きたい世界を描いていた。
自分でSNSやエゴサは一切やらないため、世間での評価はどうなのか目にも耳にもまったく入ってこないでいた。時折 ホクホクしながら家に訪れてくる編集担当の田口から間接的に聞くことはあるが、しかし月にとっては、批判も、時には賞賛の声だってノイズになり得るものだった。だから余計なものは最初からシャットアウトしていたのだ。田口も月のそういうところは理解していて、サラッと伝えるだけで深く切り込んだりはしないでいた。
そんな月は、ちょうど半年前に新作を出していた。脱稿後は達成感や疲労感で一時的な燃え尽き症候群になるため、再び執筆活動をするためにはある程度の休息が必要だった。執筆中はパソコンの眩しい光をずっと見つめていたり、集中しすぎて寝ることさえ忘れてしまったりしているため、その反動なのか休息期間中 月はとにかくよく眠っていた。それ以外だと本を読んだり、頭の中で色んなことを空想してメモを残したりと、思いのまま好きなように数ヶ月を過ごしていた。
そうしていると、件の編集担当者から「そろそろ次の話でも考えないか」といつも声がかかるのだ。その知らせが届けば、月は少しずつ次にやる話の内容を考え始めていく。
引きこもりであるため、材料集めはおもにネットからだった。興味が引かれるワードを探し出し、まずはそのワードを自分の中へと深く取り込んで自分なりの解釈を考えてみる。そうすると、自然と文章や物語が頭の中で形成されていくのだ。空想中、目を閉じ椅子にもたれかかっている姿は寝ているようにも見えるが、実際には月の中で月だけの世界が広がっていた。その魅力的な世界を独占して覗いている感覚がとても心地よい。今まで空想した世界の中にも、本当に住んでみたいと思えるほどいい場所もあった。たまにその世界へ再び訪れて浸るのも楽しい時間であった。ただ、続編として出したいわけではなく、自分だけでその世界に訪れるのが好きなのだ。月にはところどころに変なこだわりがあった。そこもある意味魅力的だと田口に言われたこともあるが。
月が今 不健康な時間にネットサーフィンをしているのも、その田口が三日前に訪れたからである。要件はいつものそれだった。まだ重めの腰を上げて執筆に取りかかろうとする月だが、今回の材料集めには少し苦戦しているようだ。いいワードがなかなか見つからないでいた。こういう時は空想メモを見返してそこからアイデアを得るのだが、何故か今回ばかりはそのメモのワードでも物語が頭の中に広がることはなかった。そもそもこの空想メモは自分のためのものである。他人を満足させるためのものではなかった。
「………」
考えても出ないものは出ない。月は今日も諦めたのか、パソコンの電源を落として、のそのそとベッドの中へと入っていったのだった。
時刻は深夜。真っ暗な部屋の中で電気もつけずに、その人物はパソコンから発せられる白い光を浴びていた。画面には色んなサイトが表示されており、ひとつのサイトを少し閲覧しては次へ、また少し閲覧しては次へ、というのを繰り返していた。いわゆるネットサーフィンである。しかし、どれも大して興味を引かれないのか、四角い箱を見つめるその人物の目に光はなかった。
死んだ目をした幸の薄そうな男。
「………」
彼こそが、東谷月である。
月は昔から、静かで無口な性格であった。同い年の子供が外で友達と元気いっぱいに駆け回っている中、部屋の隅でひとり絵本を読んでいるような子供だった。でも実は仲間に入れてほしくてチラチラと様子をうかがって…なんてことは一切なく、月は本当にひとりでいるのが好きだった。
唯一 心を惹かれたのは、絵本や童話などの空想の世界。動物が喋ったり、食べても食べてもなくならないお菓子だったり、ずっと夜のままの神秘的な世界だったり。空想の中でなら、自分が興味あるものだけで溢れた世界を作ることができた。そんな魅力的な世界に、人一倍 空想力が強かった月はのめり込んだ。表情は乏しいが、その頭の中には色鮮やかな世界が広がっていたのだ。
幼少期、少年期、そして青年期となった今でも、頭の中で空想を思い描くのは好きだった。…ただ、大きくなるにつれて現実世界の退屈さやつまらなさをはっきりと自覚してしまい、少々無気力で堕落気味な大人へと成長していた。昔に比べると、頭の中の空想世界は暗闇に包まれ色鮮やかな色は失いつつあるが、それでも作家という職に就いて、自分の世界をより深く覗いてみることは楽しいと思えた。売れる売れないはどうでもよく、ただ描きたい世界を描いていた。
自分でSNSやエゴサは一切やらないため、世間での評価はどうなのか目にも耳にもまったく入ってこないでいた。時折 ホクホクしながら家に訪れてくる編集担当の田口から間接的に聞くことはあるが、しかし月にとっては、批判も、時には賞賛の声だってノイズになり得るものだった。だから余計なものは最初からシャットアウトしていたのだ。田口も月のそういうところは理解していて、サラッと伝えるだけで深く切り込んだりはしないでいた。
そんな月は、ちょうど半年前に新作を出していた。脱稿後は達成感や疲労感で一時的な燃え尽き症候群になるため、再び執筆活動をするためにはある程度の休息が必要だった。執筆中はパソコンの眩しい光をずっと見つめていたり、集中しすぎて寝ることさえ忘れてしまったりしているため、その反動なのか休息期間中 月はとにかくよく眠っていた。それ以外だと本を読んだり、頭の中で色んなことを空想してメモを残したりと、思いのまま好きなように数ヶ月を過ごしていた。
そうしていると、件の編集担当者から「そろそろ次の話でも考えないか」といつも声がかかるのだ。その知らせが届けば、月は少しずつ次にやる話の内容を考え始めていく。
引きこもりであるため、材料集めはおもにネットからだった。興味が引かれるワードを探し出し、まずはそのワードを自分の中へと深く取り込んで自分なりの解釈を考えてみる。そうすると、自然と文章や物語が頭の中で形成されていくのだ。空想中、目を閉じ椅子にもたれかかっている姿は寝ているようにも見えるが、実際には月の中で月だけの世界が広がっていた。その魅力的な世界を独占して覗いている感覚がとても心地よい。今まで空想した世界の中にも、本当に住んでみたいと思えるほどいい場所もあった。たまにその世界へ再び訪れて浸るのも楽しい時間であった。ただ、続編として出したいわけではなく、自分だけでその世界に訪れるのが好きなのだ。月にはところどころに変なこだわりがあった。そこもある意味魅力的だと田口に言われたこともあるが。
月が今 不健康な時間にネットサーフィンをしているのも、その田口が三日前に訪れたからである。要件はいつものそれだった。まだ重めの腰を上げて執筆に取りかかろうとする月だが、今回の材料集めには少し苦戦しているようだ。いいワードがなかなか見つからないでいた。こういう時は空想メモを見返してそこからアイデアを得るのだが、何故か今回ばかりはそのメモのワードでも物語が頭の中に広がることはなかった。そもそもこの空想メモは自分のためのものである。他人を満足させるためのものではなかった。
「………」
考えても出ないものは出ない。月は今日も諦めたのか、パソコンの電源を落として、のそのそとベッドの中へと入っていったのだった。