月と「死」の話

午前十時。目を覚ました月は「死」からのいつものドッキリを受けつつ、早速 製本作業へと入った。
まずやるべきことは、完成した小説のチェックだ。読者はおらず、月と「死」だけが知る話であっても、いつも通りのちゃんとした本にしようと思っていた。
今までも、基本的には自分でチェックしていて目立つほどの誤字・脱字、矛盾点などはなかった。
「死」にも確認を手伝ってもらい、二時間ほどでその作業は終わった。

『ふふっ』

「死」は改めて自分の話を読んでみて、嬉しいのかにこにこと微笑んでいた。

適当に昼食を済ませた後、月は夜中にリストへとぶち込んだ動画を見始めた。それによると、どうやら今回の長めの「死」の話は、無線綴じという製本方法がいいらしい。
自宅にテープや糊などの必要な材料はあったかと月が探し回っている間に、「死」は月に教わってコピー機で原稿を印刷していた。

『おお、これはすごい』

次々と出てくる用紙に「死」は興味津々といった様子で見入っており、紙がなくなると教わった通りに補充していた。
たまに自室の前を通る月はそんな「死」を見て、ふたりで作業している時間をとても楽しく思えた。
無事に材料も見つかり月が自室へと戻ると、コピー機はまだまだ用紙を吐き出していた。その数はゆうに100は超えている。「死」はコピー機から出てきた用紙を綺麗に順番にまとめて、端へと置いてくれていた。

『ああ、まだまだ出てくるよ』

単純作業の繰り返しだが、「死」も月と同じくとても楽しそうだった。
月は「死」の隣に行くと、出てくる用紙の束を一緒に観察しつつ、見つけた材料である厚紙をカットしたりと作業を続けていた。


…しばらくすると、すべて印刷し終えたようで、コピー機はその動きを止めて静かになった。出てきた用紙の数は圧倒的で、ページ数もなかなか多いものになりそうだった。その分 作業も多くなるが、月はそれを億劫だとはまったく思わなかった。

「……ん」

そういえば、と月は思い出す。
この本の表紙はどういうものにするか、まだ決めていなかったのだ。今までは田口がいくつか例を見せに来てくれて、その中から月が選んだり、「この背景でこういうイメージで…」と案を出したりという感じだった。今は表紙メーカーやフリー素材といったものがありネットで簡単に表紙は作れるのだが、それだといまいち特別感がない。

「…死」

『うん?』

「…本の表紙…作ってみるか?」

月は「死」にそう提案してみた。
本文は月が制作し、表紙は「死」が制作する。そうすることで、ふたりで作った特別な本であることをより感じられると思ったのだ。
…もし「死」が嫌だと断れば、月は自分で作ろうと思っていたのだが…

『おや!私が考えてもいいのかい?』

そんな心配は杞憂だったようだ。
「死」は目を輝かせるほどに乗り気なようで、快く表紙のデザインを考えてくれるようだった。ほっとした月はあまり表情には出さなかったものの、内心では「…はぁ…好きだ……」と「死」への想いを爆発させていた。

印刷されて出てきた用紙を月が折っている間、「死」は月に渡された厚手の紙を前に表紙デザインを考えていた。月はペンも一緒に渡そうとしたのだが、「死」に「それは不要だ」と言われていた。どうやら不思議な力で描くことができるらしい。月も「死」がどんな表紙をどのように描くのか興味が湧いていた。

『……ふむ。よし』

しばしの間考えている仕草をとっていた「死」だが、ついにイメージが固まったようだ。紙の上に右手を乗せると、左端からゆっくりと撫でるように動かした。すると「死」の手が辿ったところから、徐々に絵のようなものが浮かんできている。その不思議な魔法に、月は隣で見入っていた。

『…ふふ。どうだい?』

右端まで手を辿り終えると、「死」は描いた表紙を誇らしげに月へと見せてきた。
「死」らしいおしゃれで神秘的な表紙だ。
その表紙ももちろん素晴らしかったのだが、「死」の可愛らしいどや顔も素晴らしいものだった。

その後はひたすら紙を折り、テープでくっつけ、糊で接着し、の繰り返しだった。
途中で休憩時間を取り、お菓子をつまみながらふたりで和やかに話をしたりしていた。とても充実した時間だ。
完成間近だったあの頃の気まずさも、もう遠い昔のことのようだった。

…正直なところ、今も月は「死」のちょっとした言動に心を乱され、理性というものが酷く揺れ動く時がある。
「死」が美しい笑顔を向けてきた時や、無防備にベッドに寝転んでいる時、…たまに見せるまるで誘っているかのように妖艶な表情をしている時。
そんな時は…「死」の身体を暴きたいという、強い欲が滲み出てくることももちろんある。
……でも。

『なあ月よ。私の話の続編を書くという気はないか?』

「…気が早すぎる。まだ今の話の本を作っている最中だろう」

『ははは』

…「死」のふんわりとした無邪気な顔を見ると、どうにも参ってしまう。
もしかしたら寛大な「死」は、頼めば己の欲も受け入れてくれるかもしれない。…そうは思っても、やはり月には「死」の中を暴くことはできなかった。

「死」の中に隠れたそれは、「死」という存在だけのものだ。
誰も触れることは許されない。
作者である月だって、触れることは許されないのだ。

…月はそんな想いを抱きながら、「死」と歩んでいくことを決めたのである。



──長い長い作業を続けた一日が終わった。

夢中で行っていたため、時刻はいつもの深夜になっていた。

「死」が魔法で名前を記した後、月は手書きで自分の名前を記した。

『…ああ、これで本当に完成だ』

月と「死」のふたりで作った、世界に一冊だけの本が完成したのだった。
これまで出版した本に比べると少し拙い感じはするものの、しかし手作りのあたたかみを細部にまで感じられる素敵な逸品だ。

『ありがとう、月よ。この本の制作に携われたこと、とても誇りに思うよ。こんなに嬉しいことはない』

「死」はできあがった本を大事に抱きしめると、月へと感謝の言葉を伝えた。
月も「死」とふたりで作り上げた本の完成に、感慨無量である。

「…死」

そう声をかけると、「死」はまっすぐに月を見つめた。

「……ありがとう。お前がいてくれて、本当によかった」

『…ふふっ』

柔らかく微笑む月に、「死」も嬉しそうに微笑み返す。

『………ああ!そうだ』

あのことを思い出した「死」は、月の部屋の本棚へと向かった。

そして歴代の月の作品の中に自分の話をそっと並べると、とてもご満悦な表情を月に見せたのだった。






田口へと電話をかけ、月は「完成間近でデータが飛んだ。バックアップもできない。ショックでしばらく書けそうにない」とだけ伝えた。
電話口からは、過去一大きな田口の悲鳴が響き渡った。


祖父にも今年は新作を出せないことを連絡したところ、「おや…それは残念だ。でもいつか見せてくれると嬉しいよ。お前の最高傑作をね」との返事が返ってきた。
まるですべて見抜いているかのような言い方に、やはりこの人には敵わないなと月は思うのだった。







──その年、東谷月が新作を発表することはなかった。
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