月と「死」の話

カタカタと、パソコンのキーボードを叩く音が部屋に響いていた。
相も変わらず執筆作業をしている月が発する音だ。
しかし、執筆を続けて二ヶ月ほど。この小説にも、終わりの気配が近付いていた。今のペースでいけば、おそらく半月後には完成するだろう。長年の感覚で、月はそう思った。

…完成、か。

この作品が完成すれば、そんなに多くはないだろうが、人々の手に渡るだろう。
「死」の存在が、生み出した自分以外の人間に知れ渡ってしまうのか。
…こんなことを思うなんて、自分は本当に小説家だろうか。

「……」

月は「死」へと目を向けた。つい先ほどまでは月を手伝ってくれていたのだが、それに飽きたのか今は隣にいなかった。「死」は窓際にもたれかかり、外の様子を見ているようだった。

少しだけ魔が差した月が「死」に手を出そうとした日から、なんとなくふたりの距離は空いていた。物理的な距離というよりも、心の距離だ。何故か今までのように会話も上手く続かなかった。月が悪いと思って一方的に「死」を避けているからだろうか。
「死」はいつも通り作業を手伝ってくれているが、それは仕事だからかもしれない。オンでは仕事仲間のように接し、オフではなんだか気まずい。そんなまるで一般企業でのドライ気味の関係だ。外の社会ではよくあることだろう。月と「死」はそんな他人のような関係性ではないのに。
月にはこの空気感が、酷く重々しく感じた。


そんな日々を過ごし続けて一週間ほど経ったある日のこと。

『なあ月よ。これがお前の作品たちか』

そう言った「死」は月の自室にある本棚の中の、著者が「東谷月」と書かれた本が並ぶ列を指差していた。月はそちらに視線を移すと、昔自分が考えた題名に少し懐かしさを感じつつ、控えめにこくりと頷いた。大きめの本棚には自作品と他作品が詰め込まれているため、「死」は月の作品があることに今気付いたようだった。月の頷きの後、「死」はその作品たちをじっと見つめる。…そして、ほんわかとした雰囲気で笑った。

『ふふ。私の話も、ここに仲間入りするのかな』

その笑顔は、眩しいくらいに美しかった。

「── …」

月は苦しいくらいに心を奪われた。
ぼー…と見惚れてしまっていることで、はっきりと自覚する。

自分はこの「死」に恋をしているのだ、と。

「………」

そう強く思ったことで、月の心には大きな迷いが生じた。
自分が創り出した存在に惹かれているなんていう、もうその程度の小さな悩みではない。

「死」は自分の話を世に出して、たくさんの人に見てほしいと思うだろうか。
そもそも月もその目的のために、この「死」という存在を生み出したのだ。
「死」が望むのなら、そうしてあげるべきか。

…しかし。

「恋をしている」などと綺麗な言葉で表現したものの、実際はただの重い執着だ。
月はこの「死」を誰の目にも触れさせたくはなかった。
自分の中だけに、大切に仕舞っておきたかったのだ。
自分の理想を詰め込んだ、自分だけのこの「死」を。


小説を完成させたい思いもあるが、それと同時に、このふたりだけの時間を終わらせたくないと、月はそう思っていた。
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