月と「死」の話
目標ページの半分ほどの執筆作業が終わった頃。
『東谷君!全然連絡ないけど、進捗のほうはどうなの!?』
…じゅんちょ
『順調順調ばっかりで一ヶ月半は経ったよ!?』
月は電話で田口に詰め寄られていた。
さすが月の担当歴が長いだけあって、半分ほどの作業が終わってすぐに連絡が来た。順調とだけ言い張る月に痺れを切らしたのか、今の進捗状況を詳しく教えてほしいとのことだ。確かに本の内容も作品のテーマも知らない状態は、編集者としてはとても困るのだろう。ただ月も頑なに「死」のことは伝えないようにしていた。なんというか、教えたくなかったのだ。おまけに幻覚・幻聴を現在進行形で体験していることは、絶対に知られてはいけないと思っていた。
しかし、今回の田口は前回と違って諦めてはくれなかった。
『本当に順調なのかどうか確認させて!明日そっち行くからね!!』
急にそんなことを言われてもと月が断ろうとした瞬間に「じゃあそういうことで!」と田口はすぐに電話を切ってしまった。
「………」
月は呆然とする。
確かに、田口には申し訳ないことをしていると思う。しかし、やはりそれでも月は「死」の存在を教えたくはなかった。
その秘密の「死」を見てみると、「死」は月が田口と電話で話している様子を見ていたようだ。
『明日に誰か来るのかい?』
大体のことは先ほどの電話で把握したらしい。だから隠し通すことはできないだろうと思い、月はこくりと頷いた。
『ふふ。お前の友か?私も一目見てみたいよ』
「死」は月の知り合いに興味があるようだ。友達ではなく仕事仲間だが。…そんなことはどうでもいいが、月は少しだけもやもやとした気持ちになった。明日訪れる田口への対応をどうしようかと悩んでだろうか。
なんだか億劫そうな月の様子を見て、「死」は首を傾げる。
『どうしたんだい?あまり嬉しそうには見えないね』
……「死」は自分の空想世界の存在だ。ならば相談したとして、返ってきた回答は自問自答のものになるだろう。謎にその事実に背中を押された月は、田口の簡単な説明と小説のことはあまり教えたくないことを「死」に伝えてみた。すると「死」は「おや、そうなのか」と少し驚いたものの、月の考えを否定することはなかった。
『そういうことなら、私に任せておいてくれ』
むしろ助けてくれるという。「死」に何をするのか聞いてみると、ただ一言。
『その者には幻覚を見ていてもらおう』
どうやら田口も月と同じく幻覚を見ることになるらしい。月はその意味がよく分からず首を傾げるが、「死」は信頼できる相手だ。手荒な真似はしないそうなので、月は「死」に任せてみることにした。
次の日。約束通り田口は月の家へとやって来た。
真面目な社会人であるため、午前十時といういつもの月ならまだ眠っている時間に来たのだ。そのため月はまだ少しだけうとうととしていた。
そんな月に「起きて!?」と声をかけつつ、田口は早速本題へと入った。
「さあ東谷君、見せてもらおうか」
腕を組んで仁王立ちしている田口に、月はおずおず…とタブレットを差し出した。
そのタブレットの画面には、現在執筆中の「死」の話……ではなく、先ほど適当に開いた洋服リストが並ぶサイトが表示されていた。「死」の「彼に見せるものはなんでもいい」という言葉を信じた月は、それを田口に見せたのだ。
小説どころか文ですらないのだが…
「ふむふむ……ああ、ちゃんと執筆はしてるみたいだね。疑っちゃってごめん」
田口は洋服の写真ばかりが並ぶそれを読んでいるみたいだった。画面をスクロールしながら、ふむふむと頷いている。
「それにしても珍しいね!東谷君がこういう題材を選ぶなんて。でもいいんじゃない?なかなか面白いよ、このファッションデザイナーの話!」
田口のその言葉は月にも理解できなかった。
これが「死」の言っていた幻覚…? と思い、田口の後ろにいる「死」を見てみると、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。ちなみに田口には当然だが「死」の姿は見えていなかった。
どうやら「死」は、田口がこの家に入った瞬間に術をかけたようだ。田口にはタブレットに表示されているただの洋服リストが、ファッションデザイナーを題材にした小説に見えているらしい。実際に見せている写真とは歪曲しすぎているが、しかし「死」のおかげで、本当に執筆している「死」の話は見せずに済んだようだ。
月は少しほっとしたような、…今後 田口からの連絡にはどう答えたらいいのだろうかというような心配を感じた。月はファッションデザイナーの話なんてちっとも書いていないのだ。このままでは相違が出てしまいそうである。
するとそんな月の心中を察したのか、「死」から声がかかった。
『そう心配しなくてもいい。彼が帰る頃にまた術をかけておこう。そうしたら彼は今日お前の家に来たことは覚えているが、ここで見たことはすべて忘れるだろう。社畜とやらにはよくあることさ』
そんなチートなこともできるらしい。自分が創り出した幻の存在なのにそんなこともできるのか…と、月は驚く。しかし実際に「死」に術をかけられた田口の姿を見ているため、「死」のその言葉は充分 信頼に値した。
その後、田口はでき上がっているところまではすべて目を通したようで、「これは完成したら話題になるに違いない…!」と興奮気味に独り言を呟いていた。残念ながらそのファッションデザイナーの話ができ上がることは一生ないため、月は申し訳なく思いながらも田口に読んでくれたことへのお礼を述べた。
それからは少しだけお茶を飲みながら雑談をした。「死」がちょこちょこと悪戯のように月にも話しかけていたのだが、田口の前であることもあり、月は心を無にして「死」の問いかけには返事しなかった。そうしていると、田口はそろそろ事務所へと帰るらしい。持ってきたカバンを肩にかけると、玄関へと向かった。月も見送るために田口に続くと、それを見ていた「死」も同じように玄関へとついてきた。
「それじゃあ、東谷君。執筆頑張って!あと、連絡はちょくちょくしてもらえると…」
最後にモゴモゴと月へのお願いを口にした田口に月がこくりと頷くと、田口は「よろしくねー」と言いながら玄関のドアに触れた。
その瞬間、「死」がふわりと田口へと顔を寄せた。
「……、」
月の目の前で、まるでキスでもするかのような距離感で「死」は田口の耳元で何かを囁いた。
すると田口は「…?」となりながら、外へと踏み出していった。
…パタン、とドアが閉まる。
『…さて、これで安心だ』
どうやら今ので田口に再び術をかけたようだ。
「死」は一仕事したかのように、ふ…と息をついた。
「………」
…田口は「死」の姿も「死」の声も一切感じなかっただろうが、月は先ほどの「死」と田口を見て、よく分からないが、最近たまに感じるもやもやとした気持ちをまた感じたのだった。
『東谷君!全然連絡ないけど、進捗のほうはどうなの!?』
…じゅんちょ
『順調順調ばっかりで一ヶ月半は経ったよ!?』
月は電話で田口に詰め寄られていた。
さすが月の担当歴が長いだけあって、半分ほどの作業が終わってすぐに連絡が来た。順調とだけ言い張る月に痺れを切らしたのか、今の進捗状況を詳しく教えてほしいとのことだ。確かに本の内容も作品のテーマも知らない状態は、編集者としてはとても困るのだろう。ただ月も頑なに「死」のことは伝えないようにしていた。なんというか、教えたくなかったのだ。おまけに幻覚・幻聴を現在進行形で体験していることは、絶対に知られてはいけないと思っていた。
しかし、今回の田口は前回と違って諦めてはくれなかった。
『本当に順調なのかどうか確認させて!明日そっち行くからね!!』
急にそんなことを言われてもと月が断ろうとした瞬間に「じゃあそういうことで!」と田口はすぐに電話を切ってしまった。
「………」
月は呆然とする。
確かに、田口には申し訳ないことをしていると思う。しかし、やはりそれでも月は「死」の存在を教えたくはなかった。
その秘密の「死」を見てみると、「死」は月が田口と電話で話している様子を見ていたようだ。
『明日に誰か来るのかい?』
大体のことは先ほどの電話で把握したらしい。だから隠し通すことはできないだろうと思い、月はこくりと頷いた。
『ふふ。お前の友か?私も一目見てみたいよ』
「死」は月の知り合いに興味があるようだ。友達ではなく仕事仲間だが。…そんなことはどうでもいいが、月は少しだけもやもやとした気持ちになった。明日訪れる田口への対応をどうしようかと悩んでだろうか。
なんだか億劫そうな月の様子を見て、「死」は首を傾げる。
『どうしたんだい?あまり嬉しそうには見えないね』
……「死」は自分の空想世界の存在だ。ならば相談したとして、返ってきた回答は自問自答のものになるだろう。謎にその事実に背中を押された月は、田口の簡単な説明と小説のことはあまり教えたくないことを「死」に伝えてみた。すると「死」は「おや、そうなのか」と少し驚いたものの、月の考えを否定することはなかった。
『そういうことなら、私に任せておいてくれ』
むしろ助けてくれるという。「死」に何をするのか聞いてみると、ただ一言。
『その者には幻覚を見ていてもらおう』
どうやら田口も月と同じく幻覚を見ることになるらしい。月はその意味がよく分からず首を傾げるが、「死」は信頼できる相手だ。手荒な真似はしないそうなので、月は「死」に任せてみることにした。
次の日。約束通り田口は月の家へとやって来た。
真面目な社会人であるため、午前十時といういつもの月ならまだ眠っている時間に来たのだ。そのため月はまだ少しだけうとうととしていた。
そんな月に「起きて!?」と声をかけつつ、田口は早速本題へと入った。
「さあ東谷君、見せてもらおうか」
腕を組んで仁王立ちしている田口に、月はおずおず…とタブレットを差し出した。
そのタブレットの画面には、現在執筆中の「死」の話……ではなく、先ほど適当に開いた洋服リストが並ぶサイトが表示されていた。「死」の「彼に見せるものはなんでもいい」という言葉を信じた月は、それを田口に見せたのだ。
小説どころか文ですらないのだが…
「ふむふむ……ああ、ちゃんと執筆はしてるみたいだね。疑っちゃってごめん」
田口は洋服の写真ばかりが並ぶそれを読んでいるみたいだった。画面をスクロールしながら、ふむふむと頷いている。
「それにしても珍しいね!東谷君がこういう題材を選ぶなんて。でもいいんじゃない?なかなか面白いよ、このファッションデザイナーの話!」
田口のその言葉は月にも理解できなかった。
これが「死」の言っていた幻覚…? と思い、田口の後ろにいる「死」を見てみると、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。ちなみに田口には当然だが「死」の姿は見えていなかった。
どうやら「死」は、田口がこの家に入った瞬間に術をかけたようだ。田口にはタブレットに表示されているただの洋服リストが、ファッションデザイナーを題材にした小説に見えているらしい。実際に見せている写真とは歪曲しすぎているが、しかし「死」のおかげで、本当に執筆している「死」の話は見せずに済んだようだ。
月は少しほっとしたような、…今後 田口からの連絡にはどう答えたらいいのだろうかというような心配を感じた。月はファッションデザイナーの話なんてちっとも書いていないのだ。このままでは相違が出てしまいそうである。
するとそんな月の心中を察したのか、「死」から声がかかった。
『そう心配しなくてもいい。彼が帰る頃にまた術をかけておこう。そうしたら彼は今日お前の家に来たことは覚えているが、ここで見たことはすべて忘れるだろう。社畜とやらにはよくあることさ』
そんなチートなこともできるらしい。自分が創り出した幻の存在なのにそんなこともできるのか…と、月は驚く。しかし実際に「死」に術をかけられた田口の姿を見ているため、「死」のその言葉は充分 信頼に値した。
その後、田口はでき上がっているところまではすべて目を通したようで、「これは完成したら話題になるに違いない…!」と興奮気味に独り言を呟いていた。残念ながらそのファッションデザイナーの話ができ上がることは一生ないため、月は申し訳なく思いながらも田口に読んでくれたことへのお礼を述べた。
それからは少しだけお茶を飲みながら雑談をした。「死」がちょこちょこと悪戯のように月にも話しかけていたのだが、田口の前であることもあり、月は心を無にして「死」の問いかけには返事しなかった。そうしていると、田口はそろそろ事務所へと帰るらしい。持ってきたカバンを肩にかけると、玄関へと向かった。月も見送るために田口に続くと、それを見ていた「死」も同じように玄関へとついてきた。
「それじゃあ、東谷君。執筆頑張って!あと、連絡はちょくちょくしてもらえると…」
最後にモゴモゴと月へのお願いを口にした田口に月がこくりと頷くと、田口は「よろしくねー」と言いながら玄関のドアに触れた。
その瞬間、「死」がふわりと田口へと顔を寄せた。
「……、」
月の目の前で、まるでキスでもするかのような距離感で「死」は田口の耳元で何かを囁いた。
すると田口は「…?」となりながら、外へと踏み出していった。
…パタン、とドアが閉まる。
『…さて、これで安心だ』
どうやら今ので田口に再び術をかけたようだ。
「死」は一仕事したかのように、ふ…と息をついた。
「………」
…田口は「死」の姿も「死」の声も一切感じなかっただろうが、月は先ほどの「死」と田口を見て、よく分からないが、最近たまに感じるもやもやとした気持ちをまた感じたのだった。