人間の子。概念の子。
さて。死は17歳、月は16歳となった。選択までの年齢が、刻一刻と近付いていた。
その日は、死とその先代、月とその先代の計4人が集まった。この4人で集まるのはいつぶりだろうか。ずいぶん昔だからもうあまり覚えていない。
この17年間、16年間。死も月も、概念と人間をある程度は経験できた。月は約1年間しか学校に行っていなかったので、ほぼ概念として過ごしてきたが。
それにもう大人に近い。幼い頃は分からなかったことだって、ふたりはもう理解できる。だからこの日は、概念と人間、それぞれの生き方・違いについて先代たちに教えてもらうのだ。それぞれの先代の話に相違がないよう、そして死と月が話を聞いてその捉え方にも相違がないように4人というわけだ。
この集まりで、久しぶりに死と月は「対面」した。死は月に近付き、声をかける。
「久しぶりだな。月よ」
「…ん」
「結局あの後、学校でお前の姿は一度も見なかった。しかし、今は概念の役目を頑張っているそうじゃないか」
「…ああ」
前と変わらず無口で大人しい月に、死はくすっと笑う。いつの間にか、月の背は死よりも大きくなっていた。今は少し大きいだけだが、あと1年も待たずに身長差が明確に分かるくらいになるかもしれない。
月の先代も背が高い。死の先代も決して低くはないのだが、月の先代と並ぶとやはり華奢に見えていた。
「ふふ。少し見ない間に、ずいぶんと大きくなったものだ」
「……私は」
「ん?」
「…いや」
月は顔をそらし、それ以上は何も言わなかった。
……私は、見ていた。ずっと。
概念と人間、それぞれのプラス面、マイナス面について。
捉え方は人それぞれだ。そのプラス面はむしろマイナス面だと思ったり、何故それがマイナス面なのか理解できないというのはあるかもしれない。
まずは概念。
当然ながら人間…生き物ではないため、永遠にその存在としてあり続ける。命がないのだから、よっぽどのこと(その概念が不必要、消滅するなど)がない限り消えることもない。
何千年、何億年経ってもその見た目が変わることはない。要するに、ずっと自分で居続けられるということ。
しかし、実力次第では自分の好きに見た目を変えることだってできる。中には好んで老人や赤子の姿になる者もいる。
次の代は自分で探す、役目を継がせるタイミングも自由。先代は後継者に役目を交代させたとしても、やはり消えることはない。穏やかに穏やかに、孫やひ孫を見守る立ち位置になる。
…ただし、後継者を探さずにずっと自分が同じ役目を事務的に果たしていると、いつしか何も感じなくなって、感情は完全に消え失せてしまったという者も多く報告されている。
先代はもう役目を交代してしまっているから、手出しもできない。
ただの無機物となり、永遠に独りで役目だけをこなすことになる。
次に人間。
一番の特徴は、なんといっても自由なところ。自分の好きなことをして、好きな職に就き、好きに生きていくことができる。中間時に経験した概念の役目に縛られることはない。
…ただ人間なので、当然ながら命がある。寿命で尽きるかもしれなし、事故で亡くなるかもしれないし、最悪事件に巻き込まれることだって考えられる。
そうして消えてしまった子に起こること。それが輪廻転生である。
人間と概念の中間という、やはり他とは違う特別な経験をした存在。死んでしまった後、何百日後、何年後、いつになるかは分からないが、それでも必ず輪廻転生が約束される。しかもそれは終わりがない。
1回目の人生が終わり輪廻転生をして、2回目の人生が始まった。同じく2回目の人生も終わったが、またしても輪廻転生、そして3回目の人生が始まるというように、永遠と輪廻転生の加護を受けるわけである。
どういうわけか容姿は変わらないため、生前の姿を知っている者の前に現れると、ちょっとした「そっくりさん事件」「幽霊事件」が発生することも。しかし本人には防ぎようがない。
何故なら、輪廻転生をすると生前の記憶はすべてなくなるから。
それは、「人間を選んだ者」が中間から人間になる時も同じだった。
中間時での概念に関する記憶は、その後 人間として生きる際のリスクになるかもしれない。
それに概念という存在がいることも、できれば隠しておきたいのだ。
死と月は、先代たちからの話を聞き終えた。
簡単に言うと、もし人間を選んだ場合は、先代のこと、先代から学んだ役目のこと、そして、お互いのことが記憶からなくなる。概念に関する記憶だけがすっぽりと抜け落ちるのだ。
一方、学校で学んだことや友達のことは覚えている。その知識や交友関係は、今後 人間として生きていくためには必要だからだ。
月は死が概念を選ぶことを1番望んでいた。…ただ、人間も概念も同じくらい経験した死が、最終的に人間を選ぶのなら…生き辛くても、自分も人間で、と決めていた。
しかし、人間の説明の最後にあった「概念に関する記憶はなくなる」というところを聞き、月は完全に人間は選択肢から潰した。それはつまり、ふたりで人間になったとしたら、お互いのことは全部忘れてしまうということ。概念を知っている者同士、その記憶を持って人間になることはダメなことらしい。
役目なんかよりも、後継ぎなんかよりも、何よりも死が自分の中からいなくなるのが月は絶対に嫌だった。
それは死も同じだろうと、月はそう思っていた。…なのに。
「ほう…それは寂しいな。それじゃあ今のうちに、月や先代との思い出をたくさん作っておかなければ」
「……死?」
月は死の言うことが理解できなかった。それはつまり、死は人間を選ぶという意味にしかとれなかったから。
「おやおや…もう人間に決めているのか。寂しいねぇ。…私はお前がどちらを選んだとしても、否定はしない。だが、まだ時間はある。その間に考えが変わるかもしれないからね」
死の先代は死にそう声をかけた。今まで我が子同然に可愛がっていた子だ。子離れできそうに見えて、人間を選んだ死が人間になる日が近付いてくると目に見えてしょんぼりしそうである。本当は概念を選んでほしいところだが、でも言葉通り、最後はちゃんと死のなりたいほうにならせてあげるつもりだった。そのうちにまた後継ぎを探さなくては、と死の先代は次の後継者のことも頭の片隅でぼんやりと考え始める。
死とその先代は、もう人間になること前提で、まるで将来の進路を決めているかのような話し合いに花を咲かせていた。
「お前のことはお前に任せる」
無口な月の先代は月にそれだけ伝えた。…しかし、月はそれどころではなかった。
……何故。何故。死は、私を忘れてしまってもいいというのか。
死のこととなると、独占的な考えしか月にはない。
もやもやどろどろとした黒い感情が、月を飲み込もうとしていた。
…夜。
月は死の元を訪れた。すると死は外に出ていて、ひとり夜空を眺めていた。憂いを帯びたようなその横顔は、見惚れてしまうほど美しい。
「…死」
死は暗闇から突然現れ声をかけてきた月に少し驚き、目を丸くして月を見る。
「おや、月よ。珍しいな。今日は役目に行かないのか?」
「…新月」
「ああ。なるほど。だからいなかったのか」
月からの言葉を聞き、広い夜空の中に月がいなかった理由を知ったようだ。死は月を見つめながら笑みを浮かべ、「こっちへおいで」と手招きをする。
「ちょうどいい。暇なら話でもしようか。お前との思い出も作っておきたい」
幼い頃はずっと一緒に遊んでいたふたり。しかしお互い大きくなってからというもの、学校に役目にと忙しくて会うことも少なくなり、あまり話もできなかった。死はそれが少し心残りだったのだ。
「忘れるのにか」
死が月に直接言ったわけではないが、月も死は人間を選ぶのだろうと察しているようだった。
「ふむ。先代たちはそう言っていたな。だが案外月を見ると、お前のことをふと思い出すかもしれない」
長い間、先代の元で共に概念としても過ごしてきたのだ。「死」は人間になると一度しか会うことがない。だが、ほぼ毎日見ることになるであろう「月」なら、ふとした時にひょっとしたら
「適当なことを」
…寂しさを紛らわすためのちょっとした冗談のつもりで言った死に、月は冷たく言い放った。
「…?」
今まで聞いたことがないような冷たい声。死は首を傾げて隣にいる月を見ると、それと同じくらい冷たい表情の月が、死をじっと見ていた。その表情だって今まで見たことはなかったが、どうやら月は怒っているようだ。
「どうした。月よ」
少し驚いたものの、死は恐れることなく月に問いかけた。
「何故記憶を消してまで人間になろうとする」
「……ああ、なるほど」
その一言で、月が何故怒っているのか死は理解した。…確かに、人間になれば幼なじみも先代も役目のことも忘れてしまう。それはなんとも自分勝手なことだろう。
でも、それでも。
「自由に生きられるというところに魅力を感じたからだ。私にはまだ知らない世界がたくさんある。そんな世界をもっと知って見てみたい。そして輪廻転生後にもそんな経験ができるなんて、楽しそうじゃないか?」
放浪者気質で楽しいことが大好きな死は、自由に生きることができる人間に惹かれたのだ。
「まったく理解できない」
「まあ人それぞれだ。私にはそれがいいと感じた。記憶がなくなるというのは驚いたけどね」
否定されたとしても、死は自分の信念を曲げるつもりはない。
「先代からの教えを無駄にするつもりか」
…しかし、月がそんなことで納得するはずもなかった。
月はなんとしてでも死を概念にしたいのだ。そのためには死の先代すらも利用する。
もう心身ともに概念に近い月。概念ゆえの冷たさがすでに顔を出し始めていた。
月から先代の名を出されたことに、死も少しだけ厳しい表情を見せた。
「…お前が私と先代の何を知っているのかは知らないが、勘違いするな。先代は私が最後に選ぶ道を歩ませてくれると言っていた。長い時間をかけて育てた死 が今後使い物にならないとしても、変わらず最後まで大切にしてくれるとも。感謝してもしきれないくらいだ」
こちらは先代との話し合いはすでに終わっている。だから月の出る幕ではない。死は婉曲にそう伝えた。
それでも月は引き下がらない。
「その恩も人間になれば忘れる。不要なものということだな」
死に冷たい言葉を浴びせ続ける月。見開かれた月色の目がギラギラと光り、じっと死を捕らえていた。
…月の言いたいことも気持ちも理解している。自分が選ぼうとしているのは悪いほうだ。それは分かっている。しかし、だからと言ってそこまで邪険にされるのは正直不快だ。
「罵りに来たのなら帰れ。お前が思っているとおり、私は最低な奴だよ。だから今後、恩知らずの裏切り者はお前の前には姿を現さない」
「……裏切り者とは人間だけが付けられ呼ばれる名だ」
「…何が言いたい?」
「死は人間ではない」
感情を一切感じられない声が、静かな闇夜に響いた。
「人間なんかにはなれない」
…月の言葉に、死は一瞬ぽかんとした表情を見せたが、その後すぐに煽るような笑みを浮かべた。
「…はは。面白いことを言うね。確かに今は人間でも概念でもないが。ふふ。その言葉そっくりそのままお返しするよ。…私は概念でもない」
「いいや。死は概念にしかなれない」
「ほう。それはどうしてかな?」
死は挑発的に笑う。
「私が死を概念にするからだ」
月はそう言うと、死の腕を掴みその体を近くの壁へと押し付けた。死は突然のことに驚き月から逃れようとするも、強い力で押さえ込まれているため逃げることができない。少しだけ抵抗してみせたが、月に力では勝てないと察すると一旦抵抗を止めた。
正面にいる自分よりも少し大きな月に見下ろされるも、怯みはせずに死も負けじと睨みつける。
「やめろ。今ならまだ許してやる」
「やめない」
「月」
先ほどよりもキッと鋭く睨みつける死。
「…恐ろしい顔だ。きっと本来 概念の死は、そんな姿なのだろう」
概念概念とうるさい月に、死は呆れたような顔をした。
「はあ。そんなに私に概念になってほしいのか。そこまで慕われていたなんて、嬉しいね」
「死が死でなくなるなんて許さない。…私を忘れることだって、許さない」
掴む手に力がこもる。
「なんて幼稚な。幼い頃のまま成長できていないようだな。月よ。本当に私のことが好きなら、私が歩む道をそっと見守ってくれ」
「好きなのに手放せというのか」
「そうだ。私はそれが一番幸せだ」
月を説得しながらも、掴まれた手をゆっくりと少しずつ振り払おうとしている死。月もそのことに気付いていた。
もちろん振り払われる前に掴み直す。…それでも死は再び振り払おうとする。
少しずつ、少しずつ、自分の中から消えようとしている死に、月は
「逃がさない」
牙を突き立てた。
「あッ」
首筋に鋭い痛みを感じた死は、反射的に月を引き離そうとぐいぐい体を押して激しく抵抗した。しかし月は離れるどころか、死の腰に片腕を回しもっと自分のほうへと引き寄せる。死は月に覆い隠された。
牙が食い込んだ首筋からは、つー…と血が流れ始めていた。月はそれを舐めとりながら、舌を尖らせ傷口をえぐるように舐める。
「っ……ん、っ…」
弱みを見せてはいけないと、痛みに耐える死。体が逃げそうになっても、後ろは壁、そして前には月がいるため、逃げることができなかった。そうこうしているうちに、衣装をずらされ肩が晒される。そこにも月は牙を突き立てた。
「んっ…」
痛みで死の体はびくりと震えた。
月はまた傷口を刺激し、死に痛みを与え続ける。
「……」
…月は死を支配しようとしていた。支配したら、死は自分の言うことを聞くかと思ったのだ。
月はある意味純粋だ。まだ性的なことは知らない。
無知ゆえ、純粋ゆえ、快楽ではなく痛みで支配することしか知らなかった。…でも。
「っ…」
「………」
自分の腕の中で、今にも泣き出してしまいそうな顔で痛みに耐えている死の姿。年上である死のそんな顔を見るのはもちろん初めてだった。
自分が死にそんな顔をさせているのだという背徳感。
口の中に広がる死の血の味。
はだけた衣装の隙間からチラリと覗く、死の艶かしい白い肌。
ズクン…と、下半身が疼いた。
月は死の肩を掴み、くるりと体の向きを変えさせた。
「っ…?」
訳も分からないまま壁側を向かせられた死は、後ろからまた押さえ付けられる。月は体を隙間なく死に密着させた。
…偶然か意図的か、月は下半身を死の後ろに押し当てていた。そして死の耳元で、「はぁ…」と興奮しているかのような熱い息を吐いたのだ。
それにはさすがに死も少し危機感を覚えた。月にそういう知識があるのかは知らない。しかし、このままではダメだ。
死は低い声で月に言い放つ。
「どけ…月よ。これ以上ふざけた真似をするようなら、私はお前を本当に嫌いになる」
「……」
死の言葉を聞いて、月はそれ以上何かをしようとはしないが、退きもしない。
「……」
…月が何を考えているのかは分からない。しかし、またしても死に痛みを与えようとしたのか、月が死の衣装をずらそうとしたその時。
「……、」
「…先代、か?」
ふたりは誰かの気配を感じた。それで月はようやく死から離れた。
背後にいた月がいなくなり、死は振り返って月を見る。…まだ少し色を含んだ目で死をじっ…と見ていたが、やがて背を向け闇の中へと消えていった。いつもは圧倒的な存在感で夜を照らしている月だが、その時はまるで闇に溶け込む新月のように静かにその姿を消した。
「…おや」
月と入れ違うように姿を現したのは、やはり死の先代だった。死に気付いて優しげな表情を見せたが、首と肩からの出血を見ると一瞬で表情が消えた。
「…何があった?」
怖い顔で先代は問いかけてきたが、死は月のことは言わずに黙っておいた。これ以上 月との関係が拗れるのは嫌だったのだ。
「猫を触ろうとしたら、嫌われた。大したことじゃない」
その日は、死とその先代、月とその先代の計4人が集まった。この4人で集まるのはいつぶりだろうか。ずいぶん昔だからもうあまり覚えていない。
この17年間、16年間。死も月も、概念と人間をある程度は経験できた。月は約1年間しか学校に行っていなかったので、ほぼ概念として過ごしてきたが。
それにもう大人に近い。幼い頃は分からなかったことだって、ふたりはもう理解できる。だからこの日は、概念と人間、それぞれの生き方・違いについて先代たちに教えてもらうのだ。それぞれの先代の話に相違がないよう、そして死と月が話を聞いてその捉え方にも相違がないように4人というわけだ。
この集まりで、久しぶりに死と月は「対面」した。死は月に近付き、声をかける。
「久しぶりだな。月よ」
「…ん」
「結局あの後、学校でお前の姿は一度も見なかった。しかし、今は概念の役目を頑張っているそうじゃないか」
「…ああ」
前と変わらず無口で大人しい月に、死はくすっと笑う。いつの間にか、月の背は死よりも大きくなっていた。今は少し大きいだけだが、あと1年も待たずに身長差が明確に分かるくらいになるかもしれない。
月の先代も背が高い。死の先代も決して低くはないのだが、月の先代と並ぶとやはり華奢に見えていた。
「ふふ。少し見ない間に、ずいぶんと大きくなったものだ」
「……私は」
「ん?」
「…いや」
月は顔をそらし、それ以上は何も言わなかった。
……私は、見ていた。ずっと。
概念と人間、それぞれのプラス面、マイナス面について。
捉え方は人それぞれだ。そのプラス面はむしろマイナス面だと思ったり、何故それがマイナス面なのか理解できないというのはあるかもしれない。
まずは概念。
当然ながら人間…生き物ではないため、永遠にその存在としてあり続ける。命がないのだから、よっぽどのこと(その概念が不必要、消滅するなど)がない限り消えることもない。
何千年、何億年経ってもその見た目が変わることはない。要するに、ずっと自分で居続けられるということ。
しかし、実力次第では自分の好きに見た目を変えることだってできる。中には好んで老人や赤子の姿になる者もいる。
次の代は自分で探す、役目を継がせるタイミングも自由。先代は後継者に役目を交代させたとしても、やはり消えることはない。穏やかに穏やかに、孫やひ孫を見守る立ち位置になる。
…ただし、後継者を探さずにずっと自分が同じ役目を事務的に果たしていると、いつしか何も感じなくなって、感情は完全に消え失せてしまったという者も多く報告されている。
先代はもう役目を交代してしまっているから、手出しもできない。
ただの無機物となり、永遠に独りで役目だけをこなすことになる。
次に人間。
一番の特徴は、なんといっても自由なところ。自分の好きなことをして、好きな職に就き、好きに生きていくことができる。中間時に経験した概念の役目に縛られることはない。
…ただ人間なので、当然ながら命がある。寿命で尽きるかもしれなし、事故で亡くなるかもしれないし、最悪事件に巻き込まれることだって考えられる。
そうして消えてしまった子に起こること。それが輪廻転生である。
人間と概念の中間という、やはり他とは違う特別な経験をした存在。死んでしまった後、何百日後、何年後、いつになるかは分からないが、それでも必ず輪廻転生が約束される。しかもそれは終わりがない。
1回目の人生が終わり輪廻転生をして、2回目の人生が始まった。同じく2回目の人生も終わったが、またしても輪廻転生、そして3回目の人生が始まるというように、永遠と輪廻転生の加護を受けるわけである。
どういうわけか容姿は変わらないため、生前の姿を知っている者の前に現れると、ちょっとした「そっくりさん事件」「幽霊事件」が発生することも。しかし本人には防ぎようがない。
何故なら、輪廻転生をすると生前の記憶はすべてなくなるから。
それは、「人間を選んだ者」が中間から人間になる時も同じだった。
中間時での概念に関する記憶は、その後 人間として生きる際のリスクになるかもしれない。
それに概念という存在がいることも、できれば隠しておきたいのだ。
死と月は、先代たちからの話を聞き終えた。
簡単に言うと、もし人間を選んだ場合は、先代のこと、先代から学んだ役目のこと、そして、お互いのことが記憶からなくなる。概念に関する記憶だけがすっぽりと抜け落ちるのだ。
一方、学校で学んだことや友達のことは覚えている。その知識や交友関係は、今後 人間として生きていくためには必要だからだ。
月は死が概念を選ぶことを1番望んでいた。…ただ、人間も概念も同じくらい経験した死が、最終的に人間を選ぶのなら…生き辛くても、自分も人間で、と決めていた。
しかし、人間の説明の最後にあった「概念に関する記憶はなくなる」というところを聞き、月は完全に人間は選択肢から潰した。それはつまり、ふたりで人間になったとしたら、お互いのことは全部忘れてしまうということ。概念を知っている者同士、その記憶を持って人間になることはダメなことらしい。
役目なんかよりも、後継ぎなんかよりも、何よりも死が自分の中からいなくなるのが月は絶対に嫌だった。
それは死も同じだろうと、月はそう思っていた。…なのに。
「ほう…それは寂しいな。それじゃあ今のうちに、月や先代との思い出をたくさん作っておかなければ」
「……死?」
月は死の言うことが理解できなかった。それはつまり、死は人間を選ぶという意味にしかとれなかったから。
「おやおや…もう人間に決めているのか。寂しいねぇ。…私はお前がどちらを選んだとしても、否定はしない。だが、まだ時間はある。その間に考えが変わるかもしれないからね」
死の先代は死にそう声をかけた。今まで我が子同然に可愛がっていた子だ。子離れできそうに見えて、人間を選んだ死が人間になる日が近付いてくると目に見えてしょんぼりしそうである。本当は概念を選んでほしいところだが、でも言葉通り、最後はちゃんと死のなりたいほうにならせてあげるつもりだった。そのうちにまた後継ぎを探さなくては、と死の先代は次の後継者のことも頭の片隅でぼんやりと考え始める。
死とその先代は、もう人間になること前提で、まるで将来の進路を決めているかのような話し合いに花を咲かせていた。
「お前のことはお前に任せる」
無口な月の先代は月にそれだけ伝えた。…しかし、月はそれどころではなかった。
……何故。何故。死は、私を忘れてしまってもいいというのか。
死のこととなると、独占的な考えしか月にはない。
もやもやどろどろとした黒い感情が、月を飲み込もうとしていた。
…夜。
月は死の元を訪れた。すると死は外に出ていて、ひとり夜空を眺めていた。憂いを帯びたようなその横顔は、見惚れてしまうほど美しい。
「…死」
死は暗闇から突然現れ声をかけてきた月に少し驚き、目を丸くして月を見る。
「おや、月よ。珍しいな。今日は役目に行かないのか?」
「…新月」
「ああ。なるほど。だからいなかったのか」
月からの言葉を聞き、広い夜空の中に月がいなかった理由を知ったようだ。死は月を見つめながら笑みを浮かべ、「こっちへおいで」と手招きをする。
「ちょうどいい。暇なら話でもしようか。お前との思い出も作っておきたい」
幼い頃はずっと一緒に遊んでいたふたり。しかしお互い大きくなってからというもの、学校に役目にと忙しくて会うことも少なくなり、あまり話もできなかった。死はそれが少し心残りだったのだ。
「忘れるのにか」
死が月に直接言ったわけではないが、月も死は人間を選ぶのだろうと察しているようだった。
「ふむ。先代たちはそう言っていたな。だが案外月を見ると、お前のことをふと思い出すかもしれない」
長い間、先代の元で共に概念としても過ごしてきたのだ。「死」は人間になると一度しか会うことがない。だが、ほぼ毎日見ることになるであろう「月」なら、ふとした時にひょっとしたら
「適当なことを」
…寂しさを紛らわすためのちょっとした冗談のつもりで言った死に、月は冷たく言い放った。
「…?」
今まで聞いたことがないような冷たい声。死は首を傾げて隣にいる月を見ると、それと同じくらい冷たい表情の月が、死をじっと見ていた。その表情だって今まで見たことはなかったが、どうやら月は怒っているようだ。
「どうした。月よ」
少し驚いたものの、死は恐れることなく月に問いかけた。
「何故記憶を消してまで人間になろうとする」
「……ああ、なるほど」
その一言で、月が何故怒っているのか死は理解した。…確かに、人間になれば幼なじみも先代も役目のことも忘れてしまう。それはなんとも自分勝手なことだろう。
でも、それでも。
「自由に生きられるというところに魅力を感じたからだ。私にはまだ知らない世界がたくさんある。そんな世界をもっと知って見てみたい。そして輪廻転生後にもそんな経験ができるなんて、楽しそうじゃないか?」
放浪者気質で楽しいことが大好きな死は、自由に生きることができる人間に惹かれたのだ。
「まったく理解できない」
「まあ人それぞれだ。私にはそれがいいと感じた。記憶がなくなるというのは驚いたけどね」
否定されたとしても、死は自分の信念を曲げるつもりはない。
「先代からの教えを無駄にするつもりか」
…しかし、月がそんなことで納得するはずもなかった。
月はなんとしてでも死を概念にしたいのだ。そのためには死の先代すらも利用する。
もう心身ともに概念に近い月。概念ゆえの冷たさがすでに顔を出し始めていた。
月から先代の名を出されたことに、死も少しだけ厳しい表情を見せた。
「…お前が私と先代の何を知っているのかは知らないが、勘違いするな。先代は私が最後に選ぶ道を歩ませてくれると言っていた。長い時間をかけて育てた
こちらは先代との話し合いはすでに終わっている。だから月の出る幕ではない。死は婉曲にそう伝えた。
それでも月は引き下がらない。
「その恩も人間になれば忘れる。不要なものということだな」
死に冷たい言葉を浴びせ続ける月。見開かれた月色の目がギラギラと光り、じっと死を捕らえていた。
…月の言いたいことも気持ちも理解している。自分が選ぼうとしているのは悪いほうだ。それは分かっている。しかし、だからと言ってそこまで邪険にされるのは正直不快だ。
「罵りに来たのなら帰れ。お前が思っているとおり、私は最低な奴だよ。だから今後、恩知らずの裏切り者はお前の前には姿を現さない」
「……裏切り者とは人間だけが付けられ呼ばれる名だ」
「…何が言いたい?」
「死は人間ではない」
感情を一切感じられない声が、静かな闇夜に響いた。
「人間なんかにはなれない」
…月の言葉に、死は一瞬ぽかんとした表情を見せたが、その後すぐに煽るような笑みを浮かべた。
「…はは。面白いことを言うね。確かに今は人間でも概念でもないが。ふふ。その言葉そっくりそのままお返しするよ。…私は概念でもない」
「いいや。死は概念にしかなれない」
「ほう。それはどうしてかな?」
死は挑発的に笑う。
「私が死を概念にするからだ」
月はそう言うと、死の腕を掴みその体を近くの壁へと押し付けた。死は突然のことに驚き月から逃れようとするも、強い力で押さえ込まれているため逃げることができない。少しだけ抵抗してみせたが、月に力では勝てないと察すると一旦抵抗を止めた。
正面にいる自分よりも少し大きな月に見下ろされるも、怯みはせずに死も負けじと睨みつける。
「やめろ。今ならまだ許してやる」
「やめない」
「月」
先ほどよりもキッと鋭く睨みつける死。
「…恐ろしい顔だ。きっと本来 概念の死は、そんな姿なのだろう」
概念概念とうるさい月に、死は呆れたような顔をした。
「はあ。そんなに私に概念になってほしいのか。そこまで慕われていたなんて、嬉しいね」
「死が死でなくなるなんて許さない。…私を忘れることだって、許さない」
掴む手に力がこもる。
「なんて幼稚な。幼い頃のまま成長できていないようだな。月よ。本当に私のことが好きなら、私が歩む道をそっと見守ってくれ」
「好きなのに手放せというのか」
「そうだ。私はそれが一番幸せだ」
月を説得しながらも、掴まれた手をゆっくりと少しずつ振り払おうとしている死。月もそのことに気付いていた。
もちろん振り払われる前に掴み直す。…それでも死は再び振り払おうとする。
少しずつ、少しずつ、自分の中から消えようとしている死に、月は
「逃がさない」
牙を突き立てた。
「あッ」
首筋に鋭い痛みを感じた死は、反射的に月を引き離そうとぐいぐい体を押して激しく抵抗した。しかし月は離れるどころか、死の腰に片腕を回しもっと自分のほうへと引き寄せる。死は月に覆い隠された。
牙が食い込んだ首筋からは、つー…と血が流れ始めていた。月はそれを舐めとりながら、舌を尖らせ傷口をえぐるように舐める。
「っ……ん、っ…」
弱みを見せてはいけないと、痛みに耐える死。体が逃げそうになっても、後ろは壁、そして前には月がいるため、逃げることができなかった。そうこうしているうちに、衣装をずらされ肩が晒される。そこにも月は牙を突き立てた。
「んっ…」
痛みで死の体はびくりと震えた。
月はまた傷口を刺激し、死に痛みを与え続ける。
「……」
…月は死を支配しようとしていた。支配したら、死は自分の言うことを聞くかと思ったのだ。
月はある意味純粋だ。まだ性的なことは知らない。
無知ゆえ、純粋ゆえ、快楽ではなく痛みで支配することしか知らなかった。…でも。
「っ…」
「………」
自分の腕の中で、今にも泣き出してしまいそうな顔で痛みに耐えている死の姿。年上である死のそんな顔を見るのはもちろん初めてだった。
自分が死にそんな顔をさせているのだという背徳感。
口の中に広がる死の血の味。
はだけた衣装の隙間からチラリと覗く、死の艶かしい白い肌。
ズクン…と、下半身が疼いた。
月は死の肩を掴み、くるりと体の向きを変えさせた。
「っ…?」
訳も分からないまま壁側を向かせられた死は、後ろからまた押さえ付けられる。月は体を隙間なく死に密着させた。
…偶然か意図的か、月は下半身を死の後ろに押し当てていた。そして死の耳元で、「はぁ…」と興奮しているかのような熱い息を吐いたのだ。
それにはさすがに死も少し危機感を覚えた。月にそういう知識があるのかは知らない。しかし、このままではダメだ。
死は低い声で月に言い放つ。
「どけ…月よ。これ以上ふざけた真似をするようなら、私はお前を本当に嫌いになる」
「……」
死の言葉を聞いて、月はそれ以上何かをしようとはしないが、退きもしない。
「……」
…月が何を考えているのかは分からない。しかし、またしても死に痛みを与えようとしたのか、月が死の衣装をずらそうとしたその時。
「……、」
「…先代、か?」
ふたりは誰かの気配を感じた。それで月はようやく死から離れた。
背後にいた月がいなくなり、死は振り返って月を見る。…まだ少し色を含んだ目で死をじっ…と見ていたが、やがて背を向け闇の中へと消えていった。いつもは圧倒的な存在感で夜を照らしている月だが、その時はまるで闇に溶け込む新月のように静かにその姿を消した。
「…おや」
月と入れ違うように姿を現したのは、やはり死の先代だった。死に気付いて優しげな表情を見せたが、首と肩からの出血を見ると一瞬で表情が消えた。
「…何があった?」
怖い顔で先代は問いかけてきたが、死は月のことは言わずに黙っておいた。これ以上 月との関係が拗れるのは嫌だったのだ。
「猫を触ろうとしたら、嫌われた。大したことじゃない」