人間の子。概念の子。

それから少し経ち、ふたりが言葉をなんとなくではあるが理解でき、少しだけだが喋れるようになった頃。
その日、死と月は初めてお互いと出会った。死の先代と月の先代は面識があるようで、それぞれの先代に抱っこされての初顔合わせとなった。
死は指しゃぶりをしながら、月のことをじーっと見ていた。月は恥ずかしいのか、先代の胸に顔をうずめている。先ほどからずっとこの状態が続いていたため、まだ会話は難しいだろうか と思っていたところで、ようやく死が先に口を開いた。
「だれ?」
まだ舌っ足らずな言葉で、月に話しかけたのだ。話しかけられた月はゆっくりと顔を上げて、死のことを見る。そして静かに口を開いた。
「……なまえ?」
「うん」
「…つき」
「つき?」
「…うん」
「つき!」
月に名前を教えてもらった死は、嬉しそうにきゃっきゃっと笑う。「つき!つき!」と自分の先代へにこにこと笑いかけ、教えてあげているようだった。死の先代も楽しそうな死に笑いかける。
「お前も教えてあげな」
先代にそう言われ、死はまた月のほうへと顔を向ける。
「し!しのなまえ!」
死は自分を指差し、月に自分の名前を教えた。
「…し」
月がそう呟くと、死はまた嬉しそうに笑った。
元気な死と大人しい月。正反対のふたりであるが、どちらもお互いに興味津々のようだ。きっとこれから先、死が月を引っ張って行ってくれるだろう。そしてそんな死に、そのうち月も心を開くだろう。先代たちはふたりの触れ合いを見てそう感じた。

それからふたりは、いつも一緒に遊ぶほどの仲良しになった。月より少しだけおっきい死はとても面倒見がよく、月に絵本を読んであげたり、お菓子を分けてあげたり、一緒にお昼寝してあげたりしていた。大人しい月に合わせるかのように、静かな遊びがほとんどだった。そんな死に月はすぐに懐いた。いつもちょこちょことまるで雛鳥のように死の後をついていく月。死と会わない日は、決まって先代に「しは?」と聞くほど大好きになっていた。
3歳の死と2歳の月は、今日もふたりで楽しそうにお喋りをしている。そこで先代たちは、改めてふたりに例の話をした。
…先代たちの話は、簡単に言うとこうだった。
大人、つまりは18歳になる頃に、ふたりは人間になるか概念になるかを選ばなくてはいけないらしい。
今のふたりは人間でも概念でもない、いわば中間の位置にいた。
概念というのは、名前通り、死は死に、月は月になることだと言う。
今はその「死」「月」という役目は先代たちが担っていた。大人になれば、先代の元でより一層の修行をし、いずれはその役目を交代するということだ。
先代にとっては後継ぎである概念を選んでほしいところだが、だからと言ってふたりが人間になることを選んだとしても、咎めたりはしない。
それがこの子の選んだ道ならと、また新たに別の後継ぎを探すだけだ。死と月の気持ちが何よりも最優先なのだ。
ちなみに、この先代たちもまた、彼らの先代たちから同じ選択を問われた際に概念を選んだ者たちである。
…最後まで話し終えたが、死は「がいねん?にんげん?」と首を傾げ、月はそんな死にくっついたまま、ぽかんとした表情を浮かべていた。やはり幼いふたりにはまだ少し難しかったようだ。
「そのうち分かってくるさ」
何せこのふたりにとってはまだ遠い未来のことだ。今すぐ決める必要はない。
死の先代はポンと手を叩いた。
「さて、今日の話はこれで終わり」
「おはなしおわり!ねえ、まだつきとあそんでいい?」
「ああ。いいよ」
「やったー!あそぼ!つき!」
「うん」
ふたりは向かい合い、ぱちぱちとお手手遊びを始めた。歌を歌いながらお互いの小さな手の平を合わせて遊ぶ様子を微笑ましく思いながら、先代たちは死と月のこれからの成長を見守るのだった。


それからまた少し経った頃。
その日、死は死の先代に、月は月の先代に連れられ、それぞれの概念の役目というものを見学し、少しではあるがその身で体験することになっていた。
どちらを選んでも生きていけるように、幼い頃から人間と概念それぞれの環境・生活・役目を体験できるようになっているのだ。

まずは概念からである。

死は先代と一緒に、小さな民家を訪れた。
そこに住むお婆ちゃんが、もうそろそろ人生の終わりを迎えようとしていた。しかし不思議なことに、隣でお婆ちゃんの手を握って看取ろうとしているお爺ちゃんも、そしてお婆ちゃん本人も、穏やかな表情で静かにその時を待っているかのようだった。
きっと思い残すことなんてないほどに、人生を全うしたのだ。ふたりの顔からそんな印象が見受けられた。
先代はしゃがみ、死の小さな背中を優しく押し出す。
「さあ、あの老婦に迎えに来たと言っておいで」
「おばーちゃん?」
「そうだ。私のところまで連れてきてくれるか」
「うん!」
死は元気いっぱいに頷き、たったったっとお婆ちゃんの方へと走って向かった。そして、可愛らしい笑顔でお婆ちゃんに告げる。
「おばーちゃん!おむかえにきた!」
「…あらまあ。可愛らしいお迎えさんが来たねえ」
お婆ちゃんはそう呟くと、最期に隣のお爺ちゃんにニコリと微笑み、長い長いその人生に幕を下ろした。
死はお婆ちゃんと手を繋ぎ、言われた通りに先代の元へと連れて行く。近くまで来ると、先代は死の頭を撫で、お婆ちゃんを本来向かうべき場所へと案内するのだった。


一方、月は先代と一緒に、夕暮れの街全体を見下ろせる高台へと来ていた。初めての場所、初めての高いところ。月は怖くて先代の足にぎゅっとしがみつく。先代はそんな月に「慣れれば怖くない」と声をかけた。
少しの時間そこで待っていると、先ほどまで明るかった空は一気にぐっと暗くなった。辺りは闇に包まれ、賑わっていた人の声もだんだん静かになっていった。
まるで、さっきまでいた世界とは違う別の世界に来てしまったかのような感覚に、またしても月は怖くなった。
そんな月を、先代はひょいっと抱き上げる。
「わ…」
突然のことに驚いた月を胸に抱えたまま、先代は街を見渡した。
ここからが月の出番だ。
先代は不思議な力で光を操り、夜の街全体を照らした。それは、道端の石ころさえも照らすことのできる強い光だった。
月から見れば、それは魔法のような出来事だったようだ。抱えられたままの月は見惚れているかのように、先代の光によって照らされている街を眺めるのだった。


そんな概念の役目をお互い何度か経験した頃、死と月はいつものように遊びながら話をしていた。
「…死はどっちになるの」
「がいねん!おむかえいくのたのしいから」
まだ概念しか経験していないが、楽しいことが大好きな死は、概念の役目をとても気に入っていた。色んな人に会えて、お話ができて、先代にも褒められるのだ。その全部が嬉しかった。
「月は?」
「…よるは、くらくてこわくて、さみしい」
一方、月はまだ少し夜の世界に怖さを感じていた。今は先代が隣にいるが、本来はひとりで役目を果たさなければいけないのだ。まだまだ未熟な月。その光は弱々しくか細いものだった。
「よるはこわいもんね」
「うん…」
「じゃあ月はにんげんになるの?」
「ん……、でも、死ががいねんになるなら、わたしもいっしょがいい」
しかし、なによりも大好きな死と一緒にいたい月は、概念が怖くても、死が概念になるなら自分も概念になりたいとそう思うのだった。



ある日の死と先代の話。
その日もいつものように先代に連れられて、死は役目に向かっていた。人気の少ない森の中。そこにひっそりと建つ施設が今日の目的地だ。その施設の中からは、騒がしい鳴き声が聞こえていた。
「! わんわん!」
近くまで来ると、死が鳴き声の正体に気が付いたようだ。先代の服の裾をくいくいと引っ張り、「犬がいる!」と知らせていた。連れて来た本人はとっくに知っていたが、先代に教えてあげようとしている死の健気さが可愛らしかったので、「本当だな」と知らなかったふりをした。
そこは犬の保護施設だった。その施設で大切に育ててもらい、最期は施設職員や仲間に囲まれて、幸せいっぱいのまま旅立とうとしている大型犬が今回のお迎え相手だ。死というのは人間だけじゃなく、動物のお迎えだって当然行う。死にとっては今回が初めての動物相手だった。
「わんわんだから、わたしもわんわんいったほうがいい?」
だから先代にそう聞いたのだろう。
「ふふ…いや、いつも通りでいい。不思議なことに、動物にも私たちの言葉は伝わるんだよ」
死からの微笑ましい質問に先代はくすくすと笑った。その様子も見てみたかったが。
動物にも、死という存在は、そして言葉は伝わるようだった。きっと本能的なものなのだろう。
「ほら、いっておいで」
先代に背中を押され、死はいつものようにたったったっと駆けていった。
しばらくしてから、まるでファンタジー世界のように大型犬の背中に乗って戻ってきた死を見て、先代はまた笑うのだった。



ある日の月と先代の話。
その日の夜もいつものように先代に連れられて、月は一生懸命 街を照らす練習をしていた。
もちろん今街を照らしているのは先代だ。照らしながら、隣の月の練習風景を見ていた。
「…焦らなくていい」
どこか必死になって光を放とうとしている様子の月に、先代はそう声をかけた。先代と比べたら当然それは小さくて弱い光だが、やはり最初の頃と比べると、だんだん成長していっているのが目に見えて分かるほどだった。それはきっと、概念になろうとしている死の影響が大きいからだろう。自分も置いて行かれないように、同じ概念になれるように、月は必死に役目を果たそうとしていた。
…しかし、先代の言葉も確かにその通りである。
少し落ち着きを取り戻した月は、ふっと力を抜いてなんとなく街を見た。すると、あるものを見つけた。
「…ねこ」
ぽつりと呟く。夜の街を、一匹の黒い猫が歩いていたのだ。その小さな生き物は、まるでこの街が自分の庭であるかのように優雅に歩いている。その姿を目で追う月。
「……」
…黒。死の色。
死がいつも身に纏っている黒い衣装を思い浮かべる。何でも死と結びつけるほど、月は死のことが大好きだった。
先代は、何を見ても反応が薄い月が黒猫の姿を目で追っていることに気付き、興味があるのかと歩いている猫へと少しだけ光を当てた。先ほどよりもその姿がはっきりと見えた。先代も猫を目で追い始める。
「「……」」
無口なふたりは無言のまま、猫が角を曲がって見えなくなるまで、その姿を目で追っていたのだった。
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