死にお持ち帰りされた花婿と月が穴兄弟になる話4
……あの日から何度目かの夜。
「………」
花婿は、ひとり自室のベッドに体を横たえていた。しかし、眠気があるわけでもなかった。
数日前からずっとこんな状態だ。なんだか動く気力がなく、ベッドの上で寝返りだけを繰り返していた。食事も排泄も必要ない体は、この時だけは便利なものだと感じた。
部屋から一歩も出ていないため、静かな家の中には死と月はいるのか、いるとしたら何をしているのか、というのもまったく分からないでいた。あちらも数日間 花婿の姿を見ていないはずだが、そんなことは気にしていないのか部屋にたずねてくることもなかった。月はともかく、あの煩わしく絡んできた死すらもだ。
…飽きたら見捨てるか。つくづく冷酷な奴だ。
花婿は会いたいのか会いたくないのか自分でも分からない存在に、心の中で悪態をついた。
ベッドでゴロゴロと寝返りを打っていたため、解いた長い髪はボサボサと乱れていた。生前の花婿なら考えられない生活である。いくら体が汚れることはないとはいえ、あまりにもだらしない今の自分を花婿は少し許せなく思った。
「……」
のっそりと上半身を起こすと、長い髪がだらーん…と垂れ下がってきた。邪魔なそれを手でかきあげると、花婿は無表情ながらも決心する。
シャワーを浴びよう、と。
数日ぶりに部屋の外へと出た花婿は、浴室へと足を進めた。暗い道中 死にも月にも会わなかったが、そんなことはもうどうでもよかった。
目的地へ着くと、明かりを灯して一応 中を覗いてみる。ここの風呂場を概念ふたつが使っているところなんて見たことないので、当然誰もいなかった。
生前のあの土地と同じく、死が作ったここも乾いた場所だ。だから夜の風呂場でも寒くはなかった。花婿はシャワー後に体を拭くためのタオルを用意して、身に付けている衣服を脱ぎ始める。死人であるはずの花婿だが、その体は引き締まっていて実に健康的だ。この空間へと連れてこられてからは畑仕事も食事もしなくなったのだが、筋力が衰えた様子もなかった。
やがてすべての衣装を脱ぎ終えると、花婿は浴室の中へと入った。白一色で統一された、殺風景ながらも家庭的な風呂場だ。少し小さめのバスタブもあるのだが、いつもシャワーのみで終わる花婿が使用することは滅多になかった。
この浴室も、実家にあった浴室そのままである。ここまで実家そっくりの空間を作り上げた死に、今更ながら若干の気色悪さを感じた。
花婿はその不快感も一緒に洗い流すように、シャワーのぬるい水を頭から浴びて髪を濡らし始めた。石鹸で泡を作り、それで頭皮や髪をグシグシと洗って長い毛先まで丁寧に泡を揉み込んでいった。数日ぶりの洗髪はやはり気持ちがよかった。
十分に洗うと、またぬるい水を頭から浴びて下へと洗い流す。すると、ここ数日のもやもやとした気持ちも、泡に包まれ流れていったかのように感じた。シャワーから放出される水の音を聞きながら、残った泡も洗い流していく。
いくらかさっぱりとした花婿は、濡れた髪の隙間からふとバスタブに視線を移す。
「ふふ」
「…ッ!?」
そこには、黒くて長い髪の何者かが、バスタブの中で笑いながら花婿を見ていた。
花婿は突然のことに心臓が跳ね上がり体が硬直する。この風呂場には、確かに花婿しかいなかったはずだ。それなのに。
突如現れた存在にドックンドックンと心臓が騒いでいる。…が、その何者かは、よく見てみると見知った顔をしていた。
「…お前……」
「ふふ。いいね。水も滴るいい男だ」
花婿は、その声と言葉で確信した。
バスタブの縁にもたれかかり、色気のある上目遣いで花婿を見ている男は、間違いなく死である。普段はフードで隠れている美しい顔と長い髪が晒されており、花婿は少しの間 誰なのか分からなかったようだ。おまけに、まるでサービスかのようにいつもの黒い衣装も身に纏っていなかった。都市伝説の類いになりそうな妖しくも美しい怪異のようである。
しかし、それが死であることに気付いた花婿は、一糸まとわぬ姿を見ても気持ちが昂ぶることはなかった。氷のような視線を死に向けている。
「…何をしてる。早く出てけ。気色悪い」
いつにも増して苛ついた口調で花婿はそう言い放った。しかし、死は何も言わずに口元を歪めて花婿を見ているだけだ。裸をジロジロと見られている不快感に、花婿の機嫌はどんどん悪くなっていく。
「おい!」
語気を強めて怒鳴りつけると、死は「やれやれ」といった感じでゆっくりと立ち上がった。しなやかで艶っぽい体がバスタブの中から姿を現す。死は長い髪を耳にかけながら、バスタブの外へと出た。そのまま歩いて風呂場を出るのかと思いきや、花婿の真後ろへと移動した。
「…ふふ。私が背中を流してやろう」
そう言うと、覆っていた髪を掻き分け花婿の大きな背中へと触れた。ひんやりとした感触が伝わり、花婿は少しビクッと体を揺らした。
「しなくていい」
死を睨み付けようと振り返った花婿は、後ろの死と目が合う。…その深淵のように暗い目を見た瞬間、花婿は再び前へと顔を向けた。
「…は…?」
その行動に、花婿自身が戸惑った。自分の意思と関係なく体が動いたようだったのだ。後ろでは、死のくすくすという笑い声が聞こえていた。
「おやおや。それじゃあ、お望み通り洗ってあげようか」
楽しげにボディタオルへと手を伸ばす死に「やめろ」と言おうとしたのだが、その声が出ることはなかった。おまけに、抵抗しようとしても体が動かない。
花婿は、すぐにこれが死のしわざだと気付いた。死を拒否することができないのだ。死のしわざ以外考えられなかった。
後ろでは、死がボディタオルをグシュグシュと泡立てている様子だ。
「髪が邪魔だね。どけておいてくれるかい?」
そんな言葉が聞こえると、花婿は自身の長い髪を前へと流して、死に背中を見せた。もちろんこれも花婿の意思ではない。花婿は心の中で舌打ちをした。
死は露わになった大きな背中へと、泡立ったボディタオルを当てた。そして優しく撫でるようにこすり始める。やがて背中が泡に包まれ真っ白になると、次に、首、腕へと手を滑らせた。花婿は死が変なことをしたらすぐに止めさせようと目を光らせているが、今のところは普通に洗っているだけのようだ。…ただ、今は死によって妙な術をかけられている状態だ。警戒を強めている花婿だが、残念ながら今の彼に死を止める術 は無かった。それも相まって腹立たしく思えた。
「前も洗おうね」
死はそう言うと、遠慮なしに体の前へと腕を伸ばしてきた。そして花婿の背中にぴと…と体を密着させる。
「…っ」
背中に死の肌の感触を感じ花婿は声を出そうとしたが、やはり死を拒否する言葉は吐けなかった。
花婿の厚い体は抱き付かないとよく洗えないようだ。死は花婿の背中に自身の胸をぐ…と押し当て、花婿の胸まわりをボディタオルでこすり始めた。人によっては敏感な部位のためドキドキと感じることもあるが、花婿は死に心臓のあたりを触られることに少し緊張を覚えた。そこを刺されたことが生前の死因であるため、まだ少しトラウマになっているようだ。ドクンドクンと動悸がしているが、死は何事もなく今度は腹へと手を滑らせた。…死が腹を洗っている間も、花婿の鼓動は落ち着かない。
「ん~。…ふふ。この下はどうしようか」
後ろからそんな言葉が聞こえてきたのだ。腹の下となれば、次は下半身になるだろう。今まで他人に触らせたことなんてないデリケートな部分だ。
「ッ……ッ…!」
花婿は口でも体でも抵抗しようとしているが、やはりどちらも思い通りには動かなかった。死は考えているかのように、へそのまわりでくるくると円を描いている。死がまだ行動に移していない今しかないのだ。
「…お前にはっ あいつがいるだろ!」
この際なんでもいいと口から出たその言葉は、何故か声に出すことができた。
死も一度ぴたりと手を止める。
「あいつ?ああ、月のことかい?」
「……そうだ」
先ほどまでの声が出なかった感覚が嘘のように、花婿はスラスラと喋ることができていた。どういう仕組みなのかは知らないが、死を止められるのならもうなんでもいいと花婿は思った。
「俺からあいつに鞍替えしたんだろ。なら俺に構うな」
本心なのか、喋れる言葉だから喋っているのか、花婿自身もよく分からなかった。
「おや。月への嫉妬かな?花婿よ」
「違う」
花婿を色んな意味で振り回している張本人は、楽しげに笑っていた。どこまでも自由奔放で憎たらしい存在だ。
死は花婿と話をするためか、いったん手を引っ込めた。
「あの子は無知すぎるからね。お前と同じくらいには育ててやらないと」
「育てるってなんだ」
「色々とね。心であったり、性の知識であったり」
死は泡にまみれている花婿の背中に触れ、なぞるように指を滑らせる。花婿は少しだけゾク…と感じた。
「それが何になる…」
「ふふ。とてもいい男になる」
意味の分からない答えに、花婿は顔をしかめた。
死はうっとりとした声で囁く。
「月も好みだけどね、私はお前も好みだよ」
二股している人間のような台詞だ。死は花婿の広くて大きな背中に、頬をすり…とすり寄せた。顔に泡がつこうがお構いなしだ。花婿はどうせ死を拒否することはできないだろうと、抵抗することなく死の好きにさせていた。
「お前のいう好みってどういう…」
「ふむ。人間でいうところの" ラブ "かな?体を重ねてもいい相手さ」
「……俺もお前も男だろ」
「ああ、そうだね」
花婿の指摘をさらりと流す死。やはり概念には性別なんて関係ないらしい。
「…お前は、あいつとはもう」
ふと気になったことが口からこぼれた。
そこまで言いかけて、花婿は慌てて口を閉ざした。何を言ってるんだ自分は、と自分の発言に驚いてしまっていた。そして目敏 い死が、そんな面白いことを見逃すはずもなかった。
「おやおや。ふふ。そんなに気になるかい?」
「う、うるさい。興味ない」
「そう心配しなくとも、あの子とはまだ口づけだけだ。お前と鉢合わせたあの朝の一度きり。つまりお前とあの子は同じラインというわけさ」
死の言う"同じライン"というのは、経験のことだろう。花婿は生前の婚礼時に花嫁とのキスは済ませていた。当たり前のようにその事実を知っている死はさておき、あの朝の日に花婿が部屋に引き籠もってからも、死と月の間には特に何もなかったらしい。
花婿は少しだけ、ほんの少しだけ、安堵した。
死はそんな花婿の心中に気付いているのかいないのか、見えない後ろで笑みを深めていた。洗うのも再開するのか、ボディタオルをまたグシュグシュと泡立てながら口を開いた。
「口づけの最初は月だったが、交わりの最初はお前がいいかもね」
花婿がその言葉の意味を理解する前に、死は花婿にまた抱き付いて体の前に腕を回した。ボディタオルを持った手が、花婿の萎えているそれへと触れる。
「なッ…!?」
突然の刺激に花婿はビクッと大きく体を震わせた。
死はそれをボディタオルで包んで、両手でゴシッ…ゴシッ…と上下に扱く。花婿はゾクゾクゾクッ…と背筋に電流が走ったかのようだった。
「このっ…や、やめろ…ッ!」
動き続けている死の細い手首を掴むが想像以上に力が強く、また慣れない刺激に力も入らないようで、花婿はただ添えているような形になっていた。花婿の後ろで、死は悩ましげにため息を吐いている。
「はぁ…早くこれが欲しい…」
「おいッ…!」
「お前も、男として一度は経験してみたいだろう…?…セックス」
耳元で妖艶に囁かれ、花婿はブワッ…と一気に顔が熱くなった。わなわなと体が震えている。
「この…ッ おっ俺はッ…!!」
男は抱かない。
そう言おうとした瞬間、死は急に手の動きを止めて後ろへと引っ込めた。
「はっ…?え…」
花婿は突然のことに言葉が詰まってしまい、素っ頓狂な声を出した。
つい気になってパッと後ろを振り返る。…死はいる。花婿と目が合うと、にこりと笑みを浮かべた。
「盛り上がるのはいいが、ここは硬い。私は柔らかなところがいいんだ」
死は手に持っていたボディタオルを花婿の右肩にかけると、シャワーへと手を伸ばし自分の顔や体についていた泡をシャー…と流した。そして優雅に出口へ歩いて行き、振り返って花婿にまた笑いかける。
「お前の部屋がいいかもね。私は先に行って待っているから、洗い終わったらお前もおいで。じゃあね」
それだけ言うと、死は花婿を置いて風呂場を後にしたのだった。
「………」
ぽつんと残された花婿はすべての感情が抜け落ちたような顔で、風呂場でひとり残りの体の部位を洗った。
シャワーで泡を流しながら、体を拭きながら、服を着ながら、この後 自分の部屋に行くべきか、それとも行かないべきか、ずっとずっと花婿は考えていたのだった。
「………」
花婿は、ひとり自室のベッドに体を横たえていた。しかし、眠気があるわけでもなかった。
数日前からずっとこんな状態だ。なんだか動く気力がなく、ベッドの上で寝返りだけを繰り返していた。食事も排泄も必要ない体は、この時だけは便利なものだと感じた。
部屋から一歩も出ていないため、静かな家の中には死と月はいるのか、いるとしたら何をしているのか、というのもまったく分からないでいた。あちらも数日間 花婿の姿を見ていないはずだが、そんなことは気にしていないのか部屋にたずねてくることもなかった。月はともかく、あの煩わしく絡んできた死すらもだ。
…飽きたら見捨てるか。つくづく冷酷な奴だ。
花婿は会いたいのか会いたくないのか自分でも分からない存在に、心の中で悪態をついた。
ベッドでゴロゴロと寝返りを打っていたため、解いた長い髪はボサボサと乱れていた。生前の花婿なら考えられない生活である。いくら体が汚れることはないとはいえ、あまりにもだらしない今の自分を花婿は少し許せなく思った。
「……」
のっそりと上半身を起こすと、長い髪がだらーん…と垂れ下がってきた。邪魔なそれを手でかきあげると、花婿は無表情ながらも決心する。
シャワーを浴びよう、と。
数日ぶりに部屋の外へと出た花婿は、浴室へと足を進めた。暗い道中 死にも月にも会わなかったが、そんなことはもうどうでもよかった。
目的地へ着くと、明かりを灯して一応 中を覗いてみる。ここの風呂場を概念ふたつが使っているところなんて見たことないので、当然誰もいなかった。
生前のあの土地と同じく、死が作ったここも乾いた場所だ。だから夜の風呂場でも寒くはなかった。花婿はシャワー後に体を拭くためのタオルを用意して、身に付けている衣服を脱ぎ始める。死人であるはずの花婿だが、その体は引き締まっていて実に健康的だ。この空間へと連れてこられてからは畑仕事も食事もしなくなったのだが、筋力が衰えた様子もなかった。
やがてすべての衣装を脱ぎ終えると、花婿は浴室の中へと入った。白一色で統一された、殺風景ながらも家庭的な風呂場だ。少し小さめのバスタブもあるのだが、いつもシャワーのみで終わる花婿が使用することは滅多になかった。
この浴室も、実家にあった浴室そのままである。ここまで実家そっくりの空間を作り上げた死に、今更ながら若干の気色悪さを感じた。
花婿はその不快感も一緒に洗い流すように、シャワーのぬるい水を頭から浴びて髪を濡らし始めた。石鹸で泡を作り、それで頭皮や髪をグシグシと洗って長い毛先まで丁寧に泡を揉み込んでいった。数日ぶりの洗髪はやはり気持ちがよかった。
十分に洗うと、またぬるい水を頭から浴びて下へと洗い流す。すると、ここ数日のもやもやとした気持ちも、泡に包まれ流れていったかのように感じた。シャワーから放出される水の音を聞きながら、残った泡も洗い流していく。
いくらかさっぱりとした花婿は、濡れた髪の隙間からふとバスタブに視線を移す。
「ふふ」
「…ッ!?」
そこには、黒くて長い髪の何者かが、バスタブの中で笑いながら花婿を見ていた。
花婿は突然のことに心臓が跳ね上がり体が硬直する。この風呂場には、確かに花婿しかいなかったはずだ。それなのに。
突如現れた存在にドックンドックンと心臓が騒いでいる。…が、その何者かは、よく見てみると見知った顔をしていた。
「…お前……」
「ふふ。いいね。水も滴るいい男だ」
花婿は、その声と言葉で確信した。
バスタブの縁にもたれかかり、色気のある上目遣いで花婿を見ている男は、間違いなく死である。普段はフードで隠れている美しい顔と長い髪が晒されており、花婿は少しの間 誰なのか分からなかったようだ。おまけに、まるでサービスかのようにいつもの黒い衣装も身に纏っていなかった。都市伝説の類いになりそうな妖しくも美しい怪異のようである。
しかし、それが死であることに気付いた花婿は、一糸まとわぬ姿を見ても気持ちが昂ぶることはなかった。氷のような視線を死に向けている。
「…何をしてる。早く出てけ。気色悪い」
いつにも増して苛ついた口調で花婿はそう言い放った。しかし、死は何も言わずに口元を歪めて花婿を見ているだけだ。裸をジロジロと見られている不快感に、花婿の機嫌はどんどん悪くなっていく。
「おい!」
語気を強めて怒鳴りつけると、死は「やれやれ」といった感じでゆっくりと立ち上がった。しなやかで艶っぽい体がバスタブの中から姿を現す。死は長い髪を耳にかけながら、バスタブの外へと出た。そのまま歩いて風呂場を出るのかと思いきや、花婿の真後ろへと移動した。
「…ふふ。私が背中を流してやろう」
そう言うと、覆っていた髪を掻き分け花婿の大きな背中へと触れた。ひんやりとした感触が伝わり、花婿は少しビクッと体を揺らした。
「しなくていい」
死を睨み付けようと振り返った花婿は、後ろの死と目が合う。…その深淵のように暗い目を見た瞬間、花婿は再び前へと顔を向けた。
「…は…?」
その行動に、花婿自身が戸惑った。自分の意思と関係なく体が動いたようだったのだ。後ろでは、死のくすくすという笑い声が聞こえていた。
「おやおや。それじゃあ、お望み通り洗ってあげようか」
楽しげにボディタオルへと手を伸ばす死に「やめろ」と言おうとしたのだが、その声が出ることはなかった。おまけに、抵抗しようとしても体が動かない。
花婿は、すぐにこれが死のしわざだと気付いた。死を拒否することができないのだ。死のしわざ以外考えられなかった。
後ろでは、死がボディタオルをグシュグシュと泡立てている様子だ。
「髪が邪魔だね。どけておいてくれるかい?」
そんな言葉が聞こえると、花婿は自身の長い髪を前へと流して、死に背中を見せた。もちろんこれも花婿の意思ではない。花婿は心の中で舌打ちをした。
死は露わになった大きな背中へと、泡立ったボディタオルを当てた。そして優しく撫でるようにこすり始める。やがて背中が泡に包まれ真っ白になると、次に、首、腕へと手を滑らせた。花婿は死が変なことをしたらすぐに止めさせようと目を光らせているが、今のところは普通に洗っているだけのようだ。…ただ、今は死によって妙な術をかけられている状態だ。警戒を強めている花婿だが、残念ながら今の彼に死を止める
「前も洗おうね」
死はそう言うと、遠慮なしに体の前へと腕を伸ばしてきた。そして花婿の背中にぴと…と体を密着させる。
「…っ」
背中に死の肌の感触を感じ花婿は声を出そうとしたが、やはり死を拒否する言葉は吐けなかった。
花婿の厚い体は抱き付かないとよく洗えないようだ。死は花婿の背中に自身の胸をぐ…と押し当て、花婿の胸まわりをボディタオルでこすり始めた。人によっては敏感な部位のためドキドキと感じることもあるが、花婿は死に心臓のあたりを触られることに少し緊張を覚えた。そこを刺されたことが生前の死因であるため、まだ少しトラウマになっているようだ。ドクンドクンと動悸がしているが、死は何事もなく今度は腹へと手を滑らせた。…死が腹を洗っている間も、花婿の鼓動は落ち着かない。
「ん~。…ふふ。この下はどうしようか」
後ろからそんな言葉が聞こえてきたのだ。腹の下となれば、次は下半身になるだろう。今まで他人に触らせたことなんてないデリケートな部分だ。
「ッ……ッ…!」
花婿は口でも体でも抵抗しようとしているが、やはりどちらも思い通りには動かなかった。死は考えているかのように、へそのまわりでくるくると円を描いている。死がまだ行動に移していない今しかないのだ。
「…お前にはっ あいつがいるだろ!」
この際なんでもいいと口から出たその言葉は、何故か声に出すことができた。
死も一度ぴたりと手を止める。
「あいつ?ああ、月のことかい?」
「……そうだ」
先ほどまでの声が出なかった感覚が嘘のように、花婿はスラスラと喋ることができていた。どういう仕組みなのかは知らないが、死を止められるのならもうなんでもいいと花婿は思った。
「俺からあいつに鞍替えしたんだろ。なら俺に構うな」
本心なのか、喋れる言葉だから喋っているのか、花婿自身もよく分からなかった。
「おや。月への嫉妬かな?花婿よ」
「違う」
花婿を色んな意味で振り回している張本人は、楽しげに笑っていた。どこまでも自由奔放で憎たらしい存在だ。
死は花婿と話をするためか、いったん手を引っ込めた。
「あの子は無知すぎるからね。お前と同じくらいには育ててやらないと」
「育てるってなんだ」
「色々とね。心であったり、性の知識であったり」
死は泡にまみれている花婿の背中に触れ、なぞるように指を滑らせる。花婿は少しだけゾク…と感じた。
「それが何になる…」
「ふふ。とてもいい男になる」
意味の分からない答えに、花婿は顔をしかめた。
死はうっとりとした声で囁く。
「月も好みだけどね、私はお前も好みだよ」
二股している人間のような台詞だ。死は花婿の広くて大きな背中に、頬をすり…とすり寄せた。顔に泡がつこうがお構いなしだ。花婿はどうせ死を拒否することはできないだろうと、抵抗することなく死の好きにさせていた。
「お前のいう好みってどういう…」
「ふむ。人間でいうところの" ラブ "かな?体を重ねてもいい相手さ」
「……俺もお前も男だろ」
「ああ、そうだね」
花婿の指摘をさらりと流す死。やはり概念には性別なんて関係ないらしい。
「…お前は、あいつとはもう」
ふと気になったことが口からこぼれた。
そこまで言いかけて、花婿は慌てて口を閉ざした。何を言ってるんだ自分は、と自分の発言に驚いてしまっていた。そして
「おやおや。ふふ。そんなに気になるかい?」
「う、うるさい。興味ない」
「そう心配しなくとも、あの子とはまだ口づけだけだ。お前と鉢合わせたあの朝の一度きり。つまりお前とあの子は同じラインというわけさ」
死の言う"同じライン"というのは、経験のことだろう。花婿は生前の婚礼時に花嫁とのキスは済ませていた。当たり前のようにその事実を知っている死はさておき、あの朝の日に花婿が部屋に引き籠もってからも、死と月の間には特に何もなかったらしい。
花婿は少しだけ、ほんの少しだけ、安堵した。
死はそんな花婿の心中に気付いているのかいないのか、見えない後ろで笑みを深めていた。洗うのも再開するのか、ボディタオルをまたグシュグシュと泡立てながら口を開いた。
「口づけの最初は月だったが、交わりの最初はお前がいいかもね」
花婿がその言葉の意味を理解する前に、死は花婿にまた抱き付いて体の前に腕を回した。ボディタオルを持った手が、花婿の萎えているそれへと触れる。
「なッ…!?」
突然の刺激に花婿はビクッと大きく体を震わせた。
死はそれをボディタオルで包んで、両手でゴシッ…ゴシッ…と上下に扱く。花婿はゾクゾクゾクッ…と背筋に電流が走ったかのようだった。
「このっ…や、やめろ…ッ!」
動き続けている死の細い手首を掴むが想像以上に力が強く、また慣れない刺激に力も入らないようで、花婿はただ添えているような形になっていた。花婿の後ろで、死は悩ましげにため息を吐いている。
「はぁ…早くこれが欲しい…」
「おいッ…!」
「お前も、男として一度は経験してみたいだろう…?…セックス」
耳元で妖艶に囁かれ、花婿はブワッ…と一気に顔が熱くなった。わなわなと体が震えている。
「この…ッ おっ俺はッ…!!」
男は抱かない。
そう言おうとした瞬間、死は急に手の動きを止めて後ろへと引っ込めた。
「はっ…?え…」
花婿は突然のことに言葉が詰まってしまい、素っ頓狂な声を出した。
つい気になってパッと後ろを振り返る。…死はいる。花婿と目が合うと、にこりと笑みを浮かべた。
「盛り上がるのはいいが、ここは硬い。私は柔らかなところがいいんだ」
死は手に持っていたボディタオルを花婿の右肩にかけると、シャワーへと手を伸ばし自分の顔や体についていた泡をシャー…と流した。そして優雅に出口へ歩いて行き、振り返って花婿にまた笑いかける。
「お前の部屋がいいかもね。私は先に行って待っているから、洗い終わったらお前もおいで。じゃあね」
それだけ言うと、死は花婿を置いて風呂場を後にしたのだった。
「………」
ぽつんと残された花婿はすべての感情が抜け落ちたような顔で、風呂場でひとり残りの体の部位を洗った。
シャワーで泡を流しながら、体を拭きながら、服を着ながら、この後 自分の部屋に行くべきか、それとも行かないべきか、ずっとずっと花婿は考えていたのだった。
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