死にお持ち帰りされた花婿と月が穴兄弟になる話4
花婿は心底うんざりしていた。
「なあ。男は彼女からの不意打ちのキスに憧れがあるそうだよ。お前もそうなのかい?」
その原因は言うまでもなく、目の前でにやにやとした表情を向けている死だ。それを相手にするものか、と花婿は頑なに無視を続けていた。
数日前に、花婿が初心つまりはチェリーボーイであることに反応したその瞬間から、死による花婿へのいじりが始まったのだ。目に入るたびにやれ純白やら可愛い子やら声をかけたり、まるで誘うかのように胸元をはだけさせたり、素足を晒して見せつけたりしていた。その妖艶な誘いに乗らない男はいないだろうと思うほどの色気を放っていたのだが、花婿は鋼の精神でも持ち合わせているかのように動じることはなかった。男である死に靡くことはないらしい。ちなみにその時の月はよく分かっていなさそうだったが、しかし死の晒された白い肌をじー…と見ていた。
「ふふ。月はどうだろうね。そもそもキスすら知らないかな」
花婿が話に興味を示さないからか、死の関心はすぐに月へと移ったようだった。花婿はそのことに内心清々とする。そのままずっと月だけを見ていろとも思った。
月も花婿と同じく初心、それもさらに純白な存在だ。あれが身に纏っている白色のコートのように、心も身体も真っ白なのだ。そしてガラス玉のような月色の目は、いつも死だけを映していた。あれは死しか見ていないのだ。
それなら概念同士、さらには好き同士で勝手に仲良くしていたらいい。死が自分へとちょっかいをかけてくることもなくなるようなら、こちらも一石二鳥だ。花婿は皮肉にも、生前とは逆の"選ばれないほう"を望んでいた。
「…ふふ」
死はそんな花婿の心を知ってか知らずか、ひとり楽しそうに笑っていた。
それからというもの、死は花婿ではなく月に絡むことが多くなった。
死と月はいつも隣同士でリビングの椅子に座り、楽しそうにお喋りをしていた。と言っても無口な月が口を開くことは少なく、ほとんど死がひとりで喋っているようだが。しかしそれでも死は楽しそうで、時折小さな笑い声を上げている。少し離れた場所にいる花婿にもその声が微かに聞こえていた。内容までは聞き取れないが、ふたつはふたつにしか分からない話題でいつも盛り上がっているようだった。
役目に行く時も、ふたつは一緒に家から出ていた。まるでデートに行くカップルのように、死が月の腕に自身の腕を絡ませて歩いていく姿をよく見かけた。花婿はそれを見ても大してなんとも思わなかったが、しかし冷たい目でその後ろ姿を睨み付けることもあった。家から出た後に腕を組めばいいものを、わざわざこちらに見せつけているかのような感じでなんだか不愉快だったのだ。ふたつが帰ってくる時間はバラバラだが、月は相変わらず花婿には目もくれずに一直線に部屋へと戻り、死はいつの間にか帰って来ていて家の中にいた。花婿がそんな死にチラリと視線を向けるも、死はふっと笑うだけであった。
明らかに死から花婿へのいじりやウザ絡みは減っていた。だから幾分かはマシになったはずだった。
…ある朝の日。眠りから目覚めた花婿がリビングへ行くと
「……は…?」
花婿の目にある光景が飛び込んできた。
窓から入ってくる朝日が眩しいリビングの中、死と月はキスをしていたのだ。
月の膝の上に死が向かい合う形で乗り上げ、ひとつの椅子に座っていた。
その口づけは、見る者によっては神々しささえ感じるものだった。
「……ん」
死は花婿に気付いたのか、チラリと流し目で見ると、月から口を離してぺろりと自身の唇を艶やかに舐めた。
「…ああ。もう起きてきたのか」
そして焦ることも照れることもなく、死は笑みを浮かべながらそう言った。
月も同様に感情が高ぶることもなく、ただ目の前の死だけを見ていた。
「……」
…腹の奥が熱くなる。花婿は、今 自分が抱いている感情に少し覚えがあった。
──こちらを一切見ようともしない存在と、それのそばでこちらを憐れむように見ている存在。
それは、死の間際に見たあの光景と似ていた。
「……はぁ」
花婿はうつむき、綺麗にまとめ上げられていた前髪を片手でグシャリと握り乱した。その仕草だけで、腹の底から苛ついているのだと分かるほどだった。
花婿は、険しい顔で目の前のふたつをキッと睨みつける。
「おお。恐ろしい顔だ」
しかし死は怯んだ様子も見せずに、むしろ煽るように口元に弧を描いていた。その態度に花婿の苛つきはますます強くなるが、しかしこの男にとっては怒りをぶつけられることさえおもちゃで遊ぶようなものなのだ。長い間この空間に閉じ込められていることもあり、花婿は死がそういう最低な奴なのだということを嫌というほど知っていた。
先ほどの一件もあり、死とも月とも同じ部屋にいたくない花婿は、リビングに来たばかりであるが踵を返して自分の部屋へと戻った。
ガチャ、と部屋のドアを開けると、花婿は一瞬 部屋の前で立ち止まる。
「…はぁ……くそ…」
独り言のように呟いた。
…彼の部屋は陽の光がよく入ってくる日当たりのいい部屋だ。生前はその明るさがお気に入りだったため、そっくりに作られているこの部屋も実を言うと気に入っていた。…しかし、今はその明るさがかえって心を曇らせる。
つい先ほど見た、あの眩しげな光景が脳裏をよぎるのだ。これ以上ないほどの嫌悪感からか知らないが、死と月のキスが目に焼き付いてしまってすぐには離れそうになかった。
しん…と静まり返った部屋は、より花婿に己は孤独なのだということを突きつけた。このままでは、唯一 心を平穏に保っていられたこの自室さえも嫌な場所になりそうだった。そうなると、この家での自分の居場所は一体どこになるのだろう。
花婿は、心を直接グチャグチャとかき回されているかのような気持ち悪さを感じた。
…これも全部、全部、あいつのせいだ。
「なあ。男は彼女からの不意打ちのキスに憧れがあるそうだよ。お前もそうなのかい?」
その原因は言うまでもなく、目の前でにやにやとした表情を向けている死だ。それを相手にするものか、と花婿は頑なに無視を続けていた。
数日前に、花婿が初心つまりはチェリーボーイであることに反応したその瞬間から、死による花婿へのいじりが始まったのだ。目に入るたびにやれ純白やら可愛い子やら声をかけたり、まるで誘うかのように胸元をはだけさせたり、素足を晒して見せつけたりしていた。その妖艶な誘いに乗らない男はいないだろうと思うほどの色気を放っていたのだが、花婿は鋼の精神でも持ち合わせているかのように動じることはなかった。男である死に靡くことはないらしい。ちなみにその時の月はよく分かっていなさそうだったが、しかし死の晒された白い肌をじー…と見ていた。
「ふふ。月はどうだろうね。そもそもキスすら知らないかな」
花婿が話に興味を示さないからか、死の関心はすぐに月へと移ったようだった。花婿はそのことに内心清々とする。そのままずっと月だけを見ていろとも思った。
月も花婿と同じく初心、それもさらに純白な存在だ。あれが身に纏っている白色のコートのように、心も身体も真っ白なのだ。そしてガラス玉のような月色の目は、いつも死だけを映していた。あれは死しか見ていないのだ。
それなら概念同士、さらには好き同士で勝手に仲良くしていたらいい。死が自分へとちょっかいをかけてくることもなくなるようなら、こちらも一石二鳥だ。花婿は皮肉にも、生前とは逆の"選ばれないほう"を望んでいた。
「…ふふ」
死はそんな花婿の心を知ってか知らずか、ひとり楽しそうに笑っていた。
それからというもの、死は花婿ではなく月に絡むことが多くなった。
死と月はいつも隣同士でリビングの椅子に座り、楽しそうにお喋りをしていた。と言っても無口な月が口を開くことは少なく、ほとんど死がひとりで喋っているようだが。しかしそれでも死は楽しそうで、時折小さな笑い声を上げている。少し離れた場所にいる花婿にもその声が微かに聞こえていた。内容までは聞き取れないが、ふたつはふたつにしか分からない話題でいつも盛り上がっているようだった。
役目に行く時も、ふたつは一緒に家から出ていた。まるでデートに行くカップルのように、死が月の腕に自身の腕を絡ませて歩いていく姿をよく見かけた。花婿はそれを見ても大してなんとも思わなかったが、しかし冷たい目でその後ろ姿を睨み付けることもあった。家から出た後に腕を組めばいいものを、わざわざこちらに見せつけているかのような感じでなんだか不愉快だったのだ。ふたつが帰ってくる時間はバラバラだが、月は相変わらず花婿には目もくれずに一直線に部屋へと戻り、死はいつの間にか帰って来ていて家の中にいた。花婿がそんな死にチラリと視線を向けるも、死はふっと笑うだけであった。
明らかに死から花婿へのいじりやウザ絡みは減っていた。だから幾分かはマシになったはずだった。
…ある朝の日。眠りから目覚めた花婿がリビングへ行くと
「……は…?」
花婿の目にある光景が飛び込んできた。
窓から入ってくる朝日が眩しいリビングの中、死と月はキスをしていたのだ。
月の膝の上に死が向かい合う形で乗り上げ、ひとつの椅子に座っていた。
その口づけは、見る者によっては神々しささえ感じるものだった。
「……ん」
死は花婿に気付いたのか、チラリと流し目で見ると、月から口を離してぺろりと自身の唇を艶やかに舐めた。
「…ああ。もう起きてきたのか」
そして焦ることも照れることもなく、死は笑みを浮かべながらそう言った。
月も同様に感情が高ぶることもなく、ただ目の前の死だけを見ていた。
「……」
…腹の奥が熱くなる。花婿は、今 自分が抱いている感情に少し覚えがあった。
──こちらを一切見ようともしない存在と、それのそばでこちらを憐れむように見ている存在。
それは、死の間際に見たあの光景と似ていた。
「……はぁ」
花婿はうつむき、綺麗にまとめ上げられていた前髪を片手でグシャリと握り乱した。その仕草だけで、腹の底から苛ついているのだと分かるほどだった。
花婿は、険しい顔で目の前のふたつをキッと睨みつける。
「おお。恐ろしい顔だ」
しかし死は怯んだ様子も見せずに、むしろ煽るように口元に弧を描いていた。その態度に花婿の苛つきはますます強くなるが、しかしこの男にとっては怒りをぶつけられることさえおもちゃで遊ぶようなものなのだ。長い間この空間に閉じ込められていることもあり、花婿は死がそういう最低な奴なのだということを嫌というほど知っていた。
先ほどの一件もあり、死とも月とも同じ部屋にいたくない花婿は、リビングに来たばかりであるが踵を返して自分の部屋へと戻った。
ガチャ、と部屋のドアを開けると、花婿は一瞬 部屋の前で立ち止まる。
「…はぁ……くそ…」
独り言のように呟いた。
…彼の部屋は陽の光がよく入ってくる日当たりのいい部屋だ。生前はその明るさがお気に入りだったため、そっくりに作られているこの部屋も実を言うと気に入っていた。…しかし、今はその明るさがかえって心を曇らせる。
つい先ほど見た、あの眩しげな光景が脳裏をよぎるのだ。これ以上ないほどの嫌悪感からか知らないが、死と月のキスが目に焼き付いてしまってすぐには離れそうになかった。
しん…と静まり返った部屋は、より花婿に己は孤独なのだということを突きつけた。このままでは、唯一 心を平穏に保っていられたこの自室さえも嫌な場所になりそうだった。そうなると、この家での自分の居場所は一体どこになるのだろう。
花婿は、心を直接グチャグチャとかき回されているかのような気持ち悪さを感じた。
…これも全部、全部、あいつのせいだ。