死にお持ち帰りされた花婿と月が穴兄弟になる話3
死の気まぐれにより、花婿、死、月、の家族ごっこが始まって はや数週間は経った。
他のふたつと違ってずっと家から出られない花婿は、持て余した時間は昼寝をしたりフラメンコを踊ったり、最近は本を読んだりして過ごしていた。
そんなある日の夕方。もう外が薄暗くなりはじめた頃。
家にいることのほうが少ない死が、珍しく家にいた。そうなると、引き籠もりの月も花婿の兄の部屋から姿を現す。
ふたつはリビングに置かれた椅子に隣同士で座っていた。死は片手で器用にくるくるとナイフを回している。まるで意思を持って従っているかのように回るナイフを、月は隣でじっと見ていた。刃物にいい思い出がない花婿は、離れた場所に座っていた。
「花婿よ。お前も近くで見てみないか?」
「断る」
よそ見をしながらナイフを回す死に冷たく言い放つが、花婿は内心 冷や汗をかいていた。よほど刃物がトラウマになっているらしい。そしてそんな花婿に気付いていながら、わざわざナイフを用意して芸を見せつける死は、つくづくたちが悪い。
しばらくナイフ回しをしていたが、やはり飽きというのは唐突におとずれる。死の場合は特にそうだ。
「はあ。飽きたな」
そう言って回していたナイフをぴたりと止めて、柄の部分を手の平に収めた。月のほうに刃の部分が向いたが、月は変わらずナイフをじっと見ていた。
「…そうだ。かくれんぼをしよう」
「は…?」
死は思考回路も自由奔放である。いきなりのかくれんぼの提案に、花婿は怪訝な表情を見せた。
椅子から立ち上がり、窓を背にした死は、ナイフを握った手を胸の前へと持ってくる。ギラリ…と鋭く光る刃。
「私がキラーになるから、お前たちは私に見つからないよう隠れていてくれ」
死はそう言って、殺人鬼のようにペロ…とナイフの刃の部分を舐めた。
目に光なんて灯っていない悪人面で、酷く冷たい笑みを浮かべていた。暗い窓の外、身に纏った黒い衣装、そして手にしている凶器。見た者すべてを震え上がらせるには充分だった。花婿も例外なく、ゾクッ…と背中を震わせた。自分はもう死んでいるとはいえ、凶器を持った危険人物…それも間接的に殺された相手だ。ピリ…と緊張が走る。
花婿よりも死の近くにいた月は、目の前の美しく危険な存在をじー…と見つめていた。
「…キラー…だと?」
花婿はようやく声を絞り出した。
「ああ。ポリスがここにやってくるまでの15分間。キラーである私に殺されないよう、どこかに隠れて生き延びてくれ。見つからなければお前たちの勝ちだ」
「…見つかったら?」
「野暮なことを聞くね。私はキラーだよ」
死は強調するように、ナイフを持った片手をゆらゆらと揺らした。
…花婿は死が何を考えているのか分からない。
ナイフはただの小道具で、単にかくれんぼをして遊びたいのか。
あるいは、かくれんぼという名目で殺人鬼ごっこがしたいのか。
それとも、花婿と月を見つけたとしたら、本当に殺すつもりなのか。
しかし、何度も言うが花婿はもう死んでいる。死者をどうやって殺すというのか。それに月も人間ではない。「死」にかかれば、死者も概念も葬ることができるのか。花婿はぐるぐると思考を巡らせていた。
「やれやれ。ただの遊びすらも楽しめないなんて、頭の固い男だ」
そんな 死の気まぐれ行動を分析しようとしていた花婿を見て、死はつまらなさそうな顔で言い放つ。ぴく…と花婿も反応する。
「お前が言う遊びなんてろくなものじゃ…」
「さて、私は5分間 姿を消そう。その間に隠れるように」
反論する花婿に被せるように死はそう告げた。かくれんぼをやることはもう決まりらしい。
死は近くにいた月に隠れるよう促す。
「おすすめの隠れ場所はいつもの部屋だよ」
「……」
死からの言葉に、月はこくり…と頷いた。
そのやり取りを見ていた花婿は「…それはかくれんぼとは言わないだろう」と概念ふたつを理解できずにいた。
死は花婿にも促すように、手で部屋を示した。
「さあさ、お前も隠れるんだ。死は待ってはくれないよ」
そう言うと、死は暗闇に溶けるようにその姿を消した。月は死の姿が見えなくなると、のっそりと立ち上がった。
…消える寸前にナイフをちらつかせた死に嫌悪感を抱きつつ、花婿は仕方なく隠れる場所を探すことにした。
かくれんぼなんて幼い頃にやった時以来だ。見慣れた家の中だが、隠れられる場所なんてあっただろうか。あの頃はまだ体も小さかったから、狭い隙間にも入り込めたのだが、今の大柄な体では難しいだろう。
花婿は家の中を色々と見て回る。小さいわけではないが、かといって大きいともいえない自分の家…にそっくりな家。隠れ場所探しは難航していた。
「…はあ」
しかし、花婿もなにも本気で探しているわけではなかった。
このふざけた遊びも、死のいつもの適当な気まぐれだ。きっと花婿を怖がらせて楽しんでいるのだ。
刃物はまだ反射的に恐ろしいが…しかし、いつまでも恐れていてもしょうがないことなのかもしれない。
もう受け入れつつある「自分は死んでいる」ということ。その事実は花婿の心を弱くするだけでなく、それならもう恐れるものは何もないじゃないか、と逆に強くもしていた。そう思うと、この命をかけたかくれんぼにもあまり焦りも恐怖も感じることはなかった。むしろ死の思惑通りにはいかないと、強気である。
体感では2分ほど経った。あと3分ほどで死が現れるはずだ。
「……ん」
そこで花婿はふと、自分と死以外のもうひとつの存在のことを思い出した。
死とそれが話しているのを聞いて、花婿はそれの隠れ場所をすぐに察していた。少し歩いて、いつもは固く閉ざされている兄のだった部屋を見てみると、少しだけ扉が開いている。まるでわざとそうしているかのようだ。花婿は扉を開け、その部屋の中へと入った。
「……」
中はとても暗い。電気なんてついておらず、外の暗さと相まって暗闇そのものだった。その部屋の中に置かれた椅子に、それは静かに座っていた。
「…おい」
花婿が声をかけるも、反応はない。今やっているのはかくれんぼのはずだが、それに隠れようとする気は一切感じられなかった。
…月は人形のように、ただ座っていた。
月は死以上に何を考えているのか分からない存在である。どことなく花婿に似ているその顔が、感情を読み取れる表情をしたところを今まで一度も見たことがなかった。死はそんな月によく笑いかけているのだが、死の前では違うのだろうか。別に興味はないが。死に言われた通りの隠れ場所に身を潜めていた月を見に来たのも、ただの様子見である。
「ここにいたらすぐにあいつに見つかるぞ」
花婿は隠れもしない月にそう言った。ここは死が指定した場所だ。まっさきに探しにくるかもしれない。
月が心配というわけではないが、見つかれば何をされるのか分からないのが不気味なところだ。相手があの死であるから余計にである。それならばあれに見つかるよりも、15分間隠れきって何もされないほうが断然いい。
…花婿はそう思っていたが、どうやら月は違うようだ。
「……私は死に見つけてほしい」
花婿を見ることなく、月はぽつりとそう呟いた。
月が初めて喋ったことに少し驚いた花婿だったが、月も花婿には一切興味がない素振りである。…それならこちらが気にすることでもない。
「…なら勝手にしろ」
1分ほどの時間を月に当てた花婿は、再び自身の隠れ場所を探すために部屋を出た。月の望み通りに、扉は最初と同じく少しだけ開いたままの状態にしておいた。
それから花婿は、適当な部屋の適当なクローゼットの中へと身を潜めた。わずかな隙間から外の様子も見える場所だった。
……花婿が隠れた後、少ししてから死は現れた。キラーという設定を守っているからか、ご丁寧に玄関の扉を開けて家の中へと入ってきた。先ほどと同様に、その手には鋭いナイフが握られている。ぐるりと部屋を見渡すと、足音も立てずに家の中を移動した。
まずはリビングへと足を運んだ。たった数分前までは薄暗かった窓の外も、もうすでに夜の気配を感じ取れた。暗いリビングに佇む死の姿は、不安を煽るようでとても不気味だった。
リビングには花婿も月もいないことを確認すると、死は近くのあの部屋へと向かった。その部屋の扉は少しだけ開いていた。死は扉に手をかけ、静かに中へと入る。
そこには、やはり隠れてもいない月が暗闇の中 椅子に座っていた。
「ふふ。見つけた」
「…死」
声をかけられ、月は死の姿をじっと見つめた。その目はぼんやりと妖しく月色に光っている。
死は月へと近付き、顔を覗き込んだ。
「ちゃんとここにいて、いい子だね」
甘い声でそう囁く死に頬に片手を添えられると、月は甘えるように すり…と死の手に擦り寄った。…死が背中に隠しているもう片方の手には、ナイフが握られていた。
「…なあ」
心酔しているような表情で月は死を見上げる。
死はニタァ…と笑った。
「喉が渇いた」
……あと何分ここにいればいいんだ。
花婿は狭くて暗いクローゼットの中で、そう考えていた。体感としては、隠れてから10~11分は経っていると思う。だが正確な時間は分からない。緊張しているわけではないと思うのだが、心臓はドキドキと少し駆け足気味に動いていた。
「……」
…自分は死んでいるのだが、こうやって心臓は動いている。不思議なものである。
花婿はふとした瞬間に、自分の死について考えてしまうことがあった。あんな最期だ。未練なんてないわけがない。こればかりは、この家から出られない以上 永遠に忘れることはできないだろう。
そう考えている間も、部屋の外からの音はまったく聞こえない。八百長である月が見つかったのかどうかも分からないが、まあおそらく見つかったのだろう。死に見つけてほしいようだったから、願ったり叶ったりなんじゃないか。気持ちはまったく分からないが。
「………」
きっとあと数分の我慢だ。
…そう思っていると、ガチャ…と部屋の扉が開く音がした。突然のことに花婿はビク…となったが、落ち着いて隙間から外の様子をうかがう。
「……、…」
花婿は思わず息を呑んだ。
そこには案の定 死の姿が見えた。黒いフードで顔は隠れ、ギラリと光るナイフを握ったその姿は、映画で見る殺人鬼そのものだった。
「…ふむ」
キョロキョロと部屋の中を見渡しながら、遊ぶようにふりふりとナイフを振っている。見つかったら最後、笑いながら躊躇なく刺してきそうだという印象が見受けられた。
花婿が制限時間はまだかまだかと待ち侘びていると、死は花婿が隠れているクローゼットへと近寄ってきた。木製のクローゼットをザラ…と手で撫でる。
「…おやおや。ふふ。この中になら、体が大きな男も入り込めそうだ」
「……」
「なあ?花婿よ」
キィ…とクローゼットの扉が開かれた。
「見つけた」
花婿の視界には、恐ろしい笑みを浮かべた死の姿だけが広がった。
まるで逃げ場のない場所まで追い詰められたかのようだった。
…しかし、予想に反して死はいきなり刺してくることはなかった。やはりナイフは形だけのものだったのか。そのことにほっと心の中で安堵し、花婿は少し冷静さを取り戻した。
「…時間は」
「残念だったな。ポリスが来るまではあと数秒だったのだが、キラーはクローゼットの中のお前を見つけたその瞬間にナイフを振り下ろしていただろう」
まだ死んではいないかもしれないが、しかし刺されて無傷ではいられなかっただろうと花婿は告げられた。もし死が本当のキラーだったら、こうして会話している間も自分は痛みに悶えていたのかもしれない。…生前の記憶が頭をよぎり、花婿は少しだけくもった表情をした。
「…あいつは?」
何か違うことを考えようとして、花婿は月のことをたずねた。きっともう見つけているはずだ。いつも死にべったりな月だが、今は姿が見えなかった。死はわざとらしく首を傾げる。
「うん?月か?お前より先に見つけたのだが、今は少し動けないようだ」
「動けない?」
「ああ。少しだけ血をもらうつもりが、うっかり貧血にさせるほどもらってしまった」
「…は?血…?」
まるで普通のことのように話した死に理解が追いつかず、花婿は素っ頓狂な声を出した。
死は花婿が逃げられないよう、クローゼットの入り口を体で塞いだ。
「たまに欲しくなるんだ。月のもよかったが、お前のも欲しい」
クローゼットの縁で花婿に見せつけるよう、手に持ったナイフをゆらゆらと揺らす。その顔はニタァ…と笑みを浮かべていた。花婿は死の異常性に、絶句した表情を見せていた。
「ああ、少しでいい。指先から滴る一滴だけでも」
すぐに すん…と狂気じみた表情は控えめになったが、それが返って不気味である。死はいまだに花婿をクローゼットの中へ閉じ込めている。もらうまでは逃がさないつもりなのかもしれない。
死の気分は変わりやすい。今は「指先だけのでいい」と言っているが、それを拒否し続けると今度は「コップ一杯でいい」「スープが作れるほどでいい」とだんだんエスカレートしていくことも十分考えられた。
…それなら、微量を求めている今が一番ましである。
「……」
花婿は死へと右手を差し出した。おねだりが通じた死は ぱあっと大げさに喜んだ。
「優しい子」
死は差し出された花婿の手に自身の手を添えると、ナイフで人差し指の指先をぴっと切った。ちり…とした痛みを感じたあと、赤い玉のような血が滲み出してきた。死は顔を近付け、ぺろ…とその血を舐め取る。
「…っ」
あたたかな舌と傷口が染みる感覚が指先に伝わり、花婿の体はぴくり…とわずかに反応した。
死はひと舐めしたものの、まだ少しじんわりと血は滲み出ていた。
すると何を思ったのか、死は小さな口で指先をぱくりと咥えた。そのまま ちゅ、と軽く吸う。
「ッなにして…!」
ギッとクローゼットを軋ませ、花婿は反射的に手を引っ込めた。口からちゅぽっと指を引き抜かれたが、死は気にした様子もなく、口の中に広がる花婿の血の味を吟味していた。
「うーん。生きていた頃に比べると薄い。栄養が足りていないんじゃないか」
死の一言に、花婿は絶句やら不愉快やら様々な感情が入り混じった表情を見せた。
何故生きていた頃の血の味を知っているんだ。そもそも人の血を評価するな。栄養が足りてないったって腹も減らないし喉も渇かないしで食事しても意味がないことを知っているだろう。そんな体にしたのはお前なんじゃないのか。人を不健康みたいに言うな。
花婿は心の中で死への不満をブツブツと唱えていたが、死は知らんぷりである。そして、花婿を閉じ込めていたクローゼットの入り口からもようやく退いた。
「ああ。そろそろ夜がくる。月は役目に行けるだろうか」
死の言葉に、花婿もはた…と思い出した。そういえば、貧血と言っていたが月はどうなっているのだろうか。
心配しているわけではないが、様子が気になり花婿は月の元へと向かった。
月は兄の部屋から出てきていたようで、リビングの椅子にぽつんと座っていた。特に変わったところはないが、正面へとまわってよく見てみると、首筋に切りつけられたような痕があり、そこから血が垂れているのが見えた。
「大丈夫かい?月よ」
切りつけた張本人である死が声をかけると、月はこくりと頷いた。
「役目前にすまなかったね。お前の血が美味かったからつい」
月はまたしてもこくりと頷く。
…花婿には「薄い」と言っておいて、同じく食事をしない月には「美味かった」。張り合うことでもないのだが、花婿は少しだけむっとなった。
月は死がお見送りしてくれるのを待っていたのだろう。がた…と立ち上がり、若干ふらふらしながら死の元へと歩いていくと、じ…と見た後に外へと出て行った。
月が出て行った後、しばらくしてから死も役目へと向かうようだった。
「ふふ。ひとりで留守番中に、キラーがこの家に来ないことを祈っているよ」
「…誰も来ないだろ」
最後の最後まで怖がらせようとする死に花婿はぶっきらぼうに答えるが、…念のためきちんと戸締まりだけはしておこう、と心の中で思うのだった。
他のふたつと違ってずっと家から出られない花婿は、持て余した時間は昼寝をしたりフラメンコを踊ったり、最近は本を読んだりして過ごしていた。
そんなある日の夕方。もう外が薄暗くなりはじめた頃。
家にいることのほうが少ない死が、珍しく家にいた。そうなると、引き籠もりの月も花婿の兄の部屋から姿を現す。
ふたつはリビングに置かれた椅子に隣同士で座っていた。死は片手で器用にくるくるとナイフを回している。まるで意思を持って従っているかのように回るナイフを、月は隣でじっと見ていた。刃物にいい思い出がない花婿は、離れた場所に座っていた。
「花婿よ。お前も近くで見てみないか?」
「断る」
よそ見をしながらナイフを回す死に冷たく言い放つが、花婿は内心 冷や汗をかいていた。よほど刃物がトラウマになっているらしい。そしてそんな花婿に気付いていながら、わざわざナイフを用意して芸を見せつける死は、つくづくたちが悪い。
しばらくナイフ回しをしていたが、やはり飽きというのは唐突におとずれる。死の場合は特にそうだ。
「はあ。飽きたな」
そう言って回していたナイフをぴたりと止めて、柄の部分を手の平に収めた。月のほうに刃の部分が向いたが、月は変わらずナイフをじっと見ていた。
「…そうだ。かくれんぼをしよう」
「は…?」
死は思考回路も自由奔放である。いきなりのかくれんぼの提案に、花婿は怪訝な表情を見せた。
椅子から立ち上がり、窓を背にした死は、ナイフを握った手を胸の前へと持ってくる。ギラリ…と鋭く光る刃。
「私がキラーになるから、お前たちは私に見つからないよう隠れていてくれ」
死はそう言って、殺人鬼のようにペロ…とナイフの刃の部分を舐めた。
目に光なんて灯っていない悪人面で、酷く冷たい笑みを浮かべていた。暗い窓の外、身に纏った黒い衣装、そして手にしている凶器。見た者すべてを震え上がらせるには充分だった。花婿も例外なく、ゾクッ…と背中を震わせた。自分はもう死んでいるとはいえ、凶器を持った危険人物…それも間接的に殺された相手だ。ピリ…と緊張が走る。
花婿よりも死の近くにいた月は、目の前の美しく危険な存在をじー…と見つめていた。
「…キラー…だと?」
花婿はようやく声を絞り出した。
「ああ。ポリスがここにやってくるまでの15分間。キラーである私に殺されないよう、どこかに隠れて生き延びてくれ。見つからなければお前たちの勝ちだ」
「…見つかったら?」
「野暮なことを聞くね。私はキラーだよ」
死は強調するように、ナイフを持った片手をゆらゆらと揺らした。
…花婿は死が何を考えているのか分からない。
ナイフはただの小道具で、単にかくれんぼをして遊びたいのか。
あるいは、かくれんぼという名目で殺人鬼ごっこがしたいのか。
それとも、花婿と月を見つけたとしたら、本当に殺すつもりなのか。
しかし、何度も言うが花婿はもう死んでいる。死者をどうやって殺すというのか。それに月も人間ではない。「死」にかかれば、死者も概念も葬ることができるのか。花婿はぐるぐると思考を巡らせていた。
「やれやれ。ただの遊びすらも楽しめないなんて、頭の固い男だ」
そんな 死の気まぐれ行動を分析しようとしていた花婿を見て、死はつまらなさそうな顔で言い放つ。ぴく…と花婿も反応する。
「お前が言う遊びなんてろくなものじゃ…」
「さて、私は5分間 姿を消そう。その間に隠れるように」
反論する花婿に被せるように死はそう告げた。かくれんぼをやることはもう決まりらしい。
死は近くにいた月に隠れるよう促す。
「おすすめの隠れ場所はいつもの部屋だよ」
「……」
死からの言葉に、月はこくり…と頷いた。
そのやり取りを見ていた花婿は「…それはかくれんぼとは言わないだろう」と概念ふたつを理解できずにいた。
死は花婿にも促すように、手で部屋を示した。
「さあさ、お前も隠れるんだ。死は待ってはくれないよ」
そう言うと、死は暗闇に溶けるようにその姿を消した。月は死の姿が見えなくなると、のっそりと立ち上がった。
…消える寸前にナイフをちらつかせた死に嫌悪感を抱きつつ、花婿は仕方なく隠れる場所を探すことにした。
かくれんぼなんて幼い頃にやった時以来だ。見慣れた家の中だが、隠れられる場所なんてあっただろうか。あの頃はまだ体も小さかったから、狭い隙間にも入り込めたのだが、今の大柄な体では難しいだろう。
花婿は家の中を色々と見て回る。小さいわけではないが、かといって大きいともいえない自分の家…にそっくりな家。隠れ場所探しは難航していた。
「…はあ」
しかし、花婿もなにも本気で探しているわけではなかった。
このふざけた遊びも、死のいつもの適当な気まぐれだ。きっと花婿を怖がらせて楽しんでいるのだ。
刃物はまだ反射的に恐ろしいが…しかし、いつまでも恐れていてもしょうがないことなのかもしれない。
もう受け入れつつある「自分は死んでいる」ということ。その事実は花婿の心を弱くするだけでなく、それならもう恐れるものは何もないじゃないか、と逆に強くもしていた。そう思うと、この命をかけたかくれんぼにもあまり焦りも恐怖も感じることはなかった。むしろ死の思惑通りにはいかないと、強気である。
体感では2分ほど経った。あと3分ほどで死が現れるはずだ。
「……ん」
そこで花婿はふと、自分と死以外のもうひとつの存在のことを思い出した。
死とそれが話しているのを聞いて、花婿はそれの隠れ場所をすぐに察していた。少し歩いて、いつもは固く閉ざされている兄のだった部屋を見てみると、少しだけ扉が開いている。まるでわざとそうしているかのようだ。花婿は扉を開け、その部屋の中へと入った。
「……」
中はとても暗い。電気なんてついておらず、外の暗さと相まって暗闇そのものだった。その部屋の中に置かれた椅子に、それは静かに座っていた。
「…おい」
花婿が声をかけるも、反応はない。今やっているのはかくれんぼのはずだが、それに隠れようとする気は一切感じられなかった。
…月は人形のように、ただ座っていた。
月は死以上に何を考えているのか分からない存在である。どことなく花婿に似ているその顔が、感情を読み取れる表情をしたところを今まで一度も見たことがなかった。死はそんな月によく笑いかけているのだが、死の前では違うのだろうか。別に興味はないが。死に言われた通りの隠れ場所に身を潜めていた月を見に来たのも、ただの様子見である。
「ここにいたらすぐにあいつに見つかるぞ」
花婿は隠れもしない月にそう言った。ここは死が指定した場所だ。まっさきに探しにくるかもしれない。
月が心配というわけではないが、見つかれば何をされるのか分からないのが不気味なところだ。相手があの死であるから余計にである。それならばあれに見つかるよりも、15分間隠れきって何もされないほうが断然いい。
…花婿はそう思っていたが、どうやら月は違うようだ。
「……私は死に見つけてほしい」
花婿を見ることなく、月はぽつりとそう呟いた。
月が初めて喋ったことに少し驚いた花婿だったが、月も花婿には一切興味がない素振りである。…それならこちらが気にすることでもない。
「…なら勝手にしろ」
1分ほどの時間を月に当てた花婿は、再び自身の隠れ場所を探すために部屋を出た。月の望み通りに、扉は最初と同じく少しだけ開いたままの状態にしておいた。
それから花婿は、適当な部屋の適当なクローゼットの中へと身を潜めた。わずかな隙間から外の様子も見える場所だった。
……花婿が隠れた後、少ししてから死は現れた。キラーという設定を守っているからか、ご丁寧に玄関の扉を開けて家の中へと入ってきた。先ほどと同様に、その手には鋭いナイフが握られている。ぐるりと部屋を見渡すと、足音も立てずに家の中を移動した。
まずはリビングへと足を運んだ。たった数分前までは薄暗かった窓の外も、もうすでに夜の気配を感じ取れた。暗いリビングに佇む死の姿は、不安を煽るようでとても不気味だった。
リビングには花婿も月もいないことを確認すると、死は近くのあの部屋へと向かった。その部屋の扉は少しだけ開いていた。死は扉に手をかけ、静かに中へと入る。
そこには、やはり隠れてもいない月が暗闇の中 椅子に座っていた。
「ふふ。見つけた」
「…死」
声をかけられ、月は死の姿をじっと見つめた。その目はぼんやりと妖しく月色に光っている。
死は月へと近付き、顔を覗き込んだ。
「ちゃんとここにいて、いい子だね」
甘い声でそう囁く死に頬に片手を添えられると、月は甘えるように すり…と死の手に擦り寄った。…死が背中に隠しているもう片方の手には、ナイフが握られていた。
「…なあ」
心酔しているような表情で月は死を見上げる。
死はニタァ…と笑った。
「喉が渇いた」
……あと何分ここにいればいいんだ。
花婿は狭くて暗いクローゼットの中で、そう考えていた。体感としては、隠れてから10~11分は経っていると思う。だが正確な時間は分からない。緊張しているわけではないと思うのだが、心臓はドキドキと少し駆け足気味に動いていた。
「……」
…自分は死んでいるのだが、こうやって心臓は動いている。不思議なものである。
花婿はふとした瞬間に、自分の死について考えてしまうことがあった。あんな最期だ。未練なんてないわけがない。こればかりは、この家から出られない以上 永遠に忘れることはできないだろう。
そう考えている間も、部屋の外からの音はまったく聞こえない。八百長である月が見つかったのかどうかも分からないが、まあおそらく見つかったのだろう。死に見つけてほしいようだったから、願ったり叶ったりなんじゃないか。気持ちはまったく分からないが。
「………」
きっとあと数分の我慢だ。
…そう思っていると、ガチャ…と部屋の扉が開く音がした。突然のことに花婿はビク…となったが、落ち着いて隙間から外の様子をうかがう。
「……、…」
花婿は思わず息を呑んだ。
そこには案の定 死の姿が見えた。黒いフードで顔は隠れ、ギラリと光るナイフを握ったその姿は、映画で見る殺人鬼そのものだった。
「…ふむ」
キョロキョロと部屋の中を見渡しながら、遊ぶようにふりふりとナイフを振っている。見つかったら最後、笑いながら躊躇なく刺してきそうだという印象が見受けられた。
花婿が制限時間はまだかまだかと待ち侘びていると、死は花婿が隠れているクローゼットへと近寄ってきた。木製のクローゼットをザラ…と手で撫でる。
「…おやおや。ふふ。この中になら、体が大きな男も入り込めそうだ」
「……」
「なあ?花婿よ」
キィ…とクローゼットの扉が開かれた。
「見つけた」
花婿の視界には、恐ろしい笑みを浮かべた死の姿だけが広がった。
まるで逃げ場のない場所まで追い詰められたかのようだった。
…しかし、予想に反して死はいきなり刺してくることはなかった。やはりナイフは形だけのものだったのか。そのことにほっと心の中で安堵し、花婿は少し冷静さを取り戻した。
「…時間は」
「残念だったな。ポリスが来るまではあと数秒だったのだが、キラーはクローゼットの中のお前を見つけたその瞬間にナイフを振り下ろしていただろう」
まだ死んではいないかもしれないが、しかし刺されて無傷ではいられなかっただろうと花婿は告げられた。もし死が本当のキラーだったら、こうして会話している間も自分は痛みに悶えていたのかもしれない。…生前の記憶が頭をよぎり、花婿は少しだけくもった表情をした。
「…あいつは?」
何か違うことを考えようとして、花婿は月のことをたずねた。きっともう見つけているはずだ。いつも死にべったりな月だが、今は姿が見えなかった。死はわざとらしく首を傾げる。
「うん?月か?お前より先に見つけたのだが、今は少し動けないようだ」
「動けない?」
「ああ。少しだけ血をもらうつもりが、うっかり貧血にさせるほどもらってしまった」
「…は?血…?」
まるで普通のことのように話した死に理解が追いつかず、花婿は素っ頓狂な声を出した。
死は花婿が逃げられないよう、クローゼットの入り口を体で塞いだ。
「たまに欲しくなるんだ。月のもよかったが、お前のも欲しい」
クローゼットの縁で花婿に見せつけるよう、手に持ったナイフをゆらゆらと揺らす。その顔はニタァ…と笑みを浮かべていた。花婿は死の異常性に、絶句した表情を見せていた。
「ああ、少しでいい。指先から滴る一滴だけでも」
すぐに すん…と狂気じみた表情は控えめになったが、それが返って不気味である。死はいまだに花婿をクローゼットの中へ閉じ込めている。もらうまでは逃がさないつもりなのかもしれない。
死の気分は変わりやすい。今は「指先だけのでいい」と言っているが、それを拒否し続けると今度は「コップ一杯でいい」「スープが作れるほどでいい」とだんだんエスカレートしていくことも十分考えられた。
…それなら、微量を求めている今が一番ましである。
「……」
花婿は死へと右手を差し出した。おねだりが通じた死は ぱあっと大げさに喜んだ。
「優しい子」
死は差し出された花婿の手に自身の手を添えると、ナイフで人差し指の指先をぴっと切った。ちり…とした痛みを感じたあと、赤い玉のような血が滲み出してきた。死は顔を近付け、ぺろ…とその血を舐め取る。
「…っ」
あたたかな舌と傷口が染みる感覚が指先に伝わり、花婿の体はぴくり…とわずかに反応した。
死はひと舐めしたものの、まだ少しじんわりと血は滲み出ていた。
すると何を思ったのか、死は小さな口で指先をぱくりと咥えた。そのまま ちゅ、と軽く吸う。
「ッなにして…!」
ギッとクローゼットを軋ませ、花婿は反射的に手を引っ込めた。口からちゅぽっと指を引き抜かれたが、死は気にした様子もなく、口の中に広がる花婿の血の味を吟味していた。
「うーん。生きていた頃に比べると薄い。栄養が足りていないんじゃないか」
死の一言に、花婿は絶句やら不愉快やら様々な感情が入り混じった表情を見せた。
何故生きていた頃の血の味を知っているんだ。そもそも人の血を評価するな。栄養が足りてないったって腹も減らないし喉も渇かないしで食事しても意味がないことを知っているだろう。そんな体にしたのはお前なんじゃないのか。人を不健康みたいに言うな。
花婿は心の中で死への不満をブツブツと唱えていたが、死は知らんぷりである。そして、花婿を閉じ込めていたクローゼットの入り口からもようやく退いた。
「ああ。そろそろ夜がくる。月は役目に行けるだろうか」
死の言葉に、花婿もはた…と思い出した。そういえば、貧血と言っていたが月はどうなっているのだろうか。
心配しているわけではないが、様子が気になり花婿は月の元へと向かった。
月は兄の部屋から出てきていたようで、リビングの椅子にぽつんと座っていた。特に変わったところはないが、正面へとまわってよく見てみると、首筋に切りつけられたような痕があり、そこから血が垂れているのが見えた。
「大丈夫かい?月よ」
切りつけた張本人である死が声をかけると、月はこくりと頷いた。
「役目前にすまなかったね。お前の血が美味かったからつい」
月はまたしてもこくりと頷く。
…花婿には「薄い」と言っておいて、同じく食事をしない月には「美味かった」。張り合うことでもないのだが、花婿は少しだけむっとなった。
月は死がお見送りしてくれるのを待っていたのだろう。がた…と立ち上がり、若干ふらふらしながら死の元へと歩いていくと、じ…と見た後に外へと出て行った。
月が出て行った後、しばらくしてから死も役目へと向かうようだった。
「ふふ。ひとりで留守番中に、キラーがこの家に来ないことを祈っているよ」
「…誰も来ないだろ」
最後の最後まで怖がらせようとする死に花婿はぶっきらぼうに答えるが、…念のためきちんと戸締まりだけはしておこう、と心の中で思うのだった。