死にお持ち帰りされた花婿と月が穴兄弟になる話2
死が作ったというその場所は、まるで本当のあの土地のようだった。
朝がきて、昼がきて、そして夜がくる。そして外からは、穏やかな鳥のさえずりだって聞こえてくる。
しかし、その外へと出ることはできない。何度やっても花婿だけが出られず、他のふたつは普通に出られていた。
ここは死の言ったとおり、死の世界なのだ。だから死人が出ることはできないのだろう。
そして、死人である花婿はいくら動いたとしても、少しも腹が空くことも喉が渇くこともなかった。そのため、食事なんてこの場所へ連れてこられて以来 ほとんどしていない。水を飲んでみても、喉を通る感覚なんてちっともしないのだ。
死と月も人間ではないため、花婿と同様に食事をする必要はないらしい。まれに月が飲み物を飲んでいるような光景は見かけるが、無表情で何かを流し込んでいるだけのようにも見え本当に飲んでいるのかは不明だ。
…月といえば、死がいる時と夜が近付いてきた頃に外へと出かける時以外は、花婿の兄のだった部屋にずっと引き籠もっている。死んでしまった兄の部屋も、花婿の家には残っていた。生前、その部屋を見て辛い思いをすることもあったが、しかしやはり楽しい思い出もたくさんあったのだ。それを忘れないように、残していた。…あちらでは、今は自分の部屋も兄の部屋と同じような場所になっているのだろうか。
月がその中で何をしているのかは一切不明だ。死が家にいない時は、花婿の前に姿も見せないのだ。花婿も月と仲良くする気はまったくないが、しかしほぼ1日中 思い出の詰まった兄の部屋にあたる場所に得たいの知れない男が籠もっていることは、あまりいい気分はしない。花婿の家そっくりな空間だから、本物の家ではないと言われればそれまでだが。
そして今も、相変わらず月は部屋から出てこない。
「…くそ」
外へも出られない花婿は、いつもひとり 家の中で時間を持て余していた。本来の仕事であった果実畑の世話もできず、多幸感を感じていた食事も意味がなく、唯一 眠ることだけが時を少しだけ速められる方法だった。死んだ後も睡眠欲だけはあったのだ。夜と、そしてたまに昼も、花婿は自分の部屋で眠っていた。ただし、今は眠る気分ではない。
…あいつは今どこで何をしているんだ。
椅子に腰掛け腕を組んだ状態で、花婿はあの自由奔放な男のことを思い浮かべていた。
そもそもこんな問題が起こっているのも、この空間を作った張本人である死が原因だ。あれがすべての元凶だ。
最初にこの家族ごっこを始めたにもかかわらず、今 一番 家にいる時間が少ないのが死である。いつの間にか帰ってきていたと思ったら、またすぐにいなくなる。そして月も引き籠もる。ずっとこの繰り返しだ。
死が家族ごっこに飽きたのなら、もう自分をこの家から解放してくれ と思う。
死後の世界は、幼い頃から参加していた 死者の日 のような、どちらかといえば楽しく華やかなものだと思っていたこともあるのだ。それなのに、実際はこんなつまらない日々をずっと繰り返すことになるとは。
…花婿は目を閉じ、ふと、楽しい時とはどんな時だったかと考える。
「………」
…しばらくしてから目を開けた花婿は、椅子からすっと立ち上がった。周りに家具がない広い部屋の真ん中へと歩いて行き、そこで立ち止まる。
「…ふう…」
体の力を抜いてリラックスするように短く息を吐くと、リズムを作るために顔の前で手拍子を始めた。高く乾いた音が鳴り響く。まるで己の気分を高めているかのようだ。
次に、リズムに乗って足踏みも始める。慣れた足さばきで、靴を打ち鳴らす小気味良い音を部屋中に響かせていた。
その手拍子と靴音が刻むリズムに興が乗った花婿は、部屋の中で軽快にフラメンコを踊り始めた。
「は…っ」
両腕を大きく動かしたり、その場でくるりと一回転したりと、心と体が赴くままに自由に力強く踊り続ける。
引き締まった体がしなる様は煽情的だ。
花婿が回転するたびに、後ろで縛った長い髪も一緒に荒々しく踊っていた。
きらきらとした汗も周りに飛び散っている。
誰に見せるわけでもない、花婿自身のためだけの踊りだ。
花婿は踊りながら、最後に踊りを楽しんだのはいつだろうと思い出していた。
「…あ」
…そうだ。思い出した。
花嫁との婚礼の夜。盛大な宴が開かれ、そこでたくさんの親戚たちと踊った時だ。
花嫁にも「一緒に踊らないか?」と誘ってみたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。…一緒に踊りたかったな。
今、花嫁の隣にはレオナルドがいることだろう。自分ではないのが、とても悔しい。
そう思ったところで、自分にはもう花嫁を奪い返すこともできないのだが。
花婿はそのやるせなさを晴らすように、一心不乱に踊っていた。
悲哀、焦燥、諦念。しかし、踊ることへの愉悦。
様々な思いがこもった最高のフラメンコだ。
「はっ…はぁっ…」
さあ、いよいよ大詰めである。
花婿はより激しく足を打ち付け、ダダダダッと迫力ある音を部屋中に轟かせたのだ。
そして、最後に腕を高く上げ
「は…ッ」
ビシッとポーズを決めた。
…そんな花婿に、どこからかパチパチと拍手が送られた。
「…?」
荒い息を整えながら、その音の出どころへと顔を向ける。
「さすが。上手いじゃないか」
「…お前…いつからそこに…」
そこにはいつの間にやら死がいた。壁に背中を預け、もたれかかっている。相変わらず神出鬼没な男である。
「最初からいたよ」とくすくす笑いながら、死は花婿へと近寄り、その顔をのぞき込んだ。
「いい踊りだったね。今度 私と一緒に踊ろうか」
「結構だ」
「つれないな」
花婿の冷たい態度に、またしても死はくすくすと笑うのだった。
朝がきて、昼がきて、そして夜がくる。そして外からは、穏やかな鳥のさえずりだって聞こえてくる。
しかし、その外へと出ることはできない。何度やっても花婿だけが出られず、他のふたつは普通に出られていた。
ここは死の言ったとおり、死の世界なのだ。だから死人が出ることはできないのだろう。
そして、死人である花婿はいくら動いたとしても、少しも腹が空くことも喉が渇くこともなかった。そのため、食事なんてこの場所へ連れてこられて以来 ほとんどしていない。水を飲んでみても、喉を通る感覚なんてちっともしないのだ。
死と月も人間ではないため、花婿と同様に食事をする必要はないらしい。まれに月が飲み物を飲んでいるような光景は見かけるが、無表情で何かを流し込んでいるだけのようにも見え本当に飲んでいるのかは不明だ。
…月といえば、死がいる時と夜が近付いてきた頃に外へと出かける時以外は、花婿の兄のだった部屋にずっと引き籠もっている。死んでしまった兄の部屋も、花婿の家には残っていた。生前、その部屋を見て辛い思いをすることもあったが、しかしやはり楽しい思い出もたくさんあったのだ。それを忘れないように、残していた。…あちらでは、今は自分の部屋も兄の部屋と同じような場所になっているのだろうか。
月がその中で何をしているのかは一切不明だ。死が家にいない時は、花婿の前に姿も見せないのだ。花婿も月と仲良くする気はまったくないが、しかしほぼ1日中 思い出の詰まった兄の部屋にあたる場所に得たいの知れない男が籠もっていることは、あまりいい気分はしない。花婿の家そっくりな空間だから、本物の家ではないと言われればそれまでだが。
そして今も、相変わらず月は部屋から出てこない。
「…くそ」
外へも出られない花婿は、いつもひとり 家の中で時間を持て余していた。本来の仕事であった果実畑の世話もできず、多幸感を感じていた食事も意味がなく、唯一 眠ることだけが時を少しだけ速められる方法だった。死んだ後も睡眠欲だけはあったのだ。夜と、そしてたまに昼も、花婿は自分の部屋で眠っていた。ただし、今は眠る気分ではない。
…あいつは今どこで何をしているんだ。
椅子に腰掛け腕を組んだ状態で、花婿はあの自由奔放な男のことを思い浮かべていた。
そもそもこんな問題が起こっているのも、この空間を作った張本人である死が原因だ。あれがすべての元凶だ。
最初にこの家族ごっこを始めたにもかかわらず、今 一番 家にいる時間が少ないのが死である。いつの間にか帰ってきていたと思ったら、またすぐにいなくなる。そして月も引き籠もる。ずっとこの繰り返しだ。
死が家族ごっこに飽きたのなら、もう自分をこの家から解放してくれ と思う。
死後の世界は、幼い頃から参加していた 死者の日 のような、どちらかといえば楽しく華やかなものだと思っていたこともあるのだ。それなのに、実際はこんなつまらない日々をずっと繰り返すことになるとは。
…花婿は目を閉じ、ふと、楽しい時とはどんな時だったかと考える。
「………」
…しばらくしてから目を開けた花婿は、椅子からすっと立ち上がった。周りに家具がない広い部屋の真ん中へと歩いて行き、そこで立ち止まる。
「…ふう…」
体の力を抜いてリラックスするように短く息を吐くと、リズムを作るために顔の前で手拍子を始めた。高く乾いた音が鳴り響く。まるで己の気分を高めているかのようだ。
次に、リズムに乗って足踏みも始める。慣れた足さばきで、靴を打ち鳴らす小気味良い音を部屋中に響かせていた。
その手拍子と靴音が刻むリズムに興が乗った花婿は、部屋の中で軽快にフラメンコを踊り始めた。
「は…っ」
両腕を大きく動かしたり、その場でくるりと一回転したりと、心と体が赴くままに自由に力強く踊り続ける。
引き締まった体がしなる様は煽情的だ。
花婿が回転するたびに、後ろで縛った長い髪も一緒に荒々しく踊っていた。
きらきらとした汗も周りに飛び散っている。
誰に見せるわけでもない、花婿自身のためだけの踊りだ。
花婿は踊りながら、最後に踊りを楽しんだのはいつだろうと思い出していた。
「…あ」
…そうだ。思い出した。
花嫁との婚礼の夜。盛大な宴が開かれ、そこでたくさんの親戚たちと踊った時だ。
花嫁にも「一緒に踊らないか?」と誘ってみたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。…一緒に踊りたかったな。
今、花嫁の隣にはレオナルドがいることだろう。自分ではないのが、とても悔しい。
そう思ったところで、自分にはもう花嫁を奪い返すこともできないのだが。
花婿はそのやるせなさを晴らすように、一心不乱に踊っていた。
悲哀、焦燥、諦念。しかし、踊ることへの愉悦。
様々な思いがこもった最高のフラメンコだ。
「はっ…はぁっ…」
さあ、いよいよ大詰めである。
花婿はより激しく足を打ち付け、ダダダダッと迫力ある音を部屋中に轟かせたのだ。
そして、最後に腕を高く上げ
「は…ッ」
ビシッとポーズを決めた。
…そんな花婿に、どこからかパチパチと拍手が送られた。
「…?」
荒い息を整えながら、その音の出どころへと顔を向ける。
「さすが。上手いじゃないか」
「…お前…いつからそこに…」
そこにはいつの間にやら死がいた。壁に背中を預け、もたれかかっている。相変わらず神出鬼没な男である。
「最初からいたよ」とくすくす笑いながら、死は花婿へと近寄り、その顔をのぞき込んだ。
「いい踊りだったね。今度 私と一緒に踊ろうか」
「結構だ」
「つれないな」
花婿の冷たい態度に、またしても死はくすくすと笑うのだった。