死にお持ち帰りされた花婿と月が穴兄弟になる話

夜の森の中、花婿は追っていた。

「はぁっ…はぁっ… くそッ どこだ…ッ」

婚礼後、姿が見えなくなった自身の花嫁とその元恋人であるレオナルドを。
馬に乗って、抱き合ったまま、まるで稲妻のような勢いでふたりが走り去って行くのを見た者がいた。
ふたりは逃げたのだ。残された花婿は、血眼になってその後を追っていた。

「…逃がさない。必ず捕まえてやる」

闇の中、動くものすべてを睨みつけるように捜していると

「……ん…?」

黒い衣装を身に纏った人物が、朽ちた大木に座り、こちらをじっと見つめていた。
…いや、顔もフードで覆われているため、こちらを見ているのかは分からない。
裸足のようで、晒された白くて長い足が月明かりに照らされ、妖しくぼんやりと光っている。
花婿はその人物へと近付き、たずねた。

「なああんた、馬に相乗りした男と女を見かけなかったか?」

花婿に問いかけられ、その人物は座ったまま顔を上げて花婿を見た。
男にも女にも見えるその人物は、にぃ…と笑みを浮かべた。

「ああ、見たよ」

声からして男のようだ。花婿は男に再度たずねる。

「本当か!そのふたりはどっちへ行った?」

「あっちかな」

「あっちか」

男が指差したほうへと花婿が体を向けると、男は今度は反対方向を指差した。

「いや、こっちかな」

くすくすとからかうように笑う男に、花婿は険しい表情で怒鳴りつけた。

「どっちへ行ったかと聞いてるんだ!」

怒りと焦りで興奮気味の花婿に怯えることなく、男は「まあお待ちよ」と立ち上がった。花婿へと顔を近付け、じっくりと見つめてから口を開いた。

「ふふ。なかなかいい男だ。でも、眠ったところは、もっとずっといい男だろうよ」

花婿の胸へと両手を添え、妖艶に微笑みながら心臓のあたりをいやらしく撫で上げる。
それにビクリと体を震わせた花婿が男から離れようとした時、男はすっと花婿から距離を取った。

「…ほら、後ろ」

男は口元に弧を描きながら花婿のほうを指差した。花婿が勢いよく振り返ると、そこには先ほどまで追っていたレオナルドと花嫁の姿があったのだ。

「レオナルド…!」

「花婿…」

花婿の姿を見たレオナルドは、花嫁を隠すように前へと出た。花婿とレオナルドは、お互い短剣を構える。
睨み合うふたりの男の殺伐とした空気に、花嫁は動けなかった。…気が付くと、あの男の姿は消えていた。
花婿は短剣をぎゅうっと強く握り締め、レオナルドへと飛びかかった。

「逃がすものか!」

「止められるものか!」

レオナルドも応戦する。ここで引く気なんてさらさらない。唯一 自分と気持ちを同じくする花嫁を道連れに、やっとの思いであの場所から逃げてきたのだ。
静かな森の中、ふたつの短剣がぶつかり合う金属音が響き渡り、火花を散らしていた。
互角の戦いだ。荒い息遣いが聞こえる。男たちはお互いの命しか狙っていない。

「はっ…」

花婿の鋭い目が、刃が、レオナルドの心臓を捕らえた。そこめがけて一気に突き刺そうとしたその時。

「…ふふ」

「…!?」

レオナルドの真後ろに、先ほどの黒い衣装の男が立っていたのだ。花婿と目が合ったその一瞬、男は不気味な笑みを浮かべた。
驚いた花婿が一旦レオナルドとその後ろの男から距離を取り、瞬きをした瞬間には男の姿はなかった。
レオナルドは花婿の行動を不審に思ったのか、警戒するように短剣を構え、より険しい顔で花婿を睨みつけた。そんなレオナルドを花婿も不審に思う。
花婿には男の笑い声がはっきりと聞こえたのだ。しかし、すぐ真後ろにいたというのに、レオナルドには聞こえなかったのか?
花婿はレオナルドを警戒しつつ、花嫁のほうをチラリと見る。…ふたりの殺し合いを震えながら見ているものの、第三者の存在には気付いていないようだった。
「あれ」は、花婿にしか見えていないというのか。

「どこを見ている!」

「ッ!」

男はまだどこかにいるのだろうか、と目線をうろうろとさせていた花婿に、今度はレオナルドが切り込んでいった。その切っ先が花婿の腕を擦り、赤い線が入った腕からは、じわり…と血が滲んだ。
後ろに下がりながら怪我した箇所を片手で押さえ、姿勢を低くしてレオナルドを睨みつける。

「…くそ…ッ」

あの男を気にしている場合ではない。今やるべきことは目の前のレオナルドを殺すことだけだ。短剣を握る手に力が込められる。

「はぁッ!」

花婿は鬼の形相で目を見開き、レオナルドへと向かっていった。
刃をかわすため、後ろに退いたレオナルドの長い三つ編みがわずかになびいた一瞬を見逃さず、花婿はそれを片手で掴んだ。

「なっ!」

後ろに下がろうとして髪を掴まれたレオナルドは、ガクッと動きが止まる。
花婿はその顔めがけて短剣を振り下ろそうとした。

その時。

誰かが後ろから花婿の目を隠した。

「…ッ!?」


「だーれだ」


その楽しそうな声は、花婿のすぐ耳元で聞こえた。

わずか数秒の目隠しだったが、それが外された時にはもう遅かった。
動きが止まった花婿の懐に潜り込んだレオナルドが、花婿の心臓に深々と短剣を突き刺したのだ。

「ゔぅッ…」

花婿は苦しげなうめき声を上げた。
レオナルドが荒く息をしながら短剣を抜き取ると、花婿は血が溢れ出て真っ赤に染まった胸元をかばうように体を丸め、ふらふら後ろへと下がった。背中に当たった木に、ぐったりと力なくもたれかかる。
花嫁は泣きながら悲鳴をあげて、花婿に駆け寄ろうとした。…しかし。

「構うなっ 行くぞ」

返り血を浴びたレオナルドは花嫁の腕を掴み、すぐさまその場を離れようとした。
追っ手が花婿だけとは限らない。先ほどの殺し合いで発した音や花嫁の悲鳴が別の追っ手の耳に届いていたら、また邪魔が入るかもしれない。ここでぐずぐずしている暇はない。レオナルドはそう考えたのだ。

「そいつはもう助からない。じきに息絶えるだろう。一度は愛した男とはいえ、もの言わぬ死体と朝まで一緒にいたいのか」

レオナルドの言葉に、花嫁は大粒の涙を流しながら花婿を見た。
血を吐いている口から微かに聞こえる弱々しい呼吸は、今にも止まりそうだった。
目もだんだんと虚ろになっていき、もういよいよという感じだ。
口元を手で隠していた花嫁は、ぎゅっと目を閉じた。
…愛した人に訪れるその瞬間なんて、絶対に、絶対に…見たくない。
花嫁は涙でぼやける視界のなか、震える声で「ごめんなさい…ごめんなさい…っ」と何度も呟きながら、花婿に背を向けレオナルドと共にその場を離れたのだった。

…瀕死の状態でひとり取り残された花婿は、霞がかった視界の中 逃げていくふたりの小さな背中をぼんやりと見ていた。
もう痛みもほとんど感じない。自分がまだ息をしているのかも曖昧だった。
もうすでにあのふたりの姿はどこにもない。
自分はレオナルドと花嫁のように逃げることはできなかった。裏切られたというよりは、見放されたのだ。
そんな自分がここで独り息絶えるなんて、まるで約束されたかのような最期だ。
あの自分にしか見えていなかった黒い衣装の男は、今思えば死神かなにかだったのだろう。
…もう考えるのも億劫だ。瞼が重い。花婿の意識は、もう少しでなくなろうとしていた。

そんな花婿の前に現れたのが、例の黒い衣装の男…「死」である。

「おやおや。可哀想に」

死は立ち往生しそうな花婿を支えるように、その逞しい体を抱きしめた。
…花婿も誰かに抱きしめられたような感じはしたが、それが誰なのか確認もできずそこでついに意識が途切れた。
死のほうへと花婿は力なく倒れ込む。

「おっと」

意識がない自分より大きな男にもたれかかられ、死は少しだけ後ろへとふらついた。
そして、その瞬間に分かった。

「…ふふ。堕ちたか」

花婿の命は尽きてしまったのだ。

彼の最期は、死の腕の中だった。
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