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Credo ―我は信ず―



 この状態を目覚めた、と言って正しいものか。
 目覚めたはずの少年は、始終ぼんやりと宙を見つめ、口を開くことすらなかった。
 食事は取らない。
 水も飲まない。
 だが、ルカからは死なせるなと厳命を受けていた。
 殺せではなく、死なせるな、と。
 普通のものたちなら驚く指示なのかもしれない。
 だが、クレメンスの知る皇子は決して無意味な殺人は行う人ではない。
 世間で言われる“狂皇子”の名はクレメンスにはなじみがない。
 むしろ、冷静な目を失わない、有能な為政者。
 戦場においての顔をクレメンスは知らない。
 知らなくても、政治に向かう皇子は狂っているようにはまったく見えなかった。
 あのような冷静さと知性を持った人が狂っているなど、ありうるだろうか。
 それが、クレメンスには理解できない。
 あの皇子が、狂っているとささやくものたちの気持ちが。
「そうは、思われませんか?」
 返事など帰ってくるはずもないのに。
 だが、皇子がその命を助けようと願った人だから。
 もしかしたら、同意してくれるのかもしれない。
 そう願った。





 同志がほしい。
 あの皇子を認める人が。
 一人の人間として、優れた為政者として、冷静な目をもってルカを見てくれる、仲間が。
 ソロンがそうであったはずだった。
 だが、戦場に同行するようになってから、彼は変わりつつある。
 同僚は誰もが皇子を恐れ、厭う。
 クレメンスは、孤独だった。
 たった一人で、皇子を心から支持している、そんな気分だった。
「・・・あの方は、狂ってなどいない・・・」
 はい、とも、いいえ、とも。
 やはり、返事は返らなかった。





 水で唇を湿らせ、根気よく語りかける。
 それはクレメンスの仕事となった。
 女官達は自分達が触れてもしもの事があれば命はない、とおびえて使い物になどならなかった。
 それに、少年の様子がそれに拍車をかけたのは間違いない。
 作り物じみた顔。
 表情もなく、深遠の闇のような瞳で、ただ宙を見つめ続ける少年を、誰もが不気味と遠ざかった。
 水も、食べ物も口にしない、それでも生きている彼を、人間ではないとおびえていた。
 だが、クレメンスにはそれが、まるで生きることを拒否しているように見えたのだ。
 生きたくない、と少年の全身が叫んでいるような気がした。
 助けたかった。
 同時に、許せないと思った。
 なぜかはわからないが。
 この世はそれほどに辛いか。
 だが、それは誰もが等しく抱える重みだ。
 逃げることなど許さない。
 そう思った。
 それほどに、クレメンス自身も追い詰められているのか、と自嘲した。
 少年が何の反応もしないからこそ、色々なことを考えさせられる。
 名前も、身分も、ここに連れてこられた理由も、全て彼が目を覚ませばあきらかになると期待を抱いていただけに、何も進まない、何もわからない現状が、人形のような少年が、そして、日々遠ざかる主が、全てがままならない状態で無為な時が過ぎていく。
 少年の目が開いてから、5日がたとうとしていた。



「おい」
「――――ルカさま」
 少年を預けたきり、顔を出しもしなかった皇子がそこにいた。
 数日前に、少年が目を覚まして、それ以来食事も水も取らないと報告したとき、顔をしかめただけだったのに。
 なぜ、今現れたのか。
 つかつかと室内に入ってきた皇子がそれでも反応すらせずまっすぐ正面に視線を漂わせる少年の襟首をつかんだ。
「ルカ様!」
「・・・・・・・・・・・・・ふん」
 どさっと片手で持ち上げた少年の身体をベッドに放り出す。
 その扱いの荒さに一瞬身がすくんだ。
 少年の身体は細い。
 皇子にそのような扱いをされたら、壊れてしまいそうに。
 ほんのわずかな力でつかんでも赤くなりそうな
 それでも、少年は声もあげず、表情も動かさなかった。
 今のは、危険を感じただろうに。
 それでも反応しないのか、と正直ため息が漏れた。
 くるりと踵を返したルカが退室直前にふりむいてにやりと笑った。
「そいつを、連れて来い」
「どちらへ?」
 いつもは答えない主はおどろくほどあっさりとその言葉を言った。
「闘技場だ」
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