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Kyrie ―哀れみたまえ―




「君は、だれ?」
 そう尋ねるその瞳に、唇に、俺はふらふらと近寄りかけて…はっと脚をとめた。
「・・・・・悪い。なんでもない」
 まずい、と思った。
 初対面だ。
 なのに、こんなにも惹かれることが、おかしい。
 右手の甲が、疼いたような気がした。
 次の瞬間。
「―――――っ」
 ぐっと、左手で右手を握り締める。
 有無をいわさず引きずられそうな、力だった。

 まさか。
 こいつに目をつけたのか?
 出会ったばかりだ。
 好きでも、なんでもない。
 なのに・・・っ

「う・・・っ」
 動き出そうとするソウルイーターをとどめるのは、いつだって、苦しい。
「だいじょうぶ?」
 そっと背中に当てられた手に、ぞっとした。
「――っ俺に触るな!」
 とっさに、手を振り払った。
 その一瞬の、痛そうな顔が、ずしり、と心にのしかかった。
「触らないで、くれ・・・・・・だいじょうぶだから・・・」
 ふれられたら、どうなるか自分でもわからない。
 ただ、間違いなく言えることは、ソウルイーターが俺の制御を振りきって、こいつに襲い掛かるだろう、ということだった。
 身体を丸めて
「だいじょうぶ、なんだね?」
 声を出すことすらできずに、一度、頷く。
 そいつは一言、わかった、とだけ言った。





 どれくらいたったかはわからなかった。
 身体中、冷や汗というか脂汗と言うか…嫌な汗がにじんでいて、気持ち悪い。
 俺は、がくがくする膝に手を当てて上半身をかがめながら大きく息を吐き出した。
 今回のは、最近ちょっとないぐらい激しい抵抗だった。
 やれやれ、と視界の端に写ったベンチによろよろと座り込んで天を仰いだ俺の目に映ったのは、そこに当然在るはずの青空じゃなかった。
 さっきみた、金色が、俺を覗き込んでいた。 
「もう、だいじょうぶ?」
「・・・いなくなったかと思ってた」
 あのあと、声をかけてこなかったし。気配も感じなかったから。
 そういうと、そいつはちょっと眉をひそめた。
「具合が悪い人を置いていくほど卑劣ではない」
「・・・・そっか。悪い」
 閉じた目の上に、ひんやりとした感触が触れた。
「・・・っ」
「少し、冷やしておくといいよ。疲れが取れる」
 びっくりした俺の耳に、静かな声が聞こえた。
 そうして、ようやくそれが布を水に浸したものだ、とわかる。
 よかった・・・むかし見た子ども殺しの方法を思わず思い出して身体がこわばった。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 静かな気配が隣に落ち着く。
 どうやら、付き合ってくれるつもりらしい。
 だが、それはちょっと遠慮したかった。
 紋章の暴走は、間違いなくこいつが引き金だ。
 もう一度さっきのような暴走が起こったら、抑える自信はなかった。
「・・・・・・つき合わせて、悪い」
「言ったはずだよ。具合の悪い人を置いてはいかない」
「・・・もうだいじょうぶだから」
 早く、行ってほしい。
 どうか、この紋章に魅入られる前に。
 きっと、この人の魂はひどく美しいのだろう。
 ソウルイーターが人目で気に入るほど。
 俺だって、目が離せなかった。
 その輝きに。
 その全てに。
「一人で立てるようになったら帰る」
「・・・・・・頑固だな」
 どう考えたって、俺は側にいてほしくないって態度で表しているし、どんな人間だってここまであからさまに追っ払おうとされれば付き合
いきれずにいなくなるだろう。
 実に頑固だった。
「・・・知り合いが、迎えに来るんだ」
「知り合い?」
「そ。おれ、旅人だから・・・住むとこと仕事世話してもらった」
 だから、だいじょうぶだ、と。
 早く側からいなくなってほしい。
 本当に、こうしていても強烈な吸引力が働いているのがわかる。
「ほんとうに?」
「本当だって。きれいなおねえさんが迎えに来てくれるからさ」
 この人ほどじゃないけど。
 心もすがたも、声も、ちらっと見ただけだけど、動きも、全部きれいだった。
 まるで、宝石のような人。
「…その人が来るまでいる」
「・・・・・・・やめてくれよ」
 げっそりした。
 正直、気をつかってくれるのはありがたい。
 心配してくれるのもありがたい。
 だが、さっき出会ったばかりの赤の他人・・・しかも無愛想で自分を拒否しているような人間にどうしてここまで気にするんだ。
「あんた、いいとこの子だろ?親が心配してんじゃないのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 図星だったらしい。
 一気に黙り込んで・・・複雑そうなため息をついた。
「心配性すぎるんだ」
 その声音があまりにもげんなりしているように聞こえて、おれはおかしくなった。
「ほんとに、助かったから。見ず知らずのおれにここまでしてくれて感謝してる」
 できるだけ、声が平坦になるように。顔も表情がでないように。
 そう心がけて。
「だから、もう帰ってくれ。側にいられるの、苦手なんだ」
「・・・・そう」
 それでもしばらく座っていたけれど、思い切ったように立ち上がった。
 そのまま去っていこうとするのに気づいて、慌てて布を取りあげる。
「あ、これ・・・」
「いいよ。あげる。・・・身体には気をつけて」
 ゆったりと帰っていく後姿。
 気品、というのだろうか。
 なんともいえない美しさと・・・なんというか、色っぽさが同居しているようだった。
 こびるような色気ではない。毅然とした姿からかすかににおいたつような、まだ若いつやっぽさだった。
 たぶん、挙措の美しさ、なめらかさがそうおもわせるのかもしれない。
 視線が、知らずその背中を追っている。
 俺だけじゃない。すれ違った人も必ず振り返って見つめる。
 美しさのせいじゃない。
 たぶん、彼の存在そのもの。
 それが、皆を惹きつける。その姿に注目させずにおかない。
 魅力的で、強い存在感。
 ぐっと、収まった右手を握り締めた。
 二度と、会わないことを祈って。



「テッド」
「・・・・ってテオさま!?なんで?」
 そこにいたのは、さっき街に入る前に見かけた正装姿のテオさまだった。
 クレオさんじゃないのか!?
「最初から私が迎えに来る予定だったんだ」
「・・・・・・それならそうといってくれ」
 ああ、びっくりした。
「私が一番暇だからな」
「暇・・・?」
 普通、大将が一番忙しいだろう。
 大体、皇帝に呼ばれてたんじゃないのか。
「早くユエのところに帰ってやれ、と気を使ってくれる」
「そうなのか・・・」
 普通はそんなことないだろう。
「で?本当のところは?」
 軽く目を見張ったテオさまが苦笑した。
「皇帝陛下の側に近づけまいと警戒されてるだけだ」
「・・・・・・それって」
「ミルイヒがいる。必要あらば駆けつける。今はそれで十分だ」
 そう言い切って、テオさまはふっきるように笑った。
「さあ、行くか」
 

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