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Kyrie ―哀れみたまえ―




「―――――――っ」


 まだ手の中に感触が残っているような気がする。
 気持ちを落ち着かせようと腕に爪を立てる。
 鼓動がうるさい。震えが止まらなかった。


 一日だって、忘れたことはない。

 紋章を狙ってきた魔女たちから幼かった俺を助けてくれた人たち。
 何人かいたのは覚えてる。けれど、はっきりと覚えているのは一人だけ。
 俺を助けに来てくれた神様かと思ったから。
 優しい微笑と、つないでくれた暖かい手と。
 別れるときに、一滴だけその頬にこぼれた涙。
 今でもはっきりと思い出せる。

 ずっと心の支えだった。
 いつか会うのだとそう願って世界中を旅した。
 魔女の手から逃れるための旅でも、魂を喰らうための旅でも、歩いてこれたのは“彼”がいたから。 けれど、振り返ってみれば・・・すでに“彼”が生きているはずのない長い時間を渡ってきていた。

「くそ・・・ッ」
 ありえるはずがない。
 そう自分に言い聞かせても、震えは止まらなかった。
 もう、幾度この夢を見ただろう。
 繰り返される夢。それが、ソウルイーターの見せている夢だと気づいたのもはるか昔。

「・・・・・・あれ?」
 ふと、自分のいる空間の違和感に気づいた。
 白い布の天幕。空は明るいらしく天幕の中も明るい。寝かされているのは寝台の上で。来ているものも、清潔な夜着だった。
 天幕に誰かが近づいてくる気配に、顔を上げる。
 入り口に張られた布が跳ね上がった。
「気がついたか?」
 突然かけられた声に、体は勝手に反応していた。
 いつでも使えるように右手を握って。
 声のほうに顔を向けると… 
「・・・・・・・アンタは」
 少なくとも、見たことのない顔だ。
「安心しろ。戦いは終わったし、君の怪我は腕だけだ。ここは私の天幕で、赤月帝国領内。傷はどうだ?」
「・・・・・・なんともない。治療してくれたのか?礼は言う」
 助けてくれたことといい、治療といい、ずいぶん親切なおっさんだとおもう。
 この天幕はずいぶん立派だから、かなり上の方にいる士官なんだろう。
 ・・・・・・昔、軍で下働きしていたから、それぐらいはわかる。
 おっさんは、椅子を持って俺の前まで来た。
「警戒しなくていい。危害を加えるつもりはないし、今の私は丸腰だ。紋章もない」
 ほら、と右手を見せて笑うおっさんに一応緊張は解く。
 ただし、ソウルイーターだけは準備しておく。
 油断してはならない。
 何が起こるかわからないのだから。
 あの魔女が、いつあらわれるかわからないのだから・・・
 けど、おっさんは何をするでもなく俺を見つめているだけだった。
 それも、かなりうれしそうに。
「・・・・・・なんだよ」
「私にはお前と同じ年頃の息子が一人いる」
「・・・それで?」
 同じ年頃?俺は三百歳だっての。
「お前を見ていると息子を見ているようでうれしい」
「親ばかかよ」
 思わず口走っていた。
 無礼なって殺されたりして。
 見れば男は目を丸くしていた。
 そして、突然笑い出す。
「親ばかか。それはいい。確かに親ばかかも知れんな。息子が可愛くて可愛くてしょうがない」
「それを親ばかって言わずしてなんていうんだよ。誰も言わなかったのか?」
「言わなかったな。私はほとんど息子の側にいないし、息子もたまに家に帰っても甘えることもない。親ばかか。新鮮な喜びだったな」
 やっぱり親ばかじゃねえか!!思いっきり!
 この親ばかさ加減はつい最近見た覚えがあるぜ。
 ああ、そうだ。ワイアットじゃねえか!ワイアットのクリスみて溶けてる顔にそっくりだ!
 外見はゲドのおっさんみたいなのに中身はワイアットか。うげ。
 いい年して馬鹿じゃねえ?しかも息子俺と同じぐらいの年ってことは14.5だろ。その息子捕まえて可愛いって……小さな娘に溶けてる方がましじゃねえか。
「で?」
「息子はこんな風に育っていたのかと思ってな」
「違うのか?」
 クリスみたいにファザコンに育ってると思ったのに。
「違うな。あれはもっと可愛げがない」
「・・・・可愛げ?」
「外見は母親にそっくりで美人なのに中身は大違いだ。頑固でまじめで私にも馬鹿丁寧だ」
「そのうち息子に敬語を使われるなんてパパは悲しいとかいいだすなよ」
「そうやって息子に泣きつけば少しはなついてくれるかも知れんな」
 まじめに検討するなよ・・・・息子は嫌がると思うぞ。
「小さいころに家にいなかったからかもしれんがグレミオにばかり懐いて私にはさっぱり甘えてくれない。悪態でもついてくれれば楽しいのに」
「・・・・・・楽しいのか」
 脱力。
 重度の親ばかだ。
「俺と似てんの?」
「いや似てないな。息子は黒髪で真っ青な目で顔も私に似ないで美人の母親に似ている。体も同年代より小さくて力も弱い。君の目線ぐらいまでの身長しかないだろう」
 ・・・めちゃめちゃちっちゃいな。
 140センチぐらいか。
「頭もよくて腕もたって実に将来有望で自慢の息子だ」
「はいはい。でも甘えてくれないから寂しいんだろ」
「よくわかったな」
 さっきからそれだけ言われれば誰でもわかるって!!
 どうなってんだ、このおっさんの頭の中!?
「だが、君は明るいが、妙に悟ったところがあるな。まるで……」
「テオ様?」
 女性の声がして天幕の入り口にかけられた布が跳ね上げられた。日の光が差し込む。
「クレオか」
「失礼します。・・・おや、目がさめたんだね。熱は?」
「ありません」
 きりっとした印象の女性だった。軍人だろう。身のこなしに隙がない。
「今、月が私に懐かないという話をしていたんだ」
「月さまはテオさまを尊敬していらっしゃるんです。そんなこと言われたら泣いてしまいますよ」
「不器用なやつだ。誰に似たんだか」
「月さまはテオさまにそっくりです。親子ですね」
 手に持っていた荷物をテーブルの上に降ろす。俺の着ていた服と荷物だった。
 血がついて、ただでさえボロボロだったのがますます襤褸になってる…どっかで調達しなきゃな…
「その子でも着れそうな服を持ってきました」
 広げられた服はさっきまで着ていたものよりずいぶん上等そうだった。
「おお、似合いそうだ」
 水色を主体にした赤月風の衣装。
「こんなものもらっても・・・・」
「いいから持っていけ」
 ありがたく受け取る。
 前の服はぼろぼろだしな。
 もらえるときにはもらっておかないと。
「それで、テオ様。その子に話は訊いたんですか?」
「いや、まだだ」
「・・・・・・・・・テオ様」
 じろり、と冷たい目。
 いいなあ・・・こういう勝気なお姉さん好きだなぁ。
「きちんと話を聞いて調書を取っておかないとまた文官にごちゃごちゃ言われますよ」 
 ・・・調書取りにきてたのか。世間話にきたのかと思ってたんだけど・・・
「うむ・・・」
 コホン、と咳払いを一つして、おっさんは姿勢を正した。
 さっきまでとは別人のような威圧感がある。
 きっと名のある将なんだろうな。
「私にも勤めがあるからな。先に聞いておくとしよう」
 ・・・・・・さっきまで俺にのろけ聞かせてたのはどこのどいつだよおっさん。
「どうして君はこの赤月帝国に?」
 お決まりの質問に用意していた答えを返す。本当半分嘘半分。
「俺戦争孤児だからさ、家がないんだ。いろんなとこ旅して歩いてるんだけど冬になったから南に下ろうと思ってきた」
「南へ?なぜだ?」
 んな当たり前のこと訊くなよ!
「冬に野宿はつらいんだぜ、おっさん!」
「・・・そ、そうか」
 野宿野宿…とつぶやいている。
「ふむ。どこまで行くつもりだ?」
「今年は赤月帝国でうろうろしようかなって思ってる。豊かだからどっかで住み込みで働かせてもらえるかもしれないだろ?」
「そうか。ならうちで働くか?」
「は?」
 うち?おっさんの家?
「冗談かい?」
「いいや。我が家は金持ちだ。住み込みの使用人も何人もいるし、いまさら一人や二人養ったところで痛くも痒くもない。それに・・・君に怪我を負わせてしまったようだし、治るまでは家にいるといい」
「はぁ・・・・・・それで、俺は何をすればいいんですか?下男とか…」
 雇い主になるらしいからな。敬語ぐらいは使っておかないと。
「…そうだな。息子の話し相手でもしてくれ」
「話し相手?」
 下働きでも馬番でもなく?
 ふつー貴族とかいいとこのお坊ちゃんがなるもんじゃないのか?それって。
「私の息子は身分の等しいものがいなくて友人がなかなかできないらしい。友になってやってくれ」
「・・・あんたの息子と友達になるかはそいつに会ってみないとわからないぜ。悪いやつだったらなれないし」
 破顔一笑。
「それでかまわん!そういう人間が月には必要だ!」
 それでいいなら、とうなずく。
 願ったりかなったりだ。一年もいるつもりないしな。
 それまで黙って聞いていたお姉さんが俺に笑顔で左手を差し出した。
 右手で握手するつもりはなかったから、ありがたい。
「私はクレオ。テオ様の配下だ。お屋敷にも住まわせていただいている。これからよろしくな」
 軍人さんかぁ…魔力高そうな人だな。
「名前は……」
「そういえば訊いていなかったな」
「テオさまったら・・・今まで何話してたんですか!?」
「そういうな、クレオ。勘弁してくれ」
 部下のそんな態度にも鷹揚に答えるその姿から、どんな将かわかる。
 戦場ではもっとも強いタイプの将。
 部下に信頼され、度量も深い。
 奇策をもちいず、正面から正々堂々と戦うタイプの将だ。
「少年、名前は?」
「…テッド」
「私はテオ・マクドールだ。よろしくな」
 百戦百勝将軍テオ・マクドール!
「アンタ・・・いや、あなたがテオ様?」
「名前を知っているのか?」
「テオ様の名前を知らない人なんていませんよ。さ、テッド君、包帯を取り替えさせてちょうだい」
 右手をとられて、あわてて奪い返した。
 ただそれだけの接触でも、ぞろりと肌の下にうごめく感触がある。
「あっあの!…右手の包帯だけは…」
 ソウルイーターを隠す包帯。
 見せちゃだめだ。
 赤月帝国が、真の紋章を狙わない保証なんてどこにもない。
「昔戦争に巻き込まれたときに右手にやけどしてて。…誰にも見られたくないからはずさないでください」
 驚いた顔。
「・・・そうか、すまない」
「いいえ…」
「でも・・・・・・」
「クレオ」
 おっさんに名前を呼ばれて、お姉さんが黙り込む。
 けれど、その目は右手をしきりに気にしている。
「あの、家も別のところにすんでもいいですか?どんなボロでもいいんで…」
「それなら近くに今は使っていない古い家がある。それでいいならそこに住んで通うといい」
「ありがとうございます。わがまま言ってすみません」
「かまわん。どんどん言ってくれ。息子にもな」
 きょとん、とした。
 話し相手、とはいえ相手は雇用主の息子だ。
 んなことしていいのか?
「わがままでいっぱい振り回してやってくれ。それが友人の醍醐味というものだ」
 友人がいないってことは嫌なやつってことじゃないのか?
 だが、文句は言えない。
 これでこの冬の間の食事と住居は保障されたんだ。
 どんな嫌なやつでもかまわないさ。
 もしかしたら、いいやつかもしれないしな。
「長居してすまない。ゆっくり休んでくれ。明後日にはグレックミンスターに帰る」
「はい」
 
「あの、テッドくん?怪我をしているなら、治療の道具だけおいていくから・・・」
「・・・・・・え?」
 驚いた。
 あまりに思いがけなくて。
「いえ。べつに・・・・・・」
 ソウルイーターは、宿主を守るために驚異的な治癒力をも与えてくれる。
 他の真の紋章にはない能力みたいだから、ソウルイーターの性質によるものだろう。
 だから、怪我なんてあるはずがない。
「でも、ずっと気にしているでしょう?」
「・・・・・はい?」
「右手。さっきからずっと触って痛そうな顔をしていたから、怪我をしているのかと・・・」
「・・・・・・・・・・・・!!」
 はっきりと、顔色が変わるのがわかった。





 夢。

 刻み込まれた苦痛
 
 唇を彩る血の赤

 どこまでも澄み切っていた青は、恐怖と絶望に濁って





 ぎゅっと、手を握り締めた。
 思い出した途端に、血のぬめりが、その重みが、あふれるようによみがえった。
「なんでも、ないです」
「でも・・・」
「ほんとに、大丈夫・・・怪我は、ないから」
 早く、でていってほしかった。
 側に、誰もいてほしくなかった。
 それを察したのか、おっさんがお姉さんを促す。
「クレオ、いくぞ」
「は、はい」
「テッド、何か必要なものがあれば言ってくれ」
 そのまま、二人が出て行くのを見送って。
 もう、震えが止められなかった。
 生暖かい首の感触が、手に触れた髪の感触が、薄れなかった。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 
 笑っていた。
 

 あの人の首を抱きながら、笑っていた。

 あの人の首を抱いて、笑っていた、俺。

 初めてみた夢じゃない。

 何度も見た夢だった。
 

 でも


「なんで・・・・・・」
 

 ぽつり、と言葉が漏れた。
 
 だって。
 

 こんなに、生々しく感触が残ったことなんてない。


 何かが近づいている。

 そんな、気がした。

 



 どうか・・・・・・どうか、ただの夢でありますように。
 あの人に、不幸な運命が訪れませんように。
 神さま・・・・・・どうか・・・・・・・・・・・・・・・



 

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