第一章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あの後、伊黒から聞かされた話は綾乃にとって予想外なものばかりだった。
ーー……記憶を持ち合わせていない者は煉獄だけではない。
そう話し始めた彼は大きくため息を吐くと、何やら可愛らしいチャームを取り出した。
「…‥伊黒先生、なんですかこれ?」
「これは甘露寺がデザインした……猫だ」
「……ねこ?」
大きな目にゲジ眉が描かれたそれは猫というより犬に近い様にも思える。
それを大切そうに再びポケットへと仕舞い込んだ先生は、彼女がこの学園の卒業生だったことや、今は近くの芸術大学に在籍していることを口にした。
そして最後に、甘露寺は俺たちの事を何も覚えていなかったと続けたのだ。
それを黙って聞いていた綾乃は、なんと声をかけるべきかと思い悩む。
きっと彼なりに同じ境遇である自分を慰める為にそんな話をし始めたのだろうが……前世の二人を知る者としてはそれがどんなに辛い事か、考えるだけで胸が張り裂けそうだった。
しかし実際は綾乃の考えとは違ったようで……
「ところで山本、この辺りで流行っているスイーツの店を知らないか?」
「……へ?スイーツ、ですか?」
「……甘露寺を誘うつもりでいたが、俺は甘いものが苦手でな。誰から聞こうかと考えていた所に、のこのことお前がやって来た」
「は、はあ……」
こういう事は女性の方が詳しいだろうが、胡蝶姉に聞けばたちまち職員室中に広まるのは目に見えているからな…‥そう続けた伊黒は、一応山本も女だろうと何とも失礼な一言を口にした。
ツラツラと言い訳は並べているが、要は今でも彼は蜜璃ちゃんの事を想っていて、振り向いてもらおうと必死なのだ。
それこそ記憶の有無なんて関係ないのだろう。
あの頃、頬を染める蜜璃ちゃんの隣にはいつだって伊黒さんが他の男たちへと目を光らせていた。
きっと今だって変わっていないだろう二人を思い浮かべ、綾乃は少し胸につっかえていたものが軽くなった気がした。
「伊黒先生、私まだ引っ越してきたばかりですよ?どちらかと言えば、私が教えて欲しいくらいです」
「………使えん奴め」
「えー、理不尽ですよ」
クスクスと笑みを浮かべる綾乃に、伊黒は呆れたようにため息を吐く。
そして無駄骨だったと呟くと、そちらから呼び出した癖に早く帰れと言わんばかりにシッシッと手を動かした。
そのまるで犬にするかのようなジェスチャーに、綾乃は思わず苦笑いを漏らす。
「ふふっ、…‥お力になれずすみません。でも蜜璃ちゃんなら、どんな店でもきっと喜びますよ?」
「ふんっ、…‥貴様に言われるまでもない………暗くなる前に帰れ。ああ、それから……俺の授業で惚ける事があれば……次はないからな」
「あはは、は、は……すみません。じゃあ、先生さようなら〜」
最後は脅しのような言葉を口にした伊黒に、綾乃は困ったように眉を下げると、足早に教室を後にした。
******
夕暮れの校舎。
外から聞こえる運動部の掛け声を聞きながら、綾乃は一人廊下を歩いていた。
「想いを諦める必要もなければ一人で抱え込む必要もない、か……」
ぽつりと呟いた言葉が、胸の奥にストンと落ちる。
この一ヶ月、杏寿郎さんを忘れようと無意識に彼を遠ざけていた。
毎日のHR、授業では出来るだけ目があわないように下を向いていたし……
「山本、お婆様の具合はどうだろうか!!」
「あ、はい。大丈夫です……えっと。先生、私この後用事がありますので……失礼します」
話しかけられる事があれば端的に答えて彼の前から逃げ出していた。
だけど無意識とは名ばかりで、気づけば杏寿郎さんのことで頭がいっぱいだったし、きっと彼にも不審がられていたに違いない。
そんな事を思いながら綾乃が渡り廊下を歩いていると、反対側から正に今頭を悩ませている彼がこちらに向かって歩いてきた。
「む?山本、まだ帰っていなかったのか?」
「……煉獄先生」
******
廊下の向こうから近づいてくる綾乃に思わず声をかけてから、煉獄はしまったと口を閉ざす。
「…………実は伊黒先生の授業で少し考え事をしてしまって……叱られちゃいました」
だが、そんな煉獄に向かって、綾乃は遠慮がちではあるものの、帰りが遅くなった理由を口にした。
まさかそんなきちんとした返事が返ってくるなんて思ってもみなかった煉獄は、暫し動きを止めた後、心配そうに問いかけた。
「考え事、か…… 山本はまだこの学園に来て日も浅い。何か悩み事があるなら……俺がいつでも相談にのるが……」
そうは言ってみたものの、相談などされる訳はないか…と、煉獄は人知れずため息を吐く。
この一ヶ月、事あるごとに彼女は自分を避けているようだった。何が原因かは分からないが恐らく嫌われているのだろう。
〝不死川や、竈門少年……他の者達とは普通に話しているのにな〟
自分だけ冷たい反応を取られている事に少なからず落ち込んでしまう。
しかしそんな事を考えて項垂れる煉獄に、少しだけ戸惑うような仕草を見せた後、綾乃は小さな声で問いかけた。
「………もしも、先生が大切な人に忘れられていたら……煉獄先生ならどうしますか?」
「むう?大切な人?」
「いえ、た、例えば……お世話になった恩師、とか……最後に会った時、さよならも碌に言えなかったんです。いっぱい伝えたい事があったのに……」
綾乃からの予想外の質問に煉獄は腕を組み考え込む。
その姿に、問いかけた当の本人はアワアワと何やら説明を繰り返しているが……
それを要約するに、久々に再会した知人が自分を忘れていた……といった所だろうか。
「むう、……なるほど。山本の言いたい事は理解した!!その上でなんだが、俺はあまり人から忘れられた経験がない!!なんせこの髪色だからな!!」
「……ああ、はい。」
ハハハッと笑い飛ばした煉獄に、綾乃はそれはそうだろうと彼を見上げた。
あの頃と変わらない髪色は夕陽に照らされキラキラと輝いている。
その綺麗な炎色をぼうっと眺めていれば、ニカッと満面の笑みを浮かべた煉獄と視線がかち合った。
「だから此処からはあくまで想像だが、もしも俺が恩人に忘れられていたとしても……再び出会えたのだろう?ならばその出会いを大切にしないとな!!」
「…‥出会いを?」
「うむ!!君達はまだ若い!!別れもあるだろうが当然出会いだってある!!いつまでも過去に囚われていては勿体ない!!……それよりも、再び出会えたのだから、今度こそその恩人とやらに自分の想いを伝えるべきだ」
はっきりとそう言い切った煉獄に、綾乃は困ったように眉を下げた。
昔と変わらない明朗快活な人柄に、綾乃はそれが出来たらどんなに幸せだろうかと息を吐く。
けれども、そのたった一言で昔の自分が救われたような気がして、無意識に口元が弧を描く。
「煉獄先生、ありがとうございます。私、うじうじ悩むのは辞めにします」
「ハハハッ、俺は思った事を口にしたまでだ!!」
「いえ、なんだか先生の言葉に背中を押してもらった気がします」
そう言ってにこりと微笑んだ綾乃に、煉獄は驚いたように目を見開く。
『杏寿郎さんの言葉にいつも背中を押してもらってるんですよ?』
一瞬だが……
黒い服に身を包んだ少女が、綾乃の笑顔と重なって視えた。
「じゃあ今日はこれで帰ります。煉獄先生、ありがとうございました」
「……ああ、気をつけて帰るように!」
しかし、綾乃の言葉にハッと我に帰るように返事を返した煉獄は、その背を見送り首を傾げた。
先程の光景は一体何だったのだろうか、とー……