第一章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
綾乃に促され、緊張した面持ちで杏寿郎は部屋の中へと足を踏み入れた。
だがその直後、目に入った光景に先程まで考えていた言い訳はあっという間に頭の片隅へと飛んでいく。
「すみません。今病院へ持って行くものを整理していたので少し散らかっていて」
彼女の言葉通り、鞄の横に置かれた衣服は恐らく祖母に届けるものだろう。
だがそれが置かれていたとしても気にならない程に、この部屋には物が少ないのだ。
キッチン横の冷蔵庫、それから小さな机がぽつんと置かれているだけで。
年頃の娘が住むにはあまりにも殺風景な室内に、杏寿郎は驚きながら口を開く。
「いや、散らかるどころか……随分と物が少ないんだな」
「ああ、…そうですね。私が住むだけでしたので、荷物は必要最低限しか持ってきていなくて」
そう言って苦笑いを浮かべた綾乃は、クローゼットから座布団を取り出すと杏寿郎の前に差し出した。
「ああ、すまないな……本当は竈門少年も山本の事を心配していたのだが、弟が熱を出してしまったようで今日は来られなくなってしまってな。せめてものお詫びにと沢山パンを頂いてきたのだが…」
「だからそんなにパンがあるんですね。炭治郎君もそんな事気にしなくていいのに」
「竈門少年は優しい心の持ち主だからな!」
「ふふっ、本当に……でもせっかく煉獄先生に来て頂いたのに、おもてなし出来るものがなくて……良かったらお茶をいれますので、少しだけ待っていて貰えますか?」
それからくるりと向きを変え、キッチンでお茶を用意し始めた綾乃の背中を見つめて杏寿郎は眉を下げた。
同僚からの忠告ばかり気にしていたこの数日。
たった一人の家族が病魔に襲われ、難しい手術を受けている。大の大人でも不安に押し潰される状況を、彼女は一人この部屋で何を思って過ごしていたのだろうか。
そう考えれば考える程、何故すぐに彼女の元へ訪れなかったのかと自分の行動を悔やむばかりである。
「…… 山本は、寂しくはないのか?」
そんな事ばかり考えていたせいだろう。
お茶を乗せたお盆を手に戻ってきた彼女に、無意識に思った事を口にする。
しかし、その質問にぱちぱちと瞬きをした綾乃の様子に、無神経な言葉を口にしたと直ぐに後悔した。
「……そうですね。寂しいと思った事が無いわけではないですけど」
だが、杏寿郎の思いとは裏腹に彼女は笑顔で言葉を続けた。
「キメツ学園に転校してから、自然と寂しいと思うことも減ったんです。不思議ですよね?勿論祖母が手術を受ける時には不安もあったんですが、先生や友達が傍にいてくれるから、何だか心強くって」
「山本」
「ああ、でも……」
それからちらりと視線を下ろした綾乃は、杏寿郎が持ってきた大量のパンを視界に捉えると笑みをこぼす。
「先生が来てくれて安心しました。私1人じゃ、そんなに食べきれないですから」
「む?確かに竈門少年は沢山くれたが……食べきれない程ではないぞ?」
「……先生の胃袋と一緒にしないで下さい」
そう言ってクスクスと悪戯に笑う綾乃に、杏寿郎も笑い声を上げる。
「ハハハッ、それは失礼した!!ではお言葉に甘えて、少しご馳走になるとしよう」
「ふふっ、はい。いただきましょう」
それから笑顔でパンを頬張り始めた杏寿郎だが、思ったよりも彼女が元気でよかっただとか、ましてや美味しいパンが食べれて良かったなどという思いは自然と湧いてこなかった。
それよりも平気だと笑う目の前の少女がどうしても心配でならなかった。
彼女の境遇を思えば、きっと今までも誰かを頼る事もせず……もしかしたら、弱音すら吐ける相手がいなかったのかもしれない。
けれども、寂しさや不安は誰しもが抱くもの。
ましてや、彼女はまだ高校生だ。
〝この笑顔が曇らぬよう、俺が少しでも支えになれればな……〟
ニコニコと笑う綾乃を見つめながら、杏寿郎はそんな事ばかりをグルグルと考えていた。
******
それから三日 ー……。
綾乃は当初の連絡通り、週明けから学校へと登校し始めた。
それに加えて、彼女の話では祖母の術後は安定しているようで、痛みも段々と落ち着いてきていると話していたから一安心ではあるのだが……
杏寿郎には一つだけ大きな気がかりがあった。
「という事があったんだがな!」
「………(もぐもぐ)」
それは同僚からの忠告を、無視してしまったという事である。
冨岡は山本なら大丈夫だと言っていたが、やはり顔を見に行って良かったと思ったし、何よりこれからも色々手助けをしてやりたいとも思ったのだ。
だが黙ってコソコソというのも性にあわないし、これに関しては自分の判断は間違っていないと妙な自信もある為、杏寿郎はわざわざ昼飯時に冨岡の元を訪れたという訳である。
「その上で言うが、確かに山本は冨岡が言った通り平気そうには見えた。……しかし、彼女はまだ高校生で、誰かの助けを借りたい時が訪れるかもしれん!!その時は俺が手を差し伸べてやりたいのだが構わないか?」
一方、階段で一人パンを頬張っていた冨岡は、突然現れた杏寿郎に凄い勢いで話しかけられて固まっている。
確かに冨岡は生徒のプライベートに首を突っ込みすぎるなとは言ったが、そうでも言わないと彼が今にも飛び出して行きそうだったからで。
ましてや、昔の彼らを知る者ならば、綾乃が関わった時の煉獄はそんな言葉で止められる筈がない事も理解している。
「………好きにするといい」
ボソリと呟いた冨岡に満面の笑みで感謝を述べた杏寿郎は、その後無言でパンを食べ続ける冨岡相手に上機嫌でお喋りを続けた。
その中には、竈門ベーカリーのパンは絶品だとかなんとか…
綾乃とは一見関係ないような話も含まれていたが、もぐもぐと口を動かしながら時折小さく頷く素振りを見せる冨岡も、竈門ベーカリーのパンには興味津々なのであった。
10/10ページ