第一章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
週末を控えた金曜日の夕暮れ時。
杏寿郎は数枚のプリントと竈門ベーカリーの袋を片手に一軒のアパートを見上げていた。
「……突然押しかけては迷惑だろうか」
誰に話すでもなくぽつりと漏れた独り言。
そもそもここまで来ておいて彼に帰るという選択肢はありはしないのだが、それでも戸惑いを含んだその声は彼の心情を表しているかのようで。
階段を登り目当ての部屋の前までやって来ると、杏寿郎は大きく息を吐き、それから意を決したようにインターフォンへと手を伸ばした。
******
綾乃から祖母の手術に付き添うと聞かされていた手術日はもう四日も前のこと。
その日のうちに欠席する期間を今週末まで伸ばして欲しいとの連絡が学校に入っていた為、杏寿郎はその伝達を受けてからというもの、ずっと綾乃の事を気にかけていた。
なんなら病院に見舞いに行ったほうがいいのでは?とまで考えた程である。
しかし、偶々綾乃からの連絡を取り継いだ冨岡から「山本は大丈夫だろうし、あまり生徒のプライベートに首を突っ込みすぎるな」と一言忠告があった為、今日まで彼は耐えていたのだ。
因みに余談ではあるが、冨岡は大した意味を込めてその発言をした訳ではない。
杏寿郎本人に自覚があるのかは知らないが、今にも飛び出していきそうな杏寿郎の姿を見て、冨岡はふと昔を思い出したのだ。
初めて自分の継ぐ子だと紹介された時も、彼女が手当てを受けていると聞いて蝶屋敷に飛び込んで来た時も…
綾乃のこととなると我を忘れてしまう姿を思い出し、とりあえず彼を落ち着かせるつもりで冨岡は助言をしただけなのである。
結果、生徒との距離感について忠告を受けたのだと勘違いをした杏寿郎が、この数日悶々と頭を悩ませていた事は、冨岡も勿論気づいていない。
とまあ、そんな事もあり綾乃が来週登校して来るのを待とうと、なんとか週末まで我慢していた杏寿郎だったのだが……
「俺、今日綾乃の家に行ってみるよ」
ホームルームが終わり、教室を後にしようとした杏寿郎の耳にたまたま聞こえた〝綾乃〟の名前。
「なんでだ?アイツは大丈夫って言ってんだろ?」
「うーん……確かに大丈夫だって返信は来てたけど、やっぱり心配だし……それに授業のノートとか見せて欲しいかもしれないから」
「ふ〜ん。でもノートなんて見て何になるんだよ?変わってんな!」
思わず後ろを振り返えれば、心配そうに眉を下げる炭治郎と不思議そうに首を傾げる伊之助の姿が目に入る。
彼らの話題は正に杏寿郎が頭を悩ませていた事そのもので、その瞬間、ハッと言い訳が思い浮かんだ。
〝なるほど!竈門少年の付き添いとして俺も同行すれば問題あるまい!〟
そう思い至った杏寿郎が、くるりと教室内へ踵を返し、彼らに詰め寄ったのは今朝の話である。
勿論、友達想いの炭治郎はその提案に頷いて、放課後、共に綾乃の家へと行く約束も取り付けた。
しかし、昼過ぎになって末の弟が熱を出したと母から連絡が入った為、炭治郎は同行する事が出来なくなってしまった訳である。
「煉獄先生、すみません。一緒に行く約束をしていたのに……」
「いや、気にするな!それより、今は弟のことだけ気にかけてやるといい!山本の様子は、俺が責任を持って見て来るから安心しなさい!」
本当は付き添いという口実がなくなって一瞬戸惑った杏寿郎だが、家の手伝いをしながら兄弟達の面倒を見ている炭治郎を前に、それ以上頼めるはずも無く。
「ありがとうございます。お詫びと言っては何ですが、綾乃の家に行く前に是非竈門ベーカリーに寄って下さい。綾乃と先生にも、うちのパンをご馳走しますから」
放課後、炭治郎から綾乃への手土産として焼き立てのパンを受け取り、杏寿郎は結局一人で綾乃のアパートへとやって来たのだ。
ピンポーン♪
鳴り響く呼び鈴の音に、杏寿郎は緊張した面持ちでインターフォンを見つめていた。
しかし、それから程なくして、ガチャリと開けられた扉から綾乃がひょこっと顔を出すと、杏寿郎の眉間には軽く皺が寄せられる。
「あれ?先生?」
「山本、突然扉を開けては不用心だぞ!!」
「え?あ、すみません?」
戸惑いながら返事を返す綾乃に、必ずインターフォンで相手を確認する事や、扉にチェーンをかけるようにと語尾を荒げた杏寿郎は、ハッとそこで我に帰る。
「いや、その、なんだ……俺の方こそ突然押しかけて申し訳ない。連絡は受けていたんだが、少し心配でな……お婆様は、その後体調はどうだろうか?」
それから今週のプリントと、炭治郎から託されたパンがある事を矢継ぎ早に口にした杏寿郎に、綾乃はパチパチと瞬きを繰り返す。
「すみません、かえって心配をかけてしまいましたね」
そう言って、困ったような笑みを浮かべた綾乃は、外では何だからと杏寿郎に家に入るように促した。
それには、冨岡から指摘をされたばかりだからと、一瞬綾乃の提案に少し戸惑いを見せた杏寿郎だが……
「む?うーむ……では少しだけお邪魔するとしよう」
「ふふっ、はい。少し散らかってますけど、適当に腰掛けて下さい」
結局彼女の言葉に頷いて、杏寿郎は綾乃の後を追い、部屋の中へと足を踏み入れるのだった。