「何か悩み事？もし私でよければ相談にのるよ？」

「あ、の……私…っ」



まさか蜜璃ちゃんに嫉妬して、自分の方が劣っていると思い込んで落ち込んでいたー……なんて、本人を目の前に言えるわけがない。

しかし先程の独り言も聞かれてしまった訳だし、言葉に詰まる時点で悩みがあると言っているようなものじゃないか……


此方を覗き込む蜜璃ちゃんに、どうしたものかと考えを巡らせる。


そんな私の様子に何やら考え込むような素振りを見せた彼女は、目線を合わすようにしゃがみ込むと口を開く。



「もしかして師範と関係のあること？」

「な、んで……っ」



核心をつくような問いかけに思わずビクッと肩を揺らすと、蜜璃ちゃんからはクスクスと小さく笑みが漏れる。

それから、いつも師範を目で追っているから…なんて笑いかけられては、これ以上隠し通すのは難しいと腹を括る。



「蜜璃ちゃんに話すのは初めてなんだけど……私が煉獄家で暮らし始めたのは、実はもう随分前になるの。私の父も……愼寿朗おじ様と同じ鬼殺隊の柱をしていてね？その当時から家族ぐるみの付き合いがあったの」

「ええっ、柱！！？名前ちゃんのお父様も！？」

「ふふっ、父様はとても強くて優しい人だったのよ？母様も凄腕の隊士だったと聞いたわ」



観念して幼少期の話を口にすれば、杏ちゃんから許嫁だとしか聞かされていなかったのだろう…
蜜璃ちゃんは驚いた表情を浮かべていた。

しかし、私が両親を任務で亡くした事や、その後煉獄家の皆が家族同然に迎え入れてくれた事を話し出すと、蜜璃ちゃんは哀しそうに眉を下げ静かに耳を傾けてくれた。


「辛い時もあったけど、私のそばにはいつも杏ちゃんがいてくれたから。杏ちゃんや…煉獄家の皆には本当に感謝しているの」

「……名前ちゃん」

「だけど、私は隊士でもないし……大して煉獄家の役にも立たないでしょ？許嫁だって、小さい頃に結んだ口約束だし………そろそろ……この家を出た方が…いいのかなって……」



言葉にしてしまうと杏ちゃんから離れる実感が湧いて来て、最後は随分と小さな声になってしまった。

自分で口にしておきながら蜜璃ちゃんからの返答が怖いだなんて馬鹿げているが、ビクビクしながら彼女の表情を窺い見る。



「名前ちゃんは隊士になりたいの？」

「そ、そういうわけじゃないけど……」



しかし、キョトンとした顔をした蜜璃ちゃんから思わぬ質問が返ってきて、命をかけて鬼と戦う彼女を前に思わず否定の言葉を口にする。



「ふふっ、それなら安心ね」

「えっ、」

「名前ちゃんが隊士になったら、心配して師範が倒れちゃいそうだもの」



だが、そんな事など気にしていないように蜜璃ちゃんはクスクスと可愛らしく笑みを浮かべる。

それどころか、師範はいつも名前ちゃんを気にかけているし、任務に同行した時も名前ちゃんの話ばかりするのよ？なんて、彼女は楽しそうに言葉を続けた。



「名前ちゃんは何も役に立ててないって言うけど、待っててくれる人がいるのってとても嬉しい事なのよ？」

「……でも」

「師範は名前ちゃんがいてくれるから頑張れるのよ。いつも名前ちゃんのことを嬉しそうに話す師範を見てたら分かるもの！
それに、ほら？キュンキュンして、胸がぽわんって温かくなるようなあの感じ！！きっと師範もそんな感じなのよ！！」

「そ、そうなのかな……」

「そうよ！！名前ちゃんを見つめる師範を見てたら分かるもの！！間違いないわ！！」



鼻息を荒くして詰め寄って来た蜜璃ちゃんに思わず苦笑いを浮かべて頷いた。

独特な言い回しではあるものの、私も名前ちゃんがいてくれるから毎日笑顔でいられるのよ？と笑いかけてくれる蜜璃ちゃんは、やっぱりとっても優しくて……



「もしそれでも心配なら、師範に直接聞いてみたらいいと思うわ」



私を励ますために明るく笑う彼女は、やっぱり杏ちゃんにお似合いのような気がして、私は曖昧に返事を返すことしか出来なかった。




＊＊＊＊＊＊




結局あの日から、話を打ち明けるタイミングが掴めず相変わらずの毎日を過ごしている。



まだ薄暗い時間から朝食を準備し始め、日が登れば洗濯に取り掛かる。

杏ちゃんの朝の日課である素振りが終われば皆で食事を食べ、その後は部屋で食事を摂られるおじ様の食器を下げにいく。

おじ様の機嫌が悪くなければ部屋の空気を入れ替えたり、少しだけ会話を交わすこともある。

あの頃より少し無愛想ではあるものの、不自由がないか？と声をかけてくれるおじ様は、やっぱりとても優しい人だ。

昼食を済ませれば、千寿郎君と一緒に杏ちゃんの稽古を見学して、その後任務に向かう杏ちゃん達を送り出すのだ。




毎日同じ事の繰り返し。

杏ちゃん達が命をかけて戦う裏で、私は何不自由なくのうのうとした暮らしを送っている……


無能な自分に嫌気がさす。

任務へ向かう杏ちゃんの無事を願い、瑠火おば様の仏壇に手を合わせながら、私は大きなため息を吐いた。



『私が居なくなれば、あの子達は辛い思いをするのでしょう……ですが、不思議と不安はありません。あの子には…杏寿郎には名前さんが居てくれるのですから』

『……っ、』

『杏寿郎を宜しくお願いします。何かあった時は杏寿郎を支えてあげて欲しいのです』

『お、おば様ぁ……っ、』



瑠火おば様と私が交わしたあの日の約束。
泣き出した私を抱きしめ、貴方を本当の娘のように思っていたと笑ってくれたおば様を思い出す。



「瑠火おば様との約束……私は守れていますか？私にはどうしたらいいのか分からなくて……」



仏壇に手を合わせながら弱音をこぼしていると、不意に後ろから声がかかる。



「…… 名前、ここに居たのか」



振り返らなくたって、声だけで誰かなんて直ぐ分かってしまうのだから、私にとって杏ちゃんがどれだけ大切な存在かを思い知る。

隣までやって来て腰を下ろした杏ちゃんが、仏壇に手を合わせ口を開く。



「母上、行って参ります」



今朝方、杏ちゃんは難しい任務に就くと言っていた。
お館様から頂いた鬼の情報を元に十二鬼月を討ち、次期炎柱になるのだ、とー……。

煉獄家は代々続く名家なのだから、彼が柱になれば必然的にお世継ぎ云々の話が付き纏う。



〝……身を引くべき時が来たのだろう〟


誰よりも大切で大好きな人だからこそ、杏ちゃんには幸せになって貰いたい。
例え相手が自分ではなくても……優しい杏ちゃんを縛り続けるのは、もう辞めよう。

静かに目を伏せる杏ちゃんを眺めて、私は漸く決心がついた。




「杏ちゃん。……私、煉獄家を出ようと思うの」